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幸隆が八幡原に到着した頃には,誰の目にも越軍の優勢は明らかであるように見えた.
幸隆にすれば,思っていたことが現実になっていることに口惜しいと思う反面,自身の兵法が
間違っていなかったという,どこか優越感にも似た,相反する気持ちが存在するのであった.
その兵法は勘助から学んだことと自身が磨いてきたことの集大成でもあった.
「勘助どのが危ない,上杉の後方を取り固めよ」
馬上から号令しながら,武田の鶴翼の陣を後方より広げ,逆の鶴翼で上杉の軍を包囲しはじめた.
しばらくして,上杉謙信は兵を曳きはじめた.後方の脅威は,膠着していた戦場の状況を一変し始めた・
これこそは,勘助がもともと考えた策であり,前方,後方の鶴翼によって上杉越軍を一網打尽に打ち取ることは
勘助の描いた勝ちパターンであった.このとき勘助は,すでにこの世にいない.
謙信は戦場に放生月毛を打ち捨てた. 月毛の淡い乳白色は,槍傷によって既に鮮血に染まっている.
このまま,乗り続けることは,愛馬放生月毛を殺すことになる.あえて武田の戦利品にすることで,
愛馬は生きながらえる. 事実,この月毛は武田の武将によって再生した.
謙信は武田武将の首実検をすませた後,全軍に越後転身(撤退)を号令した.
その中に勘助の首はなかった.
世に言う川中島の顛末であるが,この後,第五次川中島を入れると,まさに10年におよび
激突があった. ついにこの竜虎の対決に決着がつくことがなかった.
関東の北条の動きもある.
信長・家康の連合軍は既に,東海・近江を掌握し,京を取りまく,周辺の反対勢力を除きつつある.
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