混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

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懲りない人々――これが科学者だ!


【 前の記事につづく 】

復興を問う 原子力安全研究協会理事長・松浦祥次郎氏

                           産経  4月2日 
 ■原発 事態乗り切り 経験生かせ
 −−東京電力福島第1原子力発電所の現状をどうみる
 「 原子炉に水を入れて冷やし続けるとともに 汚染レベルが上昇した水の漏出を抑えなくて
  はならない。やるべきことははっきりしているが、非常に難しい局面になっている。
  高い レベル の放射性物質(放射能)がある中での作業だ。現場が最もやりやすい環境を
  整える必要がある 」
 −−具体的には
 「 重要なのは、現場の トップ と国や東京電力など『中央』の人が どれだけ意思の疎通が
  できているかだ。原子炉に詳しい現場ですら 経験したことのないことが次々起きている。
  現場と中央が連携を密にし、色々な専門家が関わるべきだ。知恵を結集させなくてはならない 」
 −−地震国日本が原発をもつことは
 「 地震国でも耐えられる構造の原発を造ることは 工学的に可能だ。今回の事故を教訓に
  想定を超える津波にどう対応するか。例えば 潜水艦の技術を活用すれば、原子炉の冷却機能
  を失わない防水性の非常用電源を開発することは可能。原発の建設費に対して 高額過ぎる
  リスク コントロール にはならないだろう 」
 −−今後の原子力政策はどうなる
 「 今回の事故を受けて、政府と社会学者や工学者が集まって議論することになる。知恵を
  使って 日本が エネルギー を使わない社会を作ることもできるだろう。だが、それは別の次元
  の話だ。原発は 社会を動かし経済を成長させる エネルギー の源。福島第1原発が陥った
  ような全電源装置が喪失しても 冷却できる次世代軽水炉はある。安全な原発が可能なのだ
  から、今後も核 エネルギー を選択する可能性は十分にある。今は事態を乗り切り、経験を
  どう生かすかが問われる。 」

 ■ 日本原子力学界誌 2008.2
 ○発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針
                平成2年8月30日  原子力安全委員会 決定


田原 総一朗×孫 正義 対談 〜東日本大震災について

  他に、田中三彦氏・後藤政志氏
               4日3日 ビデオ (2時間40分)


    

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閉じる コメント(14)

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今回の震災、津波、原発事故、これら一連の社会的動乱に対して、宗教人からの、正面切った意見、見かけないですね。

虚無さんの仏教者としての意見を聞いてみたいが、今のところ環境派の意見と同じでしょ、、、

2011/4/8(金) 午前 4:44 みずがめ座 返信する

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技術的に可能だという見通しがあるのでしょうけれど,その前提,仮定が妥当なのか,ギリギリと詰めて行けば,経済性が確保できないという結論に至って,原発推進断念となると見ています.前提がそれでいいのか!甘過ぎないか!戦争,未曾有の天変地異,何でもあり得るでしょう.当然廃炉,放射性廃棄物最終処理など,バックエンドの問題も解決してからにしろ!と主張するのも合理的な反論です.

2011/4/8(金) 午前 6:21 ayammt 返信する

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「 水がめ座 」さんへ。お早うございます。
> 今のところ 環境派の意見と同じ
――― なるほど、そうですね。 彼らとそう違いはないですね。

仏教徒として、この状況を どう考えるか? また、どう生きていくのか?
――― これが語られねば、このブログの意味がない、ですね。

しかし、これも まだ 時機尚早だと、私は考えているのです。
今日の仏教徒も また 99%以上の人が、科学技術崇拝者なのです。
これを破らないことには、また 彼らは 原発に依存した生活も、欧米流の思想
からも自立することのないまま、観念的・心情的な仏教を語ってしまいます。
仏教は 思想や哲学ではなく、生活の中で語られ、聞かれなくてはならない
ものだと、私は思っているのです。合掌

2011/4/8(金) 午前 9:14 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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ayammtさんへ。 お早うございます。
前々代の原子力安全委員会委員長・松浦祥次郎氏の言は、一見 力強く魅惑的
に聞こえます。 たいへん 前向きですね。

彼の言葉の トリック を見破る力を、我々はもたなくてはならないと思います。
それは、まず 彼に代表される科学・技術者は、その多くが 自己を抜きに語って
いるという事実です。即ち、彼の言葉は 科学・技術者としての言葉で、裸の人間
としての言葉ではないということです。彼は 自己を科学・技術者としてしか
理解していないという 恐ろしい事実です。
<自己が自己であり得るのは、当該科学・技術者である時、ただ その時に限る>
のですから、彼の場合は 原子力の推進しか語れない訳です。この度のような
事態に遇って、しかも 自己であり続けようとすれば、原発放棄は 自己の放棄に
なってしまうので、彼の科学・技術的知識を総動員して 自己を守らなければ
なりません。特に、彼のように 原発推進から社会的地位や生活を支えられて
いる人は、余程のことがない限り その選択肢しかないでしょう。(続)

2011/4/8(金) 午前 9:40 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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彼は、自己を守るように、その科学・技術的知識を使います。彼の大前提から、
> 地震国でも耐えられる構造の「 原発を造ることは 工学的に可能だ 」
――― という言葉は、必然的に出てきます。もし、地震以外のことが問題と
なれば、また「 ** に耐えられる原発を造ることは、工学的に可能だ 」
と言うでしょう。 色々な理屈をそこに付けて・・・。しかし、これは 何か根拠
があって言うのではなく、自己を支えるために言うのでしょう。こうして、彼らは
素人を煙に巻き、自然や社会を破壊しながら、多くの金を蕩尽してきました。

彼らの為した事で、社会が受け入れられないようなモノが出てくると、
< それは、未だ 科学が発展していないからであって、それを為した自己に
責任があるのではない >
というのが、彼らの いつもの 巧みな逃げ口上です。
「 巧みな 」とは、「 自己が悪いのではない。むしろ 誠実な者だ 」という
自己正当化であり、<さらに 科学を発展させれば 問題は解決する>というのは
「 自己の営みを 社会が保証せよ。そうすれば 問題を解決してやる。(続)

2011/4/8(金) 午前 10:00 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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もし保証しなければ、社会の不利益になる 」という “居直り強盗”のやる恫喝
でもあるのでしょう。

しかし、こういう言葉を臆面もなく 彼らに言わせているのは、我々一般人に
学校教育などで 深く刷り込まれた、科学・技術崇拝です。無条件に とにかく
<科学・技術がなくては、我々は 生きていけない>、<科学・技術は 素晴しい
ものだ>、<人類は、科学・技術を発展させるべく運命づけられている>
・・・などなど といった観念(=ドグマ)です。
我々の側が、こういう観念でしか ものを考えられないために、どんな激甚な事
が起ころうと、
> 安全な原発が可能なのだから、今後も 核 エネルギー を選択する可能性は
十分にある。今は事態を乗り切り、経験をどう生かすかが問われる。
――― という「 現代の司祭 」の言葉が、我々の耳に抵抗なく入ってきます。
合掌

2011/4/8(金) 午前 10:17 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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まったくそうだと思います。
そして原発に反対する人は、反近代で、石器時代にもどれ、というおどしですね。

その一方で、大衆は自分の息子が東大にはいったことを自慢している。
そして大企業で出世することを夢見ている。

私は福井県出身で農村です。
本家の娘が、北陸電力のエリートサラリーマンと結婚していることを自慢しています。
この人たちが、敦賀に原発を建てているのだ。

2011/4/8(金) 午前 11:27 みずがめ座 返信する

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「水がめ座」さんへ。 こんにちわ。
そう、我々は 皆 どっぷりと利害関係の中に取り込まれていますね。
好むと好まざるとにかかわらず・・・。
民主主義とか 人権とか 自由・平等とかと言っても、牢獄の囚人における
それです。この牢獄は、本来 非合理的で 理不尽なものですが、これについて
言及することはしてはイケナイ、考えてもイケナイ、問題にしてはイケナイ
という意味での、民主主義であり 人権であり 自由・平等です。

これは、近代以前よりも 過酷で厳しい民衆管理の世界です。しかし、この囚人
には、物質的な生活の資材 や 享楽の具がフンダンに提供されていますので、
自分を人権があり 自由で平等な社会の人間だと思っています。 ちょうど、
鶏舎に飼われているニワトリと同じ境遇だとは、全く思えない・・・。

自分の生き死にさえ、自分の自由にならず、他の人間にコントロールされている
ことが自覚できないほどに、我々は飼い馴らされています。近代文明社会or国家
とは 人間の自由を奪って、初めて成立する牢獄なのだということが・・・。
合掌

2011/4/8(金) 午後 5:24 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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(追って)
この原発事故に対して、単なる エネルギー 問題として捉えようとする論調が、☝に
新たに貼り付けた「 孫 正義 」氏の対論の中に、象徴的に出てきています。
「 原発は もう社会に容認できない 」ということから、「 他のエネルギー 」に
社会をシフトしようという考え方です。経済界などは、この論に飛びつき易い
でしょうが、ここで踏ん張って、もう一歩 踏込まなくてはならないでしょうね。
これが、また 大変な労力です。

取り敢えずは、これを睨みながら、原発を 早急に廃棄すべしという当面の問題
から、論点を炙りだして行きたいと思っています。合掌

2011/4/8(金) 午後 5:44 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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「発する言葉は立場に縛られる」というのは真です。科学者に限らずあらゆる場合に当てはまることであり、その人の発言がその人そのもの、その人の生き方そのものである、というkyomu様の主張は正しいと思います。kyomu様も自分の生き方を否定するような発言を自らすることなどないし、ブログにおいて科学技術批判こそすれ、仏教について内省的なことを記事として取り上げたことは殆ど無いと思います。相手の発言が立場に縛られているのを見たとき、「私はあなたを信用しない」と突き放すか「私とあなたは考え方が違う」と対話をするかで、人類の将来は大きく異なってくると思います。

2011/4/9(土) 午前 7:16 ayammt 返信する

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私は原子力発電には絶対反対ですが、一般論として科学技術には良い面、私たちに恩恵をもたらしてくれる(と思わせてくれる)面があるので後悔しないように気をつけながら活用すべしというスタンスです。kyomu様がドグマと呼ぶところの、戦後の科学技術教育は、たしかに経済発展のためのツールとしての役割を強く意識して来たため、正確な意味での科学教育ができてこなかったという反省はあってよいでしょう。ただ、科学技術崇拝・洗脳がどこで起きているか、と考えると、そういうシステム的なものではなく、テレビ・洗濯機・冷蔵庫が生活に入ってきたときの生活が楽になったという実感と感動、あるいは自動車や携帯電話を使ったときの便利さの実感、というプロセスの中で、自然と科学に対する期待が醸成されてくるものだと思います。現代とはそういう時代でしょう。

2011/4/9(土) 午前 7:45 ayammt 返信する

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この福島原発の問題の切り口についてですが、仰るように複数の階層でありうるでしょう。]Ч学上の問題(安全設計ができていなかった) ▲┘優襯ー技術政策上の問題(原発を使うか使わないか) 社会的問題(エネルギー大量消費社会への問題提起) ぜ匆馘学的問題(科学技術への依存度を下げるか下げないか)ッ狼綉模での人類存亡の問題(どのように生き延びるか)
保安院や原発推進派は,△燭蠅如△隼廚辰討い襪里任靴腓Δ韻鼻∋篥には↓あたりで大いに議論すべきと思います。現在のところきイ隆囘世聾当たりませんが、kyomu様はい△襪い廊イ覆里と。

2011/4/9(土) 午前 7:58 ayammt 返信する

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ayammtさんへ。 お早うございます。
このブログの一つの柱は、仰るように 科学・技術批判です。そして、それからの
脱却の試みです。 仏教を表だって語ることは、最近は 少なくなりました。
しかし、これは 私が 仏教から逸れて行っているのではない と言いたい
と思います。

>相手の発言が立場に縛られているのを見た時、「私はあなたを信用しない」
と突き放すか、「私とあなたは考え方が違う」と対話をするかで、人類の将来
は大きく異なってくる
――― この場合、即ち この松浦氏 はじめ原子力安全委員会の方々には、
今まで 多くの人たちが 件の福島原発などに対する危惧や提案を、様々な形
で為してきましたが、これに対して 松浦氏らは まともな対話をせずにきました。
なぜ、この人たちと対話が成立しないのか、その理由を ☝に述べたのです。
合掌

2011/4/9(土) 午前 8:28 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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(追って)
現代の科学者は、特に20世紀になって、松浦氏に特徴的に見られるような
科学者になりました。もはや 17世紀のライプニッツのように、人間の生き方
を探究することと不可分の思惟としての科学は どこにもありません。
科学は、19世紀には、人間存在の探求を放棄して、人間社会の福利のための
科学になり、20世紀には 国家の さらには経済至上主義を支え、人間の欲望を
満たす科学となりました。私は、これを恐ろしいことだと思っているのです。

また、科学の揺籃期、デカルトは「 すべてを疑う 」ことを、科学的思考の基礎
に据えましたが、彼は この基礎自体を疑う契機を その思考から排除しました。
このため、デカルトの思考は 同時代のパスカルから「 無用にして不確実 」と
批判されましたが、西欧人たちの多くは このパスカルの言を無視してきました。
合掌

2011/4/9(土) 午前 9:21 [ kyomutekisonzairon ] 返信する

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