混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

大乗起信論 4.

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 問曰 若如是義者 一切衆生 悉有真如 等皆薫習
云何 有信無信 無量前後差別 
皆応一時自知有真如法 勤修方便 等入涅槃
 答曰 真如法一 而有無量無辺無明
従本以来 自性差別 厚薄不同故 
過恒沙等上煩悩 依無明起差別 
我見愛染煩悩 依無明起差別
如是一切煩悩 依於無明所起 前後無量差別 唯如来能知故
 又諸仏法 有因有縁 因縁具足 乃得成弁
如木中火性 是火正因  若無人知 不仮方便 能自焼木
無有是処 衆生亦爾
雖有正因薫習之力 若不値遇諸仏菩薩善知識等
以之為縁 能自断煩悩入涅槃者 則無是処
若雖有外縁之力 而内浄法 未有薫習力者
亦不能究竟厭生死苦 楽求涅槃
若因縁具足者 所謂自有薫習之力 又為諸仏菩薩等慈悲
願護故 能起厭苦之心 信有涅槃 修習善根
以修善根成熟故 則値諸仏菩薩示教利喜
乃能進趣向涅槃道 

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(よみかた)ーーー浄法薫習 3. 自体相薫習ーーーーーーーー
 問うて曰く。もし、かくの如き義ならば、一切の衆生に 悉kotogotoく真如ありて、等しくみな薫習せんに、
云何ikanぞ、有信と無信と 無量に前後に差別するや?  みな、一時に 自ら真如の法ありと知りて、勤修
gonsyuし方便して、等しく涅槃に入るべきなり。
 答えて曰く。真如は、本moto 一なれども、しかも無量無辺の無明ありて、本より以来 自性zisyou差別し 厚薄も同じからざるが故に。  過恒沙等の上煩悩も 無明に依yoりて 起こりて差別し、 我見愛染煩悩も 無明に依りて 起こりて差別す。 かくの如く、一切の煩悩は 無明に依りて起されて、前後に無量に差別すること、唯だ 如来のみ能く知るが故なり。
 また、諸仏の法には、因あり 縁あれば、因縁具足せば 乃imaし成弁zyoubenすることを得。
木の中の火の性syouは、これ 火の正因syouinなるも、もし、人 知らずして 方便を仮kaらざれば、能yoく 自ら木を焼かんこと、この処kotowari有ること無し。衆生もまた爾sikaなり。
正因の薫習する力ありと雖iedomoも、 もし 諸仏・菩薩・善知識等に値遇し これを以って縁を為さずんば、能く、自ら煩悩を断じ 涅槃に入らんことは、則ちこの処kotowariあることなし。
もし、外縁geenの力ありと雖も、内の浄法にして 未だ薫習する力あらずんば、また究竟して生死の苦を厭い
涅槃を楽求すること能ataわず。
もし、因縁具足せば、所謂 自らには薫習の力あり。また、諸仏菩薩等の慈悲の為に 願護せられるが故に、能く厭苦の心を起こし、涅槃あることを信じて 善根を修習せん。善根を修すること成熟するを以っての故に、則ち諸仏菩薩の示教に値い 利喜し、乃ち能く進みて涅槃の道に趣向せん。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 真如薫習の中に 2つの薫習を分けるうち、 その一つの自体相薫習について、ここに誰もが抱く疑問がある。
それを、ここに論は出すのです。 
 すなわち、我らは みな 仏性を持っていて、その働きによって 誰もが成仏できるはずである( 一切衆生悉有真如 等皆薫習・・・皆応一時自有真如法勤修方便 等入涅槃 )が、 どうして 実際には、悪い事ばかり為す人も居れば、聖人も居るというふうに、この世は 善悪正邪が入り乱れているのであろうか? 私においても、どうして長年仏教の縁に遇いながらも、涅槃に安住するということに成らないのであろうか? という疑問であります。

 義記は、
  「 疑いを釈する中に 二あり。 先に 問い、 後に 答う。
  問いの中に、初に 現在の信心の有無に約し、 後に 未来の信心の前後に約す。
  内薫すでに、斉hitoし。何ぞ かくの如きを得るや?
  { 皆 応一時 }の下は、難を結成す。これ すなわち別を執して 通を疑うの難なり。

   答えの中に、二あり。  初の一句は、通体なり。内薫の無にあらざることを明かす。
  後は、染浄は 縁に頼yoることを明かして、前後を成ずることを顕す。 
  この文に、二あり。初に 染惑に約し、縁起に対して厚薄あり。後は 浄法に約し、縁に頼りて前後差異あり。
  
  ◎ 前の中に{ 而有無量 乃至 不同 }と言うは、謂iwaく、即ち根本無明住地 本来自性差別し 人に随い
  て厚薄あり。厚き者は、信ぜず。 薄き者は、信ずることあり。 前後も また爾siかなり。 かれ 内に薫じて、
  これを然sikaらしめるに非らず。
  { 過恒沙上煩悩 依無明起差別 }とは、これ 無明より起されて、諸の法門の事に迷うなかの無知にして、
  所知障の中の粗分の摂なり。{ 我見愛染煩悩 }とは、これ無明所起の四住煩悩にして、煩悩障の摂なり。
  { 如是 }の下は、並びて前の二種の煩悩を結す。みな根本無明に依りて起るところなり。
  この義に由yoるが故に、前後 二に非らず。 かくの如く、惑性-syouの差別は 無量なり。前後知りがたし。
  故に 唯だ仏のみ能く了したまえり。

  ◎ 下に、<浄法 縁に約するが故に、前後あり>とは、独り 内因のみに 外縁を仮kaらずんば、所責の如く
  なるべし。然るに、今 外に 用薫を仮り、及び内の正因 方masaに成弁することを得るが故に、前後を致す。
  一時なるべからず。この故に、上に 二薫習を開す。一とは云わざるなり。」と。


 海東疏は、
  「{ 又諸仏 }以下は、縁の参差を明かす。 法と喩と合とあり。文相見るべし。」と。
 
 義記は、
  「 中において、法と喩と合となり。法のなかに、ただ因縁具して 得を成ずることを明かし、略して、不具の
  失なし。 喩の中は、偏hitoえに不具の失を明かし、略して具縁の得なし。 合の中に、並べて二義を明かす。
  法と喩は、知るべし。」と。


  合( 衆生亦爾 〜 )について、義記は、
  「{衆生}を、前の{木}に合す。{正因}を、{火性}に合す。{若不遇諸仏菩薩}等は、{若人知}等に
  合す。{能自断}の下は、{能自焼無有是処}に合す。これ欠縁の失を顕すなり。
   {若雖有}の下は、欠因不成(因を欠けば成ぜず)を明かす。謂く、無明厚重の流は、本覚 内に薫ずと雖も
  しかも、未だ力ましまさざるが故に、この故に 善友・外縁の力に遇うと雖も、また そをして道を得しむる
  こと能わず。 これ即ち、因縁互いに欠くの失を明かす。
   {若因縁具}の下は、性用相応の得を明かす。 中に於いて、二あり。 初に 具縁を弁じ、
  後に{能起}の下は、重益を明かす。益の中に 二あり。 先に 自分を明かし、 {修善根}の下は 勝進を
  明かすなり。その義を示し、その行を教え、義利を得、行成じて喜ぶが故なり。」と。 

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