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もう少し、「 防災基本計画 」について 見ておきます。
まず、 この計画書の沿革は、内閣府の防災情報ページによると ☟ のようです。
・ 災害の種類に応じて講じるべき対策が容易に参照できるような編構成としています。
災害予防・事前準備、災害応急対策、災害復旧・復興という災害対策の時間的順序に沿って
記述しています。 国、地方公共団体、住民等、各主体の責務を明確にするとともに、
それぞれが行うべき対策をできるだけ具体的に記述しています。
防災基本計画の体系
・ 防災基本計画は、我が国の災害対策の根幹をなすものであり、災害対策基本法第34条
に基づき 中央防災会議 が作成する防災分野の最上位計画として、防災体制の確立、防災
事業の促進、災害復興の迅速適切化、防災に関する科学技術及び研究の振興、防災業務計画
及び 地域防災計画において 重点をおくべき事項について、基本的な方針を示しています。
第2章 防災の基本方針
○ 防災とは,災害が発生しやすい自然条件下にあって,稠密な人口,高度化した土地利用, 増加する危険物等の社会的条件をあわせもつ我が国の,国土 並びに 国民の生命,身体
及び財産を災害から保護する,行政上 最も重要な施策である。
・・・ 略
○ 災害対策基本法(以下,「法」という)に基づくこの計画は,震度7を記録し 6千3百人を数える
死者・行方不明者をもたらした阪神・淡路大震災など 近年経験した大規模な災害の経験を礎に
,近年の防災をめぐる 社会構造の変化等を踏まえ,我が国において 防災上必要と思料される
諸施策の基本を, 国,公共機関,地方公共団体,事業者,住民 それぞれの役割を明らかにし
ながら定めるとともに,防災業務計画 及び地域防災計画において重点をおくべき事項の
指針を示すことにより,我が国の災害に対処する能力の増強を図ることを目的とする。
激甚な原発事故後においては、
上のような文言に、一種 白々しさを感ずるのは、私だけでしょうか。
防災基本計画は、防災の基本方針として、
防災とは,・・・ 増加する危険物等の社会的条件をあわせもつ我が国の,国土 並びに
国民の生命,身体 及び財産を災害から保護する,行政上 最も重要な施策である。
と歌いあげていますが、
1. 増加する危険物等の社会的条件をあわせもつ我が国 と言いつつ、国が 原発政策を
続けてきたことは、危険物を増加させて、防災の基本であるはずの 災害予防 を軽視していた
という自己矛盾を、政策的に為してきたことになります。
増加する危険物等の社会的条件 を減少させるのが、本来の防災というものでしょう。
2. 原発事故によって、 国土が失われたということは、
防災というものが、国土 ・・・財産を災害から保護する のが 行政上最も重要な施策である
ならば、原発政策を推進してきた この国の行政は 看過できない失策をなしたことになります。
すなわち、国は 自ら この防災基本計画を 反故にする政策をとってきたのです。
3. 政府は 十分な情報の開示を渋り、放射能汚染地帯に 住民を放置し さらに 除染&帰還
政策をとっていますが、これは
防災とは,・・・ 国民の生命,身体・・・を災害から保護する,行政上 最も重要な施策
であるという 防災基本計画の「方針」に反した行動でしょう。
しかし、そもそも この防災基本計画 の「 第 10 編 原子力災害対策編 」自体に、
「 原子力災害の対策の本質は 放射能から住民を守る対策である 」ということが、曖昧に
されており、 沢山の文字を費やして たいへん詳細に 対策が記されている割には、
冒頭に歌いあげている 防災の基本方針 は、明瞭に具体化して述べられていないのです。
あたかも、最後に 眼を入れることを怠った 龍の画のごとくに・・・。
こうした、防災基本計画の姿勢は、当然に ☟ を結果しました。
原発事故後、浪江町山間部に隣接する飯舘村には南相馬市からの避難民が集まっていた。
避難してきた人たちに食料が要る。飯舘は村ぐるみ救援に動いた。同村長泥(ナガドロ)の地区長 を務める鴫原(シギハラ)良友(60)も、 地区の家々に米1升ずつの供出を頼んで回った。 集まった米を炊き、長泥の人たちは 握り飯を握って避難した人たちに届けた。 3月15日が 600個、16日と17日は 300個。 「 放射能? そんな意識は全然なかった。 原発の交付金も来なかったが、放射能も来ない、 そんなふうに信じ切っていたな 」 ・・・ 長泥の南東は 浪江町赤宇木(アコウギ)で、その隣が昼曽根。 福島第一原発から見ると北西に 昼曽根、赤宇木、長泥と続く。飛散した放射性物質は、それら北西方向の集落に落ちていった。 「 見てみな、3月17日のデータ。 毎時95μ㏜あったんだ。あんとき、おら握ってたんだよ、 おにぎり 」 ・・・ 20日の数日前と記憶している。 地区中心部に白いワゴン車が止まっているのに気がついた。 「 2時間位いたんだ、最初。車止めてな。車から棒出してんだ。白い防護服着て。ガスマスクして 車から出ることもあったが、すぐまた 車に入ってしまう。 ちょっと出てきて話しろって言ったんだ。 おらは このまんまだから。マスクもしねえで 」 30キロ圏の外は全く安全なはずだった。そこに ガスマスク防護服男が現れ、車から出ずに 棒を出して測定する。異様な光景といっていい。 「 どうなんだって言っても答えない。 線量の数値も教えない。どうなんだって言ったら たばこ 吸ってんだよ。 ふざけんなこのやろうって思って 追及したんだよ。文部科学省の職員なのかっ て 聞いたら違うと。 なんで こんな車さ。 文科省の職員じゃないのかといったら違うと 」 やがて押し問答に。 「 わあわあと言ってるうちに、今度は下請けなんだと。下請けの下請けなんだと。上さ 聞か ない とだめだと 」 ・・・ 「 線量計を見ないのかって言ったら見ないんだって言うんだけど、貸さないんだよ。長泥地区 に ひとつ貸してくれ、おらが見て、みんなにこうだと言うからと 」 「 分かった。 貸さねえんなら 今度は 掲示板書け といったんだ。それでも すぐには書いてくれ なくてな。書いてもらうまでに 1週間くらいかかった 」 鴫原の要求で、やがて 地区の掲示板に数値が載り始めた。さかのぼって載せたのだろう。 17日が 毎時95.1μ㏜で、18日が 52、 19日 59.2、 20日 60、 21日 45、 22日 40、 23日 35、 24日 30、 25日 27……。 ・・・ 傍ら、政府は安全といい続けた。 3月18日午前。官房長官、枝野幸男の記者会見。 「 周辺の数値でございますが、部分的に大きな数字が出ている所はありますが、全体としては 人体に影響を与える恐れのある大きな数値は示されておりません。若干高い数値が出ている ポイントがございますが、ここについても、直ちに人体に影響を与える数値ではないと 」 23日午後にはこう言った。 「 30キロ圏外の一部においても、年間100m㏜以上の被曝線量となり得る ケース も見られます が、現時点で 直ちに 避難や屋内退避をしなければならない状況だとは 分析をいたしておりま せん 」 住民は 安全と信じて住み続けるほかなかった。 鴫原はいう。 「 防護服の男たちが来た時、子供もいたよ。俺の孫もいたもんな。まあ、10人か20人いた 」 防護服男は「 文部科学省の下請け 」的ないい方をした。 ・・・
一枚の文書がある。 旧日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)が1999年10月に出した。 放射能 の影響予測や放射線量のデータを公表する際のルールを記した一枚紙だ。 外部からデータの提供依頼があれば、依頼された者は データ管理者にお伺いをたてる。管理者 は 部長に聞き、部長は 所長に聞き、所長は 副理事長に聞く。 副理事長がOKを出すと、逆の順番でOKが伝達され、安全管理室を通じて外部に提供される。 注釈が付いていて、「 学問的に十分な質であることを確認 」とある。 要するに、相当に面倒な手続きを踏まなければ 外部にデータを出せないことになっている。 「 我々は この文書を『箝口令(カンコウレイ)』と呼んだんですよ 」 同機構労組の委員長を長く務める岩井孝(54)が説明する。 同労組の略称は 原研労組。 機構には旧動燃系の原子力研究開発労組もある。 「 自分たちが知った情報は、たとえ住民のためになることでも 職務上の秘密だ、出すなという ことです 」 文書が出たのは 同年9月30日の東海村臨界事故直後。 つまり、臨界事故に伴う各種データを 流出させないために この文書が作られた構図になる。 だから「箝口令」。 「 あの時、我々の仲間が測りに行ったんですけど、なかなか国がそのデータを出さなかった。 住民被曝の懸念を示すデータもあったのに、出さない 」 個人で出せば処分が待っている。 ならば組合でまとまってやればいいのではないか。そう 考え、 組合として 住民に知らせるべき情報を出したりしたという。
同じようなことが、12年後の今も繰り返されている。 「 原子力機構にはモニタリングや環境測定を仕事にしている人たちがいます。その人たちが 動けない。 だめだ、放射線量を測ってもデータを出せないんだという。なぜ 出せないんだと聞く と、国が情報を管理するから機構として測っても 発表できない、と上司にいわれたと 」 データなんだから出さないのが間違っている、と岩井は憤る。 「 出すべきものを出さない、だから 国の言うことは信用されない 」 「 放射線量を書いたメモも廃棄しなくちゃだめだと言われているんです。 外に流れたら 困るから と 」 (つづく)
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米空軍が日本の都市を爆撃し始めたころ、指導者は「これに対処する万全の準備をすでに完了いたしております。」と述べた。そして、多数の市民が無差別攻撃で死んでいった。
福島の原発にメルトダウンが起こっても、指導者は「ただちに人体に影響はない」を繰り返し、「食べても飲んでも大丈夫」と国民に伝えた。
この国に、最悪のシナリオを語って見せる者はいない。誰も悪い夢は見たくない。安らかに死んでゆきたい。ひ弱な花か。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
2011/12/11(日) 午前 5:59 [ nog*1*391j* ]
nog*1*391j* さんへ。こんにちわ。
戦争中の空襲 ―――これは ヒドイことでした。1945年1月以降、ルメイ
指揮下になされたものですね。 時の軍部や政府中枢は、日本国民を守るより
自分らの保身を優先して、ズルズルと戦争を継続し、被らなくてもよい悲惨を
大量に作り出しました。そして、徹底的な敗北。国破れて山河あり。実に 恐ろしい
事態に、当時の政官財などの指導層は この国(≠大日本帝国)を導きました。
そして、日本人は、自分の足で立ち上れない程 腰骨を折られたまま、米国に
おんぶに抱っこで、戦後の経済成長に狂奔しました。
折られた腰骨を 時をかけて治癒する暇もなく、物質的豊かさに引きづられ、
科学・技術に 子供らの夢を掻き立てつつ、国中 右から左まで身を委ねました。
戦前の体制(指導者層)は、天皇から始めて 結局 国を破綻させた責任をとり
ませんでした。(続)
2011/12/11(日) 午後 1:28 [ kyomutekisonzairon ]
こうした 戦前・戦後を通じた無責任体制が、後先考えることなく 原発という
トロイの木馬を、この国に導き入れた訳ですから、これが本性を露わにしても
とうてい マトモな責任ある対処ができないのは、当り前です。国民を 裏切るのは、
洋の東西を問わず 近代国民国家の エスタブリッシュメント (政官財学)に括り付けのこと
でしょうね。
戦争で 国土を侵略されても、山河は ふつう残ります。しかし 原発の導入は、
この度のような激甚事故で 国土を失い、大量の放射性廃棄物などで 子々孫々に
至るまで 重い負担を残し 国の自由を奪われます。
( 他国の侵略によって、今日 国土の山河は滅ぼされるようになりました。
なぜなら、侵略者は 経済的利得を求めて 科学・技術を使って、国土の自然を
平気で収奪・破壊するだろうからです。彼らは 例えば 平気で 原発を建設する
でしょう。米国が 日本にさせたように・・・。 )
合掌
2011/12/11(日) 午後 1:59 [ kyomutekisonzairon ]