混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

罹災地を訪ねて

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 女川(オナガワ)原子力発電所   http://img.47news.jp/PN/201103/PN2011032701000478.-.-.CI0003.jpg
東北電力が 女川を原発候補地と正式に発表したのは1967年だった。
  1969年,北側の雄勝町の漁協を中心に反対運動が起こった。 雄勝・女川・牡鹿の三町の
反対派漁民は 「女川原子力発電所設置反対三町期成同盟会」 を結成し,地元の女川町漁協
も足並みをそろえて 反対ののろしを上げた。
近隣の地域の激しい反対運動により,女川原発建設着工は 10年遅延した。1978年,当初
認めなかった女川漁協は ついに同意に応じた。 続いて,翌年,隣接する牡鹿町寄磯浜の寄磯
・前浜漁協も 原発建設を認めるようになった。 ようやく 女川原発は 建設に着工した。
5年後の1984年に第一号機の営業運転を開始した。 地元住民の反対意見も 電力会社の
積極的な経済支援の包囲網に 腰砕けになっていった。
牡鹿半島の過疎,高齢化,少子化の問題に苦しむ地域は,財政豊かな女川町に合併される
ことを願うように変わっていった。 しかし,2005年に雄勝町に併合され,石巻市に統合されて
いった。
                                                                       
  
  2011年3月11日,震度計は震度6弱を観測。 1〜3号機とも自動停止(14時46分
 その後 1号機タービン建屋地下1階で 火災が発生したが, 同日22時55分 鎮火が確認された。
   1号機・3号機が通常運転中、2号機が原子炉起動中だった。
  1号機:12日 0時58分、2号機:11日 14時46分、3号機:12日 1時17分 それぞれ冷温停止
女川町独自の放射線測定モニターは すぐに使い物にならなくなった。7台あったモニターのうち
4台は 13mの津波で破壊され,3台は 停電で動かなくなった。 住民は,東北電力の発表以外
 に自分たちで 放射能測定の術を失った。
     869 年の貞観大津波を詳しく調べていた東北電力副社長、平井弥之助は、女川原発
     の設計段階で敷地の高さは「 12 mで充分 」とする多数の意見に対して、たった 1人
     「 14.8 m 」を主張し、最終的に彼の執念が勝り 14.8 mが採用された。
      氏は さらに、引き波による水位低下も見越して、取水路は冷却水が残るよう設計した。
     東北電は津波を 最高9・1mと想定。海沿いに斜面を設け、海面から14・8mの高さに
     敷地を整備した。
                                        
  13日,女川原発敷地内で 21μ㏜/時の放射線が検出され 10条通報。
女川原発の原子炉は 地震後すべて自動停止し 冷温停止と呼ばれる安全な状態であったこと
から,保安院は,検出された放射線は 福島第1原発の爆発で放出されたものとした。
                        * n(ナノ): 10^‐9  nGy=10^‐3μ㏜
   1号機        → タービン建屋地下1Fで火災
  運転開始        原子炉建屋で燃料プールの水が床にあふれる
  : 1984年6月1日    屋外重油タンクが傾いたため、油漏れの恐れ
                起動変圧器の故障に伴い、外部からの電源供給が停止したが、
                非常用ディーゼル発電機が自動起動
  2号機        → 地下3F非管理区域に 原子炉補機冷却水系のB系に浸水し
  :1995年7月28日   非常用のディーゼル発電機が起動せず。16日までに排水 了
               別の系統が稼働し、無事停止した。
               原子炉建屋で燃料プールの水が床にあふれる
        2006年5月 配管が減肉によって穴が開いているのが確認される
        2006年6月7日 保安院、配管肉厚管理の再徹底を求める
        2006年7月7日 保安院、原発の品質保証体制が充分機能していないと総点検を指示
        2007年10月12日 厚さ 約7.1ミリのステンレス製配管に縦 約11ミリ、横 約9ミリの穴
  3号機        → 原子炉建屋で燃料プールの水が床にあふれる
 :2002年1月30日
        2006年7月7日 配管減肉予想による点検のため運転停止
        2006年 11月25日 再稼動開始
        2015年度までに、プルサーマルを実施する事を目指す
 
   女川原発は 町中心部から海岸沿いの道を25分(約17キロ)進んだところにある。
  1984年から運転が始まった。平素,『原発は安全』神話をすり込んできた影響だろう。
  3月11日以降,女川の住民は 避難所として,発電所内に逃れることができた。しかし,
  原発所内にある体育館に避難している人々に面会することもできない。水産加工業に携わる
   女川町の60代の男性は「 町の中心部に向かう道が地震で通れなくなり、ここに避難するしか
   なかった。頑丈に作られているから安全たし… 」と話す(産経 2011年3月26日)。
   女川町飯子浜地区や小屋取・塚浜地区の住民は,道路寸断のために 町の中心部に行け
   ない。 したがって,発電所に行かざるを得なかった。 原発まで 1キロほど手前にある 「女川
   原子力PRセンター」 周辺に被災者たちが集まってきた。 PRセンターは 電源が故障し,照明
   も暖房もない。「 地域の人が困っているなら 」との渡部孝男所長(58)の決断であった。(読売
   2011年5月2日)。 所長は 上部に相談することなく,受入れを決断した。 バスに住民を乗せて,
   発電所内の体育館に搬送した。 普段は 社員の集会などに使われる女川原発の敷地内にある
   体育館である。「 津波により 孤立した周辺の被災者を人道上の措置として発電所内に受入れ
   た。発電所内の避難者数は 最大で,約360名となったそうな。 しかし,報道関係者にゲートを
  くぐらせなかった。マスコミ関係者も,片づけなどで 原発と自宅を往復している避難者に話を聞く
   のがせいぜいだった。 5月末には 30人程度に減少。 女川町の18人,石巻市の4人の計22人
  が 6月6日までの88日間残った。
 
                                             
                                                     
 我々が行ったときは、原発近くの 41号線との交差点の所で、「部外者立ち入り禁止」の看板
があった。 先に進むのを諦めて、交差点の傍らに しばらく車を止めた。
すでに 午後遅くなっていたためか、作業員を乗せた車が 何台も 交差点の手前で 一旦停車
しながら、女川町の方に下って行った。 
                                                  
  名振の村民すべてや,周辺の地域の人たちは,老いも若きも反対運動をしていたしるしが
 あちらこちらに残っている。
 
 
 
プルサーマル容認 県議会に報告
     宮城県歴代幹部が東北電に天下り 原発関連の7人    10/03/08
                                             
東北電株主総会 女川原発再稼働に意欲「地元理解へ努力」 - 河北新報 2012年6月27日                                                     
                                  http://sankei.jp.msn.com/images/news/120404/dst12040401190002-n1.jpg
  東京電力福島第1原発事故を受けて建設されていた女川原発(宮城県女川町)の防潮堤が
  完成し、東北電力は8日、隣接する石巻市の市議団に公開した。女川原発は高台に立地して
  おり、海面から防潮堤頂上まで高さ約17メートルの巨大な「防護壁」となった。
  防潮堤は高さ約3mで、海面から約14mの敷地に建てられた。全長は約600m。 現在は土と
  セメントを混ぜた素材がむき出しのままで、今後、雨水対策などを施す。
  市議団は、津波で外部電源が途絶え、非常用ディーゼル発電機の機能も失われた際に、発電所
 に電力を供給する大容量電源装置も見学した。
 視察を終えた丹野清市議は「 防潮堤など津波対策には、それなりに安心した 」と評価したが、
 女川原発の再稼働については「 市民の考え方が重要。まだ先の議論だ 」とくぎを刺した。
 
 
                         (未完成)

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巨大な防護壁が完成したのだから、すぐにでも安心して廃炉作業に着手すべきです。次の震災が来たら間に合いません。
再稼動なんて寝言でも言ってる場合ではありませんね。
しかし福島第一の4号炉は無事を神頼みするしかないわけです。絶望的です。

2012/7/3(火) 午後 11:35 [ 礫叢(石ころ草むら) ]

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神様も、見放してます。

ていうか、神の試練は厳しいのだ。

2012/7/4(水) 午前 5:54 みずがめ座

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「礫叢(石ころ草むら)」さんへ。こんばんわ。

はい、そうですね! しっかり 地震・津波対策をして、廃炉作業に取り掛かる
べきですね。

武田邦彦氏は、4号機の使用済み核燃料プールは あまり大した問題ではない
と主張されているようですが、小出氏などは 警告を発していますね。
素人の私には、その真偽は分かりません。 政府や電力会社 そして 学者などの
言葉が 信用を失墜している中に 我々はあって、途方に暮れてしまいます。

ところで、
科学・技術全般において、我々は その日常言語をはるかに離れた専門用語の
世界に支配された生活環境にあります。
政府など エスタブリッシュメント が吹聴した「原子力の安全神話」という背徳性と伴に、
科学・技術文明の このような言語状況(我々の思考・思想のあり方)にも、
人間の 深い危機を見るべきではないか? とも思っています。合掌

2012/7/4(水) 午後 10:42 [ kyomutekisonzairon ]

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「水がめ座」さんへ。こんばんわ。
う〜ん、神さまですか・・・。
日本の伝統的な感覚では「神々」ですね。人間の傲慢に 神々も見放した・・・。
しかし、今日の市民感覚の中には 神々はいなくなっています。水の神は 昔
どの井戸にも いらっしゃったし、田の神も あちこちにおられた。海の神も
浦々に祭られていました。
今日の市民生活には、こうした神々は不用になりました。

幸い 牡鹿半島の神々は 優しくて、女川原発が フクシマにならないように
守って下さった。一方、福島の海の神・山の神は 怒ったんでしょうね。

否、日本の神々は 福島第1原発ただ一つを あの程度にして、最悪の事態まで
至らせずに収めて下さったが、その後の日本人の様子を見ると、一向 前非を悔いて
心を改める風でない・・・。そう思われたら、今度こそは 我々の運命を守る
ことに背を向けられるでしょうね。

この列島の山河や大海は 日本人or人間の所有物ではなく、神々の世界であって、
我々は その恩恵を ワズカ に得て生きさせてもらっているわけですからね。合掌

2012/7/4(水) 午後 11:28 [ kyomutekisonzairon ]


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