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● 小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン) ( 1850〜1904 )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E5%85%AB%E9%9B%B2
【 セツは また夫のために古本屋で本を買い集め、面白い日本の話しを彼に伝えました。
ある日、セツは 夫から万葉集の歌について質問され、答えることができなかったので、
夫にその無学を泣いてわびました。
ハーンは黙って 彼女を書架の前に導き、厖大な著作全集を見せると、このたくさんの
自分の本は 一体どうして書けたと思うか、皆お前のおかげで、お前の話しを聞いて書いた
のである、「 あなた学問ある時、私この本書けません。あなた学問ない時、私書けました 」
と云いました。
たびたび心臓の変調におびやかされていたハーンは、その晩年をせかされるように著述に
没頭し、・・・ セツとハーンの夫婦は よくお互いの見た夢の話しをしたのですが、
死の前日、ハーンは 遠い遠い見知らぬ地をあてどなく旅している夢を見た、と妻に語り
ました。その旅をしている自分が本当の自分か、それとも 今ここにいる自分が本当かと
夫人に問うたというのです。】http://saiki.cocolog-nifty.com/shoka/2007/05/post_f57a.html
【 私の本のほとんどが 大変不利な状況で書かれたものであることは、きっとダイオシ様
にはお分りにならないと思います。 私は誰にも助けてもらうことなく、ほとんど一人で
できる限りのことをしていますし、西洋の文学者は 私が書いたものを評価してくれます。
しかし、日本では完全に無視されます。】
(1903 4月ロンドン日本協会創設者アーサー・ダイオシ(Arthur Diosy)宛て手紙)
1850 誕生(ミドルネーム・ラフカディオは 生地ギリシア・レフカダ島から付けられた)
父:チャールス・ブッシュ・ハーン、母:ローザ・カシマティ
父はグレートブリテン&アイルランド連合王国(現・アイルランド)出身で、
プロテスタント アングロ・アイリッシュの軍医。
英軍少佐としてギリシャ王国・イオニア群島レフカダ島(Lefkada)の町リュカディア
に駐在中、地元のキテイラ島の裕福なギリシア人名士の娘ローザ・カシマティと結婚
‘52 父母、父の家があるダブリンに移住
‘54 父、西インドに赴任
一人となった母は 精神を病み、ギリシアのセリゴ島へ帰国
4歳のハーン、サラ・ブレナン大叔母に厳格なカトリック文化のなかで育てられる
‘56(6歳) 父母、離婚し 父、再婚す
‘63(13歳) アショウ・カレッジ入学
フランスの神学校に行く、 帰国しセント・カスバーツ校入学
‘65(16歳) 学校で遊んでいる最中、左目に怪我をし 視力を失う
(以後右を向いた写真ポーズをとる)
‘66 父、西インドから帰国途中 病気で死亡。 大叔母、破産
翌年、セント・カスバーツ校を退学し ロンドンに行く
‘69(20歳)英リバプールから合衆国ニューヨークへ移民船で渡り、シンシナティに行く
‘72 トレード・リスト紙副主筆
‘74 インクワイアラー社に入社
翌年、マティ・フォリーと結婚
〜 当時違法だった黒人との結婚だった為にインクワイアラー社退社
‘76 インクワイアラー社のライバル会社 シンシナティ・コマーシャル社に入社す
‘77 離婚、シンシナティの公害による目への悪影響を避け、ニューオーリンズへ
‘79 アイテム社の編集助手。 食堂「不景気屋」を経営するも失敗
‘82 アイテム社を退社し、タイムズ・デモクラット社の文芸部長になる
この時期の彼の主な記事は、ニューオリンズのクレオール文化、ブードゥー教など
‘84 ニューオーリンズ万国博覧会 この会場で大日本帝国外務省の服部一三に会う
‘87〜89 フランス領西インド諸島マルティニーク島に旅行し、ニューヨークに帰る
‘90(明治23 40歳)
ハーバー・マガジン通信員としてニューヨークからカナダのバンクーバに立ち寄り、
4/4 横浜港に着く
7月、アメリカで知り合った服部一三(当時は文部省)の斡旋で、島根県松江尋常中学校
(現島根県立松江北高等学校)と松江師範学校(現島根大学)の英語教師に任じられ、
8/30 松江到着
‘91 1月、中学教頭西田千太郎のすすめで、松江の士族小泉湊の娘・小泉節子と結婚
旧松江藩士・根岸干夫が簸川郡長となり、松江の根岸家の空き家を借用(国指定史跡)
http://www.geocities.jp/bane2161/koizumiyakumo.htm
11月、熊本市の第五高等学校(熊本大学の前身。校長:嘉納治五郎)の英語教師
長男・一雄誕生
‘94 神戸市のジャパンクロニクル社に就職、神戸に転居
‘96 東京帝国大学文科の英文学講師
帰化し 「 小泉八雲 」と名乗る
‘97 次男・巌誕生
‘99 三男・清誕生
1903 東京帝国大学退職(後任は夏目漱石)、 長女・寿々子誕生
‘04 3月 早稲田大学の講師、
9/26 狭心症により東京の自宅で没 (享年54)
贈従四位(1915年) 墓は東京の雑司ヶ谷墓地
○ 遊牧民ハーン ハーンの生涯とその交流
http://www.yushodo.co.jp/ysdnews/hearn/loh/index.html
◎ 文筆者としてのハーンが残した仕事は、新聞記事から雑文、(フランス文学の)翻訳など
多岐に渡るが、彼が 後年最も力を注いだのは、「創作再話」であった
それらは既にアメリカ時代に始まり、日本に来て更に積極的に話の収集に努めた
1894(44歳)「見知らぬ日本の面影」
1895(45歳)「東の国から」
1896(46歳)「心」
1897(47歳)「仏の畑の落穂」
1898(48歳)「異国情緒と回顧」
1899(49歳)「霊の日本」
1900(50歳)「影」
1901(51歳)「日本雑録」
1902(52歳)「畳董」
1904(53歳)「怪談」/「日本〜ひとつの試論」
▼ 松岡正剛の千夜千冊『神々の猿』ベンチョン・ユー
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0007.html
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【 西洋社会の考えに従って 国家の近代化を推し進めれば、家族を崩壊させ、社会構造を
完全に分離し、さらには倫理制度そのものまで壊滅させてしまうことにもなりかねない。
すなわち、国民の生活を完全に打ち壊してしまうのだ 】
(「永遠に女性的なるもの」〜『東の国から』所収
“Of the Eternal Feminine”, Out of the East )
(未完成)
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