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( テレビで、1944年 10月に始ったレイテ島の戦い を見て ) あぁ、 私の言動や 情けない! 私は、 自覚・覚他・覚行窮満(カクギョウ・グウマン)の仏ではない ということを、 しみじみと思う。 〜〜〜〜 〜〜〜〜〜 〜〜〜〜 まだ、 事が 進展していない 昭和2年(1927)に、先師は 「 私は、今 愛媛県宇和島市に 講演に行くために、汽船・宇和島丸に乗っている。 宇和島丸は、佐多岬を迂回して 八幡浜に向って 走っている。 静かな春の海、 彼女は 今 赫灼と燃ゆる夕日をあびて、薄紫に黄昏てゆく。 ただ 一人、 甲板に立つ。 遙か彼方の 水平線上、 そこに 九州の山々が 霞の中に消える。 久原精錬所の大煙突が 煙を流しつつ、マッチの軸ほどに見える。 太陽は 今 紫金色に燃えつつ、悠々と かの故郷へと帰ってゆく。 あぁ、 その荘厳! この大芸術! この大自然! この大自然の前に、 一点の穢れなし。 真紅に燃える 一大円鏡は、今 大地のはてに 入らんとする。 彼は 紫金色のベールに覆われている。 彼の周りには、 黄金色 橙色 紫色 紅色に輝く雲が浮かんで 動かぬ。 容赦もなく 太陽は、 刻一刻 この大荘厳の中に 沈んでいく。 一分、二分、・・・、八分、九分、 あぁ ついに 彼は九州の彼方に没す。 その刹那、偉人聖者の 大往生をおもう。 暮れゆく 西の彼方を 眺めつつ 佇む 数分間。 ただ、 そこに存在する者は、 天地と我と あるのみ。 大自然の中に立った時だけ、 我は ただ 一人の人間である。 そこに、善悪もなく 正邪もなく、争闘もない。 ・・・・・ 」 と書いている。 〜〜〜〜 〜〜〜〜 国家は、人から その人格or倫理性を 剥奪して、 機械の部品と為す。 人は、 国家によって 囲い込まれて 家畜となり、 その外に逃れて 生きるということはできない。 生々流転の只中で、 いつ 国は このような 野蛮な国家となったのであろうか? 人類は、 いつ このような存在を許すようになったのであろうか? あぁ、欲望の渦よ! 我らが煩悩の大海よ! なむあみだぶつ 「 誰も 彼も、 人間の苦悩を背負って、灰色の世界に泣いている。 苦悩に当面したときほど、人間であることを知る時はない。 そうだ。 みな 人間なのだ。 苦しんでいる人間なのだ。 ・・・・・ 私は、いま 悲しい 一個の人間です。 一切の 非難にも 攻撃にも 相当する 小さな一個の凡夫です。 」(同上) その 輝く鋼の装甲を取れ! 長年 大切に着けてきた 自己中心の装甲を! 「 苦しみ 悩む人たちは、あなたから 去っていきます。 彼らは、 あなたに 用事はないのです。 あまりに 多くの友だちが 泣いているのを 知らされます。 」(同上) 私は、 何を拘(コダワ)っているのか?! 自分だけは、 悪い境遇(悪趣)に 縁なき者として・・・。 この我愛の心が、 事実において 否定されてはいても、 なおさら これに しがみ付いている。 「 おぉ、 苦悩のどよめきが、 地の底から聞こえる。 そうして、 私たちは それと 切っても切れぬ業に つながる 」(同上) 〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜 そして、これを書いて 18年後の夏 (まだ レイテでの陰惨な戦いはつづいていた)、 上空で炸裂した 新型爆弾によって、 一瞬のうちに 紅蓮の炎に包まれて 壊滅した ヒロシマの街に、 彼は 居た。 なむあみだぶつ 合掌 |
地獄とは何か?
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原爆で家が燃えたとなれば、やはり原子線の影響もうけられたのでしょうね。合掌。
2008/8/24(日) 午前 10:39
家屋は 熱線で火がつき、爆風で倒壊したんですね。火は すぐ消したようです。
彼の所に世話になっていた 広島師範学校の学生たちは、広島逓信局に申し出て
ハガキ5万枚を寄付され、近郊町村や市内各所の罹災者収容所などを回って、
罹災者の身元を調べ、名簿を作り、それを親類縁者に通知するという仕事を
発案し実行しました。 で、一週間目ぐらいから この効果が現れ、尋ね人の安否
・発見が容易になり、収容所から引き取られていく人の数も増したということです。
しかし、彼らは 残留放射線のど真ん中で 炎天下、市内を歩き回ったため、8/20
を過ぎると、髪の毛がぬけたり 血便が出始めるものも出だし、22日には 開散。
25日までには、全員を帰郷させたということです。
そして、市内で火葬された死亡者の名簿を整理して 市役所に提出したそうです。
(先師は、この活動には 直接 関わってはいません。みな 学生たちの自主的な
活動でした。)
(続)
2008/8/24(日) 午後 5:44 [ kyomutekisonzairon ]
放射能の影響は、彼にどれほどあったのか、よく分りませんが、上の活動の中心に
なった人は、化学の先生だったため 学校に保存されていた大量のアルコールを
調合して 毎夜飲んでいたそうです。(この人は ノンベイでした)
このためかどうか、この人は 80歳近くまで 存命でした。
(アルコールは ストロンチュームが骨に溜まるのを排除します。)
合掌
2008/8/24(日) 午後 5:48 [ kyomutekisonzairon ]
「生々流転の只中で、いつ 国は このような 野蛮な国家となったのであろうか」
人間はその中に生きる家畜にしか過ぎないというという認識はまさしくおっしゃるとおりだと思います。
なれば、その家畜たることを認識している我々は何のために念仏を唱えるのか?何故なんでしょうか?私はそのあたりを知りたく思います。虚無様ならばその意味を知っているのかもしれないと期待しつつ・・・。
2008/8/24(日) 午後 6:20
「田村」さんへ。こんばんわ。お久しぶりですね。前と違って 子供さんとの時
をもてるようになられたんですね。ありがたいことです。
その意味があるのか ないのか 分らないような仕事に、朝から晩まで 家畜の
ように使役され、その精魂を使い果たすことを求められるのが、今日の労働ですね。
この家畜は、食うこと と 住む所 を カネに雁字搦めにされ、家族は その名
と生年月日を登録して 持つことを保証されています。今日 税金を払わずには、
外を 少しも動くことはできません。
一挙手一投足に 法律やカネの網がかかっており、普段は 空気のように
それを余り感じませんが、一旦 何か起ると 自分が そうした法律の牢獄にある
ことを痛切に知ることになります。
今日 一人前の大人になるとは聞こえは良いが、その実態は このような家畜に
なって、野生の逸脱行為をしないように 何から何まで馴致されることですね。
( つづき は、また 明日にします )
合掌
2008/8/25(月) 午前 1:07 [ kyomutekisonzairon ]
こういうのを、昔から「世間」と言ってきました。今日では、「世間」と「社会」
は分けて使われるようですが、これは この「社会」というものを聖化(?)する
意図があるように思います。「市民社会」とかと、これは 我々の理想とすべきもの
といったニュアンスをもって使われたりします。
我々が 主体的に作り上げていくものを、「世間」とは言わず、「社会」と言って
いるようです。
しかし 仏教は、この「社会」も「世間」と見ますね。
我々は、社会で 主体的に動いている間は、法律やカネやを利用し手段として、
自己の思いを達成しようとし、そこに抵抗は感じても、束縛を感じませんが、
それは、私が 外に向って働き出ようとする限りでしょうね。 一旦、そうした場
から下りて受身になると、忽ち 社会は 意に反して 私を引きずり回し、束縛する
ものとなります。 本当は、前から 束縛されていたのですが、動き回っていた時は
それが自覚できないのですね。(続)
2008/8/25(月) 午前 9:34 [ kyomutekisonzairon ]
今日の「社会」というのは、我々の「家畜」のごとき実態を覆い、人を馴致して
状況を抵抗なく受け入れさせるための耳触りのよい言葉ですね。家畜では 我々は
元気がでませんからね。
即ち、近代の社会は 人を家畜化して、元気に働かせるために、こうした幻想を
作り上げてきたのですね。民主主義とか 人権とか 科学・技術とか・・・。
その働くのは 何のためか? そこに 様々な幻想というニンジンを掲げて・・・。
それは、結局 金融・産業・市場といった経済のために 貢献しているだけ
なのですが・・・。
そのニンジンに釣られるのは、我々の欲望ですね。様々な欲望です。すなわち、
この欲望が、民主主義とか人権とか科学技術とか国民国家とか といった西欧産
の幻想に釣られて 経済に寄与している現実を、勿体ぶって 「社会」とか
「ビジネス」とかという・・・・。 実際は その欲望と幻想によって「家畜化」され
「奴隷化」されているのですが・・・。(続)
2008/8/25(月) 午前 10:13 [ kyomutekisonzairon ]
で、家畜とか奴隷とかは、その ただただ 自己の生き物としての基本的な欲望
と 奴隷の場合は幻想以外は 許されません。この欲望と幻想によって、彼らは 家畜であり奴隷でありえるわけです。
この欲望と幻想の世界を、仏教では 「 世間 」と言います。
西欧近代は、神の支配と王の支配を脱して、自由と平等と そして 人間の尊厳を
求めて、社会革命をすることで 始まりました。
しかし、その結果は 今日の上に述べたような状況です。再び、自由と平等 及び
人間の尊厳は剥奪され、逆に 変革以前の 或はそれ以上の家畜化・奴隷化です。
彼らは、「社会or国家」に 理想・救いを見出そうとしましたが、これは失敗でした。
これは、欲望と幻想の世界だったからです。自由と平等 及び人間の尊厳は、この
世界 即ち「 世間 」には、ついに 我々は見出せません。(続)
2008/8/25(月) 午前 10:26 [ kyomutekisonzairon ]
したがって、我々の 心の底からの願いである「自由」と「平等」と「博愛」及び
「人間の尊厳」は、ついに 我々は 幻滅し 絶望しなくてはならないのか?
こういう問いを、20Cの凄まじい歴史を経験してきた 我々は 真剣に 自らに
負わなくてはならないでしょう。
で、この解決のヒントは、すでに 上に述べた文の中に見出せます。
すなわち、こうした状況(家畜化・奴隷化)を 我々にもたらしている原因は、
「欲望」と「幻想」にあるわけでしょう。 従って、これを何とかしなくては、
自らの家畜・奴隷の状況を解決できない!
自らの 「欲望」と「幻想」から 自由になること。
経済活動や社会活動の自由・封建遺制からの自由ではなく、自らの「欲望・幻想」に
引きずり回されるのではなく、
私自身の 「欲望」自体から自由になり、「幻想」を打ち砕くこと。
――― これが、「 念仏 」なんですね。
合掌
2008/8/25(月) 午前 10:48 [ kyomutekisonzairon ]
熱のこもったコメント誠にありがとうございます。記事が2本ぐらい書けそうな労力を割いていただき恐縮します。
拝見しておりますが、これだけのコメントをいただいたものですから、こちらとしてもしかるべき気合でご返信を差し上げたいと思います。
つい性急になみあみだぶつとは何ぞやって聞いてしまった、現代人そのものの俗性を恥じ入っている次第です。
2008/8/25(月) 午後 10:39
久しぶりにコメントをします。此処は読みながら私の哲学が共鳴をしまして!!!自己の外の世界<精神の世界>から見る所謂<洗脳を受けて欲望を植えつけられて>ひた走り<餌を求めて労働者に進んでなり物欲を追い求めて欲望に支配をされるか??>あらゆる欲望を自分が完全に支配を出来るか?出来ないか?自制心を備える事を認識が出来るか?欲望の奴隷として家畜の様にガムシャラに働くか?万事が自分の欲望を求める度合い次第で様々な生き様を、構築できます。物欲の奴隷に成る事も幸福の手段ですし?精神性を第一に質素に生きることもまた心の豊かな人生観を自覚が出来れば此れもまた幸福だしと!最後に選択をするのは各自の判断でありますしねと、私見を述べました。なかなか上に書いてある様な資本主義の世の中の表現が愉快でした。傑作に押しますね。
2008/8/26(火) 午前 4:02 [ - ]
「田村」さんへ。 そう、予期せぬ長さになりました。
また、話し出したら止まらない変なクセが出てしまいました。
「 こちらとしてもしかるべき気合でご返信 」とは、この話題で記事を書いて
頂くということでしょうか?
う〜ん、それにしても、私は現代人ではないような 鎌倉時代人か何かのような
仰りようですね。 私も、時代についてイケナイ(?)生粋の現代人ですよ。
すなわち、「家畜」であり 「奴隷」の生活を送っている者なんです。
そして、この 情けない 哀れな境遇のなかで、野獣のごとく 自由を求めて
念仏もうしているんです。
合掌
2008/8/26(火) 午後 5:45 [ kyomutekisonzairon ]
「にんじん畑」さんへ。 共鳴していただきまして うれしいです。
「家畜」「奴隷」の表現ですね。この「家畜」といった表現は、すでに 19Cに
ドイツ人のニーチェという人が言っているんですね。まだ、この現代の経済が、
幼少年期だった頃です。 その後、彼は 西欧人に大きな影響を与えましたが、
この「家畜」という状況は 一向に改善せず、むしろ時代が下るとともに 激しさ
と 深さを増しています。
何故、自分の状況が認識(?)できていながら、こうなるのか?
――― 西欧文明は、これを解決できないわけです。
この文明において 人類の破滅さえ厭わないのが、 この文明に魅入られて
いる人々の特徴ですね。
これは、一人一人が この文明に魅入られて その「家畜」「奴隷」に落され
ているわけですから、まさに 仰るように 個人の心の問題なんですね。この文明
は、事を「社会」で 解決しようとしますから、「家畜」「奴隷」となる。
したがって、「 最後に選択をするのは 各自の判断 」とは、まさに至言ですね。
合掌
2008/8/26(火) 午後 6:16 [ kyomutekisonzairon ]
田村です。はい、記事にしたいと思います。
電車の中で読みたいので、虚無様のコメントを携帯のメールに転送して、それで電車の中で今日は読んでおりました。のですけど、考えがなかなかまとまらず、かなり考えをめぐらせないといけないなと思った次第です。
2008/8/27(水) 午前 0:42
「田村」さんへ。 そうですか! 私のコメントが、何か 考えるヒントになれば、
うれしいです。 記事、楽しみにしています。 合掌
2008/8/27(水) 午後 11:47 [ kyomutekisonzairon ]
ようやく記事ができました。よろしければご覧くださいませ。
2008/8/30(土) 午後 11:59
流石で御座いました。遠方に名古屋など関西圏を越えて、三泊四日のハードなスケジュウールでしたが!無事に帰還。からです。
2008/9/1(月) 午後 3:20 [ - ]
「にんじん畑」さんへ。 また ご出張でしたか! 東奔西走、お忙しそうですね。
お身体に気をつけられて 頑張ってください。 合掌
2008/9/1(月) 午後 11:03 [ kyomutekisonzairon ]
生を受けて時間が、同じ時間を過ごした観たいですね。
好きな人生を好きに気楽に愉快に楽しく面白く死が、いつ訪れても良いように、我が侭に少しは謙虚に生きています。お互いに人生を楽しく道のりを、過ごしましょうね!!!
2008/9/3(水) 午後 7:44 [ - ]
「にんじん畑」さんへ。 有難うございます。同年輩だったですね。
私は、このブログを見ていただけると お察しのように、さまざまな心労で、
なかなか 「気楽に 愉快に 楽しく 面白く」 という心境になれず、
日々 のた打ち回っています。
しかし、仰るように 「 死が いつ訪れてもよいように 」という覚悟は
忘れてはならないと、齢とともに 思います。
残された人生、どのくらいか分りませんが、「 楽しく 」生きていけるように
なりたいと、私も念願します。合掌
2008/9/3(水) 午後 10:44 [ kyomutekisonzairon ]