混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

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ヒプシサーマル(3)

★ ヒプシサーマル

    1万年前 最終氷期の終了後、まず温暖化が始まり、続いて ヤンガー・ドリアス期
   を迎え、その後、完新世初期に 急速に温暖化し、8200年前 ローレンタイド氷床
   の崩壊をきっかけに ミニ氷河時代(〜7800年前)が引き起こされた。
       ※ グリーンランド氷床最高峰よりのボーリング結果   海洋政策研究財団 2002

   

  12000年前になると,夏の太陽からの放射量は 7%増加し 気候は温暖化の方に
 向った。アメリカやヨーロッパなどの氷床は溶け,植生は北へ,北へと移動していった。
 CO2も増加していき,特徴的な温暖な時代が 13000〜11000年前に現われた。
 この温暖期を 北欧では アレレード (Allered) 期という。

  ヤンガードゥリアス期
    ところが この後、急激に温度が 100年間で平均6℃程度も下った時期が見られた。
   この寒冷期は 11000〜10720年前のわずか280年間の間に生じた。
   これを ヤンガードゥリアス (Younger-Dryas) 期と呼ばれ,日本にも存在していた。
   この時期には 再び 氷床が著しく発達するなど,氷期の状態に逆戻りした。
   ところが このヤンガードゥリアス期の末(10720年前)には,なんと50年間の間に7℃
   の温暖化が生じ,この寒冷期が終わった。

    この原因は,地球の動き,火山噴火,温室効果ガス濃度の変化,海流の変化など色々
   言われてきたが,最近 海流のパターン変化が 有力視されるようになった。
   海流には,黒潮や親潮などのような海表面に存在する流れの他,海面から800m以上
   深い場所を流れる「 深層海流 」があり,この2つの流れにより 海水は 立体的に循環
   している。 グリーンランド近海や南氷洋で 海氷ができる際,海水の塩分が濃くなって
   比重が大きくなり,次第に海の底深くに沈みこむ。この塩分の 濃くて冷たい海水は 海底
   を這うように移動,グリーンランド沖の海底を離れて 約1200年後 インド洋海底へ,
   また2000年後に 大平洋海底に達する。ここで 物凄い水圧の為に 海底の海水温が
   上昇し,海面近くに浮き上がる。そして この海水が暖められた後に,海面近くの海流
   となって 赤道付近の熱エネルギーを手土産に 再び南極・北極へ帰って行く。
   この循環をコンベヤーベルトと呼ぶ。

    氷期には 北米大陸に 氷床が大きく広っていたが,温暖化するにつれて それが溶け,
   その水が 今の五大湖付近に溜まって 巨大な湖を形作っていた。
   ところが 13000年前,増える水に耐えかねて 湖が決潰,大量の真水が 北大西洋
   ・グリーンランド近海に流れ込んだ。 そうなると海水が薄まり,塩分濃度が低くなる。
   こうして 冷たい水が海底に沈み込まなくなり,地球全体のコンベヤーベルトが衰弱
   していき,さらに その2000年後には 完全に これが停止したのではないか?
   コンベヤーベルトが停止すると 北極・南極に 赤道近くからの熱エネルギーが運ばれ
   にくくなり,当然 寒くなる。 寒くなると氷床が発達し,地球全体でみたアルベドが
   高くなって 更に寒冷化し,といった 氷期と同様の悪循環に落ち込んだとみられる。
   しかし,ある程度 氷床が発達したところで,再び コンベヤーベルトが復活、数百年
   オーダーで この寒冷期は終了したか。

    この時期,気候の寒冷化が 6℃/百年,温暖化が 7℃/50年と 急激な変化があった。
   ヤンガードゥリアス期に入ると,北西ヨーロッパでは それまで生えていた トウヒや
   シラカンバが,あっという間に,より寒冷な地方に生育する低木や草本に置き換わった。
   アメリカでも 寒冷化と時を同じくして,広葉樹の種類が激減し,代ってトウヒやモミ,
   シラカンバなどがまたたく間に増加。

    これに対し,ヤンガードゥリアス期が終わった後の10000〜9800年前には,
   ツンドラに 再びトウヒなどの植物が入ってきたように見えるが,これは花粉が風で
   運ばれたことによる誤認の可能性もある。
    日本でも,ヤンガードゥリアス期が終って すでに1000年経った9000年前には,
   大阪平野や名古屋近辺が,暖かさの指数から見ると すでに照葉樹林が生えても良い条件
   となっているのに,実際の植生は 紀伊半島のあたりを北上中であったことが花粉分析
   から明らかになっている。
   気候の急激な温暖化に 植生の反応(移動)は 全くついていっていないことがわかる。
   花粉分析では,紀伊半島南部から大阪まで, 照葉樹林群落が拡大するのに3000年
   かかったという。また 一説では 大阪から京都まで,照葉樹林が広がるのに100年
   かかったといわれる。


 エウクセイノス湖(現・黒海)から ユーフラテス川にかけ、多くの農耕共同体にとっては
大惨事となった。 太陽は くる月もくる月も、もはや肥沃ではなくなった大地を執拗に焦がし
つづけた。 雲一つない空から砂埃が降り注ぎ、湖も川も干上がり、死海は これまでになく
水位が下がった。 農耕社会は 容赦ない干ばつのなかで、縮小するか消滅していった。
多くの人々は 牧羊業に鞍替えし、昔ながらの飢餓対策手段に訴えて 住む場所を探し求めた。
乾燥化と寒冷化の被害の少ない土地へ移動し、そこで家畜を飼って細々と生活したのである。




 ヒプシサーマル期 ( 気候最適期 ) 7800〜5800年前(7000〜5000年前) 
   : 6000年前( 6500年前とする説もあり )をピークにする温暖な期間。

 7800年前、大西洋が 再び循環しはじめ、にわかに暖かい時代が戻ってきた。
西からの湿った気流は、再び 東地中海とバルカン半島まで流れ込むようになった。西から
吹きつづける風は、大西洋の海面から西欧中心部へ熱を運び、冬は 穏やかな気温を保ち、
夏には たくさんの雨を降らせた。
ヨーロッパの温帯地域は「 気候最適期 」( ヒプシサーマル期 )に入り、その後 2000年間 
その状態がつづいた。

 太陽活動が活発で、年平均気温は 現在より2〜4℃高かった。 氷河が縮小することにより、
世界的に海面が上昇し、現在より数m高くなった。

  ・アフリカから中近東: 現在より多雨で、現在のサハラ砂漠は 森林に覆われていた
            ※ サハラの砂漠化には数千年かかっているという新説
  ・オーストラリア: 湿潤になり、アメリカ中西部: 砂漠に近い状態だった
  ・南アメリカのアマゾン周辺: 気温が上がり、乾燥化した
  ・日本: この頃,年平均気温が 2℃程度高く、関東平野の低地が海面下になった
    千葉における海面は 現在より5m程度高かった( 縄文海進 )
  ・北極付近: 4℃以上上昇( シベリアでは 冬に3〜9℃、夏に2〜6度 )
  ・ヨーロッパ北西: 温暖になったが、南部では寒冷化していた
 
   年平均気温の変化は 緯度が高いほど顕著に現れ、基本的に 低・中緯度では あまり
  変化が無かった。熱帯のサンゴ礁では 1℃に満たない程度。
  世界平均では、おそらく20世紀半ばと比較して 0.5〜2℃温暖だったと言われる。

   南半球( ニュージーランドや南極など )での 完新世で最も温暖になったのは、
  およそ 8000〜1万500年前の間、最終氷期が終わって間もなくである。  


 この頃(7800年前)になると、メソポタミア南部の土地には 小さい農業集落が点在するよう
になった。
地中海の湿った偏西風が にわかに吹きだし、数世代もすると 農耕民は避難していた土地から
肥沃な三日月地帯一帯に広がり、より温暖で 水利に恵まれた場所を求めて、ティグリスと
ユーフラテスの川岸へと移動していった。
一部の農耕民は かなり川下に定住地を築いた。淀んだ水路と無数の小川が流れる氾濫原に、
二つの大河が入るあたりである。この一帯は 水が豊富で、貯水池や畑に引き入れるのも容易
だった。

 また、農耕共同体は 牛と羊の群れとともにメソポタミア北部に広がっていった。
今日のモスル北部に当たるアッシリア や ユーフラテス川の西・シリアのハブール平原など、
北部の平原には、まもなく 小さい農村が点在しはじめ、それぞれが モザイクのような耕地を
もつようになった。 牧畜民は 冬には大河沿いで放牧し、春と初夏になると 平原一帯に
散らばるようになり、その後何世紀にもわたり、この季節ごとの移動パターンが繰り返された。
降水量が 今日より25%から33%ほど多かったため、農耕民は 灌漑農地は むろんのこと、
冬と春の雨でうるおった耕作地にも頼ることができた。

 6800年前には、こうした定住地の一部は 壮大な規模にまでなった。ユーフラテス川沿い
のウルクは にわかに発展し、そのジッグラト(塚状の神殿)から見える範囲の村すべてを傘下
に置いていた。人びとの暮らしは 神殿と市場を中心にまわっていた。ウルクは 三角洲から
遠く離れたところに住む民とも、交易関係を維持していたのである。

 その後の1000年間(5800年前まで)、人びとの生活は 順調だった。誰もが、便利な
河川や天然の貯水池の近くに点在した小さい共同体に住んでいた。 そこでは 魚も獲れるし、
農耕も可能であり、重労働をともなわずに農地を灌漑することもできた。



 ヒプシサーマル後の寒冷期
  ヒプシサーマルの後,5000〜4000年前には 気候は冷涼・湿潤化し,降水量も増加
 した。 大阪の上町台地以外の部分や,名古屋の城より海側から岐阜県にいたる広い地域
 は この時まで 海だったが, 降水量の増加のため自然の埋め立てが進んだ,沖積平野は
 この時期にできたもの。
  日本海側で 新しくできた沖積低地には スギが非常に多く発達していった。 スギは
 湿った条件(年降水量で約1800mm以上)で 自生する植物。 今は 雨の多い山地にあるのみ
 だが,当時 平野にも生えたというから,いかに この時期に雨が多かったかが 分る。

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7000年前は 気温が今より2〜3℃高い「気候最適期」だったが、
西アジアでは 5700年前から寒冷化、乾燥化が進み、砂漠周辺に暮らしていた
牧畜民が水を求めて大河沿いの農耕地帯に大挙移動し、メソポタミア、エジプト、
インダス、黄河の4大文明が誕生した。
いずれも畑作牧畜をベースにした都市文明だが、より早くに稲作を始めた人々が
文明を手にしないはずはない。

温暖化が500年早かった東アジアでは、乾燥化も500年以上早い6300年前
に始まり、黄河文明に先んじて、稲作漁労をベースにした長江文明があった。

そして 4200年前の気候悪化、干魃により、古代文明は次々に自滅。
長江文明の場合は、気候悪化に伴う黄河流域の人々の南下・侵略によって衰退していった。

2010/2/25(木) 午前 0:59 [ kyomutekisonzairon ]

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※この4200年前には
東地中海で干ばつ 〜 大規模なエルニーニョ現象が起きて BC2200年以降
300年に渡る大旱魃が起きる。

エジプト古王国滅亡 (4200年前)
アッカド王朝 (4350〜3700年前)
バビロニア王朝 (3830年前〜)
龍山文明 (3700〜3400年前)

4200年前頃( BC2200 )が 各地での民族移動の時期に当たる。
日本では この少し前の4500年前に 三内丸山遺跡が消滅している。

2010/2/25(木) 午前 1:03 [ kyomutekisonzairon ]

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■ ヒプシサーマル ■

5000 年BP( BPは「年前」の意 )は、
ヨーロッパや東アジアを含む世界のほとんどの地域で 1 〜 3℃ 現在より温暖
であったとされている。
中緯度は 温暖な気候で、北半球では 熱帯収束帯,その高緯度側の亜熱帯高圧帯
は 北上していたと推定される。

ヒプシサーマルの時代には、中緯度の山岳氷河は ほとんど消え、北極海の氷や
南極大陸の氷床は 縮小した。

その後,先史時代から歴史時代に向かって次第に寒冷化した。
氷河は前進し始め、極地方の氷も増加した。

2010/2/26(金) 午後 5:51 [ kyomutekisonzairon ]


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