佐賀県、国に経済界からの出演者要請 説明番組放送で朝日 8月10日「やらせメール」問題の舞台となった九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の運転再開に 関する国のTV番組について、佐賀県が 国に 経済界の人物を出演させるよう要請していた ことが分かった。古川康・同県知事は 経済界から再開容認の声を上げることを求めており、 容認派を出演させる狙いがあったとみられる。 番組は 原発の安全性などを説明する内容で、6月26日にケーブルテレビなどで放送。 県民代表7人が出演し、経済界からは 佐賀商工会議所専務理事が出た。 経済産業省資源 エネルギー庁によると、県は 6月中旬、県民に説明する場を設けるよう同庁 に要請。 同庁は 県の原子力安全対策課や危機管理・広報課と実施方法などを協議したが、 その中で 出演者について 県から「 経済界からも入れてほしい 」と求められたという。 古川知事は 6月21日に九電幹部と会談した際、「 経済界には 再開を容認する意見も あると聞いている。こうした機会(番組)を利用し、声を出していくことも必要 」と話し、 経済界から 再開容認の声を上げるよう促していた。 同庁は 当初、「 出演者は 国が選んだ 」と説明してきた。しかし、杉本孝信・同庁原子力 発電立地対策・広報室長は8日、「 県の要請で企画した番組であり、必要に応じて県と連絡 を取るのは当然 」と説明した。 経産省職員も 九電側に賛成意見集め求める 番組放送前朝日 8月20日九州電力のやらせメール問題で、玄海原子力発電所の運転再開についてのテレビ番組を 企画した経済産業省の担当者が 放送前に九電幹部と会い、賛成意見を集めるよう求めていた ことがわかった。 九電は、賛成意見の投稿を この会談より前に社員らに指示していたが、 国の姿勢が 組織ぐるみの工作を加速させた可能性がある。 九電幹部によると、6月26日の番組放送の数日前に、経産省資源 エネルギー庁と九電の 原発部門の担当者が 東京で会談した。 そのなかで、同庁担当者が「 運転再開への賛成意見 が集まることが望ましい 」などと発言したという。 九電では、この会談前の同月22日に 同部門の幹部が 社員や子会社員に対し、一般人を 装って番組に賛成意見を投稿するようメールで指示していた。同庁担当者の発言が「 やらせ 」 を誘発したわけではないが、九電から やらせの工作の報告を事前に受けながら、黙認して いた可能性がある。 毎日新聞では、 ■九電やらせメール:エネ庁担当者も投稿要請 九州電力の玄海原発2、3号機の再稼働を巡る「やらせメール問題」で、経済産業省 資源 エネルギー庁の担当者が、国主催の説明番組への賛成意見投稿を要請していたことが 20日 分かった。 九電の原発を巡る国主催の説明会としては、05年以降に開かれた すべてで、国の関与があったことになり、九電は 同省の第三者委員会に報告した。 説明番組は6月26日にあり、関係者によると、番組の数日前の打合せで、エネ庁担当者 から「 原発再稼働への容認意見が投稿されることが望ましい 」という趣旨の発言が あったという。番組には 589件の投稿があり、内賛成意見は 286件。九電関係者 の投稿は 141件に上った。 この打合せは、九電幹部の指示で、同社の原子力発電本部の課長級社員が 社内外に 投稿を要請するメールを送信した後にあったため、九電は「 国の要請が番組に直接 影響があったわけではない 」としている。 第三者委員会への報告書は18日に提出され、このほか ▽ 05年10月の玄海原発3号機の プルサーマル 発電計画についての シンポジウム で、 経産省原子力安全・保安院から ▽ 昨年5月の川内原発(鹿児島県薩摩川内市) 3号機増設計画についての第1次公開 ヒアリング で、エネ庁から −−いずれも動員要請があったことが盛り込まれた。 九電、やらせ問題で国に虚偽報告 国会追及前に総会対策朝日 8月9日
九州電力の「やらせメール」問題で、原子力発電部門が 6月28日の株主総会向けに、
この問題の想定問答をまとめていたことがわかった。九電は「 7月6日に国会で追及されて 初めて問題を把握した 」と説明、7月14日に 経済産業省に出した調査報告書でも そうしているが、原発部門は 早い段階で知っていたのに 公表を避けてきたとみられる。 九電は 想定問答に加えて、幹部と佐賀県の古川康知事との会談の事実も 報告書に記して おらず、国に虚偽報告をしていたことになる。 九電の原発部門の課長級社員は、国主催のTV番組(6月26日放送)に玄海原発2、3号機 の運転再開に賛成意見を送るよう、6月22日にメールで 社員らに指示を出した。 九電の複数の幹部によると、番組放送前後から「やらせ疑惑」の指摘が インターネット上に 相次ぎ、共産党も追及する姿勢を見せていた。 このため原発部門内で対応を協議し、総会で 質問があったときに、担当役員が答えられる
よう事実関係を整理した回答案を作ったという。回答案は 経営陣が目を通す可能性が高く、 少なくとも 原発部門の幹部は やらせ問題を把握していたことになる。 だが、やらせ指示があった当時の原発部門幹部の一人(現上席執行役員)は、7月4日の 鹿児島県議会で「 番組があると社内などに連絡はしたが、どうこうしろとは言ってない 」 とやらせを否定していた。 真部利応(マナベ・トシオ)社長は 問題が発覚した7月6日の会見から一貫して「 国会で 追及されるまで知らなかった 」としている。 また 九電は 国への報告で、テレビ番組後、複数の報道機関から 「やらせ」について 問い合わせがあったが、「 事実関係を十分な調査をせず、見過ごしていた 」と説明していた。 |
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2011年08月20日
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(1) 二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、 白熊(シロクマ)のような犬を二疋(ヒキ)つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、 こんなことを云(イ)いながら、歩いておりました。 「 ぜんたい、ここらの山は 怪(ケ)しからんね。鳥も獣(ケモノ)も 一疋も居やがらん。 なんでも構わないから、早く タンタアーンと、やって見たいもんだなあ 」 「 鹿の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発 お見舞もうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。 くるくるまわって、それから どたっと倒れるだろうねえ 」 それは だいぶの山奥でした。 案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、 どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。 それに、あんまり山が物凄(モノスゴ)いので、その白熊のような犬が、二疋いっしょにめまい を起こして、しばらく吠(ウナ)って、それから 泡を吐(ハ)いて死んでしまいました。 「 じつに ぼくは、二千四百円の損害だ 」と一人の紳士が、その犬の眼(マ)ぶたを、 ちょっとかえしてみて言いました。 「 ぼくは二千八百円の損害だ 」と、もひとりが、くやしそうに、頭をまげて言いました。 はじめの紳士は、すこし顔色を悪くして、じっと もひとりの紳士の顔つきを見ながら 云いました。 「 ぼくは もう戻(モド)ろうとおもう 」 「 さあ、ぼくも ちょうど寒くはなったし 腹は空(ス)いてきたし 戻ろうとおもう 」 「 そいじゃ、これで切りあげよう。なあに戻りに、昨日(キノウ)の宿屋で、山鳥を拾円も 買って帰ればいい 」 「 兎(ウサギ)もでていたねえ。そうすれば 結局 おんなじこった。では 帰ろうじゃないか 」 ところが どうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、いっこうに見当がつかなく なっていました。 風が どうと吹いてきて、草は ざわざわ、木の葉は かさかさ、木は ごとんごとんと鳴りました。 「 どうも腹が空いた。さっきから 横っ腹が痛くてたまらないんだ 」 「 ぼくもそうだ。 もう あんまり歩きたくないな 」 「 歩きたくないよ。 ああ困ったなあ、何か食べたいなあ 」 「 喰(タ)べたいもんだなあ 」 二人の紳士は、ざわざわ鳴る すすきの中で、こんなことを云いました。 その時 ふと うしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。 そして 玄関には RESTAURANT 西洋料理店 WILDCAT HOUSE 山猫軒 という札が出ていました。 「 君、ちょうどいい。ここは これで なかなか開けてるんだ。入ろうじゃないか 」 「 おや、こんなとこに おかしいね。 しかし とにかく 何か食事ができるんだろう 」 「 もちろんできるさ。 看板に そう書いてあるじゃないか 」 「 入ろうじゃないか。 ぼくは もう何か喰べたくて倒れそうなんだ 」 二人は玄関に立ちました。玄関は 白い瀬戸の煉瓦(レンガ)で組んで、実に立派なもんです。 そして 硝子(ガラス)の開き戸がたって、そこに 金文字で こう書いてありました。 「 どなたも どうかお入りください。決して ご遠慮はありません 」 二人は そこで、ひどく よろこんで言いました。 「 こいつは どうだ、やっぱり世の中は うまくできてるねえ、きょう一日なんぎしたけれど、 こんどは こんないいこともある。このうちは 料理店だけれども ただで ご馳走するんだぜ 」 「 どうも そうらしい。決して ご遠慮はありません というのは その意味だ 」 二人は戸を押して、中へ入りました。 そこは すぐ廊下になっていました。その硝子戸の 裏側には、金文字で こうなっていました。 「 ことに 肥(フト)った お方や若いお方は、大歓迎いたします 」 二人は 大歓迎というので、もう大よろこびです。 「 君、ぼくらは 大歓迎にあたっているのだ 」 「 ぼくらは 両方兼ねてるから 」 ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは 水色のペンキ塗(ヌ)りの扉がありました。 「 どうも 変な家(ウチ)だ。 どうして こんなに たくさん戸があるのだろう 」 「 これはロシア式だ。 寒いとこや山の中は みんなこうさ 」 そして 二人は その扉をあけようとしますと、上に黄いろな字でこう書いてありました。 「 当軒は 注文の多い料理店ですから、どうか そこは ご承知ください 」 「 なかなか はやってるんだ。 こんな山の中で 」 「 それあそうだ。見たまえ、東京の大きな料理屋だって 大通りには すくないだろう 」 二人は云いながら、その扉をあけました。するとその裏側に、 「 注文は ずいぶん多いでしょうが どうか 一々こらえて下さい 」 「 これは ぜんたい どういうんだ 」 ひとりの紳士は 顔をしかめました。 「 うん、これは きっと注文があまり多くて 支度(シタク)が手間取るけれども ごめん下さい と斯(コ)ういうことだ 」 「 そうだろう。 早く どこか室(ヘヤ)の中に入りたいもんだな 」 「 そして テーブルに座りたいもんだな 」 ところが どうもうるさいことは、また扉が一つありました。そして そのわきに鏡がかかって その下には 長い柄(エ)のついたブラシが置いてあったのです。 扉には 赤い字で、 「 お客さまがた、ここで 髪をきちんとして、それから はきものの泥を落してください 」 と書いてありました。 「 これは どうも もっともだ。 僕も さっき玄関で、山の中だとおもって見くびったんだよ 」 「 作法の厳しい家だ。 きっと よほど偉い人たちが、たびたび来るんだ 」 そこで 二人は、きれいに髪をけずって、靴の泥を落しました。 そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否や、そいつが ぼうっとかすんで無くなって、 風が どうっと 室の中に入ってきました。 二人は びっくりして、互によりそって 扉をがたんと開けて、次の室へ入って行きました。 早く 何か暖いものでも食べて、元気をつけて置かないと、もう途方(トホウ)もないことに なってしまうと、二人とも思ったのでした。 扉の内側に、また 変なことが書いてありました。 「 鉄砲と弾丸(タマ)をここへ置いてください 」 見ると すぐ横に黒い台がありました。 「 なるほど、鉄砲を持って ものを食うという法はない 」 「 いや、よほど偉いひとが 始終来ているんだ 」 二人は 鉄砲をはずし、帯皮を解いて、それを台の上に置きました。 また黒い扉がありました。 「 どうか 帽子と外套と靴をおとり下さい 」 「 どうだ、とるか 」 「 仕方ない、とろう。 たしかに よっぽど えらいひとなんだ。奥に来ているのは 」 二人は 帽子と オーバーコート を釘にかけ、靴をぬいで ぺたぺた歩いて 扉の中に入りました。 扉の裏側には、 「 ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡(メガネ)、財布、その他金物類、ことに尖(トガ)ったものは、 みんな ここに置いてください 」 と書いてありました。扉のすぐ横には 黒塗りの立派な金庫も、ちゃんと口を開けて置いて ありました。 鍵(カギ)まで そえてあったのです。 「 ははあ、何かの料理に電気をつかうと見えるね。 金気(カナケ)のものはあぶない。 ことに 尖ったものはあぶないと こう云うんだろう 」 「 そうだろう。して見ると 勘定は 帰りに ここで払うのだろうか 」 「 どうも そうらしい 」 「 そうだ。きっと 」 二人は めがねをはずしたり、カフスボタン をとったり、みんな金庫の中に入れて、ぱちんと錠 (ジョウ)をかけました。 すこし行きますと また扉があって、その前に 硝子(ガラス)の壺が一つありました。 扉には こう書いてありました。 「 壺の中のクリームを 顔や手足に すっかり塗ってください 」 みると たしかに壺の中のものは 牛乳のクリームでした。 「 クリームをぬれ というのは どういうんだ 」 「 これはね、外がひじょうに寒いだろう。室(ヘヤ)の中があんまり暖いとひびがきれるから、 その予防なんだ。どうも 奥には、よほど えらいひとがきている。こんなとこで、案外ぼくら は、貴族とちかづきになるかも知れないよ 」 二人は 壺のクリームを、顔に塗って 手に塗って それから 靴下をぬいで足に塗りました。 それでもまだ残っていましたから、それは 二人とも めいめい こっそり顔へ塗るふりを しながら喰べました。 それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、 「 クリームをよく塗りましたか、耳にも よく塗りましたか 」 と書いてあって、ちいさなクリームの壺が ここにも置いてありました。 「 そうそう、ぼくは 耳には塗らなかった。あぶなく 耳にひびを切らすとこだった。ここの 主人は じつに用意周到(シュウトウ)だね 」 「 ああ、細かいとこまで よく気がつくよ。 ところで ぼくは 早く何か喰べたいんだが、 どうも こう どこまでも廊下じゃ 仕方ないね 」 (つづく)
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そもそも、国家が このようなことを為してよいものだろうか? ※「 このようなこと 」とは、地方を食い物にすること。 地方の生活を 大切にせず、地方の人々を愚民とみなして 敬意を払わず、 その伝統的な生活を 崩壊させ、地方の人々を カネの麻薬漬けにし、 己の意に隷属させて、その倫理的感覚と自主独立の精神を奪うこと。 それとも、「 近代国民国家 」というものは、 こういうことを為すのをサガとする「 国家 」であったのではないか? 合掌 地震大国・日本で、原発とどう向き合っていくのか。東電福島第1原発事故は、我々に難しい 課題を突きつけた。今後の道を探る連載の第1部は「国策」に翻弄されてきた自治体の現状を追う。 「 何ば言いよるんだ、この人は! 」。7月6日、佐賀県玄海町の町長室に岸本英雄町長の 怒声が響いた。矛先は テレビに映る菅直人首相。全原発の安全評価(ストレステスト)実施を表明 したことを報じていた。 町長は 2日前、全国に先駆け玄海原発2、3号機再稼働への同意を九州電力に伝えたばかり。 首相のひと言で 海江田万里経済産業相の「安全宣言」は宙に浮き、町長は「 ばかにされた 」 と同意を撤回。再稼働は 見通せなくなった。 県の北西端にある玄海町は かつて、貧しい寒村だった。 県から 原発計画の話を持ちかけ られたのは 1965年。 農漁業以外に目立った産業はなく、町民約8000人の1割近くが 関東や関西に出稼ぎに行った。町区長会の渡辺正一会長(57)は「 どの企業も来てくれず、 誘致したのが原発だった 」と話す。 誘致が決まると 国や電力会社から 原発マネー が流れ込んだ。町が受取った電源3法交付金 は 総額265億円。 町民会館に 26億円、温泉施設に 17億円、老人ホームに 23億円と 豪華な公共施設を並べても お釣りが来た。「 ようやく 人並みの生活ができるようになった 」。 山崎隆男元町議(85)は振り返る。 「豊か」になるに連れ、反原発の声も なりを潜めた。 だが、原発マネーは 依存構造を生んだ。歳入の6割以上を原発関連が占め、「 町民の5割 が原発を生活の糧にしている 」(岸本町長)。 半面、人口は減り続け、他産業は育たず 農漁業の担い手も半減した。 一方、原発の固定資産税は 減価償却が進むにつれ 年々減る。2号機稼働から 10年 過ぎた90年代初め、町財政は 縮小傾向にあった。息を吹き返させたのは 3号機(94年)、 4号機(97年)の相次ぐ稼働。06年には 3号機で国内初のプルサーマル発電に同意し、 核燃料サイクル交付金30億円も入ることになった。 財政が先細ると 原発特需が カンフル剤のように効く図式。 4号機稼働から14年がたち、 岸本町長は「 老朽化した1、2号機に代え、5号機が必要 」と唱えるようになっていた。 3月11日までは −−。 町の将来には、菅首相の「脱原発」宣言が影を落とす。 2、3号機は再稼働の見通しが 立たず、1、4号機も 年内に定期検査に入る。今年度 1億5000万円を見込んだ核燃料税は 途切れ、作業員が消えた旅館や飲食店は閑古鳥が鳴く。町民からは「 原発がなくなれば 真っ先に隣の唐津市に吸収される 」との声も漏れる。 「 薄っぺらいベニヤ板に乗せられていたようなものだ 」。国策頼みの町が 国策によって 行き詰まり、町長の苦悩は深まる。財政的な自立の道も模索し始めたが、「 原発依存を どう是正していくか思い当たらない。 廃炉までの期間、貢献度などに応じた交付金で埋めて ほしい 」と本音を漏らした。 < 心夢見るアトムの町 >。 町の入り口の県道沿いに看板が立つ。通り過ぎる車は めっきり 減った。 町財政を分析した伊藤久雄・東京自治研究センター研究員は指摘する。 「 依存体質を変えないと 町は倒れる。 だが、その体質は 国と電力会社が押しつけて生まれ たもので、貧しい町が狙われた 」 「 町長は 私で5代目。 歴代、国策に沿って原子力に協力しているんです。今後も進め たいし、国も そうしてほしいのです 」。 5月4日 福井県美浜町の関西電力美浜原発の 応接室で、山口治太郎町長(68)は 海江田万里経済産業相に詰め寄った。 同町と敦賀市からなる敦賀半島には、美浜原発(3基)だけでなく、日本原子力発電敦賀原発 (2基)、高速増殖原型炉「もんじゅ」、新型転換炉「ふげん」(廃炉作業中)の計7基が 集中する。 敦賀原発は 70年3月の大阪万博開会式当日から、美浜も 同8月から会場に 送電。「 万博が“原子の灯”で輝いた 」ことは、町の誇りだ。 同町は 歳入の約2割を 原発関連に依存するが、山口町長は「 万博の時から国の発展を支えてきたんや 」と自負する。 作業員5人が死亡した04年の3号機配管破断事故など、トラブルも多かった美浜原発。 福島の事故を受け毎日新聞が4月に実施した アンケート に、山口町長は「 安全性が揺らいだ 」 と答えた。 それでも 原発を推進する背景には「 町民に理解を得る苦労をしてきたのに、 今さら はしごを外されては報われない 」との思いがある。 立地自治体では 今、「国策」頼みが 強まっているように見える。 6月の敦賀市議会。 国に エネルギー政策見直しを求める意見書を 原子力発電所特別委員会 が全会一致で可決後、取り下げた。将来的に 再生エネルギーへの転換を求める内容も含み、 地元紙が「脱原発」と報じ、状況が一変した。委員の一人は「 脱原発と思って通したわけ じゃない。『将来的に』と入れれば 丸く収まると思ったのだが 」と話す。 だが 自宅に 市民から10件以上、「 わしらの仕事なくすんか 」と電話があったという。 意見書を提案した今大地(コンダイジ)晴美市議(60)は 4月の市議選で初めて「 脱原発 」 を訴えた。 演説で 原発に触れると聴衆が減り、「 敦賀で事故は起きない 」と反論された。 4選を果たしたが、票は 前回より1割以上少ない1334票。「 『しゃーない』が市民の口癖。 お上のお墨付きがあると、街づくりが原発任せになった 」と嘆く。 7月4日に敦賀市が開いた安全対策の説明会。 町内会組織のトップ、市区長連合会長の 奥村務さん(74)は、原発推進を訴えた。 奥村さんは「 (原発は)ないに越したことはない し、好きな者はおらんよ 」と明かす。 福島の現状に「 原発事故は怖い 」と感じる。 原発関連の仕事もしていない。それでも 旧満州からの引き揚げ経験を基に言う。 「 原子力も戦争も 国策。 日本は エネルギー がないため戦争に追い込まれ、みな国のために 戦争をした。代わりのエネルギーはあるのか。どこかが原発を引き受けるしかない。 」 ◇ 巨大施設乱立、土建業が肥大 偏った産業構造脱却は困難−−福井・敦賀市 「原発銀座」と呼ばれる福井県の若狭湾岸にある敦賀市内を歩くと、電源3法交付金や 原発事業者からの寄付で建設された体育館やホール、商店街のアーケード、短大や温泉施設 まで、人口約6万9000人の地方都市には不釣り合いと思える巨大施設が建ち並ぶ。 北陸自動車道敦賀インターチェンジ近くの山腹にある市立温泉施設「リラ・ポート」。 約9haの広大な敷地に、豪華客船をイメージした総ガラス張りの建物と、約300台が 駐車可能な立体駐車場を併設する。 大浴場や露天風呂のほか、水中歩行で健康増進を図る 「バーデプール」と設備も豪華だ。 02年に完成し、総事業費は 約35億円。内約25億円は高速増殖原型炉「もんじゅ」の ナトリウム漏れ火災事故(95年12月)後、文部科学省が創設した交付金だった。 市 や 地元経済界は 当初、「 敦賀の観光客は 夏場の海水浴ばかり。温泉は 観光の起爆剤 になる 」と期待していた。 しかし、総ガラス張りで細長い建物のため、光熱費や人件費がかさむ。 山腹にあって交通の 便が悪く、初年度から年間約1億円の赤字を計上した。現在も 市財政からの補填を続ける。 市民は「 交付金や寄付に翻弄されるいつものパターン 」と冷ややかに見つめる。 原発と共存してきた40年余りで、最も拡大したのは土建業だ。05年国勢調査によると、 その雇用人口は 約5000人。人口が 敦賀とほぼ同じ同県鯖江市では 約2700人で、 敦賀の偏りは際立つ。 偏った産業構造を改めようと、敦賀市は 01年度から、約20haの広大な土地に13区画 の産業団地を造成し、工場誘致を進めている。費用 計約82億円の内 約50億円は交付金だ。 敦賀インターに直結する国道バイパス沿いにあり、京阪神からの交通アクセスも良いが、 誘致は難航している。5区画の分譲先が決まらず、職員の全国行脚が続く。「 事故が誘致に 影響するかも。どうしたら良いか…… 」と浮かない表情だ。 |
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