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@ この山は 長らく 場所も忘れられていたが、1903年(明 36年) 1月 14日朝、大谷光瑞 ( 西本願寺第 22世法主 )率いる第一次大谷探検隊が朝日に照らされた この山を 仏典上の霊鷲山と確定。 数年後 インド考古局第3代目の長官 ジョーン・マーシャル の調査により 国際的に承認された。 ■ YOU TUBE 霊鷲山 闇に包まれている中、我々は 厚めの服を着、バスで 耆闍崛山の麓へ。 麓は まだ暗く、火が焚かれ あちこちで煙が出て、もう 多くの人々が動いています。 物売りが、珠手 や 日本語で書かれた仏蹟の説明本などを売り込もうと 盛んに声をかけて 付いてきます。日本語で話しかけてくる者もいます。 我々は、列を離れないように、霊鷲山の山路を 登っていきました。我々の傍らには、 インド人の警備員( 警察か? )が 無言で ピッタリとついていました。 ( 夜 暗くなると 治安が悪くなり、ピストル強盗が出るとも言います ) 路は ゆるく曲がりくねった坂路で、寄付金で舗装されてきたそうですが、 釈尊当時は、頻婆娑羅王が 山頂まで石段などを整備して 参道を作っていたそうです。 途中の岩場に 牛が二頭(番い?)横たわっているのを 見ながら、さらに登って行きます。 麓では 真っ暗だったのですが、登るにつれて だんだん辺りが 白みががってきました。 物売りも いつしか ついてこなくなりました。今朝 登るのは、我々だけのようです。 途中の休憩所で、しばらく息を休めて、さらに 登って行くと、ここから先は 釈尊や 頻婆娑羅王などは 馬車or象から降りて、徒歩で登ったという場所に来ました。 さらに 曲がりくねった坂を行くと、路近くの岸壁に アーナンダ(阿難)が 日頃 修行していた という岩窟がありました。 中は 三畳ほどの空間でした。 また、舎利弗の岩窟も・・・。 チベット 仏教の タルチョー の青・白・赤・緑・黄の旗が 掛っている 岩山の上から、団扇太鼓 を叩く音がします。これは、日蓮宗の日本人の若者が 一人、黄色い法衣を着て 山頂の 香室の外に坐って読経をしているのでした。もう 数年前から この地に居るそうです。 我々は、岩場の急な坂を上って、耆闍崛山(ギシャクッセン、霊鷲山)の山頂に辿りつきました。 岩山は 太古の造山活動の跡が生々しく、これでもかというほど 岩々を圧縮し ヒン曲げ 引き千切り 仰け反り 乗り上げて、数十〜百万年の風雨にさらされていました。 山頂には 畳 30丈ほどの平地があり、西側には幅3m、奥行き4mほどの レンガ造りの土台 が 長方形に造られており、これが 香室(釈尊説法の場)跡だと言うことです。 数人の男たちが居て、何だか分らない内に 香室の祭壇に捧げる 花輪を手渡されました。 我々は 靴を脱いで レンガ畳を踏みながら、日蓮宗の僧侶の読経が終わるのを待って、 香室内に入り 代表者の感話の後、勤行をしました。 感話は、 < 経典には この耆闍崛山で 釈尊は 「 大比丘衆 千二百人と俱(トモ)なりき 」とか、 「 大比丘衆 万二千人と俱なりき 」と書かれていますが、この狭い場所に そんなに多くの 人が居れる訳がない。しかし、釈尊の梵音( 教え )は、賢劫( ケンゴウ 現在の時間世界 ) の諸仏の教えと感応して、三千大千世界に鳴り響き、三世( 過去.現在.未来 )の一切衆生 の耳に届いていることを、このように表現されているのでしょう。 先生も “ 仏法が分れば、3000年前( より正確には 2500年前ですが )の釈尊も 目の前にいらっしゃるのだ ”と仰っておられました。遥か日本で 教えを聞いていても、 実際は 2500年前の ここに居て 釈尊の教えを聞いていたのだということを、しみじみ 感じます。 > と。 ( ☝は 感話そのままではなく、 私が 感話を こう聞いたのです ) やがて、太陽が 霞の雲の中から 赤く円い姿を現しました。 眼下は 急峻な斜面で、鬱蒼とした木々が麓の向うまで ずっと続き、往時の王舎城の 街々が 見えるようでした。 釈尊は、ここから 下界を観察して、大地にへばりつきながら 狂乱を重ねる人間たちを 深い智慧と慈悲の眼をもって 見ていられたに違いありません。 そして、この お心は、 ヒマラヤ山脈 や タクラマカン砂漠 や ベンガル湾 といった 自然の障害を越え、民族や 国家など 人為の壁を越えて、インドのこの地から 東アジア全域に溢れ出たのでした。 バンディ さんの話では、霊鷲山に登るには、多宝山の山頂まで ロープウェイがあるが、 これは ときどき 途中で止まり、足の下は 何もない状態で 恐ろしいとのこと。 この多宝山の山頂には 霊鷲山を見降ろすように 日本山妙法寺の世界平和塔があります。 @ 霊鷲山は、多宝山の山腹に突き出た小高い丘 多宝山には、ジャイナ教の寺院もある @ 日本山妙法寺: 開祖 藤井日達上人(1885 - 1985) 世界平和塔: 1969年 日本山妙法寺により建立された仏舎利塔 日本山妙法寺の仏舎利塔法要 ラージギル( 1971・秋〜72・春 ) 帰路、山頂の急な坂を下りると、往路では居なかった物売りが 待機していました。 麓までの下り坂を ずっと 彼らに付き纏われながら、ようやくバスに乗り込みました。 阿闍世の従弟(?)で医者のジーバカ(耆婆)が所有していた マンゴー 園跡を通り過ぎて、
朝食のため ホテルに帰りました。 8:00 朝食 9:00 チェックアウト ナーランダー大学遺跡へ。 |
インド仏蹟紀行
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