混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

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東京新聞 2月20日から


 
  福島県南相馬市の市民団体 「フクシマの命と未来を放射能から守る会」 が20日、南相馬市で記者会見し、市内の旧緊急時避難準備区域 (昨年9月解除) だった駐車場の土壌を測定した
結果、最大で 1kg当たり 約108万㏃の高濃度の放射性セシウムを検出したと発表した。
 東電福島第1原発事故で 南相馬市には 局地的に 放射線量が高い 「 ホットスポット 」 が点在しており、 団体は「 放射能の危険が足元に迫っている。 早急に 状況を把握すべき緊急事態だ 」と指摘している。
神戸大の山内知也教授(放射線計測学)が 団体から依頼を受け、昨年12月21日に南相馬市内の土壌を採取し測定した。      (共同)
 


 
 
 原子力安全委員会の班目春樹委員長は 20日、原発の安全評価(ストレステスト)について
 「 1次評価だけでは 安全委が要求する安全確認が終わったことにはならない 」と述べ、
 1次評価だけでは 不十分との見解を明らかにした。
 政府は 1次評価を原発再稼働の条件にしているが、班目氏は 「 安全評価と再稼働は 次元
の違う話。 再稼働の是非は政府が判断するとしており、安全委として 何か言うつもりはない 」
と述べた。
経済産業省原子力安全・保安院は、関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の1次評価を妥当
とし、安全委に報告。安全委は 今後、外部の専門家を含めた検討会を開く。  (共同)
 


 
  東日本大震災で生じた瓦礫の処理受け入れに向け、岩手県山田町の瓦礫を試験焼却した
静岡県島田市は 20日、灰が含む放射性セシウム濃度を検査した結果、 1kg当たり 64㏃と
国の基準値を下回ったと発表した。
安全性が確認されたとして、市役所やごみ焼却施設など 市内7カ所で 焼却灰を市民に公開した。
市役所とごみ焼却施設には、空気中の時間当たり放射線量を 灰の周辺で測定できるよう線量計を用意。
家庭ごみに瓦礫を 15%程度になるようまぜて焼いた灰と、家庭ごみだけ燃やした灰を展示した。
家庭ごみだけ燃やした灰のセシウム濃度は 1kg当たり 48㏃ だった。 (共同)

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ayammt さんへ。こんばんわ。
>「ふつうの人間は、国家政策などに責任をもとうとは思いません。また その
能力も意志もありません。」とストレートに言い,・・・
――― これは、私が西欧啓蒙主義を嫌いだから言うのではありません。事実を
言っているのです。

>平等思想や,人間の理性や人権信仰など クソクラエ だ!ということでしょうけど.
これらを否定した後に何が残るのでしょうか
―――普通の人は 平等思想や人間の理性・人権信仰がある訳ではありません。
これらは、国の法的な基礎になっていて、何かしたり言ったりする際の自己正当化
の手段として使われているにすぎないと思います。

例えば、自民党が 長らく政権についておれたのも、彼らが これを心から信じて
いなかったからですね。また、社民党が 国民の広い支持を得られない根本は、
その啓蒙思想崇拝にあるでしょう。
西欧の啓蒙の理念がなくなって 真に困るのは、欧米人であって、我々日本人では
ないでしょう。日本人は、別の人間観・世界観の上に生きていますから・・・。
( つづきは、後ほどします ) 合掌

2012/2/25(土) 午後 8:54 [ kyomutekisonzairon ]

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(つづき)
ただ、今日 若者は、否 戦後の教育やマスコミ(進歩的知識人)は、日本の古典
に対する教養を軽んじ、和歌や俳句の嗜み、漢文を読むことを軽視してきました
ので、そういう言葉を失っています。西欧啓蒙の言葉しか話せない状態ですので、
深層心理では 伝統的でも、その心を表現する言葉で思考したり話したりできなく
なっています。

意識の表層で、利害打算のための西欧啓蒙の言葉しかもっていませんし、その思考
の言葉も 西欧産の概念を使うしかない状況です。すなわち、自己の思考・感情を
適切に表現する言葉を奪われています。
それ故、「これらを否定した後に何が残るのでしょうか」という疑問が出てくる
のも、また 当然でしょうね。

> 利益誘導などに乗らない賢さくらいは身につけるべきでしょう
――― それに越したことはないですが、我々は それほど賢くはないだろう
と思います。
「さらに ガンバロー」と、事を先に延ばすのではなく、「ガンバラナクテモヨイ」
と、一度立ち止まって 自己の現実(足元)を見直すことが大切だと思うのです。
合掌

2012/2/25(土) 午後 9:58 [ kyomutekisonzairon ]

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「日本の若者は・・・深層心理では 伝統的でも、その心を表現する言葉で思考したり話したりできなくなっています。」
ーー私は若者ではありませんが、この点は自分に照らし合わせてもご指摘のとおりで、自分でもそれはわかっています。感じるものがあっても適切に表現ができないというのはフラストレーションがたまるものです。

ここでは国家(国家体制)の話をしてきたので、その意味で「これらを否定した後に何が残るのでしょうか」としています。平等思想に基づき機会の平等が担保されている社会はそうでない社会に比べて希望があるとおもいます。人権はおかしい適用事例が多いですが便利な概念です。歴史の中ではむしろこのような概念がない時代の方が圧倒的に長かったでしょうけど、その時代のほうが現代よりもずっとよかったと比べることは出来ません。
どのような理念に基づく「ガンバラナクテモヨイ」国家がありうるのか、orあるべきなのか、是非kyomu様のご意見をお聞かせください。

2012/2/26(日) 午前 7:24 ayammt

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私達の意思だけではままならず、国家による制約があるとおっしゃいましたが、同時にそれは世界の中で相互依存しながら存在する日本という意味で、日本もいろいろな制約があります。はっきり言えば日本の独立性など現代では絵空事であり、エネルギーの確保、食料の確保、国際経済における富の確保が必要で、「さらにガンバロー」と言わないといけないのではないか、という強迫観念があることは事実です。このロジックの中に入ると解決策はないだろうということで、別の独立した視点から「ガンバラナクテモヨイ」という人は沢山いるのですが、一歩踏み込んでお互い対話し、一般の人が納得できるような具体的な道筋まで言及できない人がほとんどなので閉口しています。

2012/2/26(日) 午前 7:35 ayammt

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ayammt さんへ。こんばんわ。
我々日本人の心の底からの感覚・問題意識を 借り物の言葉(概念)ではなく、
心の底から納得できる言葉で表現できるようにならなくては、現代の問題を 真に
我々が解決するということはできないでしょうから、これ(言葉)は 本当に
大切ですね。

> 平等思想に基づき機会の平等が担保されている社会はそうでない社会に比べて
希望がある・・・
――― 私は、まったく希望を持っていないのですね。平等というものは、
人間社会である限り、どの社会にもありました。ただ、今日のような 平等概念
ではなかっただけのことでしょう。今日の平等概念は 物質に依存したもので、
自然収奪型・エネルギー多消費型の平等概念だと思います。いわば、堪え性のない
平等概念だと思います。

> その時代の方が現代よりもずっとよかったと比べることは出来ません
――― ものを比べるには 何かの基準で決めるわけですが、よかった・悪かった
の判断基準は何か? が問題ですね。(続)

2012/2/27(月) 午前 0:30 [ kyomutekisonzairon ]

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> どのような理念に基づく「ガンバラナクテモヨイ」国家がありうるのか・・・
――― 人は ガンバラナクッチャいけませんね。ガンバラナイというのは、大抵
怠惰になり、人間が腐ってきます。
問題は、何をガンバリ、何をガンバラナイか? でしょう。
今日のように、
「 エネルギーの確保、食料の確保、国際経済における富の確保が必要で 」と、金儲け
や科学・技術にガンバルのか? 経済強国・先進国になりorであり続けるように・・・

「先進国」というのは 現文明の先進国ですね。先進(先にorを進む)ということ
に、日本人は 明治以来ガンバってきました。そして、原爆で 先進性における
軍事力を放棄しましたが、なお先進性を追求して 経済成長と科学・技術の発展
にガンバってきました。これが、至上命題だったわけですね。だから、そのために
戦争も厭うことがなかったですし、原発事故も厭うことなく、その政策の失敗は
責任を問われることがないのでしょう。ミナマタもそうでした。(続)

2012/2/27(月) 午前 1:21 [ kyomutekisonzairon ]

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どんな悲惨事が起きても、この至上命題を変えない限り、それは 大した悲惨事
とは見なされません。事は、過小評価され 隠蔽され、被害者は社会の日陰者
になります。交通事故や医療による被害者(これは交通事故の被害者数以上です)
や薬害の被害者などもそうですね。
※ これらは、文明の発展という至上命題のために、人間が意図的に為すもので、
人間の不可抗力による自然災害ではありません。所謂、自由平等という文明の理想
のための現代版・人身御供です。

この至上命題を、私は ガンバラナクテモヨイ と思うのです。そして、ガンバラナクッチャ
ならないのは、この至上命題ie.文明の発展から降りることだと思います。

「エネルギーの確保、食料の確保、国際経済における富の確保」が必要なのは、この
至上命題を進めるためでしょう。これから降りる方向であれば、これは主要な問題
とはならないと思います。合掌

2012/2/27(月) 午前 1:40 [ kyomutekisonzairon ]

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仰ることはよく分かりますが、「文明の発展から降りることです」というのは一人では成し得ないことです。国家レベルとしても可能かどうか、可能であっても長い時間が係ることでしょうから、残念ながら私にはイメージがわきません。というかイメージしてもそこまでの道のりに無理があります。kyomuさまには確たるイメージがあるのでしょうか。もしあるならばヒントを頂きたく。何年位かかるイメージを持たれているでしょうか。
長い道のりだとはわかっていても、自分一人だけでも実践するという意思はおありですか?

2012/2/27(月) 午前 6:32 ayammt

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ちょっと失礼な質問だったので、フォローします。すみません。
元の話に戻りますが、一人の意思でできることと、それが広く国民全体に受け入れられ国家の意思となることは別だと言われました。文明から降りる、でも省エネ社会でも、科学技術からの脱却でもいいですが、そういう国家意思までもっていくために必要な行動は何でしょうか。あるいは、それは自ら作り出せない、本来的に他力本願的なものでしょうか。

2012/2/27(月) 午前 6:48 ayammt

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ayammt さんへ。こんばんわ。
「文明の発展から降りる」のは 簡単なことですし、また難しいことでしょうね。

例えば、病が重く 死が面前に迫っている人 や 寿命の尽きかけた老人にとって、
文明とは何でしょうね。
この人にとって、医学の進歩というような空手形を期待する暇はありません。
自己の死に 真正面から向かい合う他にありません。

まだ 明日が期待できる人にとっては、色々と欲が出てきて、医学で病から解放
されて、健康を取り戻したり 死ぬ時期を引き延ばしたりすることを望んだりする
のでしょう。
こういう人間の個人的な欲望が、国の医療体制を正当化しているわけですね。
つまり、「文明の発展」ということを基礎づけているのは、こういう人間の欲望
でしょう。何も「文明の発展」が 人類の「崇高な使命」や「運命」ではありません。
しかし、このこと、即ち「文明の発展or進歩」という観念の刷り込みから自由に
なることは、中々難しいですね。これを支えているのが、我々の欲望だからです。
(続)

2012/2/27(月) 午後 9:53 [ kyomutekisonzairon ]

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我々は、自分の欲望を断念することが 苦手な存在です。人間の理性は、欲望
を断念する力は ほとんどありません。余程のことがない限り、自らの欲望が
間違っているとは思えず、また 間違っていると分っても それを断念することは
できません。

したがって、別の文明or理想を構想(イメージ)したとしても、その通りに
理想を実現するということは、ほとんど期待できません。所謂 工程表とか
マニュフェストとかというのは信用しない方がよいと思います。事を予め計画して
為していけるのは、余り大した課題ではないから、それが可能なのでしょう。
マニュアルが有効な範囲は、人間の管理下にそれがある時だけでしょう。

しかし、
今 ここの問題(足元の問題)が 明らかとなれば、我々は どうすればよいか
ということは、自ずと見いだせてくるのではないか、と思います。(続)

2012/2/27(月) 午後 10:42 [ kyomutekisonzairon ]

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問題は、この見出す力ですね。そして、自己の問題を見出す力が 果して人間に
あるかどうか? ということです。
ここに、ポイントがあると考えています。

西欧近代は、これを「人間にある」として 突っ走ってきました。西欧内部で
20世紀に2度も熱い大戦争をし、人類滅亡の可能性さえあった冷戦をしても
なお、彼らは 人間理性に 自らの問題を解決する能力があるという近代の前提を
変えようとはせず、さらに これを世界中の人々に感染させてきました。
現文明の先導者たちは、人間という存在に対して 極めて楽観的です。どんなに
悲惨な事に逢ってもor仕出かしても、自己を変えようとはしません。
――― ここに、彼ら自身が 自ら自己の限界を証明しているのですが、そのこと
が ハッキリと見えません。それは、人間を超えた世界を認めないからですね。
人間を超えた世界・大いなる世界を知らないからです。
或は、そういう世界に対する尊敬の念がなく、すべて 人間の眼で見える世界
しか、世界というものがないと思い込んでいるからですね。(続)

2012/2/27(月) 午後 11:07 [ kyomutekisonzairon ]

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人間を超えた,大いなる世界の智慧に対する敬意というものが、人間の欲望解放
の罪悪性に,我々を気づかせ、人間が 本当に取り組まなくてはならない課題を,
その存立の基盤とし得る社会を来たらせることになるんじゃないか ナ ?と、私は
考えています。

国家というのは、人間の欲望解放を理念とする近代国民国家ですから、この土台
を何とかしなくては どうにもなりません。我々の人生観・世界観を、人間中心
のものから 人間の限界or罪悪性という現実を踏まえたものに変えない限り、
今の国家観をいじくっても どうにもならないと思います。 合掌

2012/2/27(月) 午後 11:29 [ kyomutekisonzairon ]

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いろいろご回答を頂きありがとうございます。このテーマで何かkyomu様と議論しても工程表になるようなヒントは得られないだろうな、と薄々感じながら質問している自分がいるのをわかっています。すれ違いというわけでは無いですが、kyomuさまが、問題点を踏まえて何をすべきだと主張したいのか、あるいはkyomuさまが何を実践しようとしているのか、いつもこのブログでは雲を掴むようで、それがずっと続いている私の印象です。

真剣に何かをしようとしているとは感じられません。達観していて、なにも私の心に訴えるものが有りません。私にとって知識として参考になりますけれど。

2012/2/28(火) 午後 7:40 ayammt

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レトリックを楽しむのは、それはひとつの楽しみだとおもい、アリだとおもいます。私のような者に、物事はこういうものだと教えるのは時間は無駄にはなるけれど、ブログを立てている以上、楽しみの一つとしては許されるとおもいます。しかしどうも合点がいかないのは.....

性急に正解を求めるような話では無いですが、kyomuさまは、自らの正見を元に、何を目指しているのか、それをもっとストレートにブログで主張すべきではないでしょうか。本当に危機感を持っているならば。差し出がましいですが。

2012/2/28(火) 午後 7:47 ayammt

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「人間を超えた,大いなる世界の智慧に対する敬意というものが、人間の欲望解放の罪悪性に,我々を気づかせ、人間が 本当に取り組まなくてはならない課題を,その存立の基盤とし得る社会を来たらせることになるんじゃないか」
ーーー以前ソルジェニーツィンの私のブログの引用を見て、それはキリスト教世界観であり、人間を超えたもの=神を暗に示していることで、この考え方に限界があると指摘したのを覚えています。
このことは、矛盾を感じます。私は人間礼賛からは距離を置き、人間を超えたものに対する畏敬の念の復活は重要だと常々考えていますが。

2012/2/28(火) 午後 7:51 ayammt

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ayammt さんへ。こんばんわ。
> 問題点を踏まえて何をすべきだと主張したいのか、あるいは何を実践しよう
としているのか、・・・
――― おそらく ayammt さんが期待しておられるような実践を、私は提案して
いないだろうと思います。また、私の実践が十分でないということは、その通り
です。しかし、達観はしてはいないのです。

私の言が、お心に訴えることができないのは 力が足りず申し訳ありません。
ただ、私は 新たな知識を、人に与えようとしているのではなく、今までの知識
・観念を捨ててもらおうという意図で、すべてを語っているのです。
もし、知識を 人に与えようというならば、仏教用語なり 仏教の考え方なりを
語ればよいのですが、私は できるだけ これを語ることを、今 避けています。
これは、仏教が 今日の現実を どう受け取り、どのように 仏教が解決しうるか
について、私自身 まだ模索中だということでもあります。(続)

2012/2/28(火) 午後 10:22 [ kyomutekisonzairon ]

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もっと、のびのびと 考えなり提案なりをできればよいのですが、どうしても
遠慮がちになります。とても 一般には受け入れられないような恐ろしい事も
言わなくてはならず、力不足で これを うまく(より深い所から)語れないのです。


ソルジェニーツィンの言について。
私が、「人間を超えた,大いなる世界の智慧」と言ったのは、彼の
>自制の精神は「完全無欠で威信に満ちたもの」が自分たちの上に存在すること
を再び気づかせ、その全能者の前では自分が なんとちっぽけな存在かという、
全く忘れ去っていた感覚を呼び覚ましてくれるだろう。
――― という「全能者」のことではありません。キリスト教文化圏では、これで
一応 よいのですが、これは 仏教の絶対者観ではありません。
仏教の「大いなるもの」は、全能者でもなく 完全無欠とか威信という表現では
間違ってしまうのです。(続)

2012/2/28(火) 午後 10:32 [ kyomutekisonzairon ]

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また、仏教の絶対者は 「上に存在する」のではありません。 さらに、人間は
「ちっぽけなもの」という<量関係>で 自己を認識するのではないのです。

仏教の見方からすると、ソルジェニーツィンの「全能者観」も、彼が問題とした
>民主主義の至福の世界が現れる
――― という考え方と同じレールの上を走っているように見えます。
実際、
>我々は最終的にこの試練によって強くなり、苦労して学び取った教訓を、
何らかの形で次世代に伝えられるだろう
――― と、未来に期待しています。
未来への期待 (彼らは これを よく「希望」と言いますね) というところに、
民主主義なり、科学・技術の思想なりの 時間に対する特異な根本的な姿勢が
あります。決して「絶望」ということを味わないでいようという強固な心理的態度
です。絶望がなくては、事に「断念」するということができません。ものを「捨てる」
ことができない・・・。
――― しかし、まさに 仏教は「断念」とか「捨てる」という所に、特徴が
あるのです。 そこに、「大いなるもの」の存在が顕現するのです。(続)

2012/2/28(火) 午後 10:53 [ kyomutekisonzairon ]

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仏教は、しかし これが上にあるものとして「畏敬」するのではないのですね。
キリスト教の絶対者 即ち全能者・世界創造神は、「自然」との区別がつきにくい
ですね。だから、キリスト教の世界観から自然科学がでてきたのでしょう。
( ただし、イエスの神は 自然を超えた神です。西欧人キリスト教徒が、神を
このようなものとして考えたのでしょう )

神への畏敬が、自然への畏敬とつながってしまいます。時間が 過去から未来へ
一直線に流れていて、未来に希望を抱くのと同じです。ものが連続しているのです。
そこに、「断絶」ということを キリスト教的世界観は嫌います。
( イエスの言は 断絶・絶望・断念を経て語られていますが、キリスト教徒に
これが見られることが少ない・・・ )

以上のような言は、
レトリックで言っているのではなく、事柄を炙り出そうとしているのです。合掌

2012/2/28(火) 午後 11:16 [ kyomutekisonzairon ]


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