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★ 竹中彰元 ( 1867 〜 1945 ) 本年は、1937(昭和12)年7月の虚構橋事件を発端とした日中戦争が始って 70年に 当ります。 当時、上海から南京へと戦線が拡大し、日本国中が戦勝報道に沸き上がる最中、 「 戦争は最大の罪悪である 」と戦争の本質を見抜き、身をもって戦争に反対した僧侶が おられました。 岐阜県不破郡垂井町岩手の真宗夫谷沢明泉寺前住職(当時)竹中彰元師は、1937年9月15日 出征する軍人見送りのため 玉東駅に向かう途中、 「 戦争は悲惨な事だ、一体 戦争は罪悪である 」。 また、同年10月10日、組内寺院の年忌法要の席で、 「 徒に 彼我の生命を奪い、莫大な予算を費い人馬の命を奪うことは 大乗的な立場から 見ても宜(ヨロ)しくない。 自分は 侵略のように考える 」 と発言されました。 しかしながら、これらの言動により、同年10月26日に逮捕、陸軍刑法第99条の「造言飛語罪」 に当るとされ、 1938年4月27日、禁固4ヵ月執行猶予3年の有罪判決を受けられました。 宗派は、国家の処分に準じて、同年11月18日 竹中師を 軽停班3年及び布教使資格剥奪に 処したのでありました。 明泉寺のご門徒は、国家の処分に対して用意した『嘆願書』のなかで、 「 老師の一生は 法に活き 法のために活躍せられ 私ども凡夫を救うに法を以ってせられ、 老師の一生を通じての功業は 実に法に終始せらるるものと謂うべし。・‥ 非違なきに非逮あり とせんとするが如き輩あるが為に 老師の晩年を傷つくる如きは 仏も菩薩も許し玉はざる処にして‥・ 」 と述べられています。 このご門徒のお心にふれる時、竹中師の志願に耳を傾けることなく、非戦を唱え 教えに 生きんとした僧侶に対し 処分を下したこと自体が、宗派が犯した大きな過ちであります。 このことによって 師はもとより ご家族と明泉寺同行の皆様に苦痛と悲しみをもたらしました。 さらに 今日まで放置し続けてきたことを思いますと、まことに慙愧に堪えず、心より謝罪 いたします。 爾来70年、遅きに失したことでありますが、ここに宗派として 竹中彰元師に対する当時の 処分を取り消します。 そして 師の復権への取り組みを通して、師のように仏法をもって 社会に生きられた方々の志願を受け止め続けてまいります。 2011年の宗祖親鸞聖人 七百五十回御遠忌をお待ち受けする中で、あらためて 現代社会 における宗門存立の意義を問い、人類に捧げる僧俗たらんとして 信の回復という使命を願わざるをえません。 当時、社会に生きる人々に 非戦を語りかけられた 竹中形元帥の足跡を振り返り、師の 念仏者としての歩みを顕彰し、その時代を検証することをとおして、今を生きる私たち一人 ひとりの歩みを確かめる取り組みをすすめてまいります。 2007年 10月19目 真宗大谷派宗務総長 熊谷宗恵 << 竹中彰元 年譜 >> 1863 清沢満之(尾張藩士・徳永永則の子 〜1903)、尾張国名古屋に生れる 1867(慶応3) 10/29 竹中慈元(後 彰元に改名)、明泉寺に生れる ‘76(明9) 3/30 得度 ‘77 暁烏敏(〜1954)生れる(長男) (於 石川県石川郡出城村字北安田(現白山市北安田)真宗大谷派の明達寺 父・暁烏依念(えねん)は説教師として知られた人物) ‘85(明18) 2/23 父・元聞 没(彰元17歳) 5/14 明泉寺副住職となる /15 夏安居を聴講 以後9年、夏ごとに聴講 10/30 明泉寺の住職となる ‘87 清沢満之、東京大学文学部哲学科を首席で卒業 井上円了(1858〜1919)、哲学館(現・東洋大学)創設 〜 満之、評議員となり、心理学及び哲学史の講師となる ‘88(明21) 7月 満之、真宗大谷派の要請で、同派経営の京都府尋常中学校の校長就任 高倉大学寮に出講/やす子と結婚、愛知県碧南市の西方寺住職となる 11/11 妹多喜、長男界雄 出産、彰元の養子となる ‘91(明24) 10/1 哲学館 入学 ‘92 8月 満之、『宗教哲学骸骨』刊行 ( 翌年9月 シカゴ万国宗教大会で英訳され 評判を得る ) ‘93 敏、共立尋常中学校退学 〜 日本語を世界に広めれば良いと、英語の 試験をボイコットし落第 9月 京都の大谷尋常中学校に編入、満之に出会い、以降師事す ‘94(明27) 8/1 清国に宣戦布告 満之、肺結核 発病 ‘96 京都府愛宕郡白川村(現・京都市左京区)に移住 白川党の宗門改革運動を始め、今川覚神や稲葉昌丸らと 『教界時言』発刊 東本願寺における 近代的な教育制度・組織の確立を期し、種々の改革 を建議・推進し、しばしば当局者と対立、宗門から除名処分を受ける ‘96 敏、真宗大学本科入学 ‘97(明30) 敏、『歎異抄』に出会う /清沢の宗門革新運動に参加、退学になるも 翌年 復学 8/9 真宗大学専科卒業 ‘98(明31) 満之、除名を解かる 7/12 教導講習会甲部卒業 ‘99(明32) 9月 この頃より唯識三十述記を学ぶ。 他に漢籍塾・京都仏教会で学ぶ。 満之、東京本郷森川に私塾『浩々洞』を開き、多田鼎、佐々木月樵、 暁烏敏ら多くの真宗学者、仏教学者を輩出 1900 敏、真宗大学卒業、東本願寺留学生として東京外国語大学露語別科入学し、 二葉亭四迷に教わるが中退 9月 浩々洞に入洞<佐々木月樵、多田鼎と浩々洞三羽烏と呼ばる> ‘01 敏の発案で 浩々洞、『精神界』刊行 ‘02 敏、佐々木月樵の妹・山田房子と結婚 1903(明36) 敏、1月より『精神界』誌上で、『歎異抄を読む』を 8年間55回に亘り 連載し、世に 『歎異抄』 の存在を広める 6/6 満之、肺結核悪化し、西方寺で没 敏、浩々洞代表になる 6/15 武蔵国出張を命ぜらる(約3年間、浅草別院・横浜支院等で布教) ‘04(明37) 2/10 ロシアに宣戦布告 ‘05(明38) 4月 哲学館得業(卒業と同等資格) ‘06(明39) 7月 「夏の御文」拝読(竹鼻・難波・浅草別院) 本山の命により定例布教、前後18回・全国16か所 ‘13 敏、妻 房子と死別 ‘14(大3) 7/28 第一次世界大戦 勃発 敏、共立尋常中学校校長・今川覚神の長女 総子と再婚 ‘15 敏、浩々洞代表を辞し 自坊・明達寺に戻る 各地で講演を行い、そのカリスマ性により 多くの信者を獲得 < 敏、中外日報で、複雑な女性関係が問題視され「信界の強盗」 と、再三にわたり非難される > ‘16(大5) 8月 定例出張(和泉)、「夏の御文」拝読(堺) ‘17(大6) 12/22 彰元と改名(彰如上人より「彰」の字を頂く) ‘18(大7) 8/2 政府、シベリア出兵 宣言 ‘25(大14) 12/1 明泉寺住職 退職(58歳) ‘31(昭6) 9/18 満州事変 ‘37(昭12) 7/7 盧溝橋事件(日中戦争開始) 9/15 出征兵士見送りの際、村人に反戦の発言 10/10 村内の寺院で、近在の僧侶に反戦の発言 /26 逮捕さる(69歳) 11/13 起訴予審に付さる 12/13 陸軍刑法違反(「造言飛語罪」)で予審終結、岐阜地方裁判所公判へ 日本車、南京占領(南京大虐殺) ‘38(昭13) 3/12 岐阜地方裁判所で禁固4か月の判決、控訴 4/27 名古屋控訴院で禁固4月・執行猶予3年の判決 11/18 教団(大谷派)、軽停班3年の処分・布教使の資格剥奪 ‘40(昭15) 2/11 禁固4か月執行猶予3年を 禁固2か月20日執行猶予3年に軽減さる (紀元2600年記念恩赦) 5/18 教団(大谷派)の処分を解かる ‘41(昭16) 12/8 日米開戦 ‘45(昭20) 8/15 敗戦(終戦の詔勅) 10/21 没(77歳) |
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カスミンさんへ。? カスミンとは 霞さんのことでしょうか?
かっての「金田一ママ」さんとの対話・【 不殺生戒は、何故あるか? 】の コメント
を読んで下さっていたんですね。
http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/58153424.html の 9/28(日)
ここでは、微妙な言い方をしましたね。
「 私は、戦争がイケナイとは思わないんですね。 」と。
「 殺生 」は、仏教では 十悪の一と考えるんですね。ただ、我々が生きるにおいて、
殺生始め十の悪を、してはイケナイと禁止するということになると、
どうなるでしょうか? 我々は 一日と生きていけなくなるという存在でしょう。
即ち、それが罪悪だということと、それを禁止すべきだ ということとは違うんだ
ということを言いたかったのです。
この 「違い」 から展開する世界に、我々は 生きていくべきだろうと・・・。
(続)
2008/10/13(月) 午前 10:45 [ kyomutekisonzairon ]
この竹中彰元という方は、その置かれた環境で 真摯に仏法を生きようとして、
こうしたことを言われたのでしょうね。 ただ純粋に仏教上の信念から出た言葉が
政治性をもつ時代でした。
そして、本願寺は 自分のほうから その宗教性を晦ましてまで、政治性に 身を
摺り寄せました。しかも、当人たちは、宗教性を晦ましているという自覚が 極めて
希薄でした。否、それが 彼らの問題意識に上らなかったほどです。
浄土真宗にとって、真の危機は、本願寺宗徒が 戦争に前のめりに加担したこと
にあるのではないでしょう。そうではなく、彼らの宗教的誠実さを蔑ろにした
処にあるでしょう。何故、彼らが それに依っている親鸞の教えを、それほどの
深刻な葛藤もなく 改竄し捏造することができたのか?
しかも、第一級の念仏者が それをよく為しえたのか?
というところにあります。
(続)
2008/10/13(月) 午前 10:57 [ kyomutekisonzairon ]
そして、敗戦後の今日においても、この竹中彰元という方を顕彰しようという本願寺
は、又しても 自らの宗教的誠実さを、戦後思潮(平和と人権)に 前のめりに身を
摺り寄せることだと勘違いしています。
この本願寺の人々の挙は、戦前の本願寺のあり方とどこが違うのか?!
時代と迎合するサガは、江戸時代以来 戦前戦後を通じて 何にも変っていません。
むしろ、その宗教性において、戦後の宗徒の方が、戦争に加担はしていない(?)
けれども、格段に劣化しているのは、どうしたことでしょうか?!
彼らが唱える 平和と人権は、一体 仏教の or 親鸞の思想のどこから出るのか、
私は はっきりと聞いたことがありません。
こうしたことは、他人事ではありません。まさに 私自身の問題なのです。
合掌
2008/10/13(月) 午前 11:22 [ kyomutekisonzairon ]
「呼吸」さんへ。多勢に逆らって 自分が正しいと思いことを言ったり 為したり
することは難しいでしょうね。当時のように 国家的な危機に遭遇して、社会が
硬直化し非寛容になっている時代には、特に 大変でしょう。
今日のように 戦争などない時でも、多くの人の意見と違うことを言ったり、世間
に逆らった行動をとることは 我々は 大変なことですね。
そもそも、周りの人々と違うことを考える自体、自分の方が間違っているのでは?
ということになりかねません。こういう事態を乗り越えて 私の考えの正しさを
確信しても、わが身の保身や周りの人々への配慮を考えれば、なかなか正直に
物が言えず、周りと一緒に 自分ではヨクナイと思っている事をやっていきます。
いわゆる ‘空気を読んで’ やっています。
我々の日常の仕事というのは、大抵 こんな中で やっているものでしょう。
道理や正しさが 自他共に通らないのが、この娑婆・世間というものでしょうね。
(続)
2008/10/13(月) 午後 3:28 [ kyomutekisonzairon ]
私自身が、日頃 思うべきことを思わず、言うべきことを言わず、為すべきことを
為さないで、そうではないことばかりで 日を送っていますからね。
竹中彰元という人が、今日 意義を持つのは、本願寺教団の 或は 日本国の運命に
深く関る発言を、身を賭してしていたからでしょうね。
しかし、また 暁烏敏にしても、彼は 彼なりの信念(それが 親鸞の信と同質な
ものかどうかは 置いておいて)で、やっていたことも 確かです。
いづれにしても、日常の生活における 私の非宗教的・世俗的なあり方が問題と
なってこないことには、一方を称賛し 他方を非難することは、その政治性と
イデオロギー性を免れないでしょうね。
(平和や戦争責任という概念に纏わり着いている政治性・イデオロギー性を払拭
しなくては、それらは 仏教にはならないでしょう)
本来、これを求道or修道と言ってきたわけなんですが・・・。合掌
2008/10/13(月) 午後 3:49 [ kyomutekisonzairon ]
(追って)
こうした人を本願寺教団が顕彰するというのは、どうも 時勢における 教団の
存在理由のアリバイを かの人をダシに証明しようとしているようで、見ていて
痛々しく 余り愉快ではありませんでした。
このことが、日々の厳しい聞法・精進を 棚に上げての、かの教団及び教団人の
政治的な自己正当化の具に堕っせず、また欧米産の思想を その言動の甲羅に
まとうというテイタラクから脱却して、本来の仏法によって 自己及び自らの
教団批判を朗々と為して欲しいものだと 思いました。
法然上人は、「 念仏には 助(す)けをささぬなり 」と言っています。
これが、真宗念仏でしょう。欧米産の平和とか人権とかの助がなくては、浄土真宗
は立たないのではないのですが・・・。
まして、天皇を 助けにした戦前の念仏者は、心得違いも甚だしいわけですが。
我々は、こうした基本に立ち返るべく、まづ 努力すべきものだと考えています。
その後に、私が敵前逃亡のようなことをしても、それはその時だと思います。
合掌
2008/10/13(月) 午後 4:41 [ kyomutekisonzairon ]
住岡夜晃は戦争に賛成していたんですね。
虚無さんは竹中彰元を素直に受け入れられないのでしょう。
2008/10/18(土) 午後 6:29 [ ざっくり ]
「ざっくり」さんへ。 こんばんわ。
先師・住岡夜晃は、戦争に賛成していました。又、人々に戦争に参加すること
を勧めました。
私は、かの 竹中彰元という方の言動を 支持いたします。
しかし、本願寺が 彼の顕彰をする意図には、率直になりえません。
何故なら、< 戦争に反対だったから、彼を復権・顕彰する >という思想に
不同意だからです。
ならば、私は 戦争讃美者か? というと、そうではありません。
問題は、本願寺が 非戦を唱える行為が、真宗念仏のどこから出ているのか を
彼らは明確に言えないからです。
当時の国家体制に、自らの信仰を曲げてまで 無節操に 身を摺り寄せたと
同じことを、戦後は また新たな国家体制と戦後の思潮に対して為している
と、私は見ているのです。 合掌
2008/10/19(日) 午前 0:50 [ kyomutekisonzairon ]
竹中彰元
住岡夜晃
瀬戸内寂静
苗字はそのまんまで、名前だけかっこつけるのが
日本人仏教の伝統すか?なんか恥ずかしいですねww
麻原影晃みたい
竹中彰元
麻原影晃
住岡夜晃
そっくり
ちみも「武田虚無」とかそういう名前なわけですか?
笑えるwww
2008/10/19(日) 午後 8:28 [ マリー ]
マリーさんへ。 お久しぶりです。 「宿業」という題においての、私の問いに
少し お答え頂いたんですね。 ありがとうございます。
http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/58153424.html
で、またまた よく分らないのですが、
「苗字はそのまんまで、名前だけかっこつけるのが 日本人仏教の伝統すか?
なんか恥ずかしいですね。」と言われています。
かっこつけているか否かは、直接 本人の意を聞いてみなくてはなりませんね。
その上で判断されたら良いと思います。
私が よく分らないのは、こうした伝統を 何で「 恥ずかしい 」と思われるか?
ですね。 何で そう思われるか、興味深々です。
おっと! 「 武田虚無 」云々。 そう、いろいろ想像するのは、我々は 実に
面白いですね。しかも、それを「 笑える 」と吐露されていられる。幸せな人です。
合掌
2008/10/20(月) 午後 4:11 [ kyomutekisonzairon ]
竹中僧侶の名誉回復をしているようですが、
竹中僧侶を処分した僧侶の処分はしたのでしょうか。
一殺多生を唱えた僧侶の処分はしたのでしょうか。
2008/12/21(日) 午後 6:57 [ dhamma ]
dhammaさんへ。 竹中師を処分したのは、本願寺教団自体ですから、処分というより
面目丸つぶれでしょうね。
この教団の行為を処分するものは、この地上には 誰もおりません。
彼の名誉回復(<処分取り消し> と <復権>)は、宗務総長さんは、
「 宗派が犯した大きな過ち 」だと述べ、家族と明泉寺同朋の人たちに対して
「 今日まで放置し続けてきたこと 」を、「 慙愧に堪えず 」、「 謝罪 」しましたが、
これは、明泉寺においての会ですから、一見 当然の挨拶のようですが、
もはや、この宗務総長さんの言自体が 奇妙な錯誤だと感じます。
この宗派が、自己の過ちを表明せねばならない 第一の人は、竹中師やご家族
でも その同朋でもありませんね。
この会は、弥陀像or名号も宗祖の絵の前でなされたでしょうが、その表白文には
この肝腎なところが、不明瞭です。
宗祖親鸞と弥陀に対して、まづ 宗派の過ちを表明せねばなりませんでしたね。
「 慙愧 」は、まづ 親鸞および弥陀に対してであったはずです。(続)
2008/12/22(月) 午前 0:23 [ kyomutekisonzairon ]
しかし、これを 恐らく 敢えて言わなかったのでしょう。或は 言えなかった!
そして、言いやすい 師やご家族及びその同朋に向けてのみ 謝罪されました。
何故か? この宗派は 少しも戦前と体質を変え得ていないからです。
そのことを、宗務総長さんは 正直に
「 師の復権への取り組みを通して、師のように仏法をもって
社会に生きられた方々の志願を受け止め続けてまいります。」「 現代社会
における宗門存立の意義を問い、人類に捧げる僧俗たらんとして 信の回復という
使命を願わざるをえません。 」
と、未来に課題を 巧みに先延べしているのです。
さらに、この名誉回復は、戦前 国家の思想に身を摺り寄せて 師を処分したように、
戦後の今日の思潮<戦争は罪悪だ>に「準じた」行為でもあります。
すなわち、これは 純粋な宗教的行為ではなく、一つの政治的行為でしょう。
(続)
2008/12/22(月) 午前 0:52 [ kyomutekisonzairon ]
もっとも、こう言うからといって、私は 軍隊をもち軍備を増強することを
是としている者ではありません。
戦争が罪悪なのではなく、戦争せざるを得なくするモノが罪悪なのでしょう。
戦後の思潮(平和主義)は これに触れようとしません。合掌
2008/12/22(月) 午前 0:54 [ kyomutekisonzairon ]
戦争は罪悪でないのですか。
戦争の本質は、相手を絶対的な悪とみなし、自らを絶対的な正義とする、二項対立的な考え=大義名分に立った、殺し合いでないのですか。
戦争が罪悪でないなら、殺人も罪悪でなく、殺人せざるを得なくするものが罪悪であるということにならないのですか。
事後的に殺人せざるを得なかったもっともらしい理由をつければ、殺人も正当化され得るということを言いたいのであれば、疑問です。
2009/1/25(日) 午前 1:32 [ joshiki ]
joshikiさんへ。はじめまして。コメント、有難うございます。
「 戦争の本質 」ですか? そうですね。これは 殺し合いですね。集団or国家どうし
の殺し合いですね。
で、戦争の本質は、この殺し合いの勝者は 正義を得、敗者は 不正義を得ること
ですね。だから 戦争をします。戦争で 勝利しなくては、前もって唱えていた正義
は信頼できませんね。 これが 今日の常識でしょうね。
しかし 敢えて、この集団での殺し合いを為した以上は 罪悪だというのは、
その集団の罪悪なのか、それとも徴兵拒否をせず参加した者が罪悪なのか、どちら
なんでしょうか?
又、単に 正義のプロバガンダだけで、集団は それ自体も傷つく戦争を始めるもの
でしょうか? 私は 人間は、そんなに単純なものとは思えませんね。
戦争をするのは、それなりの正義以外の理由があると考えています。戦争開始の際
の正義は 付けたりに過ぎないでしょう。 プロバガンダは まず恐怖を煽りますね。
(続)
2009/1/25(日) 午後 1:01 [ kyomutekisonzairon ]
そして、戦争してもヤムナシとなった所で、戦争遂行の正義を唱えるでしょう。
しかし、誰が それ(プロバガンダ)をするんでしょうね?
今日の戦争においては、これが問題じゃないでしょうか? 正義は、その集団の行為
を正当化するために唱えるのですから・・・。
すなわち、罪悪は 戦争をする前に すでに あるんじゃないですか?
人間我々の罪悪というものを、戦争に限って「 最大の罪悪だ 」と言うところに、
私は 違和感を感じます。
未だかって、このような極論を言う「仏教者」は居なかったはずです。
今日、‘戦争をしてはならない’という前に、何故 声を大にして 戦争の為に
「科学・技術」を使用してはならないとは言わないんでしょうね? これがために
戦争行為は 極めて非倫理的で悲惨なことになっていますね。
いやしくも戦争をするなら、機械や科学に頼らず、自分の身体を 敵の刃に晒して
為すべきでしょう。卑怯な戦争は すべきではありません。合掌
2009/1/25(日) 午後 1:27 [ kyomutekisonzairon ]
(追って)
戦後、核戦争の危機が深まった時、核兵器の原理を発明・開発した科学者たちは、
共同して 核兵器開発を止めるように、核を戦争に使用しないように訴えました。
しかし、彼らは 自己の産み出したものが 大変なものだという認識は持ちましたが、
これを産み出した 自己の行為については、その危機意識を持ちませんでした。
すなわち、科学・技術を廃棄しようとは 訴えませんでした。
他人の行為は 批判し、その行為の危険は見えるけれども、自己を批判したり、
その行為の危険性を見ることは、第一級の科学者さえできません!
アインシュタインは、戦前は 熱烈な平和主義者で 戦争反対論者でしたが、ナチス
台頭を前に 変節しました。第一次大戦時の毒ガス開発者は、化学者の良心にかけ
て 開発を拒否していましたが、国の危機に際して 毒ガス製造に着手しました。
私は、こういう事を見るにつけ、いわゆる平和主義を信じていません。
我々は、もっと深く 自己の 今日の生活自体を振り返ってみる必要がありはしないでしょうか?合掌
2009/1/25(日) 午後 1:51 [ kyomutekisonzairon ]
ある方より紹介を受けまして、貴ブログを読ませていただきました。『未完の戦時下抵抗』(田中伸尚 岩波書店)の読後感を竹中彰元氏を中心に記したことがご縁です。「戦争は罪悪である」もみました。柄にもなく高校で「倫理」を教えていますが、ホントにわからないことだらけで、勉強させていただきたいと思っております。
http://plaza.rakuten.co.jp/1492colon/「漫望のなんでもかんでも」という実に適当なブログであります。
よろしくお願いいたします。
2014/10/30(木) 午後 8:42 [ aka*ov3 ]
「まろ0301」さんへ。はじめまして。
貴ブログの記事、いくつか見せて頂きました。いろいろお勉強されている
ようで、たいへんありがたく思いました。
いろいろ 人間or人間社会は 複雑怪奇ですね。そんななかで「倫理」という
言葉があるわけですが、これは 英語のEthicsの翻訳語ですね。日本の伝統的
な言葉ではなく、明治期になって 西欧から舶来したものです。
我々日本人は、維新以来 この西欧的思考によって 人間と社会を考えてきた
わけで、その間 従来のものの考え方と舶来の考え方の間で 苦闘してきました。
そのため、我々は きわめて 雑多で曖昧な人間観や社会観をもつように
なっていますので、その生き方も 浅く曖昧なものとなっています。
だれもかれも そうですね。それゆえ、「まろ0301」さんのように 深く 物事
を考えていこうとする人たちが、今日 たいへん貴重だと思います。合掌
2014/10/31(金) 午前 9:17 [ kyomutekisonzairon ]