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呼吸法もそうだが・・・
剣道形に現れる構えに関しても、木刀による異種であるとして、
竹刀剣道に活かすよりも、別の武術であるとする人も多い。
「昇段試験の為のもの」
「試合は竹刀スポーツ」との割り切り方で、形稽古も
別のもので、フェンシンクと同じくらいに別世界で捉えているケース。
ある意味、それは現在人としての起用さであったりする。
それ自体、ムキになって議論するものさえ無いのは、むしろ
さみしいかもしれない。
昔、タイガー森と呼ばれた人(講談社野間道場で野間の従兄弟にあたる)は米国にわたって
から米国のフェンシングのチームを指導したことで知られる。
戦前、このあたりまでは剣の武術がその本質を失わず・ツール(得物)を変えても
通用する部分を多くもっていたのではないかという気がする。
さて、その構えには、たくさんの種類があった。位をいう名前を柳生は特に
関して、形よりも心の位置を大切にしたのである。
中国から朝鮮半島を経て、社会システムが沢山輸入されてくる。漢字もそうだが
仏教・冠位十二階など、場合によってはそれを改良しながら、日本のプライドとして
新しいものを作り出してきた。 両刃の直刀もわらび刀のような形に改良され、
砂鉄がたたら場で、灰木炭とハイブリット化され、玉鋼となった。
剣道の流れも常に時代の必要性とともに系統化され、開発されてきた。
その流派の大半は、豊臣期の廃刀令・明治初期の文明開化・第2次世界大戦
中においては人材が失われ・伝承の流れがストップしてしまったケース。
資料が消失したケースなど。残念の極みである。また資料が残っていても
それを体で再現することは本当にむつかしい。
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