混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

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縄文人(1)

=== 縄文人(1) ===  
  縄文文化を保持していた集団に属する人々、
  縄文文化は 概ね現在の日本国の領域に重なって存在した為、これらの地域に居住
  した新石器時代人。 
    
    旧石器時代縄文時代の違いは、土器の出現竪穴住居貝塚の形式など。
    縄文時代の終りは、地域差が大きいが 定型的な水田耕作を特徴とする弥生文化
    登場を契機とする。

   * 明治から第二次大戦が終わる頃まで、縄文人は 日本民族によって 列島から駆逐
    されていった先住民と見られていた。
    こうした見方は 必然的に、古代から近世にかけて日本の支配する領域の北隣に居住
    していた異民族やアイヌを 縄文人の直接の末裔と見る説を生み出した。
    縄文人、蝦夷、アイヌを等号で結ぶ見方は、今日の学界では受け入れられていない。


 縄文早期前半 貝類を食糧資源・装飾品として採取(横須賀市夏島貝塚)。
縄文早期の半ばには、瀬戸内海沿岸や東北地方でも 貝塚が形成されるようになる。
当初は ヤマトシジミであったが、やがて カキやハイガイなどに その中心が移る。
   @ 馬渡(マワタリ)岩陰遺跡 (広島県東城町)
      帝釈川の支流・馬渡川の右岸の 切り立った狭い渓谷に立地
      約5mにわたり堆積した5土層のうち、第1と2層が 縄文前期、第3層が 縄文早期、
      第4層は 縄文草創期、そして 第5層は 旧石器時代。
       第5層:土器を伴わない、安山岩製の横剥ぎ剥片石器や更新世の絶滅動物である
          オオツノジカの骨類が出土し、約2万年前か?
       第4層: 縄文草創期の無文土器( 約12000年前 )にはススの付着が見られ、
          当初から煮沸用に使われていた。槍先形有茎尖頭器や石鏃なども出土。
       第3層: この層以降、カワシンジュガイ・カワニナ・シジミなど淡水産の食用貝類
          が出土。特に大型のカワシンジュガイが目立ち、煮沸道具としての土器の
          出現に呼応し、貝類の捕食が考えられる。
       第2層: この層以後、海産貝類(ハマグリ・ハイガイ・サルボウ・アワビ・マガキ)
          と貝輪など貝製品及び石鏃・凹石・磨石など石器類。
          貝輪は 淡水産のカワシンジュガイ製もあり、表面が良く研磨されている。
          石鏃は 香川県産サヌカイト製で、二等辺三角形・正三角形に近い形・
          両脚が尖る抉りの深いモノなど。
          縄文前期・早期層からは、石匙・石錘・打製石斧なども出土。


 また、腕輪やペンダントとして採取された貝類もある。特に目立つのがオオツタノハガイ。
 オオツタノハガイは 主に屋久島やトカラ列島に生息するが、特に 縄文後期・晩期に、
関東全域から 北は北海道の有珠10遺跡でも出土している。
これについて、オオツタノハガイが 南九州から運ばれたという説と、三宅島以南の伊豆諸島
にも生息域があったのではないかとの説が対立している。

  @ 出土した事例に見る限り、航海に用いたのは 一本の丸太を刳り抜いた丸木舟
   船体の断面は 関東地方出土の丸木舟を見る限り、半月型or三日月型で、弥生時代以降
   の凹型断面の丸木舟とは異なる。
   船体長は最大 残存長7〜8m、小さいものでは 4m以下のものも多数出土。
   材は アカマツ、クロマツ、カラマツ、カヤ、ケヤキ、ムクノキ、クスノキなど。

  @ 伊豆諸島産の黒曜石は、縄文時代やそれ以前に 東日本各地で使用されていた。
   関東地方の縄文人が、縄文早期中葉には 内海での漁労に加え、伊豆諸島など外海へも
   進出していた。
  @ 先史時代の日本列島住民が 伊豆諸島に進出したのは旧石器時代。
   縄文期の遺跡に限ると 最も早いもので 縄文早期の半ばのもの(伊豆大島下高洞遺跡、
   神津島せんき遺跡、三宅島の釜ノ尻遺跡など)
    縄文前期の末には黒潮の本流を越え、八丈島に進出 (倉輪遺跡からは関東、南東北、
   中部、関西地域の土器が発見されている)。

  @ 約7300年前、鬼界カルデラ の爆発で、九州南部の縄文早期文化が壊滅した後、
   縄文前期には 九州を中心として 轟(トドロキ)式土器が広く使用されるようになった。
   轟式土器は 九州周辺の他、種子島や屋久島、朝鮮半島南部にも分布しており、
   これらの島々・半島間を航行した縄文人集団が存在したことを伺わせる。

    轟式に続く 西九州地方一帯の 曽畑(ソバタ)式土器も、奄美大島の高又遺跡、沖縄
   の読谷村渡具知東原遺跡、朝鮮半島の慶尚南道・釜山市の東三洞貝塚などから発見。
     ――― 南朝鮮の櫛目文土器の影響
     @ 櫛目文土器: 北方ユーラシアにおける新石器時代を特徴づける土器。
      丸底、尖底の深鉢(フカバチ)を基本とし 櫛歯様施文具で各種の文様が施す。
      ボルガ川上流やその支流のオカ川流域に出現し、フィンランド、中央ロシア、
      シベリアに波及した。 シベリアでは エニセイ川流域のクラスノヤルスク、
      ミヌシンスク両地域に顕著で、アンガラ地方やバイカル湖にも達する。
      また、中国東北、朝鮮にも同種の土器があるが、シベリアのそれとの関係は不明。

   縄文人が黒潮本流を越えたのは、この曽畑式土器を持った集団による縄文前期の九州
   ・奄美大島間の航海が最も古く、
   関東における 三宅島・八丈島間の航海より 約800年 早いものとされる。



( 形質的な特徴 )
   身長は 成人男性で 平均150cm台後半、成人女性で 140cm台後半
   頭部は 身長に比して大きめで、顔の輪郭は 正方形に近い
   眉間が突き出している一方で 鼻の付け根が引っ込んでおり、「彫りが深い」顔立ち
   眉毛は 濃く、目は 大きめで、まぶたは 二重、唇は やや厚めで、
   顎の骨が発達している

    @ こうした特徴を持つ人々が日本列島に出現した時期は、
     最終氷期の最寒冷期が終わった後と見られる。
     但し 既に 日本列島に居住していた後期旧石器時代人の形質が変化したものか、
     列島外から移住してきた人々の影響があるのかは不明。
    @ 1970年代以降、それまで動物性食料に依存していたと思われていた縄文人が、
     実際には 堅果類や根茎類を多く食べていたことが明らかとなった。


 日本列島の後期旧石器時代人を縄文人の直接の祖先と見た場合、後期旧石器時代人は 
どこから来たのか?
 <石器の形式> 
   後期旧石器時代の日本列島には、同じ用途に用いられる2種類の石器が存在していた。
   ナイフ型石器と細石刃である。

   ナイフ型石器は 大陸では出土例が無く、日本列島で独自に発達したものと考えられる。
   一方、細石刃は バイカル湖周辺に起源を持つもので、日本列島に伝播したのは
   約20000年前、サハリン・宗谷海峡経由で 北海道にもたらされ、
   東北や北陸に伝わるのは 約15000年前。
   即ち、北東アジア方面から細石刃の技術を持つ人々が 列島に移動してきたことになる。

   又、13000年前 九州の西北部に、剥片尖頭器が 朝鮮半島経由で伝播したとされる。

   トカラ列島以南では、こうした北東アジア系の石器は出土せず、種子島・屋久島以北とは
   異なる旧石器文化が存在したと推測される。

 < 形質人類学 >
    形質人類学では、化石人骨が比較的多く見つかっている東南アジアと日本列島の
   旧石器時代人との類似を指摘する研究が多い。
    縄文人に最も近いとされるのは 沖縄島出土の港川人(約18000年前)だが、
   形質面から見ると 縄文人は 港川人の次の段階とまでは言えず、
   両者の間には 更に 一つか二つのミッシングリンクがあると考えられている。
   身体のサイズは 違うが、ポリネシア人と縄文人の骨格の類似性、また日本語と
   ポリネシア語の音韻が近いことから、ポリネシア人の祖先であるラピタ人が この
   ミッシングリンクをつなぐとも考られる。
   @ 港川人の頭骨は ワジャク人に近く、柳江人や山頂洞人(中国)には それほど
   似ていず、少なくとも 琉球弧の縄文人の祖先は 環太平洋方面から来たのではないか

 < ミトコンドリアDNAの分析 > 
    東南アジアの少数民族 と 現代のアイヌ 及び琉球弧人は共通因子を持つ(宝来聡)。
   形質人類学では 彼らと縄文人が特に近いとされ、縄文人のルーツの一に東南アジア
   の旧石器時代人が存在したとの見方も可能。
   
    一方、縄文中期以降のものとされる茨城県や千葉県出土の縄文人の化石人骨の
   ミトコンドリアDNAは、ブリヤートの人々と共通の因子があるとされる(篠田謙一)。
   つまり、縄文人のルーツの一が バイカル湖周辺にあるとの見方もある。

                 
                  (つづく)

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朝鮮半島の新石器時代人と琉球人は同じ

2009/8/27(木) 午後 0:09 [ 倉田 ]

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mtdnaのm7aも沖縄人と朝鮮人は共通であり類似点が多いy染色体の南方起源のo2bなどは中国大陸や台湾漢族や台湾先住民にはなく朝鮮人が
51パーセント北琉球30パーセント南琉球にいたっては67パーセントであるおそらくはo2bは朝鮮半島に繁がりがあると思われる

2009/8/27(木) 午後 4:50 [ 倉田 ]

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旧石器時代の沖縄の港川人と朝鮮半島北部の龍谷人の形質がよく似ている馬場教授さらに縄文時代にあたる沖縄では曾畑式土器轟式土器爪形文式土器隆起線文土器などが朝鮮半島の新石器時代を代表する有文土器と同じである
民俗学からみても沖縄と朝鮮半島との繁がりがよく取り沙汰されている

2009/8/27(木) 午後 4:54 [ 倉田 ]

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何故y染色体に関しては北琉球と南琉球に分けるのだろうか日本本土では都道府県の平均値で算出しているはずであるしたがってy染色体のo2bの北琉球30パーセントと南琉球67パーセントの平均値は約48パーセント以上である要するに琉球沖縄人はo2bが48パーセント以上であるよってd2も同じく平均値は北琉球39パーセント南琉球4パーセントで平均値22パーセントであるo2bの方が2倍以上多いのであるしたがって琉球人はo2bが一番多いので日本人やアイヌ民族より朝鮮人の方が近いもう一度確認してみよう琉球人のy染色体はo2bが48パーセントで一番多くd2が22パーセントであるそれにしても南琉球人と朝鮮人は極似している事には驚く

2009/8/27(木) 午後 7:27 [ 倉田 ]

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沖縄琉球人の下戸遺伝子と韓国人の下戸遺伝子がほとんど同じレベルである

2009/8/28(金) 午前 11:09 [ 倉田 ]


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