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「時間について」の項、【 覆水 盆に返らず 】を書く前に
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太陽の熱と光、 大海と大地、 山川渓谷、
及び 生きとし生けるもの の恩恵の下で、
私は、ようやく 生を繋(つな)いでいるものである。
道理に反し、それに背いて 事を行えば、
その結果は 自らの上に 受けねばならないものとして、 私はある。
しかして、私は 道理に冥(くら)く 法性に随順しようとしない 懈慢のものである。
あぁ、‘ 永遠の別れ ’ というものがあるのだ。
そこに 如何に 感傷しようとも、
これは、 厳然たる 我らの事実であり 現実である。
たゆたう恩愛・愛惜 や 生の意味の喪失感や ・・・、
そうしたものを スパッと切り捨てさせて、 これは 自らの運命に直面せしめる。
なむあみだぶつ
‘ 永遠の別れ ’ は、
私を 孤独のうちに 返らせ、
その、のっぴきならない 自らの現実に直面させる。
奇妙なことだ。
現今 栄華を極める 西欧文明だけでなく、
この地上の 種々の文明は みな、 愚かで 悲しい 人間業の所産である。
その どの一つの中においても、
多くの悲喜があり 多くの迷いがあり 苦悩があった。
我らが 人間である故であり、 さらに 衆生なるが故である。
我々は、 大海に漂う一つの細胞であり、
やがて 暗夜の森にうごめく ネズミの如きものであった時を経て、
営々と 代を繰り返してきたのだが、
この宇宙が壊滅するに至る はるか以前に、
我々は 自滅するか、 さもなければ、
終末の太陽に 呑み込まれて 焼き尽くされるという運命にあるのだ。
我々は、個人としては 勿論、 種としても、
やがて ‘ 永遠の別れ ’ というものを 刻印されているのである。
この世界を たとえ 物質世界と考えようとも、
この物質世界は 壊滅する運命にある。
すなわち この世界は、 我々を 何らかの形で支える 堅固なるものではなく、
我々は、この実在の世界を 永遠に失い、
この私自身というものからも 永遠に別れねばならないものとして、 今日あるのだ。
この、 太陽の熱と光も 大海と大地も 山川渓谷も、
及び 生きとし生けるものも、 私もまた、
結局 これらは 実在どころか、 夢幻であり ‘うたかた’のモノであったのだ。
( この世界の壊滅の時に、 実在中の実在たる 神によって、
永遠の死 と 永遠の命 を選別されるというのは、
いかにも、我らの生への執着に 妥協し、現実の前に それを正視しえず
腰砕けとなった、それを信ずる者に 都合の良い世界観と言わざるを得ない。 )
合掌
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もはや、今となっては 永遠に かの人と話をすることはできない。
しかしながら、 今や かの人は、
この世に生きる労苦から解放され、そのために身心を苦しめることもなくなった。
食べるために 人におべっかを使い、人に侮蔑されながらも それを我慢して
生きなくてもよくなったし、虚勢を張ったり 様々な悪をしなくてもよくなったのです。
いまだ この地上で生きてゆくために、様々な葛藤を 他者とせねばならず、
多くの悪業を為さねばならない私は、従って かの人とは 話しが合わないだろう。
かの人は、もはや 自らの愛するモノと 永遠に引離されて 一人 逝ったのだが、
しかし それは また、この地上に生きるための すべての労苦を荷わなくても
よくなったということでもあります。
そして また、かの人は 自分の生命と引き換えに、この地上に 残っている我々に、
生れてきたものは みな 死すべき運命にあることを教えてくれています。(続)
2008/2/13(水) 午前 0:03 [ kyomutekisonzairon ]
この生に執着し 妻子・両親に愛着し 異性や食い物やがなくては済まず、地位名誉
を追い、利害打算に日夜狂奔し、また日月星辰の天空や 大海の波や 山河の風景
や 花や草木のある この世界を失うことを、いやが上にも 恐れる我々に対して、
「 私をしっかり見なさい。 あなたの思いは、かくして 簡単に 潰えるのですよ 」
と・・・。
この人の教えに匹敵する程 凄みのある教えは、そうないのではないでしょうか?
で、この人とは
地位も名誉も富も持っていない 隣近所の無教養な老若男女でもあるのです。
( 世に 教師と言われる人は 沢山いますが、プライドや欲や 更には 生命までも
金繰り捨てて モノを教えてくれる人は、そうはいないでしょう〜? )
今日は ここまでにします。合掌
2008/2/13(水) 午前 0:36 [ kyomutekisonzairon ]
(つづき)
即ち、この世に残された私が、かの人のことを心配し悲しむのではなく、本当は
逆に、かの死者が この世に生きていかねばならない私を心配している・・・・。
――― これは、驚くべき見方の転換です。
ふつう 我々は、自分の この世の生を 無疑問的・楽観的に 肯定し過ぎています。
自分の日頃の生が 問題多きものであるとは、ついぞ思わず、これを当然として
日々を やっています。
今日の延長線に 明日があると思い、この日常が いつまでも続くと仮定して、
今日を生きています。 今日で この世の生が終るとは、ふつう思わない訳です。
将来を不安に思うのも、この世の生が 今までの如くでなくなることを危惧するので、
そこには、この世に対する ‘こうあるべきだ’ という 今の生を頭から肯定する
何か 根拠のない思い込みがあるからでしょう。
かの人を悼むのも、こちら側が 正常で当然のあり方で、あちら側が 異常なあり方だ
と思っているからでしょう。 しかし この世の生の方が本当に 正常だという保証は
どこにあるのでしょうか? (続)
2008/2/14(木) 午前 0:06 [ kyomutekisonzairon ]
このように この世の生を絶対化 〜 これを 仏教では 「世俗」or「世間」と言う 〜
する我々の考え方の間違いを、かの人は 自らの生を捨てて 我々に教えて、人生観
の転換を促しているのではないでしょうか?
すなわち 世俗的価値観 〜 金儲け・地位・名誉・学歴・権力・健康・長生き
・よい生活etc. すなわち現世利益を求めるのを当然とする 〜 の空しさを・・・。
これらをもって わが人生の結論とする 〜それを得れば 「成功の人生」、
それを得られずor失えば 「失敗・敗北の人生」とする 〜 のは間違いで、
人生は もっと違った何かであるのだ と。
では、それは 一体 どんな人生なのか? 間違っていない 正しい人生とは 何か?
このことを、このブログで 私は 明らかとしようとしているのです。
しかし、この項でのコメントは これくらいにしておきます。
合掌
2008/2/14(木) 午前 0:52 [ kyomutekisonzairon ]
saidakyokoさんへ。 お返事が 遅くなりました。
「 永訣の詩 」ですか? 私は これを知らなかったので、調べてみました。
永訣の朝
けふのうちに
とほくへいつてしまふ わたくしのいもうとよ
みぞれがふつて おもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)*
うすあかく いつそう陰惨(いんざん)な雲から
みぞれは びちよびちよふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜(じゆんさい)のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に
おまへがたべる あめゆきをとらうとして
わたくしは まがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゆとてちてけんじや)
(続)
2008/2/16(土) 午後 6:40 [ kyomutekisonzairon ]
蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から
みぞれは びちよびちよ沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになつて
わたくしを いつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへは わたくしにたのんだのだ
ありがたう わたくしのけなげないもうとよ
わたくしも まつすぐにすすんでいくから
(あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへは わたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしくたまつてゐる
(続)
2008/2/16(土) 午後 6:43 [ kyomutekisonzairon ]
わたくしは そのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系(にさうけい)をたもち
すきとほる つめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしの やさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちが いつしよにそだつてきたあひだ
みなれた ちやわんのこの藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)*
ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ
ああ あのとざされた病室の
くらい びやうぶ や かやのなかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげないもうとよ
この雪は どこをえらばうにも
あんまり どこもまつしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて*
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
(続)
2008/2/16(土) 午後 6:45 [ kyomutekisonzairon ]
おまへがたべる この ふたわんのゆきに
わたくしは いま こころからいのる
どうか これが 天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに 聖い資糧をもたらすやうに
わたくしの すべてのさいはひ をかけてねがふ
<1922 11・27>
無声慟哭
こんなに みんなに みまもられながら
おまへは まだ ここで くるしまなければならないか
ああ 巨きな信のちからから ことさらにはなれ
また 純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ
わたくしが 青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまへは じぶんにさだめられたみちを
ひとり さびしく 往かうとするか
(続)
2008/2/16(土) 午後 6:49 [ kyomutekisonzairon ]
信仰を一つにする たつたひとりの みちづれのわたくしが
あかるくつめたい精進のみちから かなしくつかれてゐて
毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
おまへは ひとり どこへ行かうとするのだ
( おら おかないふうしてらべ )*
何といふ あきらめたやうな悲痛な わらひやうをしながら
また わたくしの どんな ちひさな表情も
けつして見遁さないやうにしながら
おまへは けなげに母に訊(き)くのだ
( うんにや ずゐぶん立派だぢやい
けふはほんとに立派だぢやい )
ほんたうにさうだ
髪だつて いつそう くろいし
まるで こどもの苹果の頬だ
どうか きれいな頬をして
あたらしく天にうまれてくれ
( それでも からだくさえがべ? )*
うんにや いつかう
(続)
2008/2/16(土) 午後 6:55 [ kyomutekisonzairon ]
ほんたうに そんなことはない
かへつて ここは なつの のはらの
ちひさな 白い花の匂で いつぱいだから
ただ わたくしは それを いま言へないのだ
( わたくしは 修羅をあるいてゐるのだから )
わたくしの かなしさうな眼をしてゐるのは
わたくしの ふたつのこころを みつめてゐるためだ
ああそんなに
かなしく眼をそらしてはいけない
<1922 11・27>
註
*あめゆきとつてきてください
*あたしはあたしでひとりいきます
*またひとにうまれてくるときは
こんなにじぶんのことばかりで
くるしまないやうにうまれてきます
*ああいい さつぱりした
まるではやしのなかにきたやうだ
*あたしこはいふうをしてるでせう
*それでもわるいにほひでせう
2008/2/16(土) 午後 6:59 [ kyomutekisonzairon ]
とし子を思う詩は、年を経て まだまだ続きますね。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html
宮沢賢治(1896- 1933)は、弟に 清六(1904 - 2001)、妹にトシ(1898 -1922)、
シゲ(1901-1987)、クニ(1907 - 1981)がいました。
【 賢治の年譜 】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB
いろいろと考えさせられます。 ご紹介 有難うございました。
合掌
2008/2/16(土) 午後 7:23 [ kyomutekisonzairon ]
宮沢賢治も妹萌えだったんだな
2008/2/17(日) 午前 7:36 [ 超仏陀 ]
kyomutekiさんは、仏教徒でいらっしゃいますか?
・・ということは、生まれ変わりを信じていらっしゃるのでは?
2009/3/10(火) 午後 8:06 [ カール(カヲル32) ]
KAORUさんへ。 私は 仏法を学んでいます。
「生まれ変わり」 とは、よく言われる 前世や来世のことでしょうか?
死んで後、他の動物や 富者や貧者に生まれ変わるという インドの土俗信仰を
言われているのなら、私は そういうことは信じていません。
しかし、<この世>や その延長である<あの世>ではなく、そういう世界を越えて
次元の異なった世界(<浄土>)には、この世を捨てて「生まれ変わ」りたい
と考えています。 合掌
2009/3/11(水) 午前 1:52 [ kyomutekisonzairon ]
ええと、現在人気があるのは、他の動物に生まれ変わるというインド式ではなく、
人間は人間に生まれ変わるという説だと思いますけど。
↑この・・現在人気がある説は、お信じになりますか?
2009/3/12(木) 午前 1:35 [ カール(カヲル32) ]
「 現在人気がある説 」とは、どんな説のことですか? 合掌
2009/3/12(木) 午前 2:25 [ kyomutekisonzairon ]
私は「大きな本屋」に行くのが好きなんですね。東京で一番か二番くらいに大きな本屋に行くのが好きです。
そういう本屋で「精神世界コーナー」などで立ち読みなどされると実感されると思いますが、「生まれ変わり」、それも人間から人間に何度も生まれ変わるのが基本であるという考え方は、信者が増えているのは間違いないようです。
2009/3/13(金) 午後 7:34 [ カール(カヲル32) ]
若い人の間で、スピリチュアリズムが大変に流行しています。
スピリチュアリズムの考え方の基本となっているようです。
2009/3/13(金) 午後 7:36 [ カール(カヲル32) ]
KAORUさんへ。 そうですか、私は 最近 本屋さんには ご無沙汰しております。
田舎に住んでいますので、本屋さんに行っても 最近はマンガ本のコーナーなど
で 埋まっていて、ずっと足が遠のいています。
そうですか、スピリチュアルが 流行っているんですか?
「人間から人間への生まれ変わり」を信じている人が増えているのですか?
なるほど、ブログでも 何かそういったことを言う人を よく見かけますね。
でも 思うに、「人間から人間への生まれ変わり」ということを信ずるというのは、
「生まれ変わり」ということがあったとした場合、何か 都合の良い話ですね。
人間さまは、生き物の中で 今日 繁栄を極めていて、他の生き物の上に君臨して
いますが、死んで後までも この地位を保持しようなんて・・・!
牛や馬や豚や鶏に対する 人間さまの過酷なまでの仕打ちを、生まれ変わったきた
ときは、例えば 豚や鶏になって受けたくはないですからね。(続)
2009/3/14(土) 午前 0:38 [ kyomutekisonzairon ]
因果応報ということがあり得るなら、人間が この世で 彼らに強いてきたことの
報いは、当然に 次に生まれた時には、彼らの身となって受けねばならないでしょう。
我々人間が、他の生き物に対して為していることは、ただに家畜だけではなく、
ウイルスから 魚や昆虫や猿に至るまで、なかなか凄いものがあります。
したがって、私は 「生まれ変わり」ということを信じませんが、
もし これがあると仮定した場合は、
やはり インドの土俗信仰にように、他の生き物にも 生まれ変わるというのが、
道理に合っているように思われます。 合掌
2009/3/14(土) 午前 0:39 [ kyomutekisonzairon ]