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日本は 使用済み核燃料の再処理を いまだに始められていない。1997年に再処理工場を 完成させる予定だったが、トラブルが続発して 17回も完成を延期した。 その一方 フランスは 1966年から再処理工場を稼働させている。その現場を訪れた。 フランスの首都パリから 電車で西へ3時間。 軍港で有名なシェルブールに着く。 そこからクルマで 30分のところに ラアーグの再処理工場がある。 日本は 世界で3番目の“顧客” 運営するのは 仏アレバだ。 工場に入ると ちょうどフランスの原子力発電所の使用済み 核燃料が運び込まれるところだった。重さ100トンの円形状の鉄柱で覆われており、人が 近づいても放射線に汚染されることはないという。 同工場には 2009年1月までに 合計で2万5000トンの使用済み核燃料が 運び込まれている。 国別の内訳は、フランス国内から 1万4260トン、ドイツから 5479トン、日本から 2944トン、スイスから 771トン、ベルギーから 672トン、オランダから 336トン、 イタリアから 82トン。 日本は 遠く離れているにもかかわらず、世界で3番目の“顧客”だ。再処理工場はUP2 とUP3とあり、それぞれ年間800トンの処理能力がある。 再処理の方法はこうだ。 使用済み核燃料が運ばれると まず、熱を帯びた燃料棒の1本ずつを取り出し プールで 冷やす。 次に プールで貯蔵して 放射線の濃度を下げる。 一般的に4年程度保管し、放射線の濃度が下がったところで プールから取り出し、燃料棒を 細かく切り刻む。 それを ウラン溶液、プルトニウム溶液、高レベル放射性廃棄物、金属片に分離。 再処理ウランとプルトニウムは 南仏のメロックス工場に運ばれ、MOX(ウラン・プルト ニウム混合酸化物)燃料に加工される。 高レベル廃棄物は ガラス溶融炉で 溶かしたガラスと混合して固め、キャニスターと呼ばれる 容器に封じ込めて固める。こうした作業は すべて遠隔操作となっている。 日本では 高レベル放射性廃棄物をガラスで固める工程がうまくいかずに、再処理工場の 稼働を何度も遅らせている。廃液に含まれる不溶解残さの影響で、キャニスターに流れ込ま なくなり、撹拌しようとしたら その棒が曲がったり、炉内のレンガが落ちたりするトラブル に見舞われた。 フランスでは 既に40年以上の実績があるため、日本の技術者が何度も研究に来たという。 ただ、フランスでも 高レベル放射性廃棄物については、最終処分地が決まっていないため、 2000立方mの廃棄物が 工場内に保管されたままだ。 アレバの試算では 2025年には 1万立方mが貯まるため、それまでに最終処分地を決め なければならない。 2015年までに 高レベル放射性廃棄物の処分地を決める 最終処分地の選定についても、フランスには長い歴史がある。1970年代から探し始めた。 88年には 4カ所の候補地があったが、反対運動で頓挫。88〜91年は処分のメドが たたず、空白期間となる。 事態が動き出したのは、91年にバダイ法が成立してから。 それまでは 地層的に適している地域を最終処分の候補地にしていたため、住民の反対運動を 招きやすかった。 しかし、同法では 政治的な合意をしてから地層を研究し、候補地を選定した。その方が 反対運動が起こりにくいからだ。 92年に候補地を募り、94年に4カ所に絞った。その最有力候補地が フランス北東の オート・マルヌ県とムーズ県にまたがる集落のビュールだ。 97年にも山場が訪れる。ビュールに最終処分に関する研究所を作ろうとしたが、なかなか 許可が下りない。当時のフランス首脳は、右派のシラク大統領に左派のジョスパン首相という 組み合わせ。 ジョスパン内閣には 緑の党のドミニク・ボワネ氏が入閣し、同氏が原子力政策 の推進に反対したことが背景にあった。 地下500mにあるトンネル そこで、ジョスパン首相は「 問題があれば 政策を見直すことができる 」という“可逆性” を担保に 緑の党と交渉して、98年12月に ようやく研究所の建設許可が下りた。 99年に地下研究所を建設。2005年に国民的な議論を経て、2006年に原子力新法が 成立。 最終処分に向けて 議論が進んだ。 現在は 国と電力会社が出資する放射性廃棄物管理機構(ANDRA)が地下研究所の運営や 最終処分への手続きを進めている。 12月21日。ビュールの研究所を訪れると 辺りの畑は 雪で覆われ、銀世界が広がって いた。地上には コンクリートの小さな建物があるだけ。そこからエレベーターで500mの 地下に降りると、直径5mほどのトンネルが広がっている。 ここは130mの厚みのある粘土層で、水脈など地層の変化が非常に少ないという。 トンネル内では あらゆるところで、実験を行っている。 例えば、ある物質を地層に流して、 どれくらいの速度で その物質が移動するかなどを測定している。 それでも住民の反対運動はある ANDRAには 80人の正規社員と、240人ほどの下請け社員がいる。正規社員の大半が 地質学などに関する専門家だ。 意外に難しいのは 直径5mほどのトンネルを掘ることだという。 鉄道や道路向けのトンネル は もっと大きいため、機械は その大きさ用に作られいるものが多い。そこでANDRAは 地下研究所向けに特別の機械を作ってもらい、それで 穴を掘り進めている。 住民とのコミュニケーションも ANDRAの重要な仕事だ。 同社は 定期的に住民向けの 説明会を開催している。 周辺の環境保護に関する委員会に、地域住民も入っている。同社の マリー・クロード・デュプイCEO(最高経営責任者)は、「 住民とは 科学者の立場で 話すことを心がけている 」と話す。 また、地域への経済支援もしている。ビュール周辺の2つの県には、年間それぞれ2000万 ユーロの補助金が給付されている。2010年から年間3000万ユーロに上がるという。 それでも 住民の反対運動はある。デュプイCEOは「 地域外の過激な反対派が、地域住民 をあおることもある 」と続ける。 ローカルテレビでは、地域住民が反対デモを行う様子など が放映され、農家などが作物への悪影響を懸念する声が紹介されている。 こうした状況であるため、デュプイCEOは気を引き締めている。「 謙虚な気持ちが大切。 信頼関係を作るのに時間はかかるが、失うのは早い 」。同社は 2012年までに最終処分 の研究に関する詳細な資料を国に提出する。 フランスは 国会での議論などを経て、2015年には最終処分地を決定する予定だ。 以上 |
緑の党の苦悩
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他の人を犠牲にしても 好奇心(科学研究やゴシップなど)を、自分の思いを他に表現する
ことを、異性を、子供or親を、長生きや健康を、スポーツを、快適な生活をいのちとする・・・。
近代国民国家は、こういう 人間の欲望充足の自由を肯定した上になりたっています。これこそが、
人間の幸せだと・・・。
こういう,人間の自由を求める欲望が、科学・技術を発展させ、産業を起こし、貿易活動を
活発にし、戦争を起こし、自然を破壊しているんじゃないか・・・? と。
「自由」や「いのち」というものを至上とするなら、このようなことになりはしませんか?
合掌
2012/2/18(土) 午後 2:35 [ kyomutekisonzairon ]
人の社会が自然のままで、それを歪める力がなければ、
法律などなくていいのです。
法律が必要なのは、あくまでも人間活動の過剰を抑制するためです。
2012/2/18(土) 午後 4:49
「イソップ」さんへ。 こんばんわ。
パソコンの調子が悪くて、いつ コメントができなくなるか、わからない状態ですので、
手短に申します。
法律を作るのは 人間ですね。 その当人が、自分らの行為を抑制するために、適切な法律を
作れると思われますか? 切開しなくてはならない身体を、自分で切開できる者は 希です。
痛みを伴う手術は、自分自身では なかなかできないものでしょう。
人間は、本来 自分に痛みの伴うこと・都合が悪いことには、背を向けるものでしょう。
実際、法律は 人間活動を抑制するために作れられることは、希です。近代法は、権力を制限する
ことを、その出発点としていますが、では なぜ 権力を制限しなくてはならないのか、というと
市民(=商業・産業・金融資本家)という 新たな勢力の利害が、旧来の勢力と相反するように
なったからでした。 市民が 自己の利益を得るためのフリーハンドを得るためです。(続)
2012/2/18(土) 午後 9:54 [ kyomutekisonzairon ]
( すみません。先の 私のコメントの1つを 誤って削除してしまいました )
法律は、利害相反者の行為を抑制するためであって、本来は 自己自身を律するためではあり
ません。 利害打算を根底としていますので、自己の利益を最大限に 社会に通そうとする
ものでしょうから、自己を 自己が抑制するものではありません。
自己が 自己の活動の過剰を抑制するには、倫理・道徳or宗教というものでしょう。 しかし、まさに
こういう自己を律するモノを、「信教の自由」ということで、社会の周辺部に追いやって
軽んじてきたのが、「市民」の思想でした。 合掌
2012/2/18(土) 午後 10:02 [ kyomutekisonzairon ]
絶対的に正しい法律があるわけではありません。
まず人々の活動があって、それをルール化する動きがあって、
無法地帯から、法のルールに従う世界に移行するわけですが、
どんな法律を作っても、人間は新たな問題を起こし続けます。
そこで一方では、「問題を起こさない生き方としての自然農」のような考えが、
選択肢として登場しますし、僕はそのように生き方を持つわけですが、
同時に不完全な法律も、不完全なりに手を加えていく必要があると思っています。
それは理想とはほど遠い作業ですが、現実に問題に対応して、
まだ生き方を定められない人にも、チャンスの芽をつなぎ続けるものになります。
負の側面があるとしても、それぞれの人が自らの生き方を求める上で、
必要と思うから、条例づくりをするわけです。
市民の本質をどうこう議論しても、条例の意味と外れるばかりだと思います。
2012/2/19(日) 午前 0:27
「イソップ」さんへ。 お早うございます。
ルールは、ある土俵の上で作られ、適用されますね。スポーツやゲームを見ればよくわかります。
そして、その外にいて それに参加していない人には適用されません。
スポーツやゲームは、社会から隔離された所でしますから、そのルールが どう作られようと、
外の者には利害の影響がありません。
人間が作る社会は、ある前提のもとに成り立っていて、これが法律になります。ところが、
人間は その社会の前提よりも、広い世界に存在しています。
たとえば、米国の法律は、米国内だけに通用するものですが、その法律に順守した活動が、
他の多くの国々に 多大の影響を与え、他の社会を崩壊させることもあります。
また、交通法規は 自動車社会を前提に作られますが、人間みなが 自動車社会で利益を得る
わけではありません。その利益より害を受ける人も、多くいるわけです。(続)
2012/2/19(日) 午前 10:19 [ kyomutekisonzairon ]
法律を作れば、必ず その不利益を受ける人たちが出てきます。法律は それを作る際、それに
よる利益を得る人たちが、不利益を被る人たち(法律を作る時に存在するとは 限らず、
後に 発生することもある)を圧して作ります。
それで、自分らが 何かの利益を得ようとして、法律を作るわけですから・・・。
法律に 社会の理想を要求するのは、近代西欧に始まった法治主義というものです。 この法に
よって、欧米は 世界支配を より優位に達成しました。自分たちの利益をもとめて・・・。
これは、自己の倫理性・道徳性を要求されずに、その利益を追及できるやり方でした。自らの
流儀に従わず、それから逸脱する者を、順法精神に悖ると非難して・・・。
この法治主義は、人間存在の多様性や複雑さ、その精神の深さと幅の広さを、法の名のもとに
抑圧して、社会から排除するというサガをもっています。丁度、市民生活から、虫や小動物や
細菌を排除して、清潔で 無臭の生活環境を作るのと同じです。(続)
2012/2/19(日) 午前 10:43 [ kyomutekisonzairon ]
自然農の取り組みをされていらっしゃるのは、ありがたいことだと思います。こういう取り組み
が、新たな時代への突破口となってほしいと思っています。
ただ、新たな時代は、この法治主義から足を洗う方向でなされるべきだと、私は思うのです。
人工的なものの限界の自覚と、人間を超えた世界を尊び、これに根を張った生き方を! と。
――― これは、「人間の自由」よりも「道理」を重んじ、道理のためなら、自分の「思い通り」
を捨てる力,不正や不利益を忍耐して生き得る力という、そういう力によって 社会を内から
変革し、我々の「真の自由」を獲得する道です。 合掌
2012/2/19(日) 午前 10:54 [ kyomutekisonzairon ]
僕は法治主義者ではないし、法律を作れば社会悪がなくなるとも思いません。
世界はいつだってそれほど単純ではないし、括りきれない広がりを持つものです。
それをわかっているからこそ、小さな自分にもできることはやっておきたい。
自然農をしていると気付くことはたくさんありますが、
この世界に正しいものと悪いものが二極対立してあるわけではなく、
あるときは悪であったり、また別のときは善であったりする。
だからこそ、悪を憎んで人を憎まず!と言う教えもあるわけで、
法律や条令というものも、人を懲らしめると言うより、
人をして悪をなさしめない、善に向かわせるためのものだと思うのです。
道理と言えば、誰もが同じ道を思い浮かべるならいいですが、
言葉の解釈は様々で、道理を振りかざして人を縛る人もいます。
たとえ本当に人々の幸せを願っての道理であっても、迷惑になることさえある、
それが人間のレベルとしか言いようがありません。
したがって、絶対に正しい法律を作ろうというのではなく、
人々が善いと思うことをする自由を守ることが、
法律や条令の役目であり、これは必要と考えます。
2012/2/20(月) 午前 10:37
「イソップ」さんへ。こんばんわ。
> 法律や条令というものも、人を懲らしめると言うより、人をして悪をなさしめない、
善に向かわせるためのものだ・・・
――― 法というものが、人をして善に向かわせるという そういう法は、残念ながら 現実の
法ではありません。 世間の法は、人間社会の利害調整機能 と ある方向での秩序を与えるもの
であって、何か 倫理的・道徳的な善を志向するものではありません。いわば、人間同士の
約束事、仰るルールに過ぎません。
ただし、スポーツのルールだと、それに従うことが嫌なら、そのスポーツをせねばよいわけ
ですし、別のルールを作って 別のスポーツを作ればいいですが、社会の法は 強制力を
伴っていて、それに従わなければ、多くの場合 犯罪として 処罰されます。
ただし、イスラーム法は、宗教法なので 人間を善に導くことを目指していますが、近代西欧型の
法 (日本の法もそうです) は そうではありません。(続)
2012/2/20(月) 午後 11:38 [ kyomutekisonzairon ]
「 道理 」というものは、
例えば ガンジーが インドにおける大英帝国の理不尽を排除するために使ったのが、道理
でした。 法律は すべて英国の統治に有利なようにできていましたから、裁判では 埒が
あきません。従って、道理をもった行動をすることで、敢えて 法律に違反して牢獄に入り
ました。 ガンジーらの身柄は 拘束できましたが、彼の道理は 拘束できません。
大英帝国は、彼の「 道理 」の前に敗北したのでした。
また、釈尊の教えが、インドのみならず 中国や朝鮮半島、そして日本に広まり、東南アジアに
広まったのは、民族を超えた「道理」というものが、そこにあったからでしょうし、
また、イエスの教えが 広く民族を超え、また 仏教徒の心にも響くのは、そこに「道理」が
あるからでしょう。 ガンジーにしても釈尊にしても イエスにしても、そこに人間の道理が
ある故に、他国・他民族 或は 時代を超えて、我々は その言葉を聞いてきたのでしょう。
合掌
2012/2/20(月) 午後 11:45 [ kyomutekisonzairon ]
いつも観念的なお話しばかりで、残念です。
僕らは市民会議で、将来のまちを作る条例案を作り、
望むべき暮らしをどのように実現するか、具体的なルール作りをしました。
それに対するあなたの評価は、常に何かずれている気がしてなりません。
あなたは人々の生活が現状よりよくなるように、何をされているのか?
何もしない方がいい、と考えておられるのかもしれませんが、
すでに僕らがこうした条例案を作ることを否定することで、
必然的に、強者が好き勝手をする社会を是認されているのです。
これまでの議論の中で、次第にあなたに対する不信感が募ってきました。
以前もそうでしたが、どこかの参考書の内容を披瀝するような発言が続き、
自らの主張を唱えられるのは、ご自由にされたらいいとは思いますが、
あなた自身が、人間としてどのように生きようとされているのかが見えません。
それが見えないと、言葉を労しているだけに思えるのです。
僕は既に、あなたとのこうしたやりとりに、虚しさを覚えているのですが、
あなたは何を思って、熱心に教養を披瀝されるのか?
今一度、何を求めておられるのかを聞いてみたい気
2012/2/21(火) 午前 8:10
字数制限に引っかかりましたが、
内容は届いていると思いますので、
そのままにしておきます。
2012/2/21(火) 午前 8:12
彼方此方から参りました。
馬の耳に念仏
馬にも念仏を聞かせてあげたいお気持ちだったのでしょう〜。
馬のせいではありません〜。
2012/2/21(火) 午後 3:54 [ 彼方此方 ]
「イソップ」さんへ。こんばんわ。
う〜ん、観念的ですか・・・。そう感ぜられたなら、そうかもしれません。
私も、自らの考えを 未だ 十分に現実化しかねていますからね。
> あなたは人々の生活が現状よりよくなるように、何をされているのか?
――― 人々の生活が現状よりよくなることはありません。もっと悪くなります。これは、
甘い考えを捨てて、ちゃんと考えていただきたいと思います。「望むべき暮らし」という
何か形のあるものを得られることはありません。形の上では、これは もっと悪くなると
考えています。
そうした中で、人が生きられる道、悲惨を少なくする道を、私は考えているのです。
おそらく、対話で 空しく思われるのは、イソップさんが思い描かれているように、私が
現実を考えていないからでしょう。
もし、私の言が 何かの参考書の引き写しだと思われるなら、私のような考えも、世の中にある
ということでしょう。 したがって、こういう思考をする者たちの存在に、今少し 留意して
くだされば幸いです。合掌
2012/2/21(火) 午後 7:39 [ kyomutekisonzairon ]
「彼方此方」さんへ。はじめまして。
一連の対話を読んでくださり、ありがとうございます。
「イソップ」さんには 期待しているのです。きっと、やがて 私の言っていることに
耳を傾けて下さる時が来ると思います。何であれ、事は 一朝一夕にはいきません。合掌
2012/2/21(火) 午後 7:45 [ kyomutekisonzairon ]
そうですね
肥料を与えたからといって
すぐに成長があるとは限りません
肥料が間違っていることも
あるかも知れません
ですが楽しみですよね
どういう花が咲くかと
つい期待してしまいます
せめて
畑の石ころだけでも除けたいと
してしまいそうに
なりますよね〜・・笑
キョムさん!
どうかヨロシクお願いします・・・苦笑・・?
2012/2/22(水) 午前 6:25 [ 彼方此方 ]
お互いに議論することで、何が問題で、何がすれ違ったのか、
だいたいのところは、見えてきたように思います。
キョムさんの意見を観念的だと言ったのは、
自分も同じようなことを考えないわけじゃないので、
その上で何かしたい!と思って行動する意味について、
考えていただきたいと思ったからです。
人は天(観念)でも地(自然)でもなく、天と地の間に立つ生き物で、
何ものであるかは自らが決めるしかない、自由でしかない存在だと思っています。
それ故にどう行動するかの基となる“生き方”が大切だと思うので、
この流れに従って、行政には行政の“在り方”を求めているのです。
決して表面的な流行に乗って、条例づくりをしたわけではないことをご理解ください。
2012/2/22(水) 午前 10:18
「彼方此方」さんへ。 こんばんわ。
比喩は 色々と解釈されますから、できれば 率直な物言いをして下さると
ありがたいです。 合掌
2012/2/22(水) 午後 10:39 [ kyomutekisonzairon ]
「イソップ」さんへ。こんばんわ。
> 何が問題で、何がすれ違ったのか、だいたいのところは、見えてきた・・・
――― 見えてこられたということ、ありがたいことです。
条例を必要ないとする考え方もあるということ、そういう考え方も踏まえて、
今後 やっていって下されば、うれしいです。
また、
放射能測定(特に土壌汚染)の件、理解して頂いて有難うございます。合掌
2012/2/22(水) 午後 10:47 [ kyomutekisonzairon ]