混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

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私が生きていることは、真実なるものに 遠い相においてであるか、
或は 真実なるものに 近く相応する相において為されてあるか。

そうしたことを 少しも考えないで 生きていられること、
それは まことに恐ろしく 悲しいことである。
それは 私が 今どこにいるかということを
考えないで 歩いているようなものだからである。

私の生きている位置? (乃至)
大洋を走っている船には 必ず、その航路を誤らぬために、
羅針盤によって方向を正すこと、
東経何度・北緯何度と、船の位置を定めることが 絶対必要である。

それと同じように、私が生きてゆくのにも、
私の生きる方向が なくてはならないし、
生きている私の位置が 知られなければならない。

(乃至)じっと深く考え、敬虔に額ずいて、
真実なるものの真の声を聞こうともせず、
無限に内に歩もうともせず、己の真相を知ろうともせず、
道の中に 自己を投じようともせず、
貪欲中心の自由主義的立場を保持しつつ、不動の信念を語る。

聞くもの 見るもの 真に感動するもの無く、輝かず、響かず、
ただ徒に不快な雑音を増すことになるのは何故であろうか。

(乃至)ここにおいて、信念をして不動たらしめんとすれば、
信念の対象を、流転の中に求めてはならない。
信念の対象にして流転の中にあらんか、信念もまた流転するであろう。
信念 流転すれば、人格もまた 流転すべきがゆえである。

日月より手前、即ち生死界内にのみ生きんとするものは、凡夫であり、
生死界を恐れて出でんとするものは、二乗である。
生死界外の超日月光に摂取せられて、生死の中にいつつも、
実在界の光明を 生死煩悩中に具現するものは、大乗の菩薩である。
 
この大乗菩薩道のみ、不退転である。
超日月光において 生きるゆえである。
(乃至)

超日月光の光力のみ、汝をして真に生死を超え、苦楽を超え、
一切を超えて、不滅の道に生きぬかしめるであろう。
その時においてのみ、汝はいかなる所、いかなる位置にあっても、
生き得る世界に住するであろう

チベット仏教(4)

ダライ・ラマ :チベット仏教の最高指導者orその称号/ノルブ(如意宝珠)と尊称される
      ダライ : モンゴル語で大海の意、 ラマ : チベット語で師(教師・指導者)の意
     ・ 観音菩薩が チベットの守り本尊とされており、ダライ・ラマは この観音菩薩
      の化身だと信じられている
     ・ ラサのポタラ宮は 歴代ダライ・ラマの居城であり、チベット仏教の聖地と
      なっており、信者らは その居城に一生に一度は巡礼することを目標としている
      ( 最も聖なる巡礼方法は 五体投地とされる )

     ダライ・ラマの称号は、モンゴル人の支配者アルタン・ハーンが 当時のデプン寺の
    座主であったソナム・ギャツォを師と仰ぎ 贈った称号
    従って 最初に ダライ・ラマという称号を持った僧はソナム・ギャツォであった。
     しかし、彼を1世とはせず 3世とし、遡ってゲルク派の始祖ツォンカパの弟子
    ゲンドゥン・ドゥプパを 1世とした。



  先代のダライ・ラマが没した後、僧たちによって 次のダライ・ラマが生まれる地方や
 いくつかの特徴が予言される。その場所に行き子供を探し、誕生時の特徴や幼少時のくせ
 などを元に、その予言に合致する子供を候補者として選ぶ。
 その上で その候補者が 本当の化身かどうかを前世の記憶を試して調査する。
 例えば、先代ゆかりの品物とそうでない品物を同時に見せて、ダライ・ラマの持ち物に愛着
 を示し それを手に取った時、また その持ち物で 先代が行っていた事と同様のくせを
 行ったりしたとき、その子供は ダライ・ラマの生まれ変わりと認定される。

  しかし、このような宗教的意味づけは 表向きのことであり、19C以降 化身の捜索は
 清朝政府を巻き込んだ チベット貴族の勢力争いの場となり、貴族に都合の良い捜索人選が
 行われ 有力貴族が摂政となって実権を握った。
 この時期ダライラマに選ばれた子供は成人に達する(実権を握る)前後に ミステリアスな
 死を迎えている。(9世、10世、11世、12世の生没年に注目)


1. ゲンドゥン・ドゥプ (1391 - 1474)
2. ゲンドゥン・ギャツォ (1475 - 1542)
3. ソナム・ギャツォ (1543 - 88)
4. ユンテン・ギャツォ (1589 - 1616)
5. ガワン・ロサン・ギャツォ (1617 - 82) 「偉大なる五世」と呼ばれる
    偉大な学僧だっただけでなく、1642 モンゴルの後ろ盾を得て 政教両面でチベットの
   最高指導者となる
   以来 歴代ダライ・ラマは、チベット第一の都市・ラサ市を政治基盤とし、
   ゲルク派序列第一位の僧侶であると共に チベット全域の政教両面の最高指導者であった
6. ツァンヤン・ギャツォ (1683 - 1706)
7. ケルサン・ギャツォ (1708 - 57)
8. ジャンペル・ギャツォ (1758 - 1804)
9. ルントク・ギャツォ (1806 - 15)
10.ツルチム・ギャツォ (1816 - 37)
11.ケードゥブ・ギャツォ (1838 - 56)
12.チンレ・ギャツォ (1856 - 75)
13.トゥプテン・ギャツォ (1876 - 1933)
14.テンジン・ギャツォ (1935 -  )


■(抄略転載)僧形の王 ダライラマ

 彼が国を失う前に どれほどの力を有していたかは数々の例を挙げるまでもないが、
ここは 18世紀初頭に チベットに布教に訪れたカソリックの神父の目をかりて見て見よう。
「 チベットの大ラマ (ダライラマ) は チベット人ばかりか、ネパール、モンゴル、中国の
  民によっても長・導師・保護者・司教と見なされている。彼は ただの人としてではなく
  観世音として崇拝・供養されている。 観世音は 何世紀にもわたり 彼らの指導と利益
  のために 転生を繰り返して来た。
  大ラマは 宗教的な事を支配するばかりか、世俗の事も支配している。彼は 全チベットの
  絶対的主人なのである。 大ラマは 王を任命し、彼の代理として 彼の名の元に民政、
  軍事、司法にあたらせていることは事実である。しかし、このチベットの王は 王とは
  言えず、単なる行政官と言えよう。
  彼は 大ラマによって命令された事には 何事であれ逆らう事はできない 」
                         (Dessideri, Tibetan Account, 1932)
 実際、ダライラマは 17Cから18C初頭にかけての その絶頂期において、中国 (清朝)
・モンゴル・チベットの政治・宗教の舞台に 絶大な権威を有していた。
当時のモンゴルの王侯は、莫大な布施を携えて 競ってダライラマのもとに至り、称号を求めて
いた。 その権威は 当然のことながら 政争の具となる道も開き、この時代 チベットに
関連して 三国間で起きた軍事紛争は、(複雑な事情が背景にあったにせよ)表立った理由
としては、ダライラマ位の継承が挙げられることが ほとんどであった。

例えば、1717年のオイラト (西モンゴル) の一支ジュンガルが チベットを侵略した理由の
一つには、当時ダライラマとされていた人物に 異議があったことによる。
続く 1720年における 清朝のチベット侵略は、後に ダライラマ七世と知られるようになる
幼童を即位させるためであった。

また、交戦中において これら三国の間で 応酬された非難の言葉を見ると、ダライラマの教え
を貴んでいるかいないかが 善悪の基準として用いられていたことを見て取ることができる。
例えば、1686年に始まる東西モンゴル (ハルハ、オイラト) の紛争中には、ハルハの化身僧
ジェブツゥンダムパが ダライラマの使者と座の高さを同じにしたことを理由に、ジュンガルは
この化身僧とその親族の王の引渡しを要求し続けた。
また、清朝は 交戦相手のオイラトのガルダン王に対して、彼の行為は ダライラマの教えを
滅ぼすものであるとの非難を何度も行っている。
このような状況が示していることは、ダライラマをめぐる これら三国の間では ダライラマの
権威を認めるという共通した視点が存在していたことである。


<化身としてのダライラマ>

 「 観世音の化身 」という言葉に、我々は 観世音という実体的な存在を措定して、
その観世音が 姿をかえて 我々の眼前に顕現するようなイメージを持つが、チベットにおける
化身観は これとは相違している。 ・・・仏教では 仏の存在レヴェルを 大きくいって
法身(ホッシン)・報身(ホウジン)・化身(ケシン)の三つに分ける。
法身は 真理そのものであり・・・、 チベットのみならず 仏教文化圏においては、法身を表象
する時には 往々にして 仏塔の形をとる。
一方 化身の存在様態は 我々が「ある」という意味での存在レヴェルを指す。例えば、歴史上
の釈尊等は この化身に当るものである。 報身は 法身と化身の中間にあって、化身の基体
となっているもので、最も説明の難しい存在である。チベットでは 報身の仏は 五つの特性を
有しており、空間的には 密厳浄土において、時間的には この世の衆生が全て輪廻から解脱
するまで、眷族には 大乗の聖者を、身には 三十二相八十種好(シュコウ)を備え、説法は 大乗の
法を説くと言われている。つまり 報身仏とは、肉体を有する存在と真理の世界の中間レヴェル
の存在様態と言えよう。 報身の仏が 衆生を救おうとする際には、身は 密厳浄土にあって
不動でありながら、化身の身を この世間に顕現する。 化身の姿は 兎や鳥等の動物の場合も、
お釈迦様のように人身の場合も、帝釈天や梵天等の天の場合もある。そのため 化身は、時間的
にも空間的にも無制限である。
ダライラマ一世の伝記の冒頭には 以下のような記述が記されている。

 阿弥陀仏と観世音の御父子と緑ターラ・白ターラの御二人の女尊は、この不浄なる世間に、
 あるものは 転輪聖王(ジョウオウ)、あるものは 国王、あるものは 帝釈天や梵天、また ある
 ものは 出家や在家の菩薩の姿等の、所化に合ったお姿の化身を無量に示されるのです。
 それは 虚空(コクウ)に浮かぶ一つの月輪が 地上の様々な器に一度にその姿を映すがごとく、
 観世音は苦もなく 我々のもとに 化身の御姿を御示しになられるのです
                             (『ダライラマ一世伝』p.390)
ここでは 月輪が報身の仏に、その地上における影像は 化身の姿にたとえられている。
観世音とダライラマの関係は このような月とその影像の関係を対象させてみると解りやすい。
前述したように ダライラマは 死後 仏塔に納められることを慣例としているが、これは
化身の身の法身への帰入を シンボライズしたものなのである。


                                      以上
                                    

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