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( ayammtさんの問題提起に答えようと、四苦八苦しているうちに、どうしても、ここで
今日の「 時間 」について、言及しておかねば・・・と思い、ここに それを挿入したい
と思います。)
昔から、時や暦を定めるのは、為政者の特権でした。
ある文明とは、その時と暦の及ぶ範囲のことである、といっても過言ではなかったでしょう。
今日、我々の日常生活は、従来の時間概念とは全く違った時間の中で営まれています。
他人と待合わせをするのに、何月何日何時何分と言うようになったのは、つい最近の事です。
以前は、人と待合せるのに、こんな細かな時間を言うことはなく、もっとおおらかな時間の中を
生きていました。
今日のように細かな時間が、一般の人々の生活の中に入ってきたのは、極めて時間に厳格
だった理性の人 カント(1724〜1804)より少しく時代が下がった産業革命以降のことだった
でしょう。いわゆる時計の時間です。
当時は、労働者を劣悪な環境で働かせ、また物の取引に必要だった時計の時間も、今日の我々は
その存在にほとんど抵抗感を覚えないほど、この時間に慣れ親しんでいます。
この時計の時間は、「数」による 科学の革命とその知見の精密化が、従来の暦法を
より精密なものにし、 我々は次第と、この時間に従って生活を営むことを強いられるように
なったものです。
これを、ある人は近代化・人類の進歩と呼び、ある人は植民地支配・帝国主義と呼びます。
産業化・西欧化・国民国家の形成・市場経済・都市化と市民社会etcと言い、
また農村の疲弊と過疎化・南北問題と言う。
この時間を、自己のものにする者と、この時間に振り回される者と・・・・。
この時間は、人間の大地の上・太陽の下での生活とは 独立した物理現象(最初はバネの応力)
をその基礎にしており、 それは 昼と夜の区別を本質的なものとしません。
太陽の光も、月の満ち欠けも、あるいは新月の闇も 一切意味を持ちません。 秋分も春分も
何の意味も、今日の我々の生活にはありません。
我々生命が 数十億年の間、それに依って営んできたものを一切配慮しない、そういうものを
時間の基礎 したがって生活の基礎としています。
我々の文明は、したがって生活は、このような時間の支配の下に 営んでいます。
合掌
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時とは神のことでもあり、人は本当はこの神の時を基礎に生活するように生かされているのですが、現代人、特に日本人は、人が作った時、魔の時間に縛られてしまっているのですね。福知山線の事故は記憶に新しいです、、、
2005/9/17(土) 午後 11:08 [ ipp*kin*ko*itsu** ]
私も、これを書きながら、あの悲しい事故のことを想起していました。合掌
2005/9/17(土) 午後 11:40 [ kyomutekisonzairon ]