混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

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如是当念 一切衆生 従無始世来 皆因無明所薫習故
令心生滅 已受一切身心大苦 現在即有無量逼迫
未来所苦亦無分斉 難捨難離 而不覚知
衆生 如是甚為可愍
作此思惟 即応勇猛立大誓願 願令我心離分別故 
遍於十方 修行一切諸善功徳 尽其未来
以無量方便 救抜一切苦悩衆生 令得涅槃第一義楽 
以起如是願故 於一切時一切処
所有衆善 随己堪能 不捨修学 心無懈怠
唯除座時専念於止 若余一切 悉当観察応作不応作

ーーーーーーーーーーーーーーー(よみかた)ーーー止観門 観2ーーーーーーーーーーーーーーーーー
【 大悲観 】
かくの如く当masaに念ずべし。 一切の衆生 無始世よりこのかた、みな 無明に薫習kunzyuuせらるるに因yoるが
故に、心をして生滅せしめ、 已sudeに 一切身心の大苦を受け、 現在に 即ち無量の逼迫あり、 未来の所苦も 
分斉なし。 捨て難く 離れ難くして しかも覚知せず。 衆生は かくの如く 甚だ愍awareむべしと為す。
【 大願観 】
この思惟を作naして 即ち 勇猛にして 大誓願を立つべし。 願くは、我が心をして 分別を離れしむるが故に、
遍く 十方において 一切の諸の善功徳を修行し、その未来を尽して 無量の方便をもって 一切の苦悩の衆生を
救抜して 涅槃の第一義楽を得しめんと。
【 精進観 】 
かくの如き願を起こすをもっての故に、一切の時 一切の処において 
所有の衆善 己の堪能に随って 修学を捨てず 心 懈怠なし。

唯だ 座時に 専ら 止を念ずるを除きて、もし 余の一切も 悉く まさに 応作と不応作を観察すべし。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  海東疏は、
  「{ 如是当念 }以下は 第二に 大悲観を明し、 { 作是思惟 }以下は 第三に 誓願観を明し、
  { 以起如是 }以下は 第四に 精進観を明す。  この四門に依って 略して修観を示すなり。
  { 唯除座時 }以下は 第三に 総じて観修を結す。 
   上来 第一に 別して 止観を明す。」


  義記は、
  「 悲観の中に、先に 衆生の三世の重苦を観じ、次に{ 難捨 }の下は 心に厭背することなし。
   故に 苦をして限りなからしむるなり。 後に{ 衆生如是 }の下は 深く 悲心を発すなり。
    大願観の中に、悲に因りて 願を立つ。 初に 即ち願体、 二に{ 遍於 }の下は 長時心を明し、
   三に{ 以無量 }の下は 広大心を明し、 四に{ 令得 }の下は 第一心を明すなり。
    精進は 見るべし。
    上の結の中、 順理は 応作、違理は 不応作の故なり。
    上来 別して 止観を修し竟んぬ。 」



  先師は、
  「【大悲観】 
    顕示正義において説かれたる流転縁起の義を、現実の衆生の上に観察して そこに大悲を起すのである。
   前に 大悲を遠離して利他行を失う「止」の修習の過失を示されたが、今は その対治する観法である。

    一切衆生は、無始より以来 無明の妄染薫習によって その心を生滅せしめ そこに生死流転の苦海を
   出現し、過去久遠より 一切の身心に大苦悩を受け、今現に無量の苦悩に逼迫せられ、未来の所苦も限り
   なきものである。
   かく衆生は、無明薫習によって 三世に苦悩しつつ、その難捨難離にもかかわらず 厭背心なく苦因を
   知らず 果を思わず 苦を防ぐべき道をも覚知せず。
   ここにおいて、衆生は かくのごとく愍むべきものであると 大悲を観するのである。

   【大願観】
    大悲観は 大悲観に止まらず、次に 大願観を生ず。
   大悲勇猛心は、如何にして 大誓願を建てるのであるか? そこに大願心の四相を発見する。

     願体 ――― 願令我心離分別故   
     長時心 ――― 遍十方修行一切諸善功徳 尽其未来
     広大心 ――― 以無量方便 救抜一切苦悩衆生 
     第一心 ――― 令得涅槃第一義楽

    長時心・広大心・第一心は、具体的な大悲の実相である。 大悲は そのまま誓願である。
   永遠に一切を 最高に救わんとする願は、< 我が心をして 分別を離れしむる >ことをもって願体とする。
   すでに 幾度も説かれたごとく、分別を離れるとは、相対差別の世界を 真如門に立って観じて 諸境の
   分別すべきでないことを知ることであり、 生滅門に立って 後得智によって諸の真相を観察することであり、
   さらに、真如法性に随順して 根本無分別智を成就することであった。
   されば、「離分別」の自利成就の世界こそ 利他成就の主体たるべきものである。

    されば、前の止の修行において 沈没して退嬰的となり、利他を失うがごときは、分別の我見を出でざる
   ものである。   されば、大悲観を生じ 大願観を生ぜしむるは、分別心の捨離なるが故に、そのまま
   法性真如の徳の顕現であり、本論の所説によれば 浄法薫習による内因と苦悩の衆生という外縁との和合
   せる力の発露に他ならない。 菩薩一般の悲願は かくして生れる。

    長時心・広大心・第一心のごときは、その囚われたる主観の我見よりは生まれない。
   しかも 生死の衆生は 暴流に押し流されつつある。 いかにして この大願に触れるか?
   これ、行者に渡された問題である。

   【精進観】
    かくの如き大願観を起こすが故に、一切の時 一切の処において 所有の衆生の善 すなわち自利利他
   の行を 自己の堪能に随って 修行し精進することを捨てず、心に ついに懈怠を起さない。

    しかし、一切時 一切処に行ずるといっても、座して 止を念じ修行する時は 除く。その他の一切において
   理に順ずるをば 為すべく、理に違するをば 為すべからず、応作・不応作を 観察して 行ずべきである。
   観を行ずる時節を限定して、修観を結ぶ。」と。


                  

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