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介護殺人
別の局面に入っている
2016/11/19(土) 午後 7:25
「誰彼便」さんへ。こんばんわ。
>近代から現代に至る、「親」に「孝」を「行」うのは・・・遣り過ぎ、
の感なきにしもあらず
――-明治国家体制は 我々日本人の道徳観に大きな歪曲をもたらしました。
「忠孝一致」の観念で、子供を「親権」の下に無権利状態におく民法(1908)や、
親殺しを子殺しよりも刑を重くする「尊属殺人罪」が制度化され、これは
戦後の今日まで影響力をもっていますね。
それで、特に 今の70以上の老人は、わが子を私物化して当然との観念を刻印
されています。子は 親の面倒を見るのが当然だという姿勢で 子供に対して
何の疑問ももたない・・・。介護されている自分を この観念で正当化できる
のですが、それ以下の世代は もはや この観念に疑いを抱いている・・・。
自分の介護を わが子に頼ることを、もはや正当化できない世代でしょうね。
合掌
介護殺人
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[ 誰彼便(たそがれ びん) ]
2016/11/19(土) 午前 5:23
介護殺人
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2016/11/18(金) 午後 10:06
saidakyokoさんへ。こんばんわ。
今、日本全国で、年寄った親を抱える多くの人々が、自らの生活を 介護に
費やしています。私の隣近所でも 子供と別居している一人暮らしの老人が
一人や二人ではありません。その老人の家には 遠方から 毎週通ってくる
人もいますし、夜 家の中で転んで動けなくなっていた所を デイサービス
の人に発見されて 病院に入院、その娘は 夫を残して遠方から来て 看病
している・・・などなど。
この3年で、50m以内に3軒が空き家になりました。
高齢化社会は すさまじい勢いで、人々の暮らしを崩壊させています。
医療技術の発展や生活環境の快適化によって、平均寿命が延びた分、経済発展
に支えられた個人主義の深化とともに、そのしわ寄せが、思わぬところに
巨大な規模で出てきました。
「生きる意味」について、我々は もう一度 初めから考えてみる必要がある
ようです。合掌
介護殺人
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介護殺人
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2016/11/17(木) 午後 7:36
介護殺人
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19世紀の蝦夷地
国家について〜〜国境問題
[ 北海道にまた行きたいな ]
2016/10/8(土) 午前 7:40
1811 6月 露将ゴローニンほか7人捕えられて、野付を経て松前へ護送。
1812 野付水道にて高田屋嘉兵衛露艦に捕えられ、カムチャッカに抑留。
1813 材木屋七郎右衛門、根室場所を5,634両で落札、請負となる。
1815 高田屋金兵衛場所請負となる。
1821 幕府、えぞ地を松前藩に返還。
1831 高田屋金兵衛密貿易の嫌疑により失脚。藤野喜兵衛場所請負となり、根室8、花咲1、野付14、標津3、目梨5、計31ケ所の漁場を引き継ぐ。
1839 山田文右衛門場所請負となる。
1843 3月 根室国地方に大津波あり。
1845 白鳥宇右衛門、浜田兵四郎共同請負となる。松浦武四郎始めて東えぞ地を知床まで探検。
1849 再び藤野喜兵衛の請負となる。始めて「標津場所」の名称を用いる。
1851 6月 藤野請負人自費をもってトボロ川に土橋を架す。
1854 村垣淡路守巡行。
1855 幕府、松前、江差地方を除く全島を直轄。東えぞ地は仙台藩の警備地となる。
天皇制と天皇の生前退位
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2016/10/6(木) 午後 11:32
天皇制と天皇の生前退位
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2016/10/6(木) 午後 11:09
「水がめ座」さんへ。こんばんわ。
明治維新が 薩長の権力保持、つまり 従来の各藩から 自らの権力を承認させ、
西欧流の近代国家をもって、士農工商の身分秩序を壊して、「国民」を創出し、
士族だけではなく 国民皆兵を企図し、また全国民の商工民化を促す・・・。
列強の暴圧に対抗するために、そうしたことを一挙に成し遂げるには、天皇を
もち出すのが 一番手っ取り早い方法だったわけですね。
天皇は その実質的な政治権力を 鎌倉時代には失い、権威としての役割に
特化していき、その権威は 徳川時代の末期には、国学の流行とともに、民衆
にも 深く浸透していましたから・・・。
日本人にとっては、神と人との区別は曖昧なので、昔から 民間でも家元制度
などの形で、天皇制的なやり方が 江戸時代の藩はもとより、さまざまな職域
で行われてきました。(続)
天皇制と天皇の生前退位
別の局面に入っている
いくら保守派が騒ごうが、リベラルが反対しようが、そういう付け焼刃的な「思想」によって、世の中動くわけではない。
天皇制は、もう維持できないと、見ています。
それはリベラルの望むような、共和制の到来ではなく、もっと世俗的に原因によって、起きようとしている現象です。
いわゆる「保守派」やリベラルは、単なる西洋の模倣でしかない。結局日本に根付かない。キリスト教と同じですね。
天皇制が消滅しても、日本は続きますよ、近代資本主義が行き詰っても、人々は生きて行きます。
何によってか、少なくとも、キリスト教でもなく、リベラルでもなく、もっと土俗的な何かでによって、生命は連綿としてつながっていく。
そこに私は、神の意思を見ますね。
ただ、それが何かを表現するのは、困難です。




