混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

文学作品

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青空文庫から

西方の人   芥川龍之介

    ※ 1927年 8月、雑誌『改造』初出。
     同年 7月7日 書き上げ、さらに絶筆となる『続西方の人』(9月)を執筆。
     1927年7月24日(満35歳)没。

                          (13)

 36 クリストの一生

 勿論 クリストの一生は あらゆる天才の一生のやうに情熱に燃えた一生である。
彼は 母のマリアよりも 父の聖霊の支配を受けてゐた。 彼の十字架の上の悲劇は 実に
そこに存してゐる。 彼の後に生まれたクリストたちの一人、―― ゲエテは 
「 徐(オモム)ろに老いるよりも さつさと地獄へ行きたい 」と願つたりした。が、徐ろに
老いて行つた上、ストリントベリイの言つたやうに 晩年には 神秘主義者になつたりした。
聖霊は この詩人の中に マリアと吊(ッ)り合(ァ)ひを取つて住まつてゐる。 彼の
「 大いなる異教徒 」の名は 必しも当つてゐないことはない。 彼は 実に 人生の上には
クリストよりも更に大きかつた。況(イハン)や 他のクリストたちよりも大きかつたことは 勿論
である。 彼の誕生を知らせる星は クリストの誕生を知らせる星よりも 円(マル)まると
かがやいてゐたことであらう。 

 しかし 我々のゲエテを愛するのは マリアの子供だつた為ではない。マリアの子供たちは 麦畠
の中や長椅子の上にも充ち満ちてゐる。いや、兵営や工場や監獄の中にも多いことであらう。 
我々の ゲエテを愛するのは 唯 聖霊の子供だつた為である。 我々は 我々の一生の中に 
いつか クリストと一しよにゐるであらう。
ゲエテも亦 彼の詩の中に 度たびクリストの髯(ヒゲ)を抜いてゐる。

 クリストの一生は 見じめだつた。 が、彼の後に生まれた聖霊の子供たちの一生を象徴
してゐた。( ゲエテさへも 実はこの例に洩れない。 ) クリスト教は 或は滅びるであらう。
少くとも絶えず変化してゐる。けれども クリストの一生は いつも我々を動かすであらう。
それは 天上から地上へ登る為に 無残にも折れた梯子(ハシゴ)である。薄暗い空から叩(タタ)き
つける土砂降りの雨の中に傾いたまま。……

    ※ ストリンドベリ(Johan August Strindberg、1849〜1912)
      ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749〜1832)



 37 東方の人

 ニイチエは 宗教を「 衛生学 」と呼んだ。それは 宗教ばかりではない。道徳や経済も
「 衛生学 」である。 それ等は 我々に おのづから死ぬまで健康を保たせるであらう。
「 東方の人 」は この「 衛生学 」を大抵涅槃(ネハン)の上に立てようとした。

 老子は 時々無何有(ムカイウ)の郷に 仏陀(ブツダ)と挨拶をかはせてゐる。しかし 我々は
皮膚の色のやうに はつきりと東西を分(ワカ)つてゐない。 クリストの、―― 或は クリスト
たちの一生の 我々を動かすのは この為である。「 古来 英雄の士、悉(コトゴト)く 山阿
(サンア)に帰す 」の歌は いつも我々に伝はりつづけた。

 が、「 天国は近づけり 」の声も やはり我々を立たせずにはゐない。老子は そこに
年少の孔子と、―― 或は 支那のクリストと問答してゐる。 野蛮な人生は クリストたちを
いつも多少は苦しませるであらう。 太平の艸木(サウモク)となることを願つた「 東方の人 」
たちも この例に洩れない。
クリストは「 狐は 穴あり。空の鳥は 巣あり。然れども 人の子は枕する所なし 」と言つた。
彼の言葉は 恐らくは 彼自身も意識しなかつた、恐しい事実を孕(ハラ)んでゐる。我々は
狐や鳥になる外は 容易に塒(ネグラ)の見つかるものではない。

                              (昭和二年七月十日)

   ※ マタイ 8章
     それから、イエスは ペテロの家に来られて、ペテロの姑が熱病で床に着いているの
    を ご覧になった。
    イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。
     夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。 そこで、
    イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。
    これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。
    「 彼が 私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った 」

     さて、イエスは 群衆が自分の回りにいるのをご覧になると、向こう岸に行くための
    用意をお命じになった。
    そこに、ひとりの律法学者が来てこう言った。
    「 先生、私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります 」
    すると、イエスは彼に言われた。
    「 狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません
    また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。
    「 主よ、まず行って、私の父を葬ることを許してください 」
    ところが、イエスは 彼に言われた。
    「 わたしについて来なさい。死人たちに 彼らの中の死人たちを葬らせなさい 」

     イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。
    すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは
    眠っておられた。
    弟子たちは イエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。
    「 主よ、助けてください。私たちはおぼれそうです 」
    イエスは言われた。「 なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ 」
    それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
    人々は驚いてこう言った。
    「 風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう 」

     それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり
    墓から出て来て、イエスに出会った。
    彼らは ひどく狂暴で、だれも その道を通れないほどであった。

    すると、見よ、彼らはわめいて言った。「 神の子よ、いったい 私たちに何をしよう
    というのです。まだその時ではないのに、もう 私たちを苦しめに来られたのですか 」
     ところで、そこからずっと離れた所に、たくさんの豚の群れが飼ってあった。
    それで、悪霊どもはイエスに願ってこう言った。
    「もし 私たちを追い出そうとされるのでしたら、どうか豚の群れの中にやってください 」
    イエスは 彼らに「 行け 」と言われた。 すると、彼らは 出て行って 豚に入った。
    すると、見よ、その群れ全体が どっと崖から湖へ駆け降りて行って、水に溺れて死んだ。

    飼っていた者たちは 逃げ出して 町に行き、悪霊につかれた人たちのことなどを
    残らず知らせた。
    すると、見よ、町中の者がイエスに会いに出て来た。そして、イエスに会うと、
    どうか この地方を立ち去ってくださいと願った。


  ※ 「反キリスト者」ニーチェ 
                            ( おわり )
                           

閉じる コメント(10)

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「我々は狐や鳥になる外は 容易に塒の見つかるものではない。」…芥川が聖徳太子の「世間虚仮、唯仏是真」の前半分、世間虚仮を充分深く知っていたことを証明する発言だとおもいます。

2010/2/13(土) 午後 3:10 呼吸

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「 呼吸 」さんへ。お早うございます。
「 世間虚仮、唯仏是真 」ですか! なるほど・・・。
芥川龍之介は「 我々は狐や鳥になる外は 容易に塒の見つかるものではない 」の文
は、意味深長ですね。

この「 狐や鳥になる 」とはどういうことを言っているのか?
また、「 塒(ねぐら) 」というのは 何か?
――― 「 呼吸 」さんは、どのように取られましたか? 合掌

2010/2/14(日) 午前 9:39 [ kyomutekisonzairon ]

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これはそのまま受け取ればいい文章だと思います。

欲を肯定賛美する世間の価値観は動物(狐や鳥)となにも変わりません。それを正面きって否定する人は世間に居場所(塒)がなくなります。

ちなみに、仏教徒にとって欲とは、たとえばものを食べて生じる「感覚」に美味いという「感情」を上乗せすることです。これを否定したら、そりゃあ世間にいられませんわ。

2010/2/15(月) 午後 7:11 呼吸

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「 呼吸 」さんへ。こんばんわ。
「 そのまま受け取ればいい 」ですか・・・。
――― 引用の『マタイ』が伝えるイエスの言は、仰るとおりでしょうね。
イエスは、世間の価値観・考え方を否定し、これを超克しようとしています。
まさに、イエスをして イエスたらしめている処が、ここにありますね。
そして、これは 釈尊をして 釈尊たらしめる処と同じでしょう。
我々は、世間の価値観を壊さなければ、真実の宗教にはなりません。

『マタイ』には、 件の言葉を語る伏線として、
「 イエスは 群衆が自分の回りにいるのをご覧になると、
向こう岸に行くための 用意をお命じになった。 」
と言っています。
「 (向う岸〜天国に行くのに)人の子は 枕するところがない 」という覚悟が
イエスの命ずる「 用意 」でしょう。 世間の価値観を捨てよ と。

こちら岸の群衆の中(世間)に居たのでは、向う岸(天国)にはいけません。
(続)

2010/2/15(月) 午後 11:52 [ kyomutekisonzairon ]

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ただ、芥川は ちょっと複雑に これを読んでいるようです。
「 彼の言葉は 恐らくは 彼自身も意識しなかつた、恐しい事実を孕(ハラ)んでゐる 」
と言っていますからね。

ただ、この章にある「 古来 英雄の士、悉く 山阿に帰す 」とか、あるいは
「 太平の艸木となることを願つた・・・」という意味が 私はよく取れませんので、
彼の意が 今一つ分かりにくいのです。


この最後の章37「 東方の人 」というのは、
この作品の題「 西方の人 」を意識しているのでしょう。
この 西方なり 東方なりの人が、何を意味しているか? も、一見 前者がイエス
後者が 釈迦のように見えますが、彼は もっと何か独特の想念で これを語っている
ようにも思われます。

いづれにしても、芥川の言っていることが、私は よく意味を取れないのです。
合掌

2010/2/16(火) 午前 1:16 [ kyomutekisonzairon ]

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>芥川は ちょっと複雑に これを読んでいるようです。

複雑に読んでないとおもいます。
「世間虚仮、唯仏是真」でいえば唯仏是真がなく世間虚仮だけになっている。意味の半分しか読み取っていないのでその分むしろ単純な解釈になっているとおもいます。芥川の宗教理解はニーチェと同じです。世間虚仮という事実を底の底まで知り尽くしています。たいしたものです。しかし、それだけだともいえます。

2010/2/16(火) 午後 8:25 呼吸

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「 呼吸 」さんへ。
芥川は、「 唯仏是真 」ということが分かっていない ――― というのは、
私も そう思います。

件のイエスの言葉を、芥川は
「 我々は狐や鳥になる外は 容易に塒の見つかるものではない 」と言いましたが、
これを 「 呼吸 」さんは、
> 欲を肯定賛美する世間の価値観は 動物(狐や鳥)となにも変わりません。
それ(欲)を正面きって否定する人は 世間に居場所(塒)がなくなります。
――― と解釈されています。

ここで、「 正面きって否定する人 」とは、イエスのことでしょうか? それとも
芥川のことでしょうか?
――― というのは、イエスは「 世間虚仮 唯仏是真 」ということは、私には
分っていたと考えられるからです。 合掌

2010/2/17(水) 午前 0:31 [ kyomutekisonzairon ]

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「 正面きって否定する人 」はイエスです。「人の子は枕する所なし」と言ってますから。
>イエスは「 世間虚仮 唯仏是真 」ということは、私には分っていたと考えられる

同感!異議なしです。
だから、「先生、私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります」という立法学者に
「この世間にわたしの居場所なんてないよ」と言うイエスにはすごい余裕があります。(私はそんなこと平気だけど、君には無理かもね)というからかい気分が、おれには感じられます。
イエスの不可解な余裕は、自分が見抜いたこの恐ろしい事実をイエスがまだ気づいていないせいだと芥川は主張してますが、見当違いもいいとこだとおもいます。このイエスの言葉を「恐ろしい」と感じているのは芥川自身です。理解するが実行できない自分を見ているからです。

2010/2/17(水) 午後 1:01 呼吸

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「 呼吸 」さんへ。 こんばんわ。
イエスは、いわゆる悲壮感で 「 枕する所はない 」と言ってはいないですね。
だから、人にも それが勧められるのでしょう。 誰でもできるという考えている
から、「 ついてきなさい 」と弟子に言えるわけでしょう。

( ただし、仏教は 「 ついて来い 」ではなく、「 行け 」ですね。
弟子は 師についていく( 師は 弟子を先導する )のではなく、師は 弟子に道を
指し示すのですね。「 この道を行け 」が仏教です。 )

芥川は、「 我々は 狐や鳥になる外は 容易に塒の見つかるものではない 」
と言っています。
彼が思っている「 塒 」というのが、何か ちょっとよく分からないのですが、
もし、「 呼吸 」さんの仰るように、「 世間の居場所 」を塒と言っている
のであれば、この「 我々は 」というのは 芥川の言い過ぎでしょうね。
これは、「 私は 」と言わなくては、イエスの意を無視していることになります。
(続)

2010/2/18(木) 午前 0:53 [ kyomutekisonzairon ]

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イエスは、
徹底的に 「 この世間には 枕するところがない 」という認識をもって、
芥川の言う「 塒 」を 出世間たる「 天国 」に求めているからです。
この道ゆきは、「 我々 」と言っていては 辿れません。 「 我々 」の世界
たる世間から 自己を引き離して、一人 辿らなくてはならないからです。

こういうふうに「 世間 」を見切っていないために、彼は「 我々 」と言って、
結局 自死してしまいました。合掌

2010/2/18(木) 午前 0:54 [ kyomutekisonzairon ]


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