|
もう一つの正眼(晴眼)で平正眼は五本目の上段に対する晴眼で、切っ先をあげ、相手の左手に付ける
構え。 これは竹刀剣道にもよく取り入れられてはいるが・・・・
中段の位置の定義そのものも、実は曖昧なものであろう。
本来、構えは小刀の部にあるように、上段に対する晴眼、下段に対する晴眼で、その
切っ先位置の特定はし難いものである。
およそ五行に示すごとく、絶対的な技は無い。
何に対して有利であるかを示すものにほかならない。
どの構えに、どれが相性よく会うのか、その研究をこそ
怠てはならないものであろう。
また上・中・下の言い方をしなかったのは、本来高さによって、天の位、地の位、人の位、呼び方もあった。
これは、規定するものではなく、相対するべきもので、どこから何センチしたとして特定するべきものではない。
またそこに費やすエネルギーほど、無意味なものはない。
剣道という無形文化財の大きさを特定の小箱に押さえ込んでしまうことになりはしないだろうか?
日本剣道形が普及のためのモデルであって、剣道形は日本剣道の全てではない。
場合によっては居合やなぎなたの形、あるいは槍などの基本形を習う機会ががあれば、大なる剣術の姿がわかってくるのではないかと、
基本形たる日本剣道形をあるがままに受入れ、詳細にその真髄を磨けば、すべてに通じる道も見えるものであろうと推測できる。
ただ一般には昇段試験の科目であり手段として必要性を訴えても、指導者が、そのマニュアルに頼って、
木を見て森を見なかったら、枝葉のなかにある大切な部分までもミニチュア化してしまう恐れを
危懼するものである。例えば、級審査には、木刀による練習法がいって、昇段審査にはいらないとする単純に
試験科目としての認識、ただし卒業できれば、それでも忘れてしまうときがある。
昔の武家の女子教育にあって、家庭における日々のしつけがあって、特別の教育機関がない、
男児にその道があっても、女子には家での裁縫や家事手伝いがその教育現場そのものであった。
しかし、ここで考察すべきは、日々のしつけという環境こそ、優れた日本の女子教育につながった可能性
がある。進学の自由もなければ、勉強する機関も限られていた。いうなれば家庭が教育現場そのものであった。
その当時外国から日本に来た人が、日本人の持つ常識力、徳育の高さ、または社会ルールに対する
権利義務意識の高さを評価する記述をみても、その(封建的ではあるが)市民社会のレベルの
高さにあった。 だから、明治維新が実現できたと言えないだろうか?
事実、剣道形習得と同時に、歴史の中でコンパクト化されてきたものが多い。
200以上あった技も数十ほどに押し込められてしまったものがある。
橋の上で敵に遭遇した場合の形や方法、床下で潜んで待ち伏せする時の形、あるいは
狭い客間の中で大刀を抜き、欄間などにささらない所作など、実践的なものがすべてカットされて
しまっている場合が多い。
剣道形に取り入れられなかった形として、霞の構え、波返し上段など。逆手上段、流派によっては
金剛の位(笏:しゃくの位)など無数にある。2刀にも沢山の構えと技がある。
古流との交流も忘れてはならない。 |
全体表示
[ リスト ]





