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本日の7段審査会において、いつもお世話になっています。修道館剣道クラブのT柳先生が
見事合格されました。
本当におめでとうございます。
3月中頃先生と立ち会ったとき、出小手を2本いただいたことがりました。
その打ちの速さがいつもと違うと「何か」不思議な予感を感じていました。
永年一緒に練習させていただいておりましたから・・・
先生にも、「今年、いけますよ」と生意気にいってしまったことを覚えています。
ところが4月始めに、武徳殿で、師匠の一人N西先生に合った時がT先生の話になって
全く同じとこを言っておられました。 同じ予感でしょうね。
口で表せない、何か感じるもの。
それは、合格と不合格を分ける「何か」なんですが・・・・・
練習を積んできたものが、得ることのできる沈黙の熟成
あるいは、高貴で不屈なる意志が、充溢している状態に
あるとき無意識のオーラが出て、技にも気位にも
人をして、感じさせるものが表に出てくる。
それが、運命を分ける。
昨日、飲み会があったので、66歳で剣道をはじめ、69歳で、初段を取った
KM氏が私の前に来て、お酒をガンガン飲んで、その勢いで私に言います。
「お腹が出ているのは先生の不摂生や!!」
「・・・・・・」
一瞬どきツーとして言葉に詰まった次第。KM氏は最近新しい仕事について
第2の人生をあるんでいる。腹筋100回、素振りは最高1100回がという
から並の人ではない。
「確かに、反論できません、申し訳ありません。」
働いても・・・剣道しても、へっこまないお腹を見て
と〜い7段への修行に思いを馳せる。
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上町剣友会のみなさん、サクラの季節がすぎて、すっかり新緑の季節と
なりました。 GWはどうされますか?
全国都道府県大会 も 大阪で開かれます。京都の演武大会も
学生もみなさんも含め練習生を募集しています。
出稽古の先生も是非お越しください。
自由なる剣士の憩いの場、それが上町剣友会です。
みな様のお越しをお待ちしています。
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*4月30日〜5月01日昇段審査応援よろしくお願いします。
高YG先生・H橋先生など
*4月28日(土) 地方から京都に来られる先生がありましたら、是非
ご招待ください。
*******************************
5月10日(木) 上町自由練習会 19:00〜20:30
5月12日(土) 上町剣友会練習 13:30〜16:30
5月17日(木) 上町自由練習会 19:00〜20:30
5月19日(土) 上町剣友会練習 13:30〜16:30
5月24日(木) 上町自由練習会 19:00〜20:30
5月26日(土) 上町剣友会練習会 13:30〜16:30
5月31日(木) 上町自由練習会 19:00〜20:30
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武徳殿100年記念に建てられた、記念碑をつくずく眺め、師匠から弟子へ連綿と
つながるひとつの道を思うと本当に胸が熱くなりますね。
師匠が小川金之助先生や宮崎繁三郎先生などの戦後まもない、若き日々を語る時、歴史の
流れの中に、自分も参加しているような気になってくるのである。
もしそうだとしたら、少しでも長生きして、次の世代に正しく、バトンを渡して行きたい。
現在剣道のマニュアルにとわれることのなく、しかし本当に正しい「剣の道」と「剣のこころ」
結構馬鹿な話に興じていはいるが、時々聞ける、師匠の本根や歴史の1ページ、
これがあるから第2道場はやめられない。
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三位の格とはどういうものであろうか?
その前にいつも思うことながら、試合に勝てないのでいうのではないが・・・・
いや・・・やはりあえて、言いたいのであるが・・・・・
竹刀剣道の欠点は、バンバン早く打てる利点であるが、それがそのまま、
あるときに・・・欠点に変わる。
昇段試験に最も要求されるもの・・・理合・姿勢・重みのある残心。
では・・・
試合でみられる残心ではない残心とは、どういうものであろうか。
居合道の残心にそのヒントがある。 切った相手に拝む、
悲痛とも言える憐憫の心と悲哀をその表情にも表す。
しかし、再び足元を払われない用心(八重垣)と細心の注意。
それらが、高校生の試合の残心によくあるエビがはねたような
オーバージェスチャーとは基本的に違うところ。
「露の位」「石火の位」「梵鐘の位」を古来三位の格としているが
煙のようにどこからか、集まり始めた気が集まり、溜を作って、
打つべき時に爆発する呼吸、つまり「露の位」とは木の葉に落ちた水滴が静かに凝集して機満つれば自然と落ちるように、静かに気の至るを待つことであり、「石火の位」とは火打石を打てば火が出るように、「いかにも早く打つこと」であり、機に及んで間髪を入れず鋭く打ち出すこと。
さらに「梵鐘の位」とは打てば即ち梵鐘のように余韻嫋々たる気の残心を漂わすことである。 これは真剣の理合では、静かな憐憫の情ではなく、複数の敵に対した時、その威嚇効果を
漂わすものであろう。
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先日 武漢で揚子江ノ流れを久しぶりに目にしましたが、いつものように、薄茶色の色は中原の大地を削った
色をたたえて,滔々と流れています。
柳生新影流にいう、西江水(せいこうすい)とはこの揚子江の水のことです。
碧巌録(へきがんろく)に出てくる、その言葉を柳生流は秘伝書に取り入れました。
すなわち、「兵法の数の習いを打ち捨てて、西江水を一口に呑む」、揚子江の水を飲み込むように
宇宙と一体になれということのようですが、同時に、技やその勝ち方の方法にとらわれることなく、
一旦、剣道を忘れて無になることですね。
でもなかなかこれができない。
昇段試験の日、実は、この西江水を胸に念じていました。体育館の群衆を建物ごと
飲み込むことを、ひたすら念じておりました。
前日までの私は、技のパターンをイメージトレーニングしていましたが
夜も寝付けず、いらいらの募るばかり、舞洲についても
焦燥感を無理やり押さえつけたような心理状態でした。
でもその朝、なんとなく、「西江水」という言葉が頭に浮かんできました。
「そうだ、のまれている」
点呼が始まっとき、場内の選手の数と客席をみて
「西江水や」と言い聞かせました。
先般の大阪府予選では会場の雰囲気にのまれて、焦り打ち、出小手に取られて
敗退、その痛い思いがトラウマになっていました。
あの時、西江水を念じていたら・・・・・・
いま、思うのです。 勝負は一瞬です。そして日々の鍛錬は千行、万業ですよね。
でもその中で、心も作って行かないといけない。
無となり、動じない心。
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