混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

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年が改まりました。西暦2006年ということです。
「 みなさん、おめでとうございます。」
と言いたいのですが、
残念ながら、私は 率直に こう言うことが出来ません。
以下に、その理由を述べたいと思います。


 
 1年を365日にすること(閏年で補正はあるが)は、太陽の運行を基礎にしたものですが、
今日の社会生活は、これを元にして動いてはいません。
例えば、ビルの中での労働は、多くの場合 電気を昼間から点けて 昼夜の区別は、本質的な
労働の制約とはなりません。
また、今日の時間は、太陽や月の運行ではなく、原子の振動を単位として測るものです。 
 
 年が改まるというのは、今までの習俗・習慣を踏襲したものですが、
実質に社会を動かしているのは、これを支えている思想とは、別の思想であり原理です。
例えば、いい大人が 正月返上で、受験のために 学校や塾に青少年を集めることに、何の
社会的顰蹙も受けませんし、正月から店を開けるコンビニなどを 違和感なく受入れています。 
また、海外でバカンスのため正月休みを使う人が増えました。 等々。

ーーー ここには、正月を休日とする思想が抜け落ちています。
「 あけまして おめでとうございます 」とは、ここにおいて 一体 如何なる言葉でしょうか?
何が、「 おめでたい 」のでしょうか?   私は、空々しさしか感ぜざるを得ないのです。

 
 私は‘古きよき習慣’を、何が何でも守るべきだ、それを復興すべきだ、と
言っているのではありません。
むしろ、習慣を支えている実質が、すでに今日の社会を支えていないのにも関らず、
また 我らの生活意識も その習慣の実質を基礎としていないにも関らず、あたかも それが
今だにあるかの如く 「おめでとうございます」 と言う その欺瞞と軽薄さ (私も、相手と
場所によっては、言うのです) を問題に思うのです。
これは、キリスト教徒でもないのに、クリスマスを年中行事の一つとするのと同じような意識
ではないでしょうか?

 正月は、我らの時間概念or歴史概念の表現である暦の軸に当ります。
ところが、今日の社会を強力に動かしている時間概念は、原子の振動に基礎をおいた、普遍的
だが 我らの感覚の世界からは極めて抽象的な時間でしょう。
これは、地球や月の運行・四季・民族や宗教の歴史 或は神話・習俗という 生々しい 具体的
で個別的なものを元としてつくる暦を、本質的なものとしません。 
夜であろうが昼であろうが時間は、等質な時間で 工場は稼動し、為替相場は 国を変えつつも
1日中 動いており、24時間空港もあります。等々。

 こうしたことは、今 私が向かうPCを作ったような科学技術というものが無ければ あり
得ない事態です。
我らの生活感覚を遥かに超えた微細な世界に 基礎をおいた社会を、我らは いつの間にか
作り上げています。
そして、この微細な世界の論理が、年を追って 我々の現実感覚を支えている世界に進入し、
それを圧倒しています。 それに伴って 我々の感覚や意識や行動は だんだんと抽象的となり、
感覚と物・身体と自然との乖離を、ますます深めています。


 また、本年を 西暦で2006年とするということに、どのような根拠があるのでしょうか?
もし、仏教徒ならば、キリスト教暦ではなく、仏暦***年(仏成道暦2537年)と、何故
しないのでしょうか?
もし、この国を 天皇の国とするなら、ムリに西暦を使わなくとも、平成という年号だけで
よいはずでしょう? どこかの国際機関が暦を作るのではなく、天皇がこの国の暦を作る権限を
もっているはずですから・・・・。
もし、西暦だけでよいとするなら、その人は この国の いかなる過去の伝統をも担わないと、
自己を宣言しているのでしょう。過去をもたない人間というものは、一体 どんな存在なのか?
私には想像もできません。しかし、このような抽象的人間の理念が、この国を引きずり回しています。


ーーーー このように、時間・歴史にたいする基本的な思想や態度を、曖昧にしたまま、
 我らは 今日の社会を作り、生活しているのであります。 
 日々の我らの生活や人生観が いい加減になるのは、当然と言うべきでしょう。
 「 和をもって貴しとなす 」(聖徳太子)というのも、いい加減にせよ!と、
 気の短い私は 思うのであります。


 

閉じる コメント(7)

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はじめまして、そして 恭賀新年。確かに 我々の週間上の行為には 本来の意味から 形骸化されて意味の無い事となっていると思います、一方 私のいる所では、イスラム教の世界なのですが、彼らはかたくなにそれを守っています、暦はイスラム(ヒジュラ)暦として、毎日のお祈りやメッカ参り・・等々 叉 日本は未だに 過去を正当に評価出来ていないとも思います、我々の先祖なのに。

2006/1/1(日) 午後 4:38 [ 建築や ]

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私も微力ながら、色々と訴えています、しかし なぜか国内に居るとそう思えないのが不思議です、海外に居て 初めてそれを感じます。正月早々 良いめぐり遭いに有ったと思います。お気に入りに登録させて頂きます。昨年の私の記事には結構 出来事が多かったですが、今年は もっと 色々と訴えて生きたいと思います。、これからもよろしくお願い致します。

2006/1/1(日) 午後 4:40 [ 建築や ]

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ここでは、敢えて念頭の挨拶を抜きにしましょう。恐らくアジアで太陰暦を忘れ去ったのは日本だけなのかも知れませんね・・・。我が宗門の中には己の世襲を忘れて天皇制を批判し、元号を使わず西暦を旨とすべしという論者がいます。私は別に天皇制擁護論者ではないですけど、では何故仏暦を用いないのか・・・と思います。多分、彼らにいわせると世間通途ではないと言うでしょう。これもおかしな話ですね・・・。共感を持って読ませて頂きました・・・。今年もよろしく御願い申し上げます。

2006/1/1(日) 午後 5:45 Rev.Ren'oh

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htkm-さんへ。そうですね。海外しかもサウジにおられると、日本がまた別の視点で見えるでしょうね。勉強させて頂きたいと思います。///ヒジュラを起点とする暦によって、欧米文化に根元から呑込まれることなく、現文明以外の文明の選択肢の火種を残すことになっているのでしょうね。仏教は、過去にイスラームに駆逐された経験を持っています。仏教の真価が、今後 問われることになるでしょう。合掌

2006/1/1(日) 午後 7:36 [ kyomutekisonzairon ]

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namo-さんへ。明治期以来の性急な欧米化によって、我らの思想は混乱を極め、呂律の回らない物の言い様をせざるを得ないことですね。伝統的仏教教団も、その組織を維持するために、多くの矛盾を呑込んで、悩ましいことです。///仏暦については、親鸞は化土巻に出していますね。しかし御本典には、元号も使っています。彼は、三国に通ずる仏暦への誘惑を感じていたと思いますが、これを敢えて主張しませんでした。そこに深い思考があったのではないかと感じます。それは、一体どんなものだったのでしょうか?合掌

2006/1/1(日) 午後 8:12 [ kyomutekisonzairon ]

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おめでとうと?云わずに置きますね。日本の文化は?良く言えば寛容。悪く言えば。いい加減?無責任?頑なに頑固に、神道を守る人。又佛教を守る人。伝統を継承する人々!!川の流れの如く唯物思想に?お金に使われて生きることに何の抵抗も無き人々??金が一番の金のためなら何をしだすか判らぬ怖い人?物欲追求が幸せだと只染まる人種?この国は??精神世界の復活を祈念して挨拶にさせて貰いますね。

2006/1/2(月) 午後 4:34 [ - ]

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sisiusagi-さんへ。本当の 我らの生き方を求めて、頑張って参りたいと思います。本年もよろしくお願い申し上げます。合掌

2006/1/2(月) 午後 10:29 [ kyomutekisonzairon ]


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