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こんばんは、じゃじゃ丸です。
昨日は、観世会館で 「 片山定期能 」、能 「 熊野 」 「 海士 」 と 狂言 「 飛越 」 を観たあと、
造形大の春秋座で、ミュージカルレビュー 「 DOWNTOWN FOLLIES VOL.7 」を 観て参りました。ついでに言えば、一昨日は、芸術劇場のオペラ 「 トスカ 」 を観ながら眠ったので、 さすがに、頭というか、耳が混乱しております。でも、充実した一日になったことは確かです。 能 「 熊野 」 はやっぱり面白いですね。見どころが沢山あって、お客さんを飽きさせません。
車に乗って花見に出る道行もいいし、中之舞からイロヘの短冊の段へと気分が盛り上がってきます。 能 「 海士 」 の間狂言は、僕も昨年度の 「 京都大学 能と狂言の会 」 でつとめたのですが、 先日、 「 同明会能 」 で観た 浅見真州師の 「 海士 二段返 懐中之舞 」 と見比べると、
前シテの出来、作り出した気分によって、間の役割が大いに変わってくる曲だと感じました。 僕も、狂言座に居るときに、そういったものを呼吸することができればなあ ・・・ なんてね。
オペラは、昔の演出よりも、気鋭の演出家による新演出、無駄を削ぎ落とした簡素かつ大胆な演出で、 物語が活きてくるところが愉しいですね。伝統芸能の世界では、新しいことをしようと思えば、
何か付け加えるだけになりがちですが、それとは逆の気持ちよさがあります。もちろん、それも難しいのですが。
高校生の時に見た オペラ 「 フィガロの結婚 」 とか 「 ラ・ボエーム 」 の演出は、今でも忘れられません。 ミュージカルレビュー「 DOWNTOWN FOLLIES VOL.7 」 は、パロディ満載のレビューを、 単なる 「 替え歌 」 に終わらない構成力と演者の実力で、毎年、楽しませてもらっています。 今回は、落語 「 たらちね 」 と「 マイ・フェア・レディ 」 を掛け合わせた ミュージカル落語や、 都々逸で有名ミュージカルを紹介する 都々逸ミュージカル、なんてのがあったり ・・・ さておき、観世会館でもらってきたチラシのうち、4月、5月のお素人会情報をご紹介します。
沢山の先生方も出られるのに、無料で観られるお素人会、あなたも ぜひ一度足をお運び下さい! ちゃっかり身内の宣伝もさせてもらっていますよ。5月15、16日は、京都伏見へおこしやす♪ 「河村禎二先生四十九日 河村信重先生七回忌 追善青嵐大会」* 上記の情報は、変更される可能性がございますので、 ご確認の上、お運び下さいますよう お願い申し上げます。 * 身内の公演、各狂言のあらすじについては、下記サイトをご参照下さい。
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お勉強
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こんにちは、じゃじゃ丸です。
京都市立芸術大学の公開講座に、山口鷺流狂言保存会の方々が出演されます。
そこで、「 日本庶民文化史料集成 第四巻 」 から、山口鷺流の狂言を読んでみます。 もちろん、狂言は役者が舞台にかけて完成するものですから、あくまでご参考程度に。 山口市の鷺流狂言の起源は、毛利藩お抱えだった春日家、江山家 ( 鷺伝右衛門派 ) に遡ります。
明治維新後、農業を営んでいた 鷺流の狂言師 春日庄作が、明治十九年に山口市に招かれ、 希望者に狂言を教え始めました。その後継者の方々が、今でも山口で伝承を守っておられます。 それではまず、今回は、狂言 「 柿山伏 」 を読んでみましょう ・・・
次第「 貝をも持たぬ山伏は 貝をも持たぬ山伏は 道々嘘を吹かうよ 」 は、うちと同じ。
名乗りの後、 「 鳥足ニテ 」 道行するとあります。どんな運ビなのでしょうか、気になります。 さて、道行が済んで 「 咽喉が渇く 」 と名乗座に戻り、辺りを見回します。
「 茶屋はないか 」 「 流はないか 」 と探していると、何やら赤いものが見つかり、 「 楓の紅葉したのか 」 と思いきや、ここでやっと柿が見つるのです。のんびりしていいですね。 礫や刀で柿を取ろうとするのはうちと同じですが、「 大臣柱二行キ 木ヲダキシメユスル形 」
をするとあります。これだけでは判断できませんが、もしかしたら、大臣柱を柿の木に見立てるのかも。 結局、後見座から桶を持ってきて、「 誰も見ては無い 」 ことを確認してから、それに登って、 柿を食べだします。熟柿ばかりでなく、渋柿もあり、「 プププ 」 と吹き出す。 ちょうどそこへ地主が見回りにやって、額を押さえます。「 何者やら柿の種を吹き付けおった 」!
うちでは、食べかけの柿を投げると、これが当たって、「 礫を打つなヤイ 」 となりますが、 「 柿の種 」 の方が現実的です。 辺りを見回した地主は、柿を盗み食う山伏を見つけ、嬲りだすのですが、
「 アーラ不思議や、ここな柿木は、風の吹かぬにゆらぐはちと合点のいかぬ事じや 」 なんて言うようです。 中々いやらしい台詞ですね。 その後、山伏を烏、猫、ももんが、鳶に例えてからかいます。うちでは、烏、猿、鳶ですよね。
それぞれがどんな鳴き声なのかは、ご覧になってのお楽しみ。ももんがって、実際鳴くのかな。 そして、最後の鳶の真似をさせる所で、山伏を拍子に掛けて高い木の空から飛ばす。
山伏が 「 宿元へ連れ帰って保養のして返せ 」 と怒り、地主が断って帰ると、山伏が祈りだします。 「 悔やむな男 悔やむな男、台嶺の雲を凌ぎ、年行の功を積事一千余か日、しんばしんば身命を捨、
日頃祈り奉る不動明王の、さっくの綱に掛て祈るなれば、などか奇徳のなかるべき、ボーロンボーロン 」 「 橋の下の菖蒲は誰が植えし菖蒲ぞ、刈っても刈られじ 」「 いろはにほへと 」 などと祈ると、地主は後ずさりして、「 正先辺リエウズクマル 」。
「 悔やむな男〜身命を捨て 」 までは、能 「 檀風 」 から引いています。しんばしんば=しばしば。
この後、地主は、しぶしぶ山伏を背負ったかと思うと、地へ落として逃げ帰り、山伏が追い込みます。 山伏が 「 南無三宝だまされた 」 と叫んでいることから考えると、しばしば問題になる所なのですが、 やはり、地主が山伏の行力に屈する振りをして嬲っていたということだろうと思います。 京都市立芸術大学 公開講座 「第三の能狂言-鷺流の伝承-」 |
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こんばんは、じゃじゃ丸です。 高校生の時、狂言 「 蚊相撲 」 を観て、その発想の大胆さに驚き、狂言の虜になりました。 ひょっとこ のような面を着けた人が登場し、自分は 「 蚊の精 」 であると自己紹介するんですもの。 彼が大名と相撲を取って、団扇で扇がれて負けそうになる姿は、まさに蚊そのものでした。 人間が面を被っているだけのはずですが、その面を中心にして役が立ち上がってくる気がするのです。 そんな狂言の仮面性について、考えてみたいと思います。
今日は手始めに、基本的な狂言面と、それを着用 または 使用する狂言の代表例を挙げてみます。 着用というのは、ある役になるために面を着けるもので、使用というのは、ある役が舞台上で面を着けるもの。 また、素顔で演じる役でも 生の顔を使わず、 「 直面 」 ( ひためん ) の状態になります。 1.神 狂言面「福神」 「福の神」(福の神) 狂言面「大黒」 「大黒連歌」(大黒) 「禰宜山伏」(大黒) 「夷大黒」(大黒) 狂言面「夷」 「夷毘沙門」(夷) 狂言面「毘沙門」 「夷毘沙門」(毘沙門天) 「連歌毘沙門」(毘沙門天) 「毘沙門」(毘沙門天) 「石神」(男が使用) 2.鬼、霊 狂言面「武悪」 「節分」(鬼) 「鬼の継子」(鬼) 「首引」(親鬼、眷属鬼) 「朝比奈」(閻魔王) 「八尾」(閻魔王) 「政頼」(閻魔王、眷属鬼) 「清水」(太郎冠者が使用) 「抜殻」(太郎冠者が使用) 「伯母ヶ酒」(太郎冠者が使用) 「鬮罪人」(太郎冠者が使用) 「柑子俵」(子方が使用) 狂言面「神鳴」 「神鳴」(神鳴) 狂言面「通圓」 「通圓」(通圓) 狂言面「楽阿弥」 「楽阿弥」(楽阿弥) 狂言面「塗師」 「塗師」(塗師平六が使用) 狂言面「鼻引」 「祐善」(祐善) 3.人間 狂言面「祖父」 「腰祈」(祖父) 「枕物狂」(祖父) 「財宝」(祖父) 「老武者」(祖父) 狂言面「乙」 「枕物狂」(乙御前) 「首引」(姫鬼) 「二九十八」(女) 「釣針」(女) 「吹取」(女) 「業平餅」(女) 「仏師」(素破が使用) 「六地蔵」(素破が使用) 「福部の神 勤入」(瓢の神) 「狸腹鼓」(狸が使用) 狂言面「ふくれ」 「庵の梅」(老尼) 「比丘貞」(老尼) 狂言面「泣尼」 「泣尼」(尼) 4.動物、精 狂言面「嘯吹」 「蚊相撲」(蚊の精) 「瓜盗人」(畑主が使用) 狂言面「賢徳」 「蟹山伏」(蟹の精) 「止動方角」(馬) 「横座」(牛) 「犬山伏」(犬) 狂言面「猿」 「靭猿」(小猿) 「猿座頭」(猿) 狂言面「伯蔵主」 「釣狐」(伯蔵主) 狂言面「狐」 「釣狐」(狐) 狂言面「狸」 「狸腹鼓」(狸) |
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みなさま、2010年も、どうぞ よろしくお願いいたします! ということで、みなさまに 「 お年玉プレゼント 」 をご用意しました♪ というのも実は、細見美術館さまから、「 描かれた能 」 の ご招待券を頂戴しました! 大変、ありがたいことでございます。今までずっと、出来るだけ沢山の方々に、 細見美術館で開催中の 特別展 「 国立能楽堂コレクション展 描かれた能 」 に お運び頂きたいと思って、このブログでも、度々ご紹介させて頂いて参りました。 ですから、このありがたい機会を、みなさまにご利用頂かないわけには いきません。 そこで、このご招待券を、ご興味がおありの方々に、プレゼントさせて頂きます。 ただし、お願いがございます。一人でゆっくり観る、というのも 結構なのですが、 今回は是非、ご家族ご友人とお誘いあわせの上、お運び頂きたいと思います。 それでは、先着3名様に、ご招待券を1枚ずつ差し上げますので、 ご希望の方は、この記事のコメント欄に、その旨とHNを、お書き込み頂きたく存じます。 その後、同じコメント欄にて ご連絡申し上げ、お渡ししたいと思います。よろしくお願いします。 以上、じゃじゃ丸でした。
画像は、 「 狂言古図 」 より、鷺流の狂言秘曲 「 半銭 」 と思われるものです。 眷属鬼を連れた閻魔大王が、出家に向かい、娑婆で貰ったお布施を返せと言うと、 出家は、お布施を受けても罪にはならないという 「 半銭 」 の古則を持ち出す場面。 ( 細見美術館さんより許可を得て 掲載させて頂いております。 ) 「国立能楽堂コレクション 描かれた能 ―絵で楽しむ、文様が語る―」 前期 現在実施中 〜1月17日(日) 後期 1月19日(火)〜2月14日(日) 於・細見美術館 |
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こんばんは、じゃじゃ丸です。 先日の能楽フォーラムで、 『 能・狂言デッサン 』 を眺めていて、印象深かったのは、 須田国太郎氏は、役者の身体のかたちをよく捉えているなあ ということでした。 というのも、能楽では、役者の身体が軸となって、舞台をつくって行きます。 例えば、 「 カマエ 」 。舞台での立ち姿こそ、最も簡素かつ大胆な表現なのです。 配布資料の中に、氏がそのことを論じたエッセイがありましたので、ご紹介させて頂きます。 よく能は静かだから かきよいだらうと聞かれるが、実際は甚だそれに反してゐる。云はば全体これ動ともとれるのである。能が始つた、ワキが、橋掛りを進んでくる、全く微動だにもしない厳粛さである。しかもあたりを払う慨がある。この厳粛、威圧といふものは、既に既に動の動たるものである。シテが正先へすつくと立った。これだけでも楽屋で写真師の前に立つ長絹をはね上げて、舞姿を立ちとまって写してもらってゐるときとは全く別の動きをもってゐるのである。ただ舞台へ立つてゐる。それは能の全体の動きの一つの連続した一齣である。この緊張した立姿は、それだけ切り離されるものではなく、あとも先きもあるので、ただ立つてゐるのではない、それは一つの演技である。(中略)我々はこの意味の動きを、かき表はそうと欲するがために、能は静かだとは思へないのである。勿論、この動を静かといふならば、その静かは所謂「動中静在り」といつたもので、ただの静止といふやうな静とは違つたものである。(中略) これはただ単に能中に於ける立つたまゝの姿についていつたに過ぎないが、これが歩き出しても、早舞になつても、能中の人物たることに変りはない。たゞ動作に緩急の変化がある為めに、かく方は、それの迎接に奔命することになるのは勿論である。たゞ立つ姿に動があるといつたが、その意味に於いての動中に更に静、動が起つてくるわけで、この動中の動は、能舞台外の動とは別物である。こゝにこの動が、即ち能姿として生きるのである。能への目は凡てこの観点に立つている。 『幽玄』創刊号 「能の姿」 須田国太郎氏は、旧金剛能楽堂の常連で、いつも脇正面の最前列に座り、 この「能の姿」を、スケッチブックに描き取ろうと筆を走らせておられたそうです。 また、近くには上村松園先生がいらっしゃることもあったとか。恐ろしい見所ですね。 |






