混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

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アドルフ・ヒトラー

● アドルフ・ヒトラー ( Adolf Hitler 1889 〜 1945 )



1889 オーストリア ブラウナウ(独との国境近く)で 生れる 
    父は 小学校しか出ていなかったが 税関上級事務官になった努力家
     
    少年時代 成績不良で二回の落第と転校
   「非常な才能を持っているものの直感に頼り努力が足りない」(リンツの実業学校の担任)

1903 厳しかった父を亡した後、学業を放擲 画業に専念。
 ‘05 実業学校退学後、ウィーンで画家を志し、美術大学を受験するが二回とも失敗
 ‘07 母 没
    ウィーンでの生活は 両親の遺産や自作の絵葉書の売上げなどで比較的安定していた

 ‘13 オーストリア・ハンガリー帝国の兵役逃れのため ミュンヘンに移住
 ‘14 当局に逮捕されたが、検査で不適格と判定され 兵役を免除

     第一次世界大戦で、大ドイツ主義的愛国心から、また停滞した人生や貧困を打破する
     ため、オーストリア国籍のまま(ドイツ国籍取得は1932) バイエルン領
    (バイエルン王国の主権を保持しつつ、ドイツ帝国の一領邦)の志願兵となり、西部
    戦線のバイエルン後備第16歩兵連隊に配属さる
    緒戦は 約8割の死傷率
    後に 司令部付き伝令として能力を発揮、1918 8月 一級鉄十字章を授与さる

    ドイツ敗北時、塹壕戦での毒ガスで 神経を冒され、一時的に視力を失い病院にいた
    (喉の負傷で 声の変化は戻らず、後の演説にみられるような独特の野太い声になる)


     敗戦後も 軍の情報関係の仕事を続け、激増した新党調査を担当
    その一環で参加した ドイツ労働者党の集会で 演説者をやり込めたのが党議長の目に
    留まり 入党(党員50名前後)

 ‘20 軍を辞め 党務に専念
     ドイツ国防軍第四集団(バイエルン国防軍)の情報課が企画した講習会(反共、
    民族主義の宣伝活動家の養成を目的とする)に参加
    ここで 生れて初めて大学の教室で、右翼の大学教授や知識人の講義を聴く

 ‘21 7月 党名を <国家社会主義ドイツ労働者党> と改め、党首となる

 ‘23  1/11   仏・ベルギー、ルール占領
    11/9 ミュンヘン一揆 〜 党勢を拡大したナチ党は、前年に伊ファシスト党が行った
     ローマ進軍をまね、ミュンヘンでクーデターを起し失敗 
     ヒトラー逮捕、ナチ党 非合法化

      逮捕後 禁錮5年の判決を受け、ランツベルク刑務所に収容さる
     所内で特別待遇を受け、課長ルドルフ・ヘスによる口述筆記で『我が闘争』執筆

      11/15 レンテンマルク発行開始 (→インフレ収束)

 ‘24 12月 釈放  
 ‘25 2月 ナチ党 合法政党として再出発

     その後ヒトラーは、合法路線で 徐々に党勢を成長させる

 ‘26 ヒットラーユーゲント設立
    <‘36 ヒトラーユーゲント法
     ‘39 青少年(女性も10〜21歳、女子グループは「少女団」と呼ぶ)の参加が義務
       づけられ、800万人を擁する集団に成長
       戦局の悪化と共に、‘44 国民突撃隊に併合 >

     当時 独は、第一次世界大戦の賠償金負担 と 世界恐慌 による苦しい経済状況
    が続き、大量の失業者で街は溢れかえり 社会情勢は不安の一途を辿っていた
    その中で ヴェルサイユ体制打破を訴え アジテーターの才能を発揮したヒトラーは、
    多数の支持を得て、ナチス党内左派の実力者グレゴール・シュトラッサーとの権力闘争
    に勝利(粛清)
    共産党排撃を訴え、ソ連のような事態を恐れる資本家からも援助を受ける
   
 ‘32 正式にドイツ国籍を取得し、大統領選に出馬
     〜 現役のヒンデンブルク大統領に敗れたが、30%の票を獲得、第二回の決選投票
      でも 37%の票を得る
     続く国会議員選挙では 単独過半数に至らなかったが、ナチ党 国会の第一党となる

 ‘33 1/30 ヒンデンブルク大統領、議会の要請で ヒトラーを首相に任命

     3/24 「全権委任法」制定

 ‘34 6/14 政権運営の手本としていた伊総統ベニート・ムッソリーニと初会見
       〜 ムッソリーニは ヒトラーを新参者と見下し、ヒトラーを「道化者」と評す

     6/30 「長いナイフの夜」
       突撃隊 参謀長エルンスト・レームを初め党内外の政敵を非合法的手段で粛清し、
      独裁体制を固める
     8/2 ヒンデンブルク大統領没
      /19 国民投票により、空席となった国家元首の大統領職を代行
       政府首班の首相職に就き、国民に従来通り Führer(総統)と呼ぶことを求める

 ‘35 ヴェルサイユ条約破棄、再軍備を宣言

     当初 ユダヤ人資産を収奪してアーリア人に再配分する政策を予定していたが、
    経済大臣・シャハトは、ヒトラーの顧問の一人ラウテンバッハ(反主流派の経済学者)
    の助言に従い、ケインズ政策を先取りした総需要管理を実行

    クルップ、ダイムラー・ベンツ、メッサーシュミットなど軍需企業の協力を得て、
    自動車産業(→フォルクスワーゲン)の育成、公共事業としてアウトバーンの建設を
    行い、この一大事業で 街中を埋め尽くしていた失業者を 50万人までに減らす
    <ヒトラー自身の経済観は 当時ドイツで主流だったマルクス経済学に依拠していた>
 
 ‘36 ベルリン オリンピック大会 
     開催に消極的だったが、ゲッベルスの説得で 国の威信をかけて成功させる


     8/26 ゲーリングらが シャハトらの猛反対を押し切り、四カ年計画庁設立

      この年中に ほぼ完全雇用になり景気回復の成果はあったが、投資財産業に比べ
     著しく消費財産業を劣らせ、極度な外貨不足となる
     また、労働力不足に陥り、物価・賃金が急騰、価格停止令など様々な対策を講じたが、
     どれも失敗に終わる
     ドイツ経済は過熱し、生存圏の拡大か 軍備の制限か という二つの選択に迫られ、
     ヒトラーは前者に決めた 
     → 国家の総力を挙げた大々的な再軍備を開始
     3/7  ラインラント進駐
     11/25 日独防共協定

 ‘37(昭和12) 11月 日独伊三国防共協定

     オリンピック前後には 諸外国の批判を受け、一時的に ユダヤ人迫害政策を緩和
    するが、国力増強と共に、国民の圧倒的支持で「ゲルマン民族の優越」と「反ユダヤ主義」
    を掲げ、ユダヤ人迫害を強化

 ‘38 3/ オーストリア併合

     9/29・30  ミュンヘン会談
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3%E4%BC%9A%E8%AB%87
       ヨーロッパ列強(英仏独伊)が チェコスロバキア問題を話し合う
       8項目からなる協定書、付属協定、3つの付属宣言が 9/29付けで署名
       当時、領土拡張を目論むドイツは、ドイツ系住民が多数住む ...
       http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/yougo/muenchencong.html

     「第二十五話 悪夢のミュンヘン協定」http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/tyere25.htm
     (チェコ外相と駐独大使は ホテルの一室で 会議の結果を 身も細る思いで待つ
      夜中の2時、英仏首脳が泊まるホテルに呼び出された彼らは、心臓も停まるような
      結論を聞く)
      チェコ外相ヤン・マサリク(T・G・マサリクの子)は 涙に潤む目で、
      「ヤン・フスとT・G・マサリクの民族は、決して暴力には屈しませんぞ!」と
      フランス首相ダラディエは、大きなアクビで これに応えた

       


    11/9 「水晶の夜」事件 
      〜 夜から10日未明にかけて ナチス党員と突撃隊、独全土のユダヤ人住宅、
    商店、シナゴーグなどを襲撃、放火
     これを機に ユダヤ人への組織的な迫害政策が本格化


 ‘39 8/23 独ソ不可侵条約(モロトフ=リッベントロップ協定)
     ―→ 英・仏は共に 8/25 ポーランドと相互援助条約を結ぶ
       日本は ノモンハン事件中で、この日独防共協定違反に対し、8/28 平沼内閣が
       「 欧州情勢は 複雑怪奇 」と声明して総辞職

    9/1 ポーランド侵攻  9/3 これに対して 英と仏、ドイツへ宣戦布告
    11/30 ソ連、フィンランドに侵攻

 ‘40 9/27 日独伊三国同盟

 ‘41 6/22 独ソ戦開始(暗号名:バルバロッサ作戦)



 ‘44 6/6  ノルマンディー上陸作戦開始(オーバーロード作戦)
     /15  V1ロケットでロンドン爆撃開始
       
     7/20 独陸軍シュタウフェンベルク大佐による 爆弾暗殺未遂事件
       数人の側近 死傷、ヒトラー 奇跡的に軽傷
       事件後 計画関係者の追及を行い、カナリス海軍大将(国防軍情報部長)、
       ヴィッツレーベン元帥、フロム上級大将らの死刑、 処罰4,000名
       ロンメル元帥とクルーゲ元帥にも、自殺を強要

       ヒトラーは、しばしば政治・経済上の必要を重視しすぎ 戦略的に無意味な
       地域の確保に拘ったり 無謀な拠点死守命令を出して 敗北の原因を作る
       また 形勢が不利になると作戦の細部にまで介入、参謀本部との関係が険悪になる

      ○ 独ソ戦後期ヒットラー死守命令の弊害  http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta02m.htm

 ‘45 4/29 ベルリンの地下壕でエヴァ・ブラウンと結婚式
      エヴァは、ついに結婚できた自分の幸せを喜び、
     「可哀そうなアドルフ、彼は世界中に裏切られたけれど私だけはそばに居てあげたい」 
     翌日 総統官邸地下壕で、愛犬ブロンディを自ら毒殺、妻エヴァ・ブラウンと共に自殺
       



   

   クリック20世紀  http://www.c20.jp/1938/09munch.html

   第二次世界大戦    http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/gendai/53-dainiji1.html

   ユーゴスラヴィア史 〜 西部戦線の異状
             http://www.h3.dion.ne.jp/~jtpage/cy/yugo/westfrnt.htm

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★ スペイン内戦 (1936 7.〜39 3.) ★ 1931 左派 選挙で勝利し、王制から共和制へと移行(スペイン革命)。 1933 総選挙で 右派 勝利し政権を奪回。このように、左派と右派の対立は続くが、左右両勢力とも内部統一が図れず、政治的膠着状態が続く。1935 コミンテルン第7回大会で人民戦線戦術が採択され 左派勢力結束。1936 総選挙で再び左派 勝利し、マヌエル・アサーニャの人民戦線政府成立。これに対し、スペイン本土と植民地モロッコで 軍隊が反乱。カトリック教会・地主・資本家・軍部などの(続)

2007/2/23(金) 午後 2:21 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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右派勢力は、これを支持してスペイン全域を巻き込む内戦へ突入する。//反乱を起したフランコ将軍は、ドイツとイタリアから支援を受ける。モロッコのフランコ軍は、両国の輸送機協力で 本土各地へ空輸され、早期の軍事展開を果たす。ポルトガルのサラザール独裁政権も フランコを助け、アイルランドもエオイン・オ・デュフィ率いる義勇軍が フランコ側に参戦。英国は、内戦が世界大戦を誘発することを恐れて中立。仏国では、レオン・ブルム首相(人民戦線内閣)が、当初 空軍を中心とした支援を行ったが、閣内不一致で政権は崩壊。

2007/2/23(金) 午後 2:31 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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結局 英国と同じく中立政策に転換。そのため、人民戦線政府は ソ連とメキシコからしか援助を受けられず、しかもメキシコからの軍事的な援助はごくわずかであった。・・・戦争終結直前、国際旅団は有力な支援元のソ連邦が ナチスと取り引きしたため、撤退。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%86%85%E6%88%A6

2007/2/23(金) 午後 2:38 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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★ 原子爆弾開発 ★ 当時ヒットラーの台頭によって多くの学者が迫害を逃れ渡米した。彼らはヒットラー による原子力エネルギーの軍事的独占を恐れ、米国において原子力 ... しかし、フランス は第二次大戦でヒットラーに降伏してしまったため、原子炉の建設は不可能となった。 ...(原子力百科事典 ATOMICA ) http://mext-atm.jst.go.jp/atomica/16030312_1.html

2007/2/23(金) 午後 4:09 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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● ノーボスチ・ロシア通信社 〜 1943年8-9月、東京でスターリンとヒットラー和解の試みが ● 大島は、東京に、ソ連政府がヒットラーにウクライナを譲るならヒットラーは対ソ戦争を停止することに同意したかのように連絡した。その時イタル・タス通信により伝えられた情報では、大島大使の暗号通信文は、この提案がモスクワになされたかについては ... http://www.rian-japan.com/news/details.php?p=125&more=1

2007/2/23(金) 午後 4:14 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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● ムッソリーニに想う (北イタリア紀行) ● ムッソリーニは ヒットラーよりも6歳年上、総統になったのは11年先輩、ヒットラーが 首相 になってから 2人は会合をもち始める。 ... ムッソリーニは「ヒットラーがいなかったら、無理をしなかった」、ヒットラーは「ムッソリーニがいなかったら、あれほど野心をむきだしにしなかった」ともいわれる。ムッソリーニは ヒットラーの国威発揚ぶりに 眼を見張り、自国の軍備のお粗末さを知りながら、エチオピア侵略、スペイン内戦 ... http://www6.plala.or.jp/smqol/musolini.html

2007/2/23(金) 午後 4:53 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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水晶の夜事件、こんな悲しみの始まりはありません。ドイツ国民が彼を支持した、ドイツ、いやヨーロッパに反ユダヤ主義が根深くあった。彼はそれを具現した、ですね。

2007/2/23(金) 午後 10:26 Konnichiha 返信する

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ユダヤ人のことは、この稿では 敢てあまり触れませんでした。私自身、ユダヤ人については あまり知らず、しかも 現代を理解するには 彼らの各方面の活動を避けては 語れません。1977年 アーサー・ケストラーの「第13支族」出版以来、彼らの実態が より明らかとなったと言います。また、今日 ナチスのユダヤ人迫害が 戦勝国の行為と戦後体制およびイスラエル建国を正当化する道具として、必要以上に強調されている面も感ぜられ、注意深く取扱う必要があります。で、これは マルチン・ブーバーの稿に譲りたいと思います。合掌

2007/2/24(土) 午前 8:39 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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(参考までに)「 ユダヤ問題特集 」〜〜〜 これらの事実から、ハザールのユダヤ人と他のユダヤ・コミュニティの間にあった問題、 およびハザール系ユダヤ人がどの程度まで ... と同時に考慮すべきことは、「白人系 ユダヤ人問題」というセンセーショナルな問題を扱う場合、幾ら「ニセユダヤ人」とは ... http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/texts/textA2F3/a2f1000.html

2007/2/24(土) 午前 8:49 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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またまた記事の一部だけ取り上げて感想を書くのですが、「悪夢のミュンヘン協定」について詳しく書かれたサイトも訪問してみました。チェコスロバキアの辿った運命って、悲しい終わりだったのですね。小国の運命でしょうか。零細企業みたいですね。

2007/2/24(土) 午後 5:46 [ junkokaji ] 返信する

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地続きで、周りを 癖のある国々に取り囲まれたボヘミアとモラビア及びスロバキアの この地もまた、昔から 他国の意思に翻弄されてきたのですね。勉強のために チョット調べてみました。★ チェコ - Wikipedia 「チェコスロバキア」の英語での綴りはCzechoslovakia 。Czechの 後に来るoはラテン語の文法に由来し、 ... 1993 にチェコ(チェック)とスロバキア が分離したが、日本語の表記はチェックやチェキアとならずに、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B3 合掌

2007/2/25(日) 午前 1:42 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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おはよう御座います。 チェコスロバキアは日本人にはなじみの少ない国ですが、音楽家でスメタナやブラームスやドボルザークと言えば知らない日本人はいないと思います。意外と身近な存在なのです。特に有名な名曲である「モルダウ」はスメタナが祖国への想いを込めた名曲ですが、作曲家自身は祖国の悲劇により自身の精神を病んでしまったという、この国の悲劇を象徴する音楽家です。 ユダヤですが、元々情報が表に出てこないので、断片的な情報を元に活動の実態を探るしかありませんので非常にたちが悪いですね。ホロコーストの問題においても、幾つかの国では、その歴史についての検証活動自体が違法とされる等、異常とも思える言論規制があり、この辺が「ユダヤ陰謀説」を感じさせますね。 ユダヤ自身が世界戦略の策謀をしているのか!?ユダヤの名を使って何者かが世界戦略の策謀をしているのか!?私としてはこの点が非常に気になる所です!この方面についてはジャーナリストのフルフォード氏のコメント等が理解の手助けになると思います!

2007/2/25(日) 午前 6:47 [ - ] 返信する

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お早うございます。旧オーストリア・ハンガリー帝国のこの地は、その他に モーツアルト、シューベルトなど 多くの作曲家や演奏家を輩出していますね。これは 一体 何なんでしょうね? また、この地へのフランス革命の影響は 深刻で 計り知れないものがありますね。/// ユダヤ人などの収容所のあったポーランドは、ドイツ敗戦時 ソ連が侵入しました。で、アウシュビッツなどの情報は ソ連から出てきたものでしょうね。そこに 何か 実際以上の粉飾を免れなかったかもしれません。この戦争の惨状への補償 (続)

2007/2/25(日) 午前 11:13 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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と その間の自己の行為を無罪化し隠蔽するために、ナチスをスケープゴートにしようという意図は、すべての戦勝国の側にあったでしょうね。また、戦後体制を構築する上で、ナチスはじめ枢軸国の行為を 必要以上に罪悪と見做すことで、戦後の自己の行為を正当化するといったことも 多々ありますしね。多くの美談と物語が作られ、戦後の体制と行為を補強しました。 また、陰謀説ですが、昔から ユダヤ人たちの様々な行為が こうした説の流布を助長しているということはありますね。これを よく吟味していきたいと思います。合掌

2007/2/25(日) 午前 11:38 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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有り難うございます。こちらのサイトも訪問してみようと思います。とても勉強になります。ヒットラーが絵を描いていた事は知っていたのですが絵葉書で収入を得ていたとは知りませんでした。あの時、美大に合格していれば違った人生だったのでしょうかね。芸術家と独裁者だなんて同じ人間とは思えないです。 削除

2007/2/26(月) 午後 9:46 [ junkokaji_rm ] 返信する

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人生、ちょっとした行き違い(すぐにでも修復可能な違い)が 後に 地獄まで裂けた 修復不可能な巨大な違いとなるというのは、われわれ 皆 例外のない人生経験ですね。こうした事(運命)を わが身(わが一生)において どう受取るか? が、我々人間の課題でしょうね。///チェコの運命は、そこに 世界大戦のキッカケがあったことを思うと、それに直接に関与した 独・英・仏・伊の四国およびそれらの国民だけの問題ではなかったわけですね。世界中が 直接・間接に これに関与していたが故に、戦争に巻き込まれました。合掌

2007/2/27(火) 午前 0:51 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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