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(石巻市 つづき)
☝ 津波罹災域 あり
3・11津波前に日和山に避難した門脇小学校の子供たち
地震のあと日和山に行った家族が撮ったものです。日和山に避難していた門小の子供たち
の様子が写っていました。・・・ まだ下校していなかったお子さんは皆ここに避難でき無事
だったそうです。門脇小学校はその後津波による出火で焼け落ちてしまいますが、この画面
では津波はまだ来てい ません。3時半ごろの画像です。地震で避難なさった方々は、不安
そうですがまだ行動に余裕があります。
地震前の石巻市街 日和山からみた貴重映像
津波前に日和幼稚園を出発するバス
津波はまだ来ていません。 石巻市の海岸沿いの町が呑まれる瞬間の数十分前3時ごろ
の画像です。防災無線もまだのようですが・・津波に呑まれる直前の南浜も三角公園の
フェンス越しに見えます。こ の段階ではまだ「日常」が続いています。
特定非営利活動法人石巻スポーツ振興サポートセンター事務局2階より撮影
石巻市渡波
海から1km圏内に住んでいて、自宅で津波に遭いました。地震当時は地元のイオンで
遊んでいて、家に帰って来た瞬間津波が押し寄せました。動画自体は短めですが、
この後も 水位は上がり続けて、次の日になっても水は引きませんでした。
石巻市住吉町1丁目
よしろう内科より撮影
石巻 日和大橋 2011年4月3日
女川街道 〜渡波小学校前
4/3 石巻 〜 渡波 〜 女川町へ
宮城県石巻市・津波被害 2011年5月3日 牡鹿半島の女川原発に行って見ようということになった。我々は 何かの養殖の浮きの群れを
見ながら万石浦の沿岸を辿って 女川第一小学校の傍らを 右折、女川湾沿いの 曲がりくねった
41号線を進んだ。
途中の浦々は 軒並み 津波に襲われ、 当時は この道は がけ崩れや津波に洗われて
通行不能だったようで、人々は 半島の尾根伝いに作られた220号線、通称コバルトラインを
使ったという。
@ 女川原発 沸騰水型
1号機 52.4万KW <1984 6月 1日> 東芝 2号機 82.5万KW <1995 7月28日> 東芝 3号機 82.5万KW <2002 1月30日> (プルサーマル予定) 東芝/日立 2011/04/16
@ 牡鹿半島の先端は 東南東に 5m30cm移動し、 1m20cmも地盤沈下をした。
津波の高さは 小屋取 13.0m,寄磯浜 25.8m,十八成浜 7.6m,大原浜 7.5mだった。
小屋取と寄磯浜では 浸水高が10m 以上であったものの,家屋が高い場所に位置している
ため,一部の家屋は被害を免れた。 一方,十八成浜と大原浜では浸水高が10m 以下で
あったものの,低平地が小屋取や寄磯浜より広かったため,海沿いの家屋の多くが流出した。
女川町塚浜小屋取
集落は東に向って海に面しており,海岸の北側は漁港,南側は砂浜になっている.防波堤 では目立った被害は見られなかったが,地盤沈下により海水面が漁港内の地盤高に迫って
いた.大きな被害を受けた1933年の昭和三陸津波後に,集落が高台に移転したため,
1960年チリ地震津波ではほとんど被害がなかったという.しかし,今回の津波では家屋が
流出する被害が見られた.
石巻市寄礒浜
集落は 南に向って海に面し,漁港を有している. 小屋取とは対照的に防波堤が大きな被害 を受けていた. さらに,小屋取と同様に地盤沈下により 海水面が漁港内の地盤高に迫って
おり,道路沿いに 多数の土嚢が並べられていた. この集落では,家屋が標高の高い斜面上
に密集しているため,一定の高さ以上にある家屋では 目立った被害が見られなかった.
家屋の連なりは 標高約80mの道路にまで続いており,それぞれの家屋から港や海,対岸の
様子が見渡せるようになっている。
牡鹿半島 谷川小学校1 - YouTube 2011/05/13
海面に浮かぶ家の残骸 - YouTube 2011年3月20日
1896年の第一波の時,鮫浦の津波は3.1m,谷川浜は3.4mで死者1名,住居流出
4戸,家屋全壊2戸の被害だった。 1993年の第二波では,鮫浦で4.8m,大谷川浜で
5.2m,谷川浜が4.8mだった。鮫浦だけで,死者19名,行方不明者17名,負傷者19名,
流出住宅10戸,全壊3戸という被害。谷川浜では,死者24名,行方不明者2名,負傷者22名,
流出家屋31戸の被害だった。
明治と昭和の二度にわたる津波で,村民は高台に移転した。にもかかわらず,3月11日
に襲った津波は情け容赦なかった。海沿いの被害の情景はがれきすら残っていなかった。
鮫浦は人口151人,53戸の集落だった。もっぱらアワビの養殖場であった。行方不明者数
3人が出た。
・・・
定刻になると,宮城県庁の職員は さっさと帰宅してしまうそうな。「後はよろしくね」と阪神間
から出向いている職員にすべてを任せてしまうと耳にはさんだ。
一方,石巻市役所の職員は文字通り,不眠不休で働いている。市長自らも定刻を 大幅に
過ぎていようと,祝日であろうと,復旧,復興に取り組んでいる。・・・
2011年3月14日
東日本大震災で、福島県は14日午前11時すぎ、太平洋沖合で約3mの津波を確認した
と明らかにした。岩手県の大船渡沿岸では、自衛隊が5mの潮位変動を確認。沿岸の自治体
は津波の恐れがあるとして、高所への退避を呼び掛けた。 気象庁は 津波や引き潮を把握して
いないとしている。
宮城県警は 牡鹿半島で 約千人の遺体を発見したと発表。 死者・行方不明者は4500人を
超えた。 発生4日目を迎えた被災地では 水や食料、ガソリンなど物資が大幅に不足しており、
政府は 緊急物資の空輸を始めた。 学校などの各避難所には計約45万人が避難しているが、
収容人数が限界に達しつつある。
また宮城県によると、南三陸町でも 14日までの捜索で 約千人の遺体が見つかった。
牡鹿半島の遺体とは 別という。
菅直人首相は 14日午前、政府の緊急災害対策本部会合で「 1万5千人を超える被災者
を救出した 」と発言。 宮城県は、石巻沖で 海上自衛隊の護衛艦が28人を救助したと発表
したが、各自治体が 行方を把握できない住民は 数万人に上り、安否確認を急いでいる。
首相は、福島第1原発について「 憂慮すべき状況が継続している 」との認識を示した。
警察や消防による遺体収容は壊滅的打撃を受けた現場には近づくことが困難で難航している。
東京電力は14日朝から地域ごとに実施する予定だった計画停電を、需要見込みが想定を
下回ったとして遅らせた。
警察庁の14日午前8時現在のまとめでは、死者は1598人、行方不明者は1720人。他に
仙台市内で200〜300人の遺体が収容できてない。
宮城県南三陸町では 約1万人と連絡が取れていないが、 隣の登米市へ避難している人も
多数いるとの情報もある。 観光庁によると、被災地を訪れている観光客2500人の安否確認
もできていない。
宮城県は 遺体の火葬が追いつかないため、他県に 協力要請することを決めた。
気象庁によると、午前10時2分ごろ、茨城県南部で 震度5弱の地震があった。 宮城 石巻市1万人余に避難勧告 NHKニュース
2012年6月19日
東日本大震災の被災地、宮城県石巻市は台風の接近に備え、午後6時、沿岸部を中心と
した4309世帯、1万359人を対象に避難勧告を出しました。
避難勧告が出されたのは、石巻市の ▽旧北上川河口部の2157世帯、▽蛇田地区の1425
世帯、▽渡波地区の727世帯の合わせて 4309世帯、1万359人が対象です。
石巻市の沿岸部の地域では、東日本大震災の影響で地盤沈下が起きています。 さらに、6月のこの時期は 満潮時の潮位が高くなる「大潮」に当たり、20日午前3時ごろに 満潮を迎えることや、台風の接近で 未明から朝にかけて雨が最も強くなるとみられることから、
石巻市は、大雨や高潮による災害のおそれがあるとして、暗くなる前に避難勧告を出すことに
したものです。
石巻市は 市内11か所に避難所を設け、対象地域の住民に 最寄りの避難所に避難するよう 呼びかけています。 (未完成)
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罹災地を訪ねて
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