千里の路の一歩

何年かぶりのブログ再開d=(^o^)=bマイペースで行きます。

樹氷

先日、御在所岳に樹氷を見に行って来ました。
子供たちは雪におおはしゃぎ!
私もカメラを持っておおはしゃぎ(笑)!
寒かったけど、楽しかった〜(^○^)

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風邪?

何となく変だなと感じつつも、まさか脳腫瘍だとは思わずそのままにしていました。
すると風邪を引いたのか、食欲も無くなり数日間寝込んでいました。2、3日は1日ほとんど寝ている状態が続いたようです。
2014年4月21日、症状が酷かったようで少し離れた総合病院に行って時間外診察を受け、CTも撮ってもらいました。MRIは技士さんが帰ってしまったということで、できませんでした。CT には何も異常は映りませんでした。この時、MRI を撮っていたなら。。。結果は少しは変わっていたかもしれないと思います。
その後、風邪が治って多少身体は楽になったようですが、依然食欲がない状態が続いていました。
それでも母は毎日の日課であるスポーツジムに通っていました。
そのうち、母の顔面、向かって左側が明らかに垂れ下がってき、よだれが垂れるようになりました。
明らかにこれはおかしい。ジムの友達にも散々脅されて、やっともう一度ちゃんと受診する気持ちになったようです。
母に病院に行くからついてきて欲しいと言われました。相当不安だったのだと思います。
私は脳腫瘍だなんて全く頭に無かったので、「 きっと脳梗塞 か何かだよ 。早ければ、薬で治るから大丈夫だよ!」なんて、母を励ましながら病院の待合室で待っていました。
そして思わぬ告知をされることになるのでした。

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私が伝えたいこと。

私がブログに綴ろうと思ったのは、母の闘病の記録を残しておきたいこと、そして同じ病気の方の参考にして欲しいからです。でもなかなか更新ができないので、伝えたいことから記すことにします。
母は結果、約6か月の闘病の末亡くなりました。
死因は脳腫瘍ではなく脳出血でした。
数少ないアバスチンの副作用と主治医には言われました。
いろいろな要因が重なったのだと思います。
腫瘍を手術で摘出したあと、一時期は手を引いて貰えたらトイレにも行ける位に回復していました。でも良くなってきたな〜と思っていたらみるみる間に動けなくなり、食べ物が喉につまるようになり、アバスチンをすることになりました。
アバスチンを始めてから経過もよく、また少しずつ色々なことが出来るようになってきました。
三回目のアバスチンが終わった数日後、主治医から次の週位には退院をしましょう。というお話を頂きました。母も凄く嬉しそうでした。
その日の夜中、母は急変しました。
夜中2時にトイレに行ったとき、気持ち悪いと言って戻していたそうです。
テモダールの副作用は薬で押さえられていたので、このところ気持ち悪いと戻すことはほとんどありませんでした。
でも、本人が大丈夫と言ったのでそのままモニターだけ付けて寝かせたそうです。
看護師さんが3時に見に行ったときは、よく眠っていたそうです。
4時の見回りのとき、もうすでに息が浅くなっており、そのまま人口呼吸器をつけたそうです。
病院から電話があり、急いで母のもとへ駆けつけました。
その時の母の頭の中は血で一杯でした。眼圧も上がって、目も開いたままでした。
ここまで脳出血が酷いと頭に穴を開けて血を抜いたとしても、意識が戻らないであろうという主治医の言葉に、私たちはこれ以上、母を苦しめたくないとう気持ちから手術はしませんでした。

もし、最初に気持ち悪いと言っていた時に気がついていたら、母を助けられたかもしれない。今でも思います。

確かにアバスチンをすることによってQOLは向上します。その点では素晴らしい薬だと思います。
でもアバスチンにはこういうこともあるのだ。ということを知って欲しい。
少しでも普段と違う様子があれば、すぐ病院に行って欲しいのです。

母は73歳。ギリアデル脳内留置。術後放射線50グレイ照射。テモダール服用。
もともと血小板が少ない体質のようでした。

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予兆

2014年4月頃だったと思います。
あ る日、母が『なんか知らないけど左足がずるんだよね。』と
左足をびっこ引き出したのがはじまりでした。
母は毎日スポーツジムに通っていたので、私はエアロの時にでも痛めたんじゃない?様子見てみたら?
で済ましてしまいました。
そのうち今度は『なんか顔が下がった気がするんだけど。。。そう思わない?』と聞かれました。
毎日鏡を見ている本人だこそわかる微妙な変化だったのだと思います。私にはわかりませんでした。

今考えてみれば、それも脳腫瘍のせいだったのかと思うのが、
車の事故。どこかで擦ったりすることが多くなりました、
その時は年齢のせいだと思っていたけど。
反応が鈍くなっていたり視野狭窄がおこっていたのかもしれません。
味覚障害もありました。何を食べても美味しくないとよく言っていました。
癌になった方の体験談でよく味覚が変わった。というのを聞きます。
これも脳腫瘍のせいでしょうか。



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神経膠芽腫という病気

2014年10月2日、母が無くなりました。

母は脳腫瘍の中でも悪性のグレード4、神経膠芽腫という病気でした。

この病気は脳の中に出来た腫瘍が細胞に染み込むように絡み付いて大きくなっていくのが特徴で、すべて取り除くことは出来ず成長も速いため、余命は診断されてから約一年半と言われました。
母は診断されてから約5か月で無くなりました。

母と脳腫瘍の闘いを思い出して少しずつ綴っていきたいと思います。

同じ病気の方の参考に少しでもなればと思います。

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