魔女狩り(1)魔女狩りの根拠とされたのは旧約聖書『出エジプト記』22章18節の「 女呪術師を生かしておいてはならない 」の記述 である。 ※ 女呪術師:原語メハシェファ 「魔法を掛ける」「魅惑する」意の動詞キシェフ と語根を同じくする女性名詞。 この「魔術を行う女性」というほどの曖昧な表現が 欽定訳聖書の編集時( 1611 )に「魔女」(Witch)と訳され、当時の人々のイメージ に合わせて書き換えられた。 魔女として訴えられた者には、町や村、或は その近郊に住む女性で、貧しく教養がない、 また友人が少ないといった特徴を持つものが多かったようだ。 もともと民衆の間から起こった魔女狩りは 15世紀から18世紀までにかけてみられ、 全ヨーロッパで 最大4万人が処刑された と考えられる。 裁判に訴えられた者が魔女であるか否かは 取調べによって明らかにされた。取調べでは 拷問が用いられることもあり、もっとも残酷なものは 熱い釘をさしたり、指を締め上げたり といった方法も用いられた。 ただ、このような拷問が 全員に対して行われたわけでなく、 拷問の使用の是非は 地域や取調官の性格によっていた。 例えば、清教徒革命の時代(17世紀)に イギリス東部で「 魔女狩り将軍 」を名乗った マシュー・ホプキンスは 魔女とおぼしき人物を探し出し、体にある「 魔女のしるし 」を 見つけては魔女であると確定していた。 彼は 魔女狩りの歴史において 最悪の「裁判者」の 一人だが、彼の裁いた件でも 訴えられた女性がすべて魔女とされたわけではなく、無罪放免に なったケースも多かった。 ただ、このホプキンスの魔女に対する取調べでは 残酷な拷問が 用いられたり、魔女であることの証明を得るため、拷問によって 本人の自白を得るか、知人や 隣人に証言させるという方法を用いた。 魔女狩りの最盛期(1567〜1640)に 民衆法廷から教会裁判へ持ち込まれた魔女裁判の 容疑の半分以上が 証拠不十分として無罪宣告され、拷問は 用いられず、被告は「 自分が 魔女でない 」ことを宣誓してくれる証人を呼ぶ権利を認められていた。 さらに訴えられたケース の内21%のみが教会裁判で裁かれたが、教会が何らかの罰や刑を課すことはなかった。 ※ 魔女狩りのピークは、1590年代、1630年頃、1660年代などがであり、 それ以外の時期には それほどひどい魔女狩りは見られなかった。 ただ、実際には ほとんどの魔女とされた者は 民衆法廷で裁かれており、民衆法廷には 厳密なシステムやルールが存在せず、行き過ぎた拷問や刑罰が行われたと考えられる。 処刑法としては、ヨーロッパ大陸では 焚刑(火あぶり)が多く見られたが、イギリスでは 絞首刑が主流だった。他にも 溺死刑などがあった。 魔女の疑いをかけられた者への取調べや拷問は、通常の異端者や犯罪者以上に 過酷なもの でなければならないという通念があったし、魔女に対する取調べのために 新しく考案された 拷問もあり、魔女裁判によって ヨーロッパに古代から伝わっていた民間伝承の多くが失われる ことになったという説もある。 魔女狩りが起きた地域は、カトリック、プロテスタントを問わず、強力な統治者が安定した 統治を行う大規模な領邦では 激化せず、小領邦ほど 激しい魔女狩りが行われていた。 小領邦の支配者ほど 社会不安に対する心理的耐性が弱く、 魔女狩りを求める民衆の声に 動かされてしまったからか。 地域別に見ると、フランスは 地域によって差があった。ドイツでは 領邦ごとの君主の考え 如何で 魔女狩りの様相に違いがあった。 イタリア、ヴェネツィアでは 裁判は 多かった が、鞭打ちで釈放され 処刑はほとんどなかった。 スウェーデンでは 強力な王権の下で 裁判手続きが厳守されており、三十年戦争期には 占領したドイツ領邦で魔女狩りを抑止して いたが、17世紀中頃より大規模な魔女狩りが発生している。 スペイン(バスク地方を除く)では 異端審問が行われていたが、これが魔女狩りに発展する ことはなかった。 オランダでは 1610年を最後に魔女が裁判にかけられていない。 ポーランド、少し遅れて18世紀のハンガリーでは 激しい魔女狩りが起った。 イングランド では 1590年代がピークだったがすぐに衰退。 対照的に 17世紀以後 同君連合を形成して いたスコットランドでは 1590年代〜1660年代と長きにわたり、一方アイルランドでは ほとんど見られなかった。 フィンランドなど北欧数カ国では 16、7世紀における魔女迫害の被害者の多くは 男性で あったが、他の諸国では女性の被害者の方が圧倒的に多かった。 魔女狩りは、スイスとクロアチアの民衆の間で始まり、やがて民衆法廷という形で 魔女を 断罪する仕組みがつくられた。 異端の追求は行っていても、魔女裁判には 長く関与して いなかったカトリック教会が、異端審問を通して 魔女狩りと関わりを持つようになる のは 15世紀に入ってからであった。 ( 1384年と1390年 ミラノの異端審問所に、魔術を用いた容疑で訴えられた二人の 女性に対し、異端審問所では この種の訴えを裁くことはできないという判断を出している ) 魔女の異端審問は、 ワルドー派が多かった スイス や フランスのアルプスに近い地方で 始められ、最古の記録は、1428年 スイス、ヴァレー州の異端審問所が扱ったもの。 もともとこの地方の異端審問所はワルドー派の追及を主に行っており、やがて 異端の集会の イメージが 魔女の集会のイメージへと変容していった。 悪魔を崇拝する、 聖なる物品を侮辱する、 子供をとらえて食べる といった魔女の集会の イメージは、かつて異端の集会で行われていたとされたものそのままである。 さらに、魔女の概念が 当時のヨーロッパを覆っていた反ユダヤ主義と結びつくようになり、 「 子供を捕まえて食べるかぎ鼻の人物 」という魔女像がつくられた。 魔女の集会が ユダヤ人の安息日「サバト」という名で呼ばれるようになるのも 反ユダヤ主義 の産物である。 かくして、人々の間に共通の魔女のイメージが完成したのが 15世紀だった。 15世紀に入ると、魔女と魔術に関する書物が一種のブームとなる。 ニコラス・ジャキエの『異端の魔女に与える鞭』(1450)、 ウルリヒ・モリトールの『子供の血を 飲む魔女』(1489)、 ドミニコ会の異端審問官ハインリヒ・クラマーとヤーコプ・シュプレンガー による『魔女に与える鉄槌』(1487)など。 魔女狩りに対しては、当時から多くの反対意見が存在していたが、その中で とくに大きな 影響を与えたのは ヨハンネス・ウィエルスで、1563年 『悪霊の幻惑および呪法と蠱毒に ついて』を発表し、『魔女に与える鉄槌』を「 全く根拠も信仰もない 」と非難している。 その一方で、「 やっかいな悪魔に誘惑された高位高官の人びとに対する真からの同情心 」が 執筆の動機であるとして、魔女狩りは 悪魔の誘惑によるものであり 責任は悪魔にあるとの説 を展開し、これまで 魔女裁判を行った者への配慮も怠らなかった。 同書は 大きな反響をよび、多くの地方で 魔女裁判が寛大かつ慎重に行われるようになり、 魔女だとされたものが 同書の論理で弁明をすることもあった。 第三版の刊行時に ウィエルスは 皇帝フェルディナント1世に「 不当な魔女裁判の助長を 差し押さえる特権 」を請願し認められるが、次第に 魔女狩りを行う地方が増加していき、 ウィエルスが『悪霊の幻惑について』を執筆した地でも 1561年には水検査と拷問が復活。 魔女狩りへの批判は、裁判手続きの非合理性に向けられても、魔女信仰自体に向けられること はなかった。 むしろ 魔女狩り批判者は、「魔女」という神秘の存在は、そのような俗世間的 な手続きによって 安易に把握できるものではないと主張していた。 魔女狩りの最盛期は、16〜17世紀であったが、17世紀末になって急速に衰退していく。 なぜ魔女狩りが衰退したのかについては 様々な説があるが、どれも決め手に欠く。 ただ、17世紀末期になると 知識階級の魔女観が変化し、裁判も極刑を科さない傾向が 強まったこと、カトリック・プロテスタントともに 個人の特定の行為の責任は 悪魔などの 超自然の力でなく、あくまで 個人にあるという概念が生まれてきたことは確かである。 依然として 一般庶民の間では 魔女や悪魔への恐怖があって「魔女」の告発が行われても、 肝心の裁判を担当する知識階級の考え方が変化して、無罪放免というケースが増えたことで、 魔女裁判そのものが機能しなくなっていった。 イングランドで 1624年制定の魔女対策法が廃止されたのは1736年。最後の40年間は この法律で死刑となった者はいなかった。しかし、これを引き継ぐ妖術行為禁止令(1735)は、 1951年 詐欺的霊媒行為禁止令に取って代わられるまで存続し、1944年 ヘレン・ダンカン が最後の拘留者となった。 この逮捕は、彼女によってノルマンディー上陸作戦の計画が露見 するかもしれないことを恐れた軍情報部の要請によるものとも言われている。 この妖術行為禁止令は、アイルランドでは 1983年まで施行され続けた(実際に適用される ことはなかった)。 パレスチナを委任統治していた英の法制度を導入したイスラエルでは、 現在も施行されている。 魔女狩りは、当時のヨーロッパを覆った宗教的・社会的大変動が 人々を精神的な
不安に落としいれ、庶民のパワーと権力者の意向が一致したことで発生した。 現代の歴史学では かつての魔女狩りについてのイメージの多くが否定されているが、 多くのメディアなどでは 依然として 魔女狩りをステレオタイプのまま捉えて 「 キリスト教会主導で行った大量虐殺 」としている。 |
現代の問題4.
[ リスト ]





中世のヨーロッパの歴史の中で、私が注目しているのは、この魔女狩りと、動物裁判です。
いずれの場合も、最近の研究を読んでいると、教会の関与は過去思われていたほどではなく、むしろ民衆の自発的・リンチが多かったらしい。
教会を擁護するわけではないが、民衆の無政府的状況が、悪夢を生み出しやすい環境を作っているという事ではないか?
さらに近代に入って教会の力が弱まると、欧州は二度の世界大戦を実行している。
欧州の人間の精神的渇望を何かもっと良い物で埋めない限り、混乱は再発するだろうと思っている。
神の不在は西洋人の自信喪失と、その逆のやりたい放題を産むようだ。
今さらキリスト教に戻れとも言わないが、近代人の精神の飢えに適切に応えられる何かを与えないことには、混乱は止まらないだろう。
それにしても現代資本主義、欧州型に期待していたが、結果はアメリカ型の資本主義よりも悪くなっている。
歴史と伝統も余り役に立たなかったというのだろうか、
無力感を感じる。
このままアメリカ型に飲み込まれるのだろうか?
2010/5/8(土) 午後 4:39
魔女狩りね!! 確か私の読んだ本には殺されたのは男が殆どで大抵異端とされた宗教改革者だと有りましたよ!! まあ時代地域で偏りが在るのでしょうが、ほんとうの所何が真実なのでしょうか?
2010/5/8(土) 午後 10:24 [ 油食林間 ]
「 水がめ座 」さんへ。
そうですか! 「 魔女狩り と 動物裁判 」を・・・。
「 魔女狩り 」というのは、現代用語にもなっていますし、このシリーズ「 小氷期 」
では ぜひ取り上げたかったものです。
しかし、「 動物裁判 」というのは、初耳です。 興味深そうですね。
> 教会を擁護するわけではないが、・・・・
――― こうした逸脱行為は、キリスト教のみに責があるわけではなく、西欧人自身
の抱えている問題があるんでしょうね。 西欧キリスト教は、彼ら西欧人の自己表現
としても見なくてはなりません。
> 欧州の人間の精神的渇望を 何かもっと良い物で埋めない限り、混乱は再発する
> 神の不在は西洋人の自信喪失と、その逆のやりたい放題を産むようだ
――― 混乱は、すでに デカルトやジョン・ロック、さらにアダム・スミスの頃から
始まっているのでしょう。 彼らは イエス抜きで 事を為していこうとしていました。
表面上は 篤信のキリスト教徒を装って・・・。(続)
2010/5/8(土) 午後 11:48 [ kyomutekisonzairon ]
逆に言うと、
キリスト教は、彼ら西欧人の要求に屈して これを抑えきれなかったのでしょう。
一方で キリスト教に守られつつ、これに反逆してきたのが近世以降の西欧史だと・・・。
西欧の良心は よいものを求めつつ、いつも それを捉え損ねてきました。
最初は キリスト教、次は ルネサンス、さらに 科学、自然権、産業革命、国民国家、
そして、資本主義と共産主義・・・。 皆 何かに飢えて落ち着きのない反逆者の
思想であり 行動パターンです。
本来 イエスは こういう者の心を落ち着かせる力を秘めているのですが、どうしてか
西欧人には これが うまく機能しなかった・・・。
ーーー 私は、そこに パウロを考えざるを得ません。もっと違った風に イエス
を捉えることもできただろうに・・・と。
> 現代資本主義、・・・飲み込まれるのだろうか?
――― 飲み込まれるのかどうかは、我々の意思一つだと思います。
人は パンのみにて生くるにあらず。神の口より出る一つ一つの言によりて生く。
ですからね。 これこそ、人間が人間であることの証明でしょう。合掌
2010/5/9(日) 午前 0:05 [ kyomutekisonzairon ]
「 油食林間 」さんへ。 ムカデに刺されたそうですが、その後 どうですか?
魔女狩りには、女性ばかりではなく 男も その対象になりましたね。
また、これは プロテスタントとカトリックの宗教紛争の 余波では 必ずしもなく、
両派どちらの側にも 犠牲者が出ているようです。 また 宗教的な紛争と縁のない
地域でも 起っていますから、 異端者=魔女 ではないようです。
多くは、教会が関与する異端審問に至る前に、民衆裁判でやられています。
魔女狩りの流行は、西欧人全体が、何か大きな精神的な変動を経験していたため
ではないか? と、私は思っています。
実際、オスマントルコの脅威、新大陸からの銀流入による物価騰貴(価格革命)、
封建領主層の没落など 従来の社会構造が大きく変わった時代とダブります。
勿論 この間、 宗教改革、オランダ独立戦争や三十年戦争などがあったわけです。
合掌
2010/5/9(日) 午前 0:50 [ kyomutekisonzairon ]
動物裁判は、私のブログで何回か取り上げています。
過去記事をご覧ください。
検索で、「動物裁判」と入力すれば出てきます。
現在、ハーバード大学の政治哲学者サンドル教授の公開授業をとりあげています。
前回はジョンロックでした。
今回は、軍隊と、先進医療における倫理問題です。
解説を載せるつもりです。
また、お越しください。
2010/5/9(日) 午前 10:01
「 水がめ座 」さんへ。
「 動物裁判 」については、また 記事にしたいと思います。 合掌
2010/5/9(日) 午後 11:20 [ kyomutekisonzairon ]