魔女狩り(2)近年の「 魔女 」研究の多くは、魔女狩りを中世的迷信の残滓とみなす啓蒙主義以来の史観から離れ、これを中世に起源を持ちつつ 近代初頭に固有の問題 として捉え直す方向で 一致している。 魔女狩りを支えた 悪魔研究が 明確な形を取るのは 15C末であり、魔女裁判がピーク に達するのは、幾つかの例外的な地域( 例えば 18世紀に魔女狩りが始ったポーランド )を 除いて、16C後半から17C前半である。 すなわち、フランスでは 絶対主義が浸透しつつ あり( 絶対主義の理論家のジャン・ボダンは 魔女狩りの手引書も出版している )、オランダ ・イングランドでは 市民革命が戦われた時期( イングランドで 最も激しい魔女狩りは 内乱 の最中 1645年に起きている )、また ベーコン や ガリレオ や デカルト といった科学革命 の巨人たちの生涯と重なる時期に、ヨーロッパの魔女狩りはクライマックスに達する。 魔女狩りで、魔女の告発のイニシアティヴは エリートの側でなく、魔女と顔見知りの村の 隣人が取っていて、この告発者たちは エリートが持っていたのとは 別なロジックを使って 隣人を魔女だと名指している。 魔女狩りは 権力の側からの一方的な迫害として行われて いたのではない。 ケースを解釈するのはエリートの側だったが、ある人間を魔女として法廷 に連れてきたのは、ほとんどの場合 民衆の側だったのだ。 人間関係をめぐる もめ事 や 薬剤の購入、出産、病気などの際、一般庶民は 非公認の 民間薬剤師や民間医師の許へ通っていた。 彼らの大部分は 女性であり、患者と出身階層を 同じくし、原始的宗教が まだ広く信じられていた頃の薬剤の処方 や治療法を用いて、人々 特に女性患者の治療に当っていた。 古代から 予言者や占い師は、裁判の審問の際や大事件が生じた際に 重要な役割を 担っていた。キリスト教が浸透して 原始的信仰が弾圧されても なお、かつての魔術や呪術、 占いは 生き続けていた。 主として 恋愛に関連した魔術や呪術が 王侯貴族の婦人たちの間でブームとなったが、 それを下支えしていたのは 独学で占いや魔術を学び呪術を生業としていた貧困階層の 女性たちだった。 魔女は 単に超自然的な方法で 危害を加えるだけでなく、この能力を 悪魔との契約によって キリスト教を拒む事と引き替えに手に入れ、夜間に 空を飛んでサバトに集まって悪魔崇拝の 儀式を行うと考えられていた。 この キリスト教に特徴的な悪魔の理解は、初期中世から長い時間をかけて 神学や自然哲学 などにより進展し、15C の後半に明確な形を取る。 この長いプロセスのなかで 特に重要な のは、スコラ哲学で論じられた悪魔と魔術との関係と、12C から 異端の迫害をきっかけにして キリスト教と社会の敵に関する ステレオタイプが形成されたことである。 教父時代から キリスト教哲学者は、魔術・占星術などの異教の教養を キリスト教から 切り離し、それらは 悪魔の欺きであり 迷信であると論じ、魔術師は アンチ=キリストの手先 であると非難してきた。 7C のビザンティンでは、司教職を得るために悪魔と契約を結んだ 聖職者の物語も書かれ、現世での利益と引替えに 神を捨てるように 人間を誘惑する悪魔の姿 も定着しており、修道院の初心者向けの手引書のなかでは、悪魔の誘惑に対して 信仰と規律 で身を守るよう しばしば忠告されている。 こういった長い歴史を持つ 魔術と誘惑する悪魔を結びつける観念を水脈にして、12C に アラビアとギリシアの文献が ヨーロッパに流入し、それらに含まれていた 魔術への関心が 増大したときも、スコラ哲学者たちの多くは 魔術に対して むしろ これまでより厳しい態度を 取った。 ロバート・グロステスト オーヴェルニュのギヨーム, トマス・アクィナスなどの影響力 があった哲学者は、魔術や占星術の詳細な知識に基づいて、それらの多くは 悪魔の技である と論じている。 これら12・13世紀のスコラ哲学者の悪魔研究は、以前から存在した誘惑する悪魔と悪魔 の助けを借りた魔術に関する観念を、ヨーロッパのインテリに共有された体系的な世界観に はめこみ、それらを孤立した不思議な現象ではなく 合理的な説明と関心の対象である世界の 働きの一部であるとした。 この結果, 悪魔と魔術についての考察は、教養ある人間が学ぶべき 知識の一部になり、後に 悪魔研究が 広く知識人に共有される素地を作った。 ルネッサンスに入り マルシリオ・フィチーノが 新プラトン主義の文献やヘルメス文書を ラテン語訳して 西欧世界に紹介、自らもダイモーン魔術(神霊魔術)や精気魔術を研究し、 独自の理論を打ち立てた。フィチーノに続いて トリテミウスの『ステガノグラフィア』や ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパの『オカルト哲学』、パラケルススの『妖精の書』など が発表され、キリスト教における悪魔や精霊についての理論が構築されていった。 こうした学術的な文書に加え、紀元前1世紀ごろに 著された 黙示文学『エノク書』の 著者とされるエノクに しばしば帰される悪魔(堕天使)に関する一群の魔術文献、いわゆる グリモワールが 主に15〜19世紀にかけて生み出され、これらをもとに 多くの体系的な
悪魔学が展開してゆく。グリモワールは かなりの部分は ユダヤ人の神秘主義的伝統から
生まれたものだが、翻訳や解釈の課程で、誤解や拡大解釈、全く無関係の伝統との同一視などが繰り返され、情報量が肥大化していった。 しかし、この頃 西欧では『エノク書』 自体は忘れ去られており、グリモアと『エノク書』自体はあまり関係はない。 高度に洗練された哲学的な議論の外でも、後期中世のヨーロッパの知識人たちは 悪魔と 繋がりを持つ人間についての 強力なステレオタイプを形成していた。 カタリ派・ワルド派など の異端を迫害し、彼らを徹底して 邪悪な敵とするため、異端者たちは 秘かに集まって 同性愛・異性愛の乱交や近親相姦に耽り、嬰児を屠ってその肉を貪り、キリスト教の儀式を あざけって 悪魔を崇拝し 善きキリスト教社会と道徳を根本から転覆することを企んでいる という 社会の敵についての像が形成された。 この異端者のステレオタイプは、社会の 他の望ましくないセクターの上にも投影され、 らい病患者は 獣のような無差別な性欲を持ち( イゾルデは姦通の罰として らい病患者に 輪姦されるよう定められる )、ユダヤ人は 悪魔を崇拝し キリスト教徒の嬰児を殺して喰う ( 『ヴェニスの商人』のシャイロックは肉を要求する )などのイメージが 12C 以降 着実に 広がっていく。 この邪悪な社会の敵の像は、魔女の上に 徐々に結晶し、14C 始めから 魔女裁判の記録に 単に 超自然的な方法で危害を加えたという罪状だけでなく、悪魔の集団崇拝や嬰児殺しなどの 罪状が現れるようになる。 魔女と異端やユダヤ人のイメージが重なっていたことは、「魔女」をさす言葉として、しばしば 「カタリ」「ワルド」という異端をさす言葉が訛った形が用いられ、また魔女が悪魔を崇拝する 集会は 「サバト」「シナゴーグ」などのユダヤ教の言葉で呼ばれたことからも明らかだ。 <<<<
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現代の問題4.
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「悪魔」が発生することは現在でもよくある構図ですし,背景をよく理解することは大変重要だと私も思います.タブー,共同心理そういうものがどうやって形成されたのか,その当時の社会への情報発信はだれが担っていたのか,現代と違う状況の中でも参考になる点は多々だと思います.
2010/5/21(金) 午前 3:59
ayammtさんへ。 こんばんわ。
「 魔女狩り 」や「 悪魔学 」というのは、ルネサンス以降の西欧で 盛んになった
ものですが、 今も 欧米の映画などに その当時の心像が濃厚に見られます。
欧米人にとって、 これは 過去のことではなく、現在の彼らの心の中に、今なお
巣くっているものでしょう。
我々日本人も、映画などを通して 彼らの心の中の暗黒の心象が刻印されつつ
あります。
これへの解毒は、すでに 西欧においては 近代思想によって、表面上はなされた
ように見えますが、現に 今も 彼らは これを克服してはいないのでしょう。
現に、ヒットラーや共産主義、さらに悪の枢軸などのように、繰り返し 彼らは
外に 悪魔を作り出して、世界を混乱させています。 すなわち、西欧思想が これを
本当には 克服していない証拠です。 我々は、西欧人の心の中の暗黒を、西欧思想
を通じて 引き継ぎ、刻印されつつあるという自覚を持たなくてはなりません。
( 共産主義も、西欧思想である限り、外に悪魔を作ることで 自己を立てます )
合掌
2010/5/21(金) 午後 9:13 [ kyomutekisonzairon ]