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蔵に入って、伝授するひともなくなった日本の古流も悲惨なれば・・・。
個人の能力が並みはずれていても、流派としては残せなかったため、今
日その人の技術をしるすべがない場合もある。
師匠の話からある剣豪に興味をもった。
その名は中井亀冶郎。維新発祥の地となった奈良県十津川村にその碑はひっそりと建つ。
慶応2年(1866)3月22日、父、 多蔵、母、 里よの三男として内原に生まれる。
郷士ながら樵士として、林業の傍ら、猿を捕まえる仕事もあったそうで、
木から木へ飛び移っては、逃げ遅れた猿を捕まえたりしていた。
昔、このあたりに狩川[かりかわ]という作業があった。
十津川の材木を谷川に落として流し、
大川に集められたものを、そこで筏に組んで新宮までおくる。。
地元地誌には、
あるとき、大雨が降って谷川が増水しとき、亀治郎は
男衆に交じって狩川へ出てきた。
せまい川幅いっぱいに溢れた大水は、ゴウゴウと音を立てて流れている。川上の男衆が下す材木は荒波にもまれ、押し合いへし合いして流れた。
このようすを見ていた亀治郎は、手ごろな材木を見つけると、いきなり、ヒョイとその上に跳び乗り、材木の先っちょにとびぐちを打ち立て、まん中あたりにすっくと立ち、腕組みして濁流に乗り出した。
岸の男衆が、止めるのも聞かず。
振り返るようすもなく、荒瀬も岩場も体をよじって自由自在に舵[かじ]をとり、下[しも]へ下へと乗り下ったとのこと。
男衆は、
「なんというおとろしい奴じゃ。ありゃあ神わざじゃ。命いくつあっても足らんわ。」
と、あきれかえった。という。
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