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英ヒースロー空港 と 独フランクフルト、オランダ・スキポール、仏シャルル・ドゴールの 欧州4大空港が すべて閉鎖となり、 日本を含む世界各地のビジネスマンや観光客の足に 影響が出ている。 欧州の航空運航状況を統括するユーロコントロール(本部・ブリュッセル)によると 英国、アイルランド、デンマーク、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、オランダ、ベルギー、 エストニア、フランス、ドイツ、ポーランド の12か国が 飛行禁止措置を打ち出している。 また、チェコ、スイスなど8か国で 少なくとも一部の空港が閉鎖された。 16日に 全欧州で 運航が予定される約2万8000便の6割以上の約1万7000便が 飛べない見通し。 16日 記者会見したユーロコントロール当局者は、混乱は欧州全体で 「 17日も続く 」 と断言した。 成田空港発着の欧州便は 16日、日本航空と全日空など計20便が欠航した。17日も 14便が欠航の予定だ。 国際航空運送協会(IATA)によると、 航空各社の収入減は 1日あたり2億ドル (約180億円)を超える見通しだ。 空港閉鎖が長引けば物流や観光にも影響は必至で、 日米に比べても 回復が遅れている欧州経済への打撃となりそうだ。 アイスランド気象庁によれば、14日噴火した エイヤフィヤトラヨークトル氷河の火山から の噴煙は 高さ約8000mに達した。 ロイター通信によると、アイスランド大の専門家は 「 噴火は 今後2日ほどは続くだろうが、地底のマグマの量にも限りがある 」と述べた。 ただ、別の見方を示す専門家もおり、噴火が 終息に向かうかは 予断を許さない。 世界保健機関(WHO)は 16日、ぜんそくなど呼吸器系の疾患を持つ人に、火山灰が 拡散する地域で外出を控えるよう勧告した。 以上 ■ アイスランドで火山が噴火、600人が避難
2010年03月24日 発信地:クヴォトルスヴォトルール/アイスランド 【3月22日 AFP】(写真追加)アイスランドで21日未明、エイヤフィヤトラヨークトル氷河に ある火山が噴火し、溶岩や火山灰の影響で 近隣住民が避難を余儀なくされたほか、航空便は 全便が 一時欠航となった。これまでのところ、物的、人的被害の報告は出ていない。 噴火が起きたのは、首都レイキャビクから東方約125kmの人里離れた場所にある地点。 アイスランド当局は、噴火の熱で 氷河が溶け出し洪水の恐れがあるとして、近隣地域の住民に 避難命令を出し、600人あまりが避難を余儀なくされた。 現地では3週間ほど前から、地震が 続いていたという。 また、一時は アイスランドの空港を離着陸する全便が欠航となった。 21日午後 国際便、 続いて 国内便の運行が再開したが、大幅な遅れが続いている。 アイスランドでの火山噴火は 2004年以来、6年ぶりだが、エイヤフィヤトラヨークトル 氷河付近での噴火は 1823年を最後に起きていない。
1775年頃から始まった気候の寒冷化は、 1780年(安永九)以後 厳しくなり、
その傾向は 1820年ごろまでつづく。当時の夏は 暑くならず、雨の日が多かった。 このような気候の寒冷化した時代の1783年 (天明三年)の初夏、浅間山が大噴火した。 そのときの噴煙が 成層圏にまで達し、地球規模 の寒冷化をさらに強めた。 1783年と翌84年に アイスランドのラキ火山が 大噴火し、 浅間山とともに 気候の寒冷化にかかわった。 1782年(天明二)から 1787年(天明七)の 天明の飢饉 を境にして、110万人余りの 人口が減少し、日本の人口の 約4.3%が減少した。 また、天明年間には、わが国は 北海道を中心とした 北蝦夷の経営が、時の政府により試み られた。 田沼意次により探検が実施されたが、これは 当時のロシアの南下政策に対応し たものであった。 わが国の北辺における 国境の確定をめぐって、北蝦夷の探検が重要と なったのである。 一方、ロシアの南下政策は、気候の寒冷化により 食料の安定供給をめぐって 起こったものとれている。 当時のシベリア東部では、冬の厳しさは 相当のものであった。 フランスでは、フランス革命以前の10年ほどにわたる時代の気候は 不順で、厳しく寒い冬 や冷夏と それにともなう旱魃がくりかえされていた。 フランスでは、飢饉が 1775年、1785年、それに 1788年から89年にかけてと、 当時 3回起こっている。 1778年は ひどい不作で、経済的には 恐慌を来たしたが、 その状況は 1787年から翌88年にかけての冬の厳しさから生じたのであった。 こうした人びとの苦しみが 一揆につながった。 一揆では、金持ちたちの城館の焼き討ち、 農民たちに対する封建的義務にかかわる文書の廃棄、穀蔵の解放、牧場の占拠、穀物の安い 設定などが実現されている。 歴史家のコバンによると、「 悲惨な収穫に終わった後における最悪の時期は、常に 翌年の 初夏に起こった。 このころに 前年に収穫された穀物が底をついているのに、その年の実りは まだだからである 」という。1789年7月14日にバスティーユ刑務所の襲撃が始まった。 フランス革命直前のフランス農民は 大部分が貧農で、穀物の数年分の貯蔵など とても 不可能なことであった。したがって 単年度であっても、農作物の不作が 一旦 起こると 人びとの暮らしは極端に悪くなり、飢餓に すぐにつながった。 1812年に ナポレオンは ロシアに遠征に失敗する。 1810年代のヨーロッパは、 厳しい寒さに覆われていた。 こんな気象条件の中で、ナポレオンは ロシア遠征を決行した ため、当初の予定どおり 短期決戦でロシアを屈服させられなかったのは、大きな誤算だった。 戦争と気象の関係が、1812年の ナポレオンとアレクサンドル一世との対決にとって、 決定的な役割を果たした。 以上 ■ タンボラ山( インドネシア )、1815年の大噴火 ――― 過去2世紀に 世界で記録されたものの内 最大規模の火山噴火 この年 4月10〜12日の大爆発音は、遥か1750km先まで聞こえ、500km 離れたマドゥラ島では、火山灰のため3日間暗闇が続いた。高さ3900mあった山頂は 2851mに減じ、 面積約30km²・深さ1300mの火口が出現。 噴出物の総量は、150km³に及び、半径約1000kmの範囲に火山灰が降り注いだ。 ☞ 農作物に 壊滅的な被害 噴火後 数か月にわたり、世界各地で異常な夕焼けが見られ、この年の夏は 異常に 低温だった。 米国北東部では 異常低温となり雪や霜が6月まで みられた。 英国やスカンディナビアでは、5〜10月まで長雨が続き、異常低温により 不作、 食糧不足となった。 翌1816年は 「夏のない年」と言われた。 噴火による死者は 1万人にのぼり、その後の飢饉・疫病によるものも含め、 5〜9万人( タンボラ火山のあるスンバワ島で3万8千人、西隣のロンボク島では 4万4千人の病死・餓死者が出た )と言う。 ■ クラカタウ : ジャワ島とスマトラ島の中間、スンダ海峡にある火山島の総称 約6万年前まで、この海域には 1つの火山島があった。これは、標高2000m近い 成層火山だったが、大噴火によって消滅し、海中に カルデラを残した。 535年の大噴火 インドネシアの社会に 歴史的な断絶を引き起こし、世界各地に異常気象をもたらた。 その痕跡は、 樹木の年輪や極地の火山灰の堆積、さらに 歴史文書に至るまで広範囲に 亘る。 日本書紀にも 異常気象と飢饉の発生についての言及が見られ( 安閑二年 )、 同時期に 朝鮮半島からの渡来人の流入、馬具の発達、中国から流入した仏教の興隆 などが起きており、古代日本の国家形成に与えた影響は小さくはない(?)。 1883年の大噴火 この年 5月20日、ラカタ島で 水蒸気爆発を伴う噴火が始まり、同時に発生した 地震は 数年にわたった。 8月11日、同島の3つの火山が噴火。 27日に 大噴火を 起こした。 噴火で発生した火砕流は 海上40kmを越え、スマトラ島ランボン湾東部で 人間を殺傷。 又、発生した津波が 周辺の島を洗い流し、航海中の船を激しく揺さ振った。 死者は 3万6417人( 2004年 スマトラ島沖地震が起こるまでは、インド洋に おける最大の津波災害だった )。 この噴火は、海底ケーブルによって全世界に報道された 史上初の大規模災害。 ☟ のコメント欄につづく
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