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いかに単純な練習の積み重ねが大事かがわかる。防具をかぶった数ではない。
剣豪への道は、日々の基礎練習のたまものである。それは素振りの数でもない。
体のつくりの悪い人、障害や欠陥を持つ人は、違う部分を鍛えなければ
ならないし、視力の悪い人は心の眼(あるいは観の目)を鍛えねばならない。
千差万別の修練があるべきである。
要するに自分にあった練習方法や早道が描けているかどうか、その戦略が
あるかどうかが重要なのである。
鐘巻自斎は目が不自由だったので、小刀(脇差)を得意とした。弟子に長い
刀を持たせて練習に励んだ。その弟子というのは佐々木小次郎だった。
居合でも、身長に合わせて、刀の長さを選べる。今の剣道は竹刀スポーツ化
競技化するために、37.38.39と長さを統一してしまった。
2刀にその選択肢の幅を期待したいが、これもサイズは厳格に決まっている。
個性が十二分に発揮され、それが秘術となったその流派、一流の技術や
戦闘能力が独自の練習方法とともに口伝されてゆく。
このような個を活かした開発能力が昔の人には、旺盛にあった
またそれを磨かなければ武士にとって士官の道がなかった。能力構築の
技術は現在のモノづくりにも生かされている。
日本人の精神文化の中にはぐくまれているものであった。
たまたま、ある人の技が、別の人に受け継がれて、さらに磨かれて組織の中にも
変化を与えていく。大きく取り上げられて成功する。
たとえば柳生家の新陰流は江戸幕府で認められ、広く採用された。惜しむらくは
上流階級でお留流として秘匿され、現在剣道に直結していない。ただ間接的に
下町の町人道場(江戸の3代道場)にパーツ化された技、や基本的な考え方で優れた部分
が伝えられ、特に北辰一刀流は現在剣道の基礎となった。
練習方法の技術からいささか飛躍しすぎてしまったかもしれないが・・
いいものを秘匿していては・・・新しい時代に残せないと言いたいのである。
剣道の問題は進化能力を強化して、国際的にもしないといけないし、
単に剣道連盟の枠内に閉じこもり、その権威を振りかざすなどというのは
本当に小さな剣豪といわなければならない。
剣道や居合や古武術にある呼吸法や身体術が介護ビジネスや水泳や
マラソンや卓球など日本人の体育向上にも生かされ、日本人のものづくりに生かされる
そのために剣道を分析し、研究し実践することが大切だと言いたいのである。
蔵の中に眠った古流に魅力を感じるとともに、何とかもっと白日の下に
引っ張りだして、現在剣道や生活にも生かしたいものである。
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