混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

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加賀遊覧記(12)

〜〜〜〜
  〜〜〜〜 河内にて(2)


 北陸 吉崎を離れて 河内の出口に腰を落着けた 蓮如のことを 考えようとしています。
ここにおいて、さまざまな問題や疑問が 私のうちに群がり起ってきて、今や 自ら収拾が
付かない状態です。 どのような切り口で、この一連の記事を書き進めようか 困っています。
                                〜〜〜〜

 まず、ここで 蓮如の吉崎退去は、いわば 彼の北陸教化の事業の破綻だったはずですが、
しかし、加賀の浄土真宗は その後 隆盛を迎え、かの信長・秀吉・家康に屈服しはしますが、
江戸時代を通じ さらに つい最近まで 当地の人々の信仰を既定してきました。
すなわち、蓮如は 必ずしも 当地で敗北してはいないのです。

しかし、文明7 8月 吉崎御坊は 現地勢力に破壊され、 彼は 日本海に駆逐されます。
( 彼は マサダ砦や太平洋戦争の玉砕のように、城砦化した吉崎を死守しませんでした。
  これは 敵前逃亡だったのでしょうか? しかし 鳥羽伏見の戦いの際 大阪城を脱出した
  徳川将軍のような非難は、どこからも聞こえてきません。)

今 我々の問題は、 その時 蓮如が 具体的に どういう深謀遠慮を持っていたか?ではなく、
この法難に対する 彼の心の内は どうであったか? ということです。


 このことを考えるヒントは、法然の吉水教団の法難の際の 法然や若い親鸞の この事件に
対する姿勢とか、 親鸞の晩年に関東で起った いわゆる善鸞事件に対する 親鸞の姿勢とか、
或はまた、老ソクラテスの 死罪に対する姿勢や、若いイエスの 十字架に至る姿勢、さらには
ムハンマドの ヒジュラ(聖遷)以前 マッカ(メッカ)での迫害に対する姿勢などにあります。

ここでは、親鸞晩年の善鸞事件における 彼の考え方に注目してみたいと思います。
この事件は、 彼自身に 深いショックを与え、ついには 後継者と見込んだ わが子・善鸞を
義絶するまでに至ります。そして、親鸞は この事件から立上がるのに 相当に難渋しました。 
   参考:「 一向一揆戦線/一向一揆が行く17 」
    建長六年(1254)親鸞は門徒間の争いを調停するために、次男の善鸞を坂東へ派遣した
    善鸞は既に五十歳位に達していたはずだが、 ... 父親鸞に義絶されてしまうほどの善鸞の
    行為とは何だったのか。
       http://www.ne.jp/asahi/hon/bando-1000/itki/iku1/118.htm 

 この事件の最中に、京都の親鸞が 現地の 性信坊 に当てたお手紙を見てみましょう。

 「 さては 念仏のあいだの事によりて 処せ(狭)き様に承り候う。 返す返す 心苦しく
   候う。 詮ずる所、その処の縁ぞ 尽きさせたまい候うらん。 念仏を障saえらるなんど 
   申さん事に ともかくも 嘆き思召obosimeすべからず候う。 念仏止todoめん人こそ
   いかにもなり候わめ。 申したまう人は 何か苦しく候うべき。
   余の人々を縁として 念仏を弘めんと 計い合せ給うこと、ゆめゆめ あるべからず候う。
   
   そのところに 念仏の弘まり候わんことも 仏天の御onはからいにて候べし。
   慈信坊(善鸞)が ようように申し候うなるによりて、人々も 御こころ共domoの様々に
   ならせたまい候う由 承uketamawaり候う。 返す返す 不便hubinのことに候う。
   ともかくも 仏天の御はからいに 任せまいらせさせたまうべし。その処の縁 尽きて
   おわしまし候わば、いずれの処にても移らせたまい候ておわしますように御計い候べし。

       ** 善鸞は、「 わが聞きたる法文こそ まことにてはあれ、日頃の念仏は
          いたずらごとなり 」と言って、父・親鸞の権威によって 在地の念仏の
          指導者から 人々を引き離して、自分の所に 人々を集めたのです。

   ‘慈信坊が申し候う事を頼み思し召して、これよりは余の人を強縁として念仏を弘めよ’
   と申すこと、ゆめゆめ申したること候わず。極れる僻事higagotoにて候う。 
   この世の習いにて 念仏を妨げんことは、予kaneて 仏の説きおかせたまいて候えば、
   驚き思oboし召meすべからず。
   ようように 慈信坊が申すことを、これ(私)より申し候うと 御心得候う、ゆめゆめある
   べからず候う。 法門のようもあらぬサマに 申しなして候うなり。御耳に聞き入れらる
   べからず候う。 極れる僻事どもの聞こえ候う、あさましく候う。

   (乃至)奥郡の人々の 慈信坊に賺sukaされて 信心みな浮かれおうておわしまし候う
   なること、返す返す あわれに悲しく覚oboえ候う。 これも 人々を賺し申したるように
   聞こえ候うこと、返す返す あさましく覚え候う。
   それも、日頃 人々の信の定まらず候いけることの あらわれて聞こえ候う。(乃至)
   慈信坊が申すことによりて、人々の 日頃の信のたじろぎおうて おわしまし候うも、
   詮ずる所は、人々の信心の真実makotoならぬことのあらわれて候う。 よきことにて候う。
   
   (乃至)日頃 様々の御文どもを 書き持ちておわしましおうて候う甲斐もなく 覚え候う。
   『唯信抄』様々の御文どもは 今は詮senなくなりて候うと覚oboえ候う。
   (乃至)慈信坊に 皆従いて、めでたき御文どもは 棄てさせたまい候うと 聞こえ候うこそ、
   詮なく あわれに覚え候う。 よくよく『唯信抄』『後世物語』なんどをご覧あるべく候う。
   年頃 信ありと仰せられおうて候いける人々は、皆 そらごとにて候いけりと聞え候う。 
   ・・・ 」 ( 御消息集 )


 ここで 注目したいのは、まず、
 「 詮ずる所、その処の縁ぞ 尽きさせたまい候うらん。 念仏を障saえらるなんど申さん事
  に ともかくも 嘆き思召obosimeすべからず候う。 念仏止todoめん人こそ いかにも
  なり候わめ。 申したまう人は 何か苦しく候うべき。」
と言い、また 
 「 ともかくも 仏天の御はからいに 任せまいらせさせたまうべし。その処の縁 尽きて
   おわしまし候わば、いずれの処にても移らせたまい候ておわしますように御計い候べし。」
と言っていることです。 

すなわち ここには、セム族の宗教のように 土地に対する強引なまでの執着がありません。
その土地での縁が尽きれば、また どこへでも 縁によって 流れていくのが 仏教です。

    これは、インド及び中央アジアから 仏教が駆逐されたことの原因を 仏教自体にある
   とする考え方に対する 反証の一つになります。
   その土地から 仏教が消滅したのは、何も 仏教の価値を落すことではなく、
   逆に 仏教の独自性と その積極的な意味を、そこに見出すことができなくては、
   ユダヤ・キリスト教的イデオロギーの色眼鏡に してやられているのではないでしょうか?


 事が起って 始めて、今までの信仰(信心念仏)が 「そらごと」であったことが 露見する。

 「 これも (善鸞が)人々を賺(すか)し申したるように聞こえ候うこと、返す返すあさましく
  覚え候う。 それも、日頃 人々の信の定まらず候いけることの あらわれて聞こえ候う。
  (乃至)慈信坊が申すことによりて、人々の 日頃の信のたじろぎおうて おわしまし候うも、
  詮ずる所は、人々の信心の真実makotoならぬことのあらわれて候う。 よきことにて候う。」

 隠れていたものが アカラサマとなるのは、
たとえ その土地から追われても、「 よきこと 」であると 言っています。 
「 そらごと 」を隠して その土地に居座り続けるよりは、「 そらごと 」が露見して その土地
を追われることのほうが 「 よきこと 」だという考え方は、 欧米思想には イエス以外には
決定的に欠けているものでしょう。

    欧米人が土地を移るのは、欲(米国人はアメリカンドリームと言う)のためであって
   真実のためではありません。 ピルグリム・ファーザーズは、一般に 信仰のために
   新世界を目指したということになっていますが、 
   はて? それは、<本当の信仰>と言えるものだったかどうか? 甚だ怪しいものです。 
   ここに、その後の米国の ボタンの掛け違えがあったのではないでしょうか?



 1207 吉水教団の『承元の法難』で 讃岐に流される時 法然は、
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E5%85%83%E3%81%AE%E6%B3%95%E9%9B%A3
 信空:「 住蓮・安楽は すでに処刑されました。上人の流刑は ただ一向専修の興行故です。
  しかし、老齢の御身、遥かな西海に行かれるならば、御命が危ぶまれます。
  また、我ら門弟は恩顧を拝し 親しく御教えを戴くこともできません。また、師のみが 
  流刑の罪を受られたとあっては、残された門弟は 面目もありません。 
  しかし、勅命ですので 表向きは 一向専修の興行を止める旨を奏し、内々に御化導されて
  は如何でしょうか? 」

 法然:「 流刑は 少しも恨むことはない。 私もすでに80近い年となり、都に住んでいても
  死別の日は近い。山海遠く別れていても、いずれ浄土で再び会うことは間違いない。
  厭うても生きているのが人の身、 惜しんでも死んでいくのが人の命である。
  どこに住んでいても同じこと、辺鄙な所に赴いて多くの人に念仏をすすめることこそ、
  かねての私の願いてある。宿願を果たすことなので、ありがたく感謝している。
  念仏の教えの広まりは 人が止めようとして止まるものではない・・・」
  
また、越後に流された親鸞は、後に

 「 もし、われ配所におもむかずんば、何によってか辺鄙の群類を化せん。
   これなお 師教の恩致なり。 」(伝絵)

と語ったと言います。


すなわち、その土地から排斥され ただ暴流に流されて 東に西に 主体性なく流されて行く
のではなく、そこには 明確な しかも燃え立つような意志が 働いていたのです。
すなわち、ここを堰かれれば あちらに、あちらを堰かれれば こちらにと、主体的に 流れて
行くのであります。

 
 今、蓮如の場合も やはり こうした意志が、強烈に働いていたのではないでしょうか?
それが 仏教である限り、「 大悲伝普化 真成報仏恩 」 という意志をもっているものです。
   ( 大悲 伝えて 普く化することは、 真に 仏恩を報ずることを成ず )

 
   


             (つづく)

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