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善を励もうとする心 ・ 自分を善き者だと思う心。
‘ この心が、曲者kusemonoだ ’と、如来は 指摘したまう。
‘ 己を知らざる痴siれ者だ ’と ・ ・ ・ ・ 。
自己の清算をして 確固たる人生を 歩みたいと、私は思う。
しかし、その確固たる生は、私が思っている所には無い。
それを得ようと 手を伸ばす所には、それはありません。
いつも 私は このように間違うのです。
そして、‘ どうにもならん ・・・ ’と、事態の成り行くままに、身を委ねるのです。
さまざまな欲望に、道を明けるのです。
私の思いや欲望を 自分で管理し統御できると思うのは、
願望ではあっても、幻想にすぎません。
幾千回・幾兆回 確固不動の自己を立てようとしたことでしょうか!
しかも 今日もなお こうした営みに厭aくことなく、
善を励もう・善なる自己を立てようとするのであります。
「 一つの 善いことをする間に、数知れない悪を 犯すのです。」
「 お前は 自分の力で それができると思うのか?
それは お前には できないことなのだ。」と先師。
奇妙なことに 私は、自分で 自分の力を測ることができません。
こうした よき師・よき友の言葉に 耳を澄ますことによって、辛じて 自らに目を向けることができます。
つづいて、
「 お前は、無始以来の お前の迷いが、お前を生んだのだということを 知らないのだ。
お前は 人間の約束を 忘れている。」と。
人間たる私は、
「 懺悔は ただ懺悔のままに消え、 清い心は 汚ない心の中に沈み、
‘ こうしよう ’‘ ああしよう ’と願っても、
すぐ その次の瞬間に 変わってしまう不定huzyouな自分の心でした。」と。
善を励もうとする心 ・ 自分を善き者だとする心。 これ(自力)は、
「 それを知らない 大それた願いだったのです。」と。
合掌
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