混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

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チベット仏教(2)

★(抄略転載)ラマ教  山口 瑞鳳 〜 チベット仏教に対する俗称
 
 チベット仏教は、インド仏教の正統を継承するものであるが,この俗称のために異端もしくは
変容のはなはだしい仏教であるかのように誤解されている。
ラマ bla ma は、〈師〉を意味する。
〈ラ〉は〈生命の根元〉をいう名称。〈マ〉は、それを託された人の意味。 
密教では、とくに師と弟子の密接な関係を重視する所から チベット仏教の特徴と誤解され、
また 中国で チベット仏教の僧を〈剌麻(喇嘛)〉と呼び慣わした所から 日本でもこの呼称が
一般化した。


【歴史】

 チベット人が 仏教と接触したのは、ソンツェン・ガンポ王の晩年,唐とネパールから迎えら
れた王妃が それぞれ,ラモチェ(小招寺),トゥルナン(大招寺)の2寺を建立したのに始まる。
崇仏の習慣は王室に残され,710年に この国に至った金城公主の影響でさらに盛んになった。
その夫である王の晩年,タクマルに 2寺が建てられ,仏教を学ぶために 若者が数人 唐に
遣わされて 成都浄衆寺の金和尚(無相)から禅の教えを受けて帰国したといわれる。

継いで立った ティソン・デツェン王(742‐797)は、761年に 仏教の国教化を決意して,使を
唐やネパールに送り,インドの名僧シャーンタラクシタ(寂護)を迎え,パドマサンババ(蓮華生)
の協力をえて、775年から サムイェー大僧院群の建立にかかり,779年 チベット人の僧に
初めて 説一切有部の具足戒を授けて 僧伽を発足させ,その指導下で 梵語仏典を主とする
訳経事業が始められた。

786年 敦煌が陥落すると,その地から招かれた 漢人僧・摩訶衍(まかえん)が 利他行を重視
した不思不観の禅の教えを流行させたので,インド系仏教徒との間で宗論が起った。
王は、インドから 寂護の弟子の巨匠カマラシーラ(蓮華戒)を招いて 摩訶衍を論破させ,
インド仏教を正統とした。 ( サムイェーの宗論 )

 この論争では,
中国仏教は、他を救うことを目的とした大乗仏教から 自ら救われることのみをいう教えに
変質していると指摘され、
さらに 人間は 本来仏の素質をもっているとする如来蔵思想の一つの傾向から、禅宗の実践
では インド仏教の瞑想法に特有な教理に凝念する態度が捨てられ、不思不観が勧められ
たので、それでは 般若の智慧が 得られないとして非難された。
         
 蓮華戒は、その師・寂護とともに,外界の真相は 直覚されるものではなく,推論によって
しか把握されないとしたうえで,外界の事物の上に 想定される極微(原子)には 一個のもの
としての特質が認められないとし、
さらに それを認識する主体にも そのような特質がありえないとして、空の教理を主張した。
彼らは 唯識(瑜伽行)派の考え方を 中観派流に考え直すことも求めたが、瑜伽行中観派と
呼ばれてチベット後代の仏教思想一般に大きな影響を残した。


 王没後の8世紀末に 多少の混乱もあったが,9世紀に入ると,僧団指導者たちが 国政の頂点
に立ち,ティデ・ソンツェン(742‐815)王の下に 王公高官を集めて 先王のときサムイェー
で行ったように崇仏を誓わせ,
また,訳経用語を統一して翻訳仏典を校訂させた。
815年 幼王ティツク・デツェン(806‐841)が立つと,僧たちの指導で 821年に唐との和平が
実現し, 824年もしくは836年ころには 《大蔵経》の主要経典をほとんど訳出して,このこと
を示す《デンカル目録》が編纂された。 
その他 僧1人に隷家7戸を与える特権を設け,造寺・造仏につとめたため,財政負担がかさみ,
国論が分かれ,このため ティツク・デツェンのあとを継いだダルマ王が殺害された。
翌843年 王位継承をめぐって 王室は南北に分裂し,崩壊した。

                         

                    (つづく)


■ 専門研究
   ツォンカパ(1357―1419)は、『菩提道次第小論』『中観意趣善明』で 二諦すなわち
  世俗諦と勝義諦の区分を〈二諦は同一の自性を有するが,排除による区別あるもの〉と
  結論付ける。 それは 唯識派から中観派の自立派・帰謬派に共通するインド大乗仏教の
  論理である。 ツォンカパは、それを二方法により導く。
  1.論理による方法として カマラシーラ(c.740―797)の『中観光明論』に表明される
   アポーハ論に基づいている
  2.聖教による方法として カマラシーラの『中観光明論』に引用される『解深密経』の
   見解から、二諦は 同一でも別でもないと導く。

  このことは,ツォンカパ以下 ケードッブジェ(1385―1438),ジャンヤンシェーパ
  (1648―1721),ガクワンパルデン(1797―?),ダライラマ14世に至る チベット仏教
  ゲールク派の伝統であることが 彼らの著作の上から確認され得る。

  1.2.共に典拠となる経論に対する評価が 中観派内でも自立派と帰謬派とでは異なる。
  特に2.『解深密経』の論述を、自立派は 無自性,勝義を説く了義とするに対し,
  帰謬派は 帰謬すなわち自性が別,排除が同一 と仮定した場合に導かれる矛盾の指摘で
  あり未了義と解釈する。
  この点が 帰謬派を最重視するツォンカパ以下のゲールク派の伝統を表わし,むしろ2.
  による結論を『解深密経』よりも『般若経』やナーガールジュナ(c.150―250)の見解から
  導こうとしている。 しかし,このことが かえって 自立派カマラシーラの『中観光明論』
  が,その事実上の典拠として ゲールク派の伝統の中で いかに影響力を持ったかを,
  より明白に示している。

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