不刀 庵 閑話 シーズン2

剣道の故きを温ねて、新しき人生を知るブログ

ブンタの剣道千夜一夜

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                                   ウィキペデイア より
中墨を子供たちや若い人に説明する時に、単に中心線であるとか
正中線であるとか、といってしまうと、アバウトすぎて値打ちが無いような気がします。
 ともうしますのは、古い先生方がこれを説明するときに、それぞれが
秘密にしているノウハウといいいますか、修行してきた大事な自分なりの
攻めの攻防に関連した部分が隠されているよう思えるからです。

大工の場合。木の選び方から、鉋(かんな)のひき方。鋸のひき方と
同じように、この中墨の引き方に親方から受けた、厳しいノウハウが
あるはずなのです。
「何度云えば分かるんだ、柱の中心は・・・・・
 こうとるんだ」 
血の出るような修行があったことでしょう。その匠のノウハウが
この中墨の表現に隠されているのです。

中墨には縦と横の中心線が交わるところという意味もあります。
柳生新陰流では、神妙剣という表記が出てきます。
石舟斎はこれを「臍(へそ)周りの5寸4分をいう」としています。
うちの師匠はこの前
「切っ先を相手の左手こぶしにつける・・・・・・」と
説明していました
 
いわゆる 臍眼(せいがん) へそ正眼です。
 
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私は山が好きで、昔はよく山のぼりをしました。関西のいろんな
山を一人歩きしては、野草特に菫を集めたときもあった。
牧野博士の本によると、日本の菫は約400種類以上。
その語源は大工さんの道具で「墨入れ」からきているそうな。
スミレの花には瓢箪型の花心があります。
昔の大工さんがもっていたのは瓢箪の形をしたもので、中に朱がはいっていたのを覚えています。それをたこ紐に付けて、柱の中心に押し付け
線を引きます。この線できったり、あわせたりと作業をすすめていきました。いまは、・・・・レーザーです。しかも、在来工法のような
正確な木組みが無くなり、ツーバイホー式の打ちつけが主流。

さて、この墨入れが大工にとっては仕事を左右する、大事なもの
だったはずですね。
これをつかって、柱の中心線を引きますが、ゆがんだり、それていては仕事が正確に出来ない、自分の経験による勘と、線引きによって、木の特性をいかし、釘をあまり使わない仕事をしてゆきます。
今はもう昔でこんな大工さんも見当たらなくなりました。
特に都会ではむりですね。こういう仕事が出来る大工さんと出会うのは

墨イレと紐で、この匠が柱の中心に引く線が中墨(なかずみ)というわけです。

剣道の話になりますが、講習会で、ある先生が
「竹刀を必ず、相手の中墨につけるのです。」
という説明。
分かっていた先生がいったい何人あっただろうかと。
特に若い先生には、
「・・・・・・・・・・・???」
という反応が見てとれたのでした

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 高校のときに仏教に関係のある学校でしたので
 
こんなことを教わりました。

「釈迦一代の法を、よくよく学スとも、一文不知の身になして」

 という法然上人のことばのくだり。つまりは、どんなに習得しても慢心すれば

 向学心を失い、人間に錆がはいってしまいます。

 刀も自分の心も常にみがいていなければいけない。

中国の禅の言葉に、もうひとつ、意味のわからない言葉がありました。

西江水(せいこうすい)ということばです。

碧巌録(へきがんろく)に出る言葉でそれを沢庵禅師から教わったものと推察しますが、

柳生の花伝書その他に取り入れられたものだと伝えられている。百の技を習得しても、

一旦はこれを忘れて、西江水を一口に呑むというのが記述がありました。西江水を一口に呑むとは

揚子江に次ぐ大河の水を飲むこと。禅は発祥の地、福州華南地方にある大河が西江であっため
であろう。
意味するところ、宇宙を呑吐し自然と一体になれということであろう。

達磨大師から沢庵禅師へ、「西江水」は修練の先にある無の境地。

剣の極致はいかなる技も流儀流派も皆「無」であり自然に帰することである。

「西江水」をもってその真髄を表現したのかもしれません。


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以前武道具、亀田のお母さんから、「トンボは勝ち虫いうて、試合にはいい」と教えていただいたときから、なぜトンボが勝ち虫だろうか?と思っていました。ある日兵法花伝書に、蜻蛉能ク伯労を避クということばに出会いました。すなわち、蜻蛉はトンボ、伯労はモズなのですが、モズは秋に里に下りてきては、田んぼのばったやかえるなどを捕まえては、干しておくので有名です。虫取りの名人という鳥です。一方トンボは、大きな左右の眼が自由の回ることから、注意が四方に行き届くのでモズには捕まえることができません。これは、新陰流の目付けを説明するのに引用されたものなのですが、二目(ふため)遣いという、
左右前後の人の気をよむ、動きを察知すること。前の敵を切りつけたときすでに後ろの攻撃をどうするかを考えた、剣の動かしができるかどうかが大変重要だとするものです。 能楽にある二目遣いから共通の
心と技の理を伝えることばです。なお示現流のトンボの構えは、どこから来ているかまだ理解できません。トンボが止まるような棒のような構えから相手の目をかく乱しつつ、一気に切りつけます。



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木鶏(もくけい)

 
 隣のひとのタオルに何やら意味不明なことば「木の鶏 :もくけい」が書いてあります

木鶏(もっけい)というのは中国の古典「荘子」外篇にあります。
そのまま引用すると
昔、周の王朝に宣王がいました。また当時の習慣で闘鶏を養う紀省子という名人がいたそうです。
ある日、王がこの名人に尋ねます。「どうだ、もう闘えるかな」すると紀省子は「いや、まだでございます。今はまだ、むやみに強がって威勢を張っています」
十日して王が尋ねると、「まだです、ほかの鶏の鳴き声を聞いたり、姿を見ると、たちまち身構えます」
また十日して王が尋ねるますと、「まだです、ほかの鶏の姿を見ると、にらみ付け、気負いたちます」
十日して王が再度尋ねると、すると紀省子は「もう完璧です。ほかの鶏が鳴いても、もはや反応もしません。まるで木で作った鶏としか見えません。徳が充実しました。ほかの鶏で相手になろうとするものなく、背を向けて逃げ出してしまうでしょう。」事実、あいてになる鶏はいなかったという話です。

立ち居振る舞いが出来上がっていて、威厳と気が充実していて、見るからに
「このひとは・・・」と思える人にであったことはないですか?
 
その眼光や姿に、オーラがでて、無駄な動きのない状況がこの境地であり。

心外無刀の境地でもあります。

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