不刀 庵 閑話 シーズン2

剣道の故きを温ねて、新しき人生を知るブログ

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中井亀治郎(2)

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十津川村といえば・・・維新発祥の地
今日でこそ世界遺産という名前がついて道路が整備されて、森林浴と吊橋と清流と歴史ロマンに
富む地域であるだけに、秘境の温泉観光客は後を絶たない。では昔はどうだっただろうか、山々の合間から滲みだした清流はそのまま勢いをえて、谷をさらに深いものにしていたに相違なかろう。
深山幽谷の名前のとおり、おのずと天然の要害となって、反政府の人々にとって世を忍ぶ
隠れ里だったといえる。反面崖から大岩が道におちて、往来を妨げると、馬も牛も通ることが
できないほどの地域だった。陸の孤島とはよく言ったものだ。

明治22年(1889年)南から上ってきた台風が釈迦岳に近付いていた。
もともと多雨の地域で年間通じての降雨量は全国的にトップクラスといえる。
明治22年は例年になく、雨が降らず、土地の人たちは作物のため雨乞いをしていた8月の17日の
夜半からパラパラと降り始め、翌日からは地元でいう「バケツをぶっちゃけた」ような雨となった。
雨水は、土地の人にとってはこの狩川のチャンスとなるはずであった。
しかし、降り続いたあめが山の斜面に食い込んで亀裂を生じ、崖崩れ、土砂災害となって
多くの家を押し流してしまった。同時に土砂は川をせき止めダムとなり、これが所どころにできて、3次災害を引き起こした。66余の山村はまたたく間に飲み込まれ、統計表によれば大規模崩壊(縦横50間以上=縦横約91メートル以上)は1,147箇所、新湖は53箇所とあり、死者249人(168名の通説、行方不明の数が加算されていない)、全壊家屋200戸、流失家屋365戸という被害が生じている。避難し生き残った人の大半は、猿やシカのように谷にのこされ、人々は生きるために、北海道に移住する道を選んだ。
600世帯約2486名ほどの人たちは、郷里を後にした。この人たちが移住したときには北海道は秋から冬に向かおうとしていた。厳寒の北海道を切り開いたとき、村は新十津川村(北海道樺戸郡)となずけられた。

この大水害の時、亀治郎は難をのがれた。

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近畿の屋根であり、秘境である十津川には歴史的な見どころが山ほどあります。
自動車でも少々時間がかかる旨、穴場ですが、釣りのシーズンや夏休みは
流石に混みますが。紅葉乃時期にも山の幸が楽しみの一つです。

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蔵に入って、伝授するひともなくなった日本の古流も悲惨なれば・・・。
個人の能力が並みはずれていても、流派としては残せなかったため、今
日その人の技術をしるすべがない場合もある。

師匠の話からある剣豪に興味をもった。

その名は中井亀冶郎。維新発祥の地となった奈良県十津川村にその碑はひっそりと建つ。

慶応2年(1866)3月22日、父、 多蔵、母、 里よの三男として内原に生まれる。
郷士ながら樵士として、林業の傍ら、猿を捕まえる仕事もあったそうで、
木から木へ飛び移っては、逃げ遅れた猿を捕まえたりしていた。

昔、このあたりに狩川[かりかわ]という作業があった。
十津川の材木を谷川に落として流し、
大川に集められたものを、そこで筏に組んで新宮までおくる。。
 
地元地誌には、

 あるとき、大雨が降って谷川が増水しとき、亀治郎は
男衆に交じって狩川へ出てきた。
 せまい川幅いっぱいに溢れた大水は、ゴウゴウと音を立てて流れている。川上の男衆が下す材木は荒波にもまれ、押し合いへし合いして流れた。
 このようすを見ていた亀治郎は、手ごろな材木を見つけると、いきなり、ヒョイとその上に跳び乗り、材木の先っちょにとびぐちを打ち立て、まん中あたりにすっくと立ち、腕組みして濁流に乗り出した。
 岸の男衆が、止めるのも聞かず。
振り返るようすもなく、荒瀬も岩場も体をよじって自由自在に舵[かじ]をとり、下[しも]へ下へと乗り下ったとのこと。
 男衆は、
「なんというおとろしい奴じゃ。ありゃあ神わざじゃ。命いくつあっても足らんわ。」
と、あきれかえった。という。

壁打ちと五円玉(2)

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いかに単純な練習の積み重ねが大事かがわかる。防具をかぶった数ではない。
剣豪への道は、日々の基礎練習のたまものである。それは素振りの数でもない。
体のつくりの悪い人、障害や欠陥を持つ人は、違う部分を鍛えなければ
ならないし、視力の悪い人は心の眼(あるいは観の目)を鍛えねばならない。
千差万別の修練があるべきである。

要するに自分にあった練習方法や早道が描けているかどうか、その戦略が
あるかどうかが重要なのである。

鐘巻自斎は目が不自由だったので、小刀(脇差)を得意とした。弟子に長い
刀を持たせて練習に励んだ。その弟子というのは佐々木小次郎だった。
居合でも、身長に合わせて、刀の長さを選べる。今の剣道は竹刀スポーツ化
競技化するために、37.38.39と長さを統一してしまった。
2刀にその選択肢の幅を期待したいが、これもサイズは厳格に決まっている。

個性が十二分に発揮され、それが秘術となったその流派、一流の技術や
戦闘能力が独自の練習方法とともに口伝されてゆく。
このような個を活かした開発能力が昔の人には、旺盛にあった
またそれを磨かなければ武士にとって士官の道がなかった。能力構築の
技術は現在のモノづくりにも生かされている。
日本人の精神文化の中にはぐくまれているものであった。

たまたま、ある人の技が、別の人に受け継がれて、さらに磨かれて組織の中にも
変化を与えていく。大きく取り上げられて成功する。
たとえば柳生家の新陰流は江戸幕府で認められ、広く採用された。惜しむらくは
上流階級でお留流として秘匿され、現在剣道に直結していない。ただ間接的に
下町の町人道場(江戸の3代道場)にパーツ化された技、や基本的な考え方で優れた部分
が伝えられ、特に北辰一刀流は現在剣道の基礎となった。
練習方法の技術からいささか飛躍しすぎてしまったかもしれないが・・
いいものを秘匿していては・・・新しい時代に残せないと言いたいのである。
剣道の問題は進化能力を強化して、国際的にもしないといけないし、
単に剣道連盟の枠内に閉じこもり、その権威を振りかざすなどというのは
本当に小さな剣豪といわなければならない。
剣道や居合や古武術にある呼吸法や身体術が介護ビジネスや水泳や
マラソンや卓球など日本人の体育向上にも生かされ、日本人のものづくりに生かされる
そのために剣道を分析し、研究し実践することが大切だと言いたいのである。
蔵の中に眠った古流に魅力を感じるとともに、何とかもっと白日の下に
引っ張りだして、現在剣道や生活にも生かしたいものである。

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