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いつか書きましたが(別ブログで)
発券売り場が中国から来た学生アルバイト
エレベーターにのったら韓国の留学生アルバイト
いまは100年に一度の緊急経済危機でさすがに
アジアから団体客も途切れがちですが・・・
ひところはほかに行くところが無いのかと思うほど
大阪城にアジアからの団体が観光バスで押し寄せていました。
水族館と日本橋付近の買い物とたこ焼き食べて・・・
ここへ来る。 なんとワンパターンな。
考えてみるとですね。
お城という建築遺産は世界遺産であり、日本固有のものです。
特に大阪城は・姫路城などと並んで日本を代表する
城郭、本丸よりもむしろ石垣やお堀がすごかったのです。
もともと、この上町はというといまは創造できませんが岬のような形をしていたのです。
内側には河内湖という湖があり、今の住吉神社のあたりがその半島の
根元の部分にあった。湖は堺の仁徳陵(百舌町)の手前くらいまで広がり、
ほぼ河内平野の半分以上をしめていた様子。
その対岸に生駒の石切、瓢箪山付近。岬には船の運航をつかさどる拠点(難波津)が
できる。船着き場の拠点の内、少し高い場所にあったのが高津となりますが、
高津宮は仁徳天皇ゆかりの場所。
今の高津よりも少し北側にあったらしい。
帰化人集団が周囲の部族を飲み込み、巨大な集落を形成し、和の五王の時代が
始まります。この辺から日本史が形成されてゆきます。
上町半島を拠点として、もともとは住吉のあたりが中心
だったのですが、天満の砂地をほって、堀江をつくり、
外海と大和川へのアクセスを容易にしてことはこの後、
難波を国際基地に押し上げてゆくのです。ここに宮殿を造営し、
続いてより大和川をさかのぼり、竹之内街道と峠を越えて、開発するエリアが飛鳥であります。
「ウリナラ」は韓国語で私たちの国(郷里)という意味ですが、
奈良の語源はこのナラ(国)からきているらしい。
「ウリナラ」は「クンナラ」である。わが国は偉大な国である。
このクンナラがなまって百済(クダラ)となったとの説。本来の百済(ペッチェ)は
クダラとなり、百済にないことはつまらないこと。つまりクダラナイことに
なった。また百済系王族の中には、金さんも朴さんもいます。「君と僕」の語源はこの金さん朴さんから
きているというのです。
韓国の友人で観光ガイドのベテラン、SHU さんは戦後日本でうまれ、鶴橋でそだってから
ソウルに行きますが、日韓史を常に研究し、大学の講師となりました。
ソウルにいくと、私にいつもこの話を聞かせてくれたものでした。
この帰化人たちがプサンの北、古都慶州にも似た景観をもつところ。あるいは百済系王族
であってみれば・・・扶余がこの飛鳥に見ていたのでしょう。
BUNTAの家は東大阪ですが、知人に百済(ひゃくさい)さんとお呼びするかたがいます。
村を開墾したひとの末ですね。歴史はつづいているのです。
平野区JRの駅は皆さんご存知の百済(くだら)です。
韓半島の百済王朝は中国からの文化に加えて、さらにそれをやさしい、
静かな文化として、日本に伝えます。瓦の色や仏像にみられるアルカイックスマイルは
モンゴルツングースの一部族である朝鮮族、が漢民族の激しい文化やカラーを
トーンダウンして伝えてくれたわけですね。
つづく
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