混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

加賀遊覧記

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加賀遊覧記(9)

〜〜〜〜 
  〜〜〜〜〜

 ここで、しばらく 加賀の守護 冨樫(とがし)氏の動向について 見ておきます。


■来歴: 南北朝時代 1335(建武2)富樫高家が足利尊氏に味方した功で「加賀国守護」と
  なって以来、子孫は 代々この職を受継ぐ

  1387(嘉慶元) 守護は いったん室町幕府管領の斯波(しば)氏に奪われるが、
  1414(応永21) 再び 富樫氏に復す

  1441(嘉吉元) 富樫教家、 足利将軍義教の怒りに触れて 守護を追われ、
   弟の泰高が 兄・教家に代って 守護となる
   しかし、直後に 将軍義教が 赤松満祐に暗殺され(嘉吉の乱)、
   守護復帰を図る教家との、一族が両派に分裂し 抗争
   この争いは 教家の子・成春と泰高が 守護職を二分することで決着

  1458(長禄2) 成春、半国守護(北加賀)を 赤松氏に奪れる
  1464(寛正5) 成春の子・政親が 隠退した泰高の半国守護(南加賀)を継承、
   赤松氏が播磨守護に移った後、加賀一国の守護職を回復


  ■加賀国の守護
 * 文明6(1474)時点の守護は、富樫幸千代を半国守護としたり、政親が守護だったとか、
  本により記述が異なる。ここでは 幸千代を一国守護とし、政親が彼を倒して、その後の
  守護になった説を採用する
  【北半国守護(石川・河北郡)】
    1447(文安4)〜58(長禄2)成春(しげはる 1432〜1462)
    1458(長禄2)〜66(文正元)赤松政則
  【南半国守護(江沼・能美郡)】
    1447(文安4)〜64(寛正5)泰高
    1464(寛正5)〜65(寛正6)政親( 1455?〜 88 )
    1468(応仁2)〜74(文明6)幸千代
    1474(文明6)〜88(長享2)政親
    1488(長享2)〜1503(文亀4)?泰高
    1503(文亀4)?〜31(享禄4)稙泰
    1535(天文4)〜70(元亀元)晴貞

   
  文明5 12月 義政、義尚に将軍職を譲り隠居

】】文明6(1474)加賀では、高田派門徒と本願寺門徒の争いが起き、高田派門徒が
 守護・富樫幸千代に訴えたことから、政親・幸千代兄弟の間で、家督継承もからんで争いが
 起こる  政親、敗れて越前に追われる

  1月 朝倉孝景 甲斐八郎の兵を越前国杜山城に攻め破る
   2月 一休宗純(1394〜1481) 大徳寺第47代住持となる
  3月 吉崎の南大門わきの多屋から発した火が、本坊をはじめ吉崎寺内町の大半を焼く
  6月 美濃守護代斉藤妙椿 伊勢梅津城を落とし、越前に入り 朝倉孝景と甲斐八郎を和解
    させる。そのため富樫幸千代は 有力な甲斐氏の支援を失い、政親に対する優勢崩れる
  7月 政親、槻橋ら有力武士団に本願寺門徒軍・白山衆徒らを加え、幸千代・高田門徒・
    守護代小杉らの連合軍に 攻撃を開始する
    〜〜 この時 蓮如、本願寺門徒の冨樫政親への加勢を認める

 「 それ 加賀国の守護方、早速にかくの如く没落せしむる事、更にもて 人間の所為に非ず
  これしかしながら 仏法王法の作らしむるところ也。 ここに高田門徒において 年を積み
  日を重ねて、法敵を作るといへども、かつは もって承引せず候ところに、在所において
  或は殺害、或は放火等の 種々 悪行を致して、もって数多の一類、守護方(幸千代方)と
  あい語らい、すでに彼らと同心せしめおわりぬ。 しかりといえども、今度 加州一国の
  土一揆となる。同行中において、各々 こころ行うべき趣は、すでに百姓分の身として、
  守護地頭を対治せしむる事、本意にあらざる前代未聞の次第也。 

  しかれども 仏法に敵をなし、また 土民百姓の身なれば、限りある年貢所当等を沙汰せ
  しむるひまには、後生のために 念仏修行をせしめ、一端 憐憫こそなくとも、あげく罪咎
  にしつめ、あまつさえ誅罰に行うべきその結構あるの間、 無力かくの如きの謀反を、
  山内方(政親)と同心の企てをせしむるところ也。これ誠に道理至極也。 

  しかる間、上意として 忝くも かくの如き旨うを聞こしめさるによりて、すでに百姓中へ
  御奉書なされるの間、身において 今は 私ならぬ次第也。
  しかりといえども予が心中に思うようは、かくの如きの子細、望まざるところ也 」
                                   (柳本御文集)

  10月 蓮台寺城を陥落し、幸千代 京都に敗走  
     政親 守護に就く

   加賀の一向一揆、守護冨樫幸千代の兵と戦い、守護代を殺す
   戦勝に誇った門徒の国人層は、荘園領主の権力を公然と無視して、年貢を押領し所領を
  拡大し始める
   「 翌年国民等、本願寺威勢に誇り、寺社の領地・諸免田・年貢沙汰無し
    よって神事ならびに勤行等退転に及ぶ。先代未聞言語道断之次第也。したがいて、
    武家の威勢も無きが如し 」 白山宮荘厳講中記録(文明7)


】】文明7(1475)
  3月  政親 高尾城(金沢市)を本拠として 北加賀の掌握に力を入れる

  「 次郎政親は 越前から加賀に入るのにあたって、門徒の誘導で山田光教寺に 密に
   かくまわれ、軍をおこし、合戦も 門徒の力戦奮闘に負うところが大きかった。
   その恩を忘れて 門徒を迫害し始めた 」 実悟記拾遺

   一揆の代表 州崎慶覚と湯湧行法 吉崎へ伺候し、政親方と和睦すべく裁許の取次ぎを
  蓮崇に依頼するが、彼は これを逆用して、蓮如には 合戦の他なしと伝え、両名には
  一戦を交えよとのご沙汰であったと伝える
  両名は とても戦える状態ではないと反論して立ち返る
  一揆再度蜂起し、政親軍と戦うも敗北
  敗れた一揆勢の主だった坊主衆は 所縁をたどって越中へ逃れ、7月再起を図るが失敗

   政親の姉婿・松任(まつとう)城主鏑木繁常、一揆の再発に際し、これを撃退する命を受け
  て出陣したが、戦いに利あらず、 城中にとって返し、持仏堂にこもって敵味方の亡魂追善
  の読経をするうち 霊告をえ、数日後 安芸法眼を頼って蓮如に帰依
  奉公衆の一人であった繁常の帰依に、蓮如は ことのほか喜び、「真宗仰信の禅門」と称讃、
  徳善の法名を与える


  5月 蓮如、「御文」(帖外四四)を草し、吉崎の要害化を省み
  「 これさらに仏法の本意にあらず 」と言い、末代まで守るべき10か条の制戒を打出す
   その第二条に 
   『 外には王法をもっぱらにし、内には仏法を本とすべきあいだの事
   ・・・王法を先とし、仏法をばおもてにはかくすべし』
   という姿勢を力説す

  7/15 蓮如 御文3ノ10 六ヵ条掟門
   〜〜1.神社をかろしめる事あるべからず 
     2.諸仏菩薩ならびに諸堂をかろしむべからず 
     3.諸宗諸法を誹謗すべからず 
     4.守護地頭を粗略にすべからず 
     5.国の仏法の次第非義たる間、正義におもむくべき事
     6.当流のたつるところの他力信心をば内心に深く決定すべし

    翌日 越中瑞泉寺に化導

  8/21 京都から急行した順如や護衛の徳善を供に、にわかに便船を仕立て
     海路 吉崎を脱出 (吉崎御坊の後事は越前和田の本覚寺に託す)
     その船に密に蓮崇が乗込んでいるのを 順如が見つけ‘こは何者ぞ’と引きづりだし
    浜辺へ投げ飛ばした。 彼は 砂浜に泣き伏し、出航を見送った

   「海人amabitoの炬火isaribiつでにこぐ船の行yuku衛eもしらぬ我身なりけり」某伝記
    船は 若狭の小浜をめざすが、吹き流されてやや東方の海岸に上陸。小浜妙光寺に
    100日ほど逗留後、丹波路を経て河内国出口(枚方市)に入り、
    ここに 近在の在家門徒光善の奔走で坊舎を立てる (山科本願寺建立後、長男順如に
    譲られ〜光善寺〜、畿内における一家衆寺院の筆頭となる)

     8月中旬頃、一揆の裏面の事情を 加賀の山田光教寺蓮誓(4男)と波佐谷松岡
    (しょうこう)寺蓮綱(3男)から知らされた蓮如は、蓮崇の専横を怒り、加賀における
    彼の行動を封じ、蓮崇はやむなく湯湧村(金沢市)へ退き、山中に城を築いてなおも
    策動をつづける。ところが蓮如の命を奉ずる国中の門徒に押し寄せられ支えきれず
    故郷 越前へ落ち延びる
    (その後、蓮崇は 管領細川政元を介して詫びを入れたが 斥けられ、
     蓮如の臨終にようやく許される)


   21日夜、冨樫政親の命で加賀野美・江沼郡の武士に高田専修寺派ら、吉崎に押寄せ放火
    坊舎焼尽す

  < 凡そ 本寺といひ 末寺といひ、下極上の時分なり、驚くべからざるなり、
   末代もつとも違乱あるへきこと也。本寺等に於ても・・・両門諸院家等 こと是非の沙汰
   に及はざる条は、末寺よりも 猶以て下極上、 珍事 これに過べからざる上は、
   末寺こと成敗する所なきことか、且いかん > 大乗院寺社雑事(文明8)


】】文明8(1476) 
   11月 加賀一向一揆 倉月庄を違乱
     この頃 真宗仏光寺派の経豪、門徒を率いて本願寺に加わる
】】文明9
   3月 加賀一向一揆、能登に攻め入る
   11月 大内正弘、周防に/土岐成頼、義視を擁して美濃/畠山政長、河内に 帰る
     【応仁の乱 終る】

   < (乱は終わったが)天下のことは、さらにもってめでたい事はいっこうない
    近国とはいえ、近江・美濃・尾張・遠江・三河・飛騨・能登・加賀・越前・大和・
    河内などは 全く将軍の下知に応ぜず、年貢などもいっこう進上する事のない国々だ

    その上、紀伊・摂津・越中・和泉はまだ国中戦乱の地方で、これも年貢の進上など問題
    にならぬ。結局 将軍の下知が及ぶ国は、播磨・備前・美作・備中・備後・伊勢・
    伊賀・淡路・四国ばかりだ。だがそれらの国々でも守護が将軍の下知を奉じているだけ
    で、実際に その下知が 実施されるとなると、守護代以下の在国の者どもがいっこう
    承知せぬ。だから 結局の所は、日本国中悉くもって将軍の下知には応じないと
    いう事なのだ > 興福寺大乗院門跡尋尊(関白一条兼良 1402〜81 の子)


】】文明10(1478)
   1月 蓮如 出口を出て、山科へ赴く



 その後、将軍義尚の近江六角氏討伐に、政親も家臣・国人衆を率いて出陣することになり、
 兵糧米や軍夫を農民から供出させたことから、加賀国に 大規模な一向一揆が起こり、
 政親は 長享2(1488) 高尾城を攻められ敗死

   政親は 高尾城の背後、倉ケ岳(565m)に落ち延るが、一揆方の武将・水巻新介と一騎打ち
  の末、大池に 馬もろとも転落死
  政親が戦死した旧暦6/9には、祟りを恐れて、決して池に足を入れるなとの言伝え

  この後 守護は 富樫泰高、稙泰と続くが、その実権は失われ、加賀国は 約一世紀間、
 天正8(1580)まで 一向一揆の支配下にあった





               (つづく)

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(追って)以下は、このブログを訪れてくださる方々の中で、このコメントを読まれた方の 恐らく不審に思われるだろうことへの 補足説明です。

天皇への いわゆる崇拝と言われるものは、わが国独特の共同体の意識ですが、 およそ 如何なる共同体にも 形こそ違え 大同小異の非合理的な 共同意識(幻想)があるものです。
その共同体の中では それがごく当り前(幻想を幻想と思えない!)なのですが、その共同体の外からは 随分 奇妙な感じを受けるものです。

こうしたものまで、宗教だとしてしまえば、科学や民主主義なども、堂々たる宗教でしょう。

しかし、科学などを宗教という概念から 除外している根拠は何でしょうか?
それは、‘ それらが 理性的(知性的)であるから ’ということでしょう。
すなわち、理性的or知性的でないものは、皆 宗教の範疇に入れているのです。
あたかも、頭の固い老人が 自分の理解出来ないこと・気に食わないことは なんでもかんでも、 それは 赤(共産党)だ! ’と言って 自己満足するように・・・。(続)

2007/12/12(水) 午前 1:17 [ kyomutekisonzairon ]

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これでは、宗教というものは 理解できません。そもそも 宗教とは 仏教では、<教えを宗(むね)とする>or<宗の教え> ということでしょう。

これは、キリスト教のreligionの概念だけで、宗教を理解するようなことでは、埒が明きません。 しかし、よい知識人が 西欧的な宗教概念しか知らない or 仏教を知っていても 多分に西欧産のものをより高級なものという偏見を持っているために、 如何に この国の宗教意識を混乱に陥らしているか、当人たち(彼らは欧米人では無いにも拘らず、欧米人の考え方をする為に)は さっぱり分っていません。合掌

2007/12/12(水) 午前 1:25 [ kyomutekisonzairon ]

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すいません。警戒したわけでは無いのですが、蓮如さん批判を削除しました。天皇問題については戦前までの神格化が宗教的であり、政治に利用していますね。政教分離の問題は現に宗教団体の政党の動きは日常でも目に付き疑問の気持ちから書きました。蓮如さんの王法為本も権力に加担しているとは言いませんが、政治に介入しているように思います。そして世界で宗教が政治に介入し戦争しているのを私はどうにかならないかと思うのです。

2007/12/12(水) 午前 5:47 [ nanachan.umekichi ]

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nanachanumekichiさんへ。こんばんわ。
そうですか でも、さらに よい質問を頂き、たいへん うれしいです。

幾つかの たいへん 大切な問題を提出して頂きました。

で、まず 戦前の 仏教者の 戦争を煽った言動ですが、
彼らは 自己の信仰を楯にして、これを為しました。しかも、戦後は アッケラカンと、
かって為した言動が 無かったかのように 別の調子で 信仰を語りました。
また その言動に乗って 犠牲になった人々の運命に対する 自己の責任について、
十分な感受性が あったとは言えません。

深い信心の念仏者においても、 私は そこに自己欺瞞を感ぜずにはおれません。
これは、他人事ではなく、前に取りあげた暁烏敏においてだけでなく、わが先師
・住岡夜晃においても、そうです。

彼らは、政治家としてではなく、仏教者として その宗教的信念において
中国および米英との戦争を肯定・鼓舞し、若者を戦場に送ることに積極的に
動き回りました。(続)

2007/12/12(水) 午後 6:26 [ kyomutekisonzairon ]

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仏教教団においても、敗戦前と敗戦後と その言うことは、これが同じ人間の言うことか?! と思われるほど、その調子が違っています。
彼らや その教団も、やはり 社会内存在である以上、その時代の権力構造に 無関係には存在できません。 力あるモノ(それは 大抵 非倫理的なものを抱えています)に対して、徒らに 正義を押し立てて 挑みかかっていくのは、智慧のない愚かなことですが・・・。

しかし、それにもかかわらず、敗戦の前後における言動の違いは、如何にも 節操がないという感を否めません。 あまりに 言葉というものを軽く 扱い過ぎていると、思わざるを得ません。

では、これは 一体 どういうことなのでしょうか?
誰もが 深い信心の人と認めざるを得ない・尊敬し仰ぎ見ざるを得ない人が、
このような過ちを為すのです。 一体、宗教とは 仏教とは、何なんでしょうか?(続)

2007/12/12(水) 午後 7:01 [ kyomutekisonzairon ]

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ここに、宗教or仏教の秘密があります。

このことを、わが国の人々は、今日 分らなくなっています。
宗教をor仏教をすれば、理想的な人格(完全無欠な人間)が でき上がるはずだと考え、そうでない現実に遭遇して 絶望し、 宗教or仏教を 逆に 貶し侮蔑し否定し、また 警戒するのですね。

これは、人間というものを 余りに単純なものと見過ぎています。
宗教者・仏教者といえども、人間です。
キリスト教は イエスを完全無欠なものとするために、神が使わしたキリストというものに祭り上げました。後世の仏教徒は 釈尊を完全無欠な存在にするために <永遠の釈迦> というものに、祭り上げました。

こういうやり方をせねばならないということは、逆に 人間において 欠点のない存在は あり得ないということを、示しています。
彼らが 人間ならば、彼らは 欠点や過ちを持った存在ですが、彼らを完全無欠な存在とすれば、彼らが 人間の出自を持っていては困るわけです。(続)

2007/12/12(水) 午後 7:16 [ kyomutekisonzairon ]

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こうしたことは、ムリがあるんですね。
イエスにしても 釈尊にしても、彼らを 完全無欠な存在とすれば 自己矛盾に陥り
自己欺瞞をせざるを得なくなります。

本当の宗教or仏教は、こうした 聖なる人を 彼が完全無欠なるが故に、聖なる人と考えるのではありません。 欠点だらけで 間違いを一杯持っている人に、聖なるものを見出す感受性を、本当の宗教・仏教と言うのです。

そこには、人間に対する 幻想を剥ぎ取った 智慧が輝いています。また、人間というものに対する 共感が働いています。
こうした智慧と共感を 我々に喚起する力をもつものが、本当の宗教であり 仏教でしょう。 そこに 真の平等というものがあるのでしょう。

人間に完全無欠を 放棄するだけではなく、この地上に 理想社会なるものを 放棄する力がなくては、すなわち、我々の こうした幻想を放棄して なお この地上に 生き得る道を、我々に指し示すものが 宗教であり仏教だったはずなのです。

自己の教説や教祖の完全無欠性を、自己にではなく 外に主張するものは、それがキリスト教であれ 仏教であれ、何であれ 邪教でしょう。合掌

2007/12/12(水) 午後 7:35 [ kyomutekisonzairon ]

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(追って) その( 上の場合は 戦前戦後の)言動に問題のある人に幻滅して、宗教(仏教)を非難し それに背を向ける人は、人間(自己)というものを 知らない人です。
〜 特に 民主主義を尊重し 民衆の立場に立つと自認する リベラルと言われる人に こういう人が多いのは、奇妙なことです。

今日の我々の問題は、彼ら(先師や暁烏師)の間違いを 背負うことです。
これを自覚的に為すことは 大変なことですが、今日の我々の生きている環境は 実は 彼らの間違いの上に成立っている以上、これを 自覚しようとせまいと 実際 その業を引き受けて 日々労苦しているわけですから。


また、<宗教を戦争の原因>というのは、戦争を起している 本当の原因を隠す
現代の神話ですね。この神話を見破ることが出来ない限り、戦争は止みません。

また、政教分離については、今後も さらに深く思考してゆかねばなりません。
合掌

2007/12/12(水) 午後 8:04 [ kyomutekisonzairon ]

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(再び追って) < 宗教が戦争の原因 > というのは、
どうして 20Cの 二度の世界大戦と 世界中を長年 恐怖の淵に望ませた
冷戦が、<宗教が原因だ>という論証から除外するのか、
私には 理解不能です。

あれらは 如何なる宗教が 引き起こしたというのでしょうか?

今日のイスラム過激派のテロは、本当に 宗教が原因ですか?
米国を始めとする先進国(日本もまたそうです!)の 世界の富を収奪して、彼らを犠牲にして 我儘勝手に世界を動かしていることが、本当の原因でしょう〜?
合掌

2007/12/12(水) 午後 8:16 [ kyomutekisonzairon ]

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私は理想論を言っているのでしょうか。いつも繰り返しますが、つらい状況の人がいるなら何とかよくなって欲しいと思うのです。つらい状況を受け入れる心を得ることが宗教かも知れませんが、すでにある不平等に納得できないのです。人間の一生はつまらないのかもしれませんが、たった一人の一度きりの人生を大切に思うのは素朴な思いです。

戦争についてはいろいろな考え方があるので宗教にすべてが原因というわけではありませんが、その一端を担っている場合も(中東戦争など)あると思い書きました。

2007/12/12(水) 午後 11:59 [ nanachan.umekichi ]

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人は何のために生きるのでしょう。種の存続のためでしょうか。生き物として自然淘汰されることは避けられませんが、その中であがいて生きる事を選んでいくのも選択肢の一つだと思うのです。すべてを受け入れ許すことは素晴しいことのようですが、どこか矛盾しているように思うのは私だけでしょうか。

どこまでも平行線のようですね。この繰り返しを辞めるつもりだったのにまた迷惑をかけて申し訳なく思います。出来れば忘れて欲しいのですが・・・。これからも迷いながら生きて、気ままなことを書いていくでしょう。独り言と思っていただけるとありがたいです。本当に自分の中だけで思ったことを書いているので、くだらないことです。

2007/12/13(木) 午前 10:59 [ nanachan.umekichi ]

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nanachanumekichiさんへ。 昨夜は お疲れのところを、上のような 難しい議論を見せられて、さらに ウンザリされたことでしょう。
申し分けないことです。

ところで、中東紛争の原因ですが、これは 人物欄で 追求しつつある所ですが、
<宗教が原因>というのは、やはり 本当の原因を 覆い隠すために 世に流布されているのでしょうね。

<宗教が戦争の原因>という観念は、その本当の原因が 遠くの かの地にあるのではなく、実は この日本のど真ん中ie.我々の日々の生活の中にあるのを、見出すことを 妨げているのではないか、と 私は考えています。

かの地の人々にとっては、我々の この市民生活が、実は 遠く中東紛争を 引き起こす <縁> になっています。したがって、彼らの立場からすると、そのラディカルな思考をする人々にとっては、日本は テロの対象になり得るのでしょう。

また、この我々にとっては、 我々自身の生活が かの地の紛争の <(原)因> と見えなくては、 自己欺瞞となるのではないか? と、私には思われるのです。(続)

2007/12/13(木) 午後 7:59 [ kyomutekisonzairon ]

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「 すべてを受け入れ許すことは素晴しいことのようですが 」実際は 大変な事ですね。

この素晴しいことを 諦めるのではなく、しかも それが 我々には困難だという現実
・荒唐無稽とならざるを得ない私の実際を 絶望せず無視せず 明らかに認識する
――― この両者が 私において 同時に成立つのは、人間ワザではないですね。
「矛盾」としてしか、我々人間には 思われません。

それで、ここが 若いイエスの問題であったし、釈尊の実現しようとしたことですね。
すなわち、ここからが いわゆる本当の宗教の始まるところなんですね。
合掌

2007/12/13(木) 午後 8:00 [ kyomutekisonzairon ]

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中東戦争の石油の利権よりもイスラエル対アラブの宗教対立がなければと思うのは浅はかでしょうか。

いろいろご意見を書いていただき恐縮しています。そして悔いています。

2007/12/13(木) 午後 10:35 [ nanachan.umekichi ]

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偶然の縁で蓮如さんについて触れ批判をしましたが、蓮如さんの正当な評価を歪めたのではないかと危惧しています。多くの人を救済されたであろう功績をこれで誤解されないようにお願いします。たいへんご迷惑をおかけしました。
訪問はこれを最後にします。ありがとうございました。

2007/12/14(金) 午後 9:23 [ nanachan.umekichi ]

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nanachanumekichiさんへ。
パレスティナ紛争は、日本から遠い中東の事ですが、これは 我々の生活に
関係の無い(この事態の責任がない) 全く別世界の他人どおしの
ことなのかどうか?ということを問うことが、彼らにとっても 我々自身にも
有益でしょうね。
傍観者の立場でなく、当事者の立場に居ないと 我々の困難を解決することは、
本当にはできないことでしょうからね。


蓮如に対する批判は 大いにやる価値があると思います。そうすることで、
我々は 宗教というもの・宗教と社会生活というもの・宗教と国家というもの
について、より深く考えることができますからね。

「誤解」〜 優しいお心、有難うございます。
遠慮のない私の論は 大抵 自問自答といったもので、私自身が 事柄を
よりよく理解しようがため、といった面が強く、話し相手になって
下さった nanachanumekichiさんには、困惑されたことでしょうね。

この事柄を 私が もっと深く分っておれば、こうしたコメントにはならなかったでしょう。ご迷惑、申し訳ありませんでした。合掌

2007/12/15(土) 午前 9:18 [ kyomutekisonzairon ]

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いろいろなことにこの歳になり関心を持つようになり、分からないながら考えていきたいと思います。展開が思った方向ではなかったので戸惑いましたが勉強になりました。

失礼なことを書いたのに相変わらず気にかけていただいてありがとうございます。

2007/12/19(水) 午後 9:34 [ nanachan.umekichi ]

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nanachanumekichiさんへ。 こんばんわ。
「 失礼なこと 」とは、思い過ごしです。
分らないことは 分らないこと、納得できないことは 納得できないこととしなくては、自他を誤魔化すことになります。
それは 真実を尊ぶことにはなりません。

たった一回の短い生を、誤魔化して過ごすのは、余りに残念です。

納得できないことは、最後まで問うていき、いい加減の所で妥協しないことが、
我々の誠実さというものでしょうね。 これもまた、大変なことです。合掌

2007/12/20(木) 午後 10:15 [ kyomutekisonzairon ]

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お二人の対話交流に触れて、心和みました。また、<欠点だらけで 間違いを一杯持っている人に、聖なるものを見出す感受性を、本当の宗教・仏教と言うのです。・・・そこには、人間に対する 幻想を剥ぎ取った 智慧が輝いています。また、人間というものに対する 共感が働いています。
こうした智慧と共感を 我々に喚起する力をもつものが、本当の宗教であり 仏教でしょう>にも共感します。

2008/6/29(日) 午後 6:46 [ bamboo ]

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zenawayさんへ。こんばんわ。 お久しぶりです。
コメントを読んで頂き、しかも共感して下さり、ありがとうございます。
合掌

2008/6/30(月) 午前 1:19 [ kyomutekisonzairon ]


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