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(3) のつづき
この 最後の氷河期に、アラビア湾(=ペルシア湾)の海面は 約100m or それ以上に
下がり、アラビア湾盆地を 全て干上がらせた。
アラビア湾の海底には、チグリス-ユファラテス河が 潟や沼沢地帯を伴って延び、その
河口は ホルムズ海峡に達していたが、3万3000年〜2万4000年前 雨期に繁茂
した 緑が豊かだった陸地は 乾燥し始め、約1万5000年前までに沙漠化した。
1万年ほど前、雨が減り 乾燥化が進んで 広大な緑地が砂漠となった。
そのため、人々は 生活圏をせばめられ、 オアシスや山間部など 水の豊富な 場所に移り住むしかなくなった。
その中で、必要にかられて 食用の植物の栽培 や 動物の飼育を行うように なった。 この農耕・牧畜の開始は、人間の生活スタイルを がらりと変えた。
それまでの 食べ物を求めての流浪の生活は、 はるかに 安定したものになり、 定住が可能となった。 BC 6750年頃 ジャルモ遺跡: 50戸ほどの家屋に 約300 人が居住していた
初期農耕村落(小麦・大麦・豆などを栽培。降水に依存する天水農業)。
家は 石の基礎の上に粘土壁が築かれ、炉や土器がそなえてあった。
道具は、石のカマや杵、うすなどが使われていた。
家畜は羊・山羊・牛・豚など
ハッスーナ文化
文化の範囲は 西は ハブール川近くバグーズ、東は イランのザグロス山脈、
南は チグリス川下流のサマッラ、さらに そこから東南のチョガ・マミまで。 彩文土器(八ッスーナ土器 → 前7千年紀後半 サマッラ土器) 「カンバス」としての土器 西アジア先史土器における彩文装飾
かなりの距離の運河を掘り、それを維持する灌漑技術。 ※ この文化は、3つの社会集団で構成されていた。 穀物や家畜といった
北メソポタミアで開発された 農産物を作る農民、家畜を追う テント生活の遊牧民、
葦で作った家で暮らす漁労民である。
ウバイド文化の集落は、大きな規模の村落、部屋が複数ある長方形の
泥レンガ造りの家々などを特徴とする。神殿など公的な施設がメソポタミアで
最初に登場し、10ha以上の面積の大きな集落を 1ha以下の小さな集落多数
が取り囲むという集権的な集落の構造が現れている。
この文化特有の土器は、黒や褐色で幾何学模様を彩色された、黄褐色
や緑がかった色の彩色土器 (ハッスーナ土器とほぼ同時期に出現)。
BC5300年〜BC4700年 ウバイド1期(エリドゥ期)
サーマッラー周辺のサマラ文化と強いつながりを持ち、年平均降水量
120mmの限界線より南の乾燥地帯に 最初の恒久的な集落が築かれた。
BC4800〜BC4500年 ウバイド2期(ハッジ・ムハンマド期)
大きな集落を中心に 運河網が広く張り巡らされるようになった。
チョガ・マミ(Choga Mami, BC4700 - 4600年)では灌漑農業の跡が
発見されており、灌漑手法は速やかに各地に広がった。
BC4500年〜BC4000年 ウバイド3期および4期
急速な都市化が見られ、文化の範囲も東方のザグロス山脈方向、南方
のカタール等ペルシャ湾岸方向、北方のメソポタミア北部方向へと伸び、
北では ハラフ文化に置き換わっていった。
紀元前3800年頃 ウバイド期は急激に終焉を迎えたと見られる。
この時期は 湖水面の低下、砂丘の活動開始などの直後にあたり、
乾燥の広がりによって 人間の活動が不可能になったと見られる。
これ以後1000年にわたり、アラビア東部では人間の活動を示す遺跡は
(未完成)
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現代の問題 1.〜科学
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転載させてください(*^ー^)ノ♪☀🗻🌛
2014/5/22(木) 午後 8:07 [ lin*uru*91* ]
linkuru さんへ。はじめまして。
興味をもって頂き、ありがとうございます。
この記事は 作成中のまま、他の事柄にかまけていて、なかなか 前に進みません。
もう少ししたら 完成する予定です。合掌
2014/5/22(木) 午後 10:08 [ kyomutekisonzairon ]