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マニュアル通り形を打っていて落とされることがありますか?
という質問があったら
私はこう答える。「落ちることあると思います。」
形が誰でも習得できるようにと、教本には指導の注意点が書かれいても
私は言いたいのである。 たとえば、機を見てとか、気剣体の一致とか
いっても、教授側にそのあり方や教え方に、個人差がないだろうか。同時に
生徒側においても、それを理解する力が同じだろうかと。
師匠と弟子の呼吸の合わせ方や足運び、気勢、 間合いを積もること、など
本来それらを習得するために作られているのに、むしろ形、そのものを覚えるのに
相当のエネルギーを費やしているようにおもえる。
実はそれを習得してさらに、実用的な、応用に入らなければならないのに
それを自得しようと考えている初心者がすくないのではないか。
居合形の12本(制定)を覚えるのに、細かいことは言わず、ひたすら形をおぼえさせ
それから後に、それを少しずつ修正していくのが通例であろう。 最初は
相手を切り倒してのち「憐憫の情」を表すどころのはなしではない、
刀の持ち方からのレベルなのである。
ABCのどこから教えるかという問題もあるが、師匠(教授側)が剣道形を単なる
基準教本として読みながら、教えるのでは間に合わない。
師匠がそれを自分のものとして、自得していなければ、血肉を添えて
教えることはできない。 剣道形という日本文化の伝承と、その神髄はやはり口伝される
べきものであろう。
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地区審査会のご案内 です。
11月23日(祝) 午前9時 開館、午前9:30 点呼 午前10:00 審査開始
場所:泉佐野市民総合体育館
泉佐野市秦安松 1−1−12
TEL 072−462−2005
申込み期日 10月18日(木)〜30日(火)
学科 必須
初段 ・・・「基本の大切さ」
選択・・・①剣道における「三とおりの礼」
②「切り返しの方法」を説明しなさい
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いつもお世話になっている地元の道場で、MG道場のF副会長が
4段に合格した。 なんと剣道形で落ちてしまったとの報告を受けた。
前日、指導していたものとして、ショックを禁じえない。
「えーなんで?」
それなりに折に触れ、練習をしてきたが、温厚な人柄故に、
随所でその優しさが出る。
形を覚えてはいるが、声が低く小さい。自信がない。
治せるところは直したつもりであったが、どうもその
自信のなさが気になって仕方がなかった。
今回はその予想が的中していまったことになる。
人を指導する事のむつかしさでもある。
私は常に「そっ啄同時」という言葉を大切にしているが・・・
卵からかえろうとするヒナの内側からつつく音(そつ)を聞いて
親鳥は外側から突いて(啄)協力する。 教える主体がヒナで
あれば、ヒナそのものに、やる気、学ぼうとする気持ちが
大切であろう。
またその背景として、剣道形を昇段審査のためにやるものとする考え
を広めてしまった人達にも大きな責任がある。
剣道形をマニュアル化してしまったことに原因があるようにも
思える。 私は帝国剣道形の教本をもっているが、極めてシンプル
なものである。しかし写真がある点では、現在のものよりわかりやすいと思う。
マニュアルを見て覚えることは、悪いことではないが、
大切なものが欠如していまうことを指摘したい。
すなわち、個性や体の特質を無視した武道は自分のものではないから
である。また、殻を破ってくるヒナも一様ではないのである。
大切なことは、師匠と対話があり、体で教え、体で習得することにある。
師匠というものはまた、マニュアル通りの理屈をこねることに終始しては
自分の武道というものの、自分史を否定することになる。
形に流れる、こころや技の本質を、自分史の目から、キチンと弟子に
伝授しないと、弟子がただの道上途説の人となり、
これがひどくなると「論語読みの論語知らずになってしまう」
うちの道場にも、よく見かけるのはどうしたものか?
私は、これまで制定居合12本、古流(英信流、武蔵円明、柳生流)など
をやりながら数年来、以上毎週一回防具竹刀なし、木刀だけの稽古を続け
きたが、最近、思うのはマニュアルに書かれていない
師匠から口伝がいかに大切であるかを、通感する。
そこに、師匠という生きた人間を通して、過去に存在した先生、先達がみつけて
編み出したものがあるからである。
例えば、呼吸法、丹田の法、間合いを図る法(間積)、石火の位、
気迫、残心の心(八重垣の意味)など・・数えりれない。
居合には流派が歴然と存在する。剣道家に言わせると
複雑で閉鎖な的な関係だという人もあるし、居合の先生に言わせば
所詮竹刀スポーツであって、抜刀も納刀もままならないと。
続く
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小・中・高 学生の皆さん、 学校に剣道部が無いときは、上町に。
社会人・リバ剣もお待ちしいます。
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筒井紀充は、本名、筒井輝邦、大和文殊派の鍛冶である越中守包国の子として寛文6年に生まれる。初銘は父と同じく包国を継ぎ、元禄の末から宝永の初期の頃に入道して銘を紀充ときる。初め大坂で鍛刀し、享保年中は河内で、のちに大和郡山の九条に移る。作風は、大坂新刀の影響が強く感じられ、特に津田越前守助広に私淑していたようであり、助広の片切刃造の脇指を忠実に写したものなどが遺されており、草書風の銘字や香包の粧鑢などからも看取される。 (WIKI抜粋)
友人は、筒井。 なんと国立博物館に寄付したとのこと。
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