混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

大乗起信論 5.

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復次 衆生初学是法 欲求正信 其心怯弱
以住於此娑婆世界 自畏不能常値諸仏 親承供養
懼謂信心難可成就 意欲退者 当知
如来有勝方便 摂護信心
謂以専意念仏因縁 随願得生他方仏土 常見於仏 永離悪道
如修多羅説 若人専念西方極楽世界阿弥陀仏
所修善根回向 願求生彼世界 即得往生 常見仏故 終無有退
若観彼仏真如法身 常勤修習 畢竟得生 住正定故


ーーーーーーーーーーーーーーーー(よみかた)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
また 次に、 衆生 初めて この法を学びて 正信syousinを欲求yokuguするに、 その心 怯弱konyakuにして、
この娑婆世界に住するをもって、 自ら 常に諸仏に値いて 親承sinsyou供養すること あたわざることを畏れ、懼osoれて 信心は成就すべきこと難gataし と謂omoいて、意 退せんと欲する者は、 当に知るべし、
如来に 勝syouの方便ありて、 信心を摂護syougoしたまう。 謂く、 専意念仏の因縁をもって、願に随いて 
他方仏土に生ずることを得て 常に 仏を見て 永く悪道を離る。
修多羅syutaraに説くが如し。 もし 人 西方極楽世界の阿弥陀仏を専念し、
修する所の善根を回向して かの世界に生ずることを願求ganguすれば、 即ち往生を得て 常に仏を見たてまつるが故に、終tuiに退することなし。
もし かの仏の真如法身を観て 常に勤めて修習すれば、畢竟じて生ずることを得て 正定syoujyouに住するが故に。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

 義記は、
 「 自下は 第三に、退を防ぐ方法を明かす。 中において 二あり。
   先に 可退の人を明かし、後に{ 当知如来 }の下は 防退の法を明かす。

    前の中に 二あり。 初に 行の劣を標し、 二に{ 以住於此 }の下は 処を挙げて 釈成す。
   その内心 すでに劣りて、外に 勝縁を欠き、信行 成じ難きをもっての故に、まさに退せんとするなり。

    防退の法の中に 二あり。 初に 通じて 聖意を挙げ、 後に 別して 経を引きて証す。
   前の中に 二あり。 初に 聖の善巧を標し、二に{ 謂以専意 }の下は 顕巧の相を釈す。
   経を引きて証する中に 二あり。 先に 経を引き、 後に{ 常見仏 }の下は 経文を釈す。

    { 若観法身得畢竟往生 }等と言うは、ただ 往生の人に約するに 三位あり。
   一に 蓮華未だ開かざるの時 信行未だ満たざるの如きは、未だ不退と名づけず。ただ 処に退縁なきを
   以っての故に 不退と称す。
   二には 信位満足以去は、 華開けて 仏を見たてまつり 十住の位に入り 少分 法身を見ることを得て
   正定位に住するなり。
   三には 三賢位満じて 初地に入りて以去は、遍満法身を証して 無辺の仏土に生ず。 仏 竜樹菩薩等を
   記して 初地に住して 浄土に生ぜし等の如きなり。
   この中の 畢竟等は、これ 後の二位なり。 」



  先師は、
  「 以上によって、四信・五門の修行信心分が 説かれた。

   しかるに、今 もし 衆生 始めて この四信・五門の法を学び、正信を成就せんと欲求するも、
   内心 怯弱にして すでに劣り、また その現在 生ける世界は、五濁の娑婆世界にして、自ら 仏に値いて
   親しく 承事し 供養し 善根を増長するに由なく、業障を滅除すべきなきを 畏れ、 恐らくは 信心を
   成就して 不退位を得ることなどは 誠に 不可能ならん と、仏道修行を休廃せんとし 意 退堕せんと
   する者がある。

    如来の大悲は 無限である。
   かくの如き 怯弱の衆生を 哀れみたまう如来に、信心を成就し 摂取し 護念したまう 勝方便がある。
   曰く。 専意念仏が それである。 六度などの修行によらず、ただ 意を専らにし 仏名を念ずれば、
   衆生の願にしたがって 他方仏土に生ずることを得て、常に 仏を見て 永く悪道を離れ得るのである。
   (乃至)
    
    本論の帰結が、四信・五行にあるか 念仏にあるか? 
   論主は 大乗の通途に立って 立論するかぎり、大乗仏教を もっとも巧妙に 正しく しかも解了し易から
   しめんがために 総説するのである。
   それ故に 論主には 立論の立場がある。 あらゆる衆生を救わんとする論主の立場は、おおむね大乗仏教
   の全貌に渉って 論ずるのである。 しかして、かくの如く 自己の実機を示すことなくして、普遍の法を
   開顕する菩薩を得ざれば、 我らは 仏教の真意を領解ryougeすることはできない。

    しかし その領解は、必ず 自己自身の 法に堪忍し随順し得る 反省されたる 機の深信に立たねば
   ならない。 しからざれば、普遍の法を 法として知解することはできても、機において 妥当せしめる
   ことはできない。

    この故に、浄土門流の先輩が、本論の帰結を この { 勝方便 } の解説において見たことも、頷かれる
   ことである。   
   誰か 四信・五行の解説を 真に聞く時、魔事退堕の説の中に 自己を領解しない者があろうか!
   我らは 本論の進展とともに、いつしか 怯弱の衆生たる我を 発見せしめられておるではないか!

    もし、それ 本論にして この一項を欠くならば、 如実に仏道を成就せんとする我らは、 大悔中に立って
   飲むべき水を与えられざる渇者のごとく、法の広大に驚嘆しつつ 機の怯弱に絶望して、 仏法を遙かなる
   過去の羨ましき 夢の慶事として葬るよりほかに 道なきにいたるであろう。
    しかして、機の怯弱を知るものは、反って 凡夫に非らずして 己を知ること深き菩薩大士なることを
   知る時、 かかる感慨は ただ 我ら凡夫のみであろうか?

    我らは 今、大乗の起信を説ける本論において、大乗の信としての 念仏正定聚の世界を聞く事を得た。
   現実の大地に念仏あり。 その背景に 広大なる真如門・生滅門の開顕あり。 ここに あらゆる世界に
   普遍妥当なる大乗仏教を見る。

    すでに、修行信心分を説き終わる。」
   
   
                           以上 修行信心分   





                    


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