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これも、昇段審査に必要ないかもしれませんし。剣道形にも出てきません。 |
昇段審査
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「剣道で使わない構えがどうして剣道形になっているんですか ?」 |
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構えの研究になるが、日本剣道形に出てくる中段の構えは、あくまでも、上段や下段にたいして |
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北辰一刀流が人気であるらしい。NHK「竜馬伝」の影響であろう。
千葉周作の弟にあたる。 千葉定吉の娘、千葉佐那も美人であったらしい。
許嫁であった「鬼小町」がいつまでも、龍馬を待ち続けた晩年に思いをはせると
そこはかとない哀愁を感じる。
ところで、北辰一刀流に「本覚の構え」というのがある。
小野派一刀流にもこの構えが、あるのでおそらく
北辰一刀流の源流である中西一刀流にもあったであろうし、その他一刀流にも
あったと思われる。
「千葉周作遺稿」のなかに、形の演目がある。
多くの技の始まりに、地摺り星(晴)眼があり、技の終わりに
本覚の構えとなって下がるケースが多い。
日本剣道形は膝下3CMに切っ先を下げ、刃を左斜めにして下がる。
しかし、大日本剣道形を見る限り、ほとんど中段の水平にして、
刃を左斜めにして下がっている。
80歳になる、TG師範は剣道形をみると、各形演目の初めと終わりは
ほとんど水平。
戦後の若い教士7段が「先生。少し高くないですか?」 と指摘し、
訂正を促そうとするも、馬耳東風。わが道を行く。
所詮は約束事である剣道形において、下がるときの剣線が
たかろうと低かろうと。大きな問題とは思わない。
むしろ、剣道連盟がなぜこのように、改変をくわえたのかを
明らかにして指導をすべきと考える。
北辰一刀流では地摺り星眼(現在の下段にちかい)から、敵にあいた維持して、
出会いがしら、「地生(ちしょう)にかける」。すなわち、下から上に刃を返しながら、右からの
逆袈裟に小手を跳ね上げて切るという、秘伎を持つ。
このときの地摺り星(晴)眼が、現在剣道形の演目の終わり
の構えになったようなもので・・・・
では「本覚の構え」とはどのような構えであっただろうか?
端的にいってしまえば。・・・
本覚の構えとは、正眼の構えから、左拳、臍(へそ)前から、水月まであげる。
(流派によっては、胸まで上げる。) 敵からみて、切っ先の一点が見えて、剣の
長さを認知しがたい構え。
となるが、少し不自然な構えと言えるかもしれない。
これは・・・もともと
一刀流の秘伎の一つに「切り落とし」というのがあるがそれと大きく関係しているのではないかと考える。
相手の攻撃に対して、これを上からかぶせる(乗り身)
、鎬(しのぎ)の使い方。一刀斎の瓶割りの秘術
大きな花瓶に後ろに隠れた相手を、その巨大な花瓶ごと
切り下げた「神にあっては、神を切り、仏にあっては仏を切る」
技から来ている。その力とスピード。が一刀流の特色。
中墨(なかずみ)である左拳をあげて、水平に切り落とすことで、
敵の攻撃を面(板の状態)で、上から下への防御する。
この構え、が演目の最後に残心のスタイルとして用いられる。
もちろん上段の残心も多いのだが、
地摺りで攻めて本覚で残心。が特色といって言えるであろう。
北辰一刀流は幕末から明治にかけて、撃剣(げきけん)の時代
を経て、剣道界におおきな影響を及ぼし、それが戦後
竹刀(撓い)スポーツとして、細かな部分や、撓い
に適さない部分をそぎ落としてしまった。
「木刀による基本稽古法」を子供たちに教えていて・・・
木刀に慣れていない子供たちの刃筋は・・・たしかに可笑しい
ましてや、下がるときの位置を
「相手の膝下 3CM。」と指導する自分が本当に正しいのかと
疑うことしきり。
もともとは本覚の構えで残心し、やや左拳をさげて・・・・
下がったのであろう。
それが・・・・帝国剣道形の下がるときの位置(水平)となり、
もともとの一刀流の地摺りの位置が、
今日、日本剣道形は演目終了の位置となった。
いささか勝手な解釈となるが、詳細は未だ、理解できないでいる。
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1)日時 平成22年3月22日(祝) 午前9時 開館、9時30分 点呼、10時 審査開始 |




