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日の光に 明るさと温かさを感じ、夜の闇を暗いと言う。
我々は これに何の疑いももたない。
「 これは、事実であり 現実である 」と。
太古以来、この物質世界にのめり込んで生きてきた我々の、
これは、生存本能が感ぜしめる現実感覚であろう。
しかし、昼の明るさの中で、ここにのみ光と熱を感ずるほど
人間は 単純ではない。 単純ではないとは、
利口であるとか、叡智的存在であるという意味ではない。
昼の日中から 暗い心を抱いて 人間関係に苦悩する我々である。
世間の冷たさを骨身に感ずる時、日の光は 心を温めてはくれない。
常に 老病死の不安と恐れを抱えている・・・。
日の光に 明るさと温かさを感じ、夜の闇を暗いと言う。
この現実感覚を 「 無明・煩悩 」という。
科学は、この現実感覚の上に成り立っているのであってみれば、
科学というものは、「 無明・煩悩 」の所産ということになる。
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無明の闇宅において、智慧の燈(トモシビ)を然(モ)やす
――― 於無明闇宅 然智慧燈 (法集経)
犬儒派のディオゲネスは、ある日 真昼から ランプに灯をともして アテネの町を歩いていた。
人々がいぶかしがって声をかけると、
私は イヌと呼ばれている。そうかもしれない。
それでは 人間はどこにいるのか。
私は 人間を探しているのだよ。
と答え、相手の方にランプをかざして、じっと見つめるのであった。
この三界は、蓋(ケダ)し これ 生死凡夫の 無明流転の闇宅なり
――― 此三界 蓋是 生死凡夫無明流転之闇宅 ( 曇鸞・論註 )
( つづく )
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