混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

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      感激は 花
        生活は 青葉
          念仏は 幹
            内観は 根
              信心は 生命



  *   *   *   *   *   *   *


老病死より外 何ものも持たないこの私と
永遠常住なる み仏と
一体になりきるのが、信の世界である。

それは、私がなるのではなく、
南無阿弥陀仏が 私になり切って下さるのである。
だから、手ばなしで 念仏申せるのである。


                   ――― 『病床述懐』(『難思録』所収)

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『手放しで念仏申せる』、母の後ろ姿への疑問や不思議を問う事は必要ないのですね。ただ、その姿をそのままに見させていただいていればいいのですね。と、今日のことばを読ませていただいて思います。

2008/11/28(金) 午後 9:02 [ 北山 滝 ]

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今、旅先にいて 十分にコメントできませんので、日曜の夜以降に ゆっくりと
お返事させていただきます。

それにしても、お母さんの回復力、すばらしいですね。 安心いたしました。
合掌

2008/11/28(金) 午後 10:07 [ kyomutekisonzairon ]

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言葉には出来ないのですが、

ニュアンスとして共感できるような気がしています。

なんまんだぶ

2008/11/29(土) 午後 11:52 [ aki*iro*a*i1*17 ]

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okukitayamaさんへ。こんばんわ。
ゲストブックのコメントにある
「 時々疑問にも、不思議にも、母の後ろ姿を眺め 」られるとのことは、
大切なことだと思います。
また、「 もしかしたら、私は今までの人生の中で一番充実して、学習をしている
のかもしれない 」と。 そして 「 何を学習しているのか?言葉では言え」ないが、
「 人としての 本当の全うな時間を生きている最中かもしれない 」
と思っておられること、共感いたします。

お母さんは、その後ろ姿で 恐らく 人間として生れた者の 包み隠さないあり様を、
見せてくださっているのでしょう。死を免れない我々の 死に直面した
一つのあり様をです。

もしかしたら お母さんこそ 「 手放しで 念仏申されている 」 のかも知れません。
もちろん、そうした意識は持っていらっしゃらないかもしれませんが、その後ろ姿
は、まさに そのように見えるのではないでしょうか?

そして、そう見えるとき
『 手放しで 念仏申せる 』 ということになるんではないでしょうか? (続)

2008/11/30(日) 午後 9:37 [ kyomutekisonzairon ]

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しかしながら、
お母さんを縁として 「 老病死より外 何ものも持たない この私 」という透徹した
認識を持ちえているか?
又、それと同時に 「 永遠常住なる み仏 」を、お母さんの背後に見ることが
できているか? という問いを、
お母さんご自身が わが娘に問うておられるのではないでしょうか?

我々は、日常意識を貫いた そういう 深い <いのち>の世界に 現に生きている
のではないでしょうか?
合掌

2008/11/30(日) 午後 9:49 [ kyomutekisonzairon ]

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その視点(?)こそが得難いものと分かっております。分かっていながら、というか、すぐそこ、目の前にあると思いつつも実感として我が心のうちに引き込めないのはどうしてでしょう、と、立ち止まっている怠惰な気持ちがある事を正直に言わねばなりません。人生とはの迷いは、何か?ではなく、もう分かっているのにそこへ踏み込めない意識の働きがあります。わざと立ち止まっている自分がおるような、そんな気持ちがあります。あるいは、これこそが「迷い」なのかもしれないと思う事も。

2008/12/2(火) 午後 4:22 [ 北山 滝 ]

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okukitayamaさんへ。こんばんわ。
「立ち止まっている怠惰な気持ちがある」・「わざと立ち止まっている自分がおる」
――― そうですね。こういう自分が 大きな顔で デンと居座っていますね。

大事な世界・清浄真実を なんとも思わない心が、私を動かしています。
自分に 何の問題もないと思う心が、私を占領しています。

こうした自分を何とかしようとしても、どうにもなりません。何とかしようとする心
も、すぐに 日常のなかに呑み込まれてしまいます。
実に不埒なことであり、よくよく考えると 尊い大事な世界に対して申し訳ない
ことですが・・・。

これが、私なんですね。 お粗末な私です。
こうした私を、「大いなるもの」(清浄真実・如来)の前に、
‘ これが 私です。なむあみだぶつ ’
と 念仏申していくことを、親鸞は 我々に勧めているんですね。
これが、私の生活の柱になることを、「 内観の一道、彼岸に通ず 」と、
先師は 教えてくれています。
合掌

2008/12/3(水) 午後 7:14 [ kyomutekisonzairon ]

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「メリー」さんへ。
コメントを頂きながら、随分経っての返事となります。 申し訳ありません。

どこがどうと ハッキリ言えないが、何となく「ニュアンスとして 共感できる」
というところが、良いですね。深く大きな言葉というものは、みな こんな感じを
我々に与えるものでしょうね。
すぐに、言っていることが分る言葉というものは、浅い言葉でしょう。

私の思いや考えを越えた言葉に、何遍も何遍も 触れてie.聞いていくことを
通して、我々は だんだんと 深い世界が分るようになるのでしょうね。
合掌

2008/12/3(水) 午後 7:29 [ kyomutekisonzairon ]

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仏を、人、社会と、読み替えれば 見えて来るものがありますね。

kyomutekisonzairon様 貴方様のお言葉、記事により
鬱々としていた弱気になった私の心を、前を向きになり
冷静な心で世の中の全体を見られる、力を頂いた気になりました。
ありがとうございました。

2008/12/4(木) 午前 10:47 suk**ukis*ript

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『内観の一道、彼岸に通ず』___
合掌。
いつもありがとうございます。

2008/12/4(木) 午後 6:22 [ 北山 滝 ]

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sukisukiscriptさんへ。 こんばんわ。
そうですか、よかったですね。 私も、うれしいです。

人や社会の背後に、仏を感ずることができれば よいですね。
ただし、人や社会は 「 永遠常住 」とはいきませんね。
これらは 老病死、即ち 「常なるもの」ではなく、生れて やがては崩壊し
消滅してしまう「 無常 」のものですね。

しかし、その人や社会に対して 全力で取り組んでいくもの、それが 仏のはたらき
でしょうね。 合掌

2008/12/4(木) 午後 10:01 [ kyomutekisonzairon ]


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