混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

三村明夫氏(2)

                                                       2010年3月30日
 
最後に一人で決断する
                                                       
 それから もう一つ、社長にとっての苦しみは、最終的な判断を自分が下さなければいけないという点です。
上がってくる物事の80%以上は 部下がお膳立てして、これに対して 良いか悪いかを判断すればいいわけで、
経営全般に対して 社長が 全部それを背負うことは無理だし、そんなことをする必要も まったくないと思います。

 しかし、事業からの撤退、あるいは 工場の大幅な設備休止、人員カットといった類のものは 決して 部下からは
上がってきません。 最終的に 社長一人で判断を下さなければならないのです。
新規投資については、部下たちが 色々考えて、ここに投資すれば こんなに素晴らしいという案件を持ってきて、
判断を求めてくる訳です。 ただ 通常は 新規投資というものは、その会社にとっての新規投資であって、社会全体
としては 新規投資になっていないケースが 多い訳です。  これを どう評価するのか。  というのも 社長としては
難しい面であります。
 最終的に 社長が決断するためには、部下からの話に対して、違う視点からの社長としての考え方を語らなければ
ならない。 そのためには、良い質問ができなければならないと思っております。良い質問をするためには、部下とは
違うアンテナ、情報源、それから 人との付き合いを持たなければならない。 ただし、難しい案件を すべて抱え込む
必要はありません。 人事で コントロールするということも、社長の大切な手段です。
 
会社の舵をとる醍醐味とは何か
 
  それでは、こういう苦しみがありながら、一体 どういう喜びがあるのか。 もちろん どの経営者にとっても、会社が
収益を上げることは非常に大きな喜びです。 従業員にとっても同じでしょう。 収益を上げるということは、会社が
効率的に運営されていることの一つの証です。 それから、会社が 持続的な成長を遂げることも喜びでしょう。税金を
払うことで 社会に還元し、いろいろな形での設備投資もでき、社会的な信用も得ることができる。

 私が 社長を務めていた時代は、幸いにして 景気が良かったので、毎年毎年、史上最高の利益を上げました。
これは 非常に嬉しいことです。 しかし、それにも増す社長の喜びは 何かといえば、ある課題を設定し、それを部下
に心を尽くして伝え、ようやく納得してもらう。 そうやって 会社を導いていく。 あるとき ふと後ろを振り向いたら、
課題に沿って 全社が方向転換する。 こういう姿を見ることが、一番大きな喜びです。

 私が 社長になって最初の スピーチ、総理大臣で言えば 施政方針演説にあたるので、練りに練ったものにしました。就任スピーチが なぜ それ程までに 大事かというと、就任当初の100日くらい、従業員は 誰も彼も社長を見ている
からです。 スピーチでは 綺麗事ばかり並べて 実行しないとなれば、社長としての信用が失われてしまいます。
したがって 就任スピーチで宣言したことは、絶対実行しなければならない。そういう意味で 就任スピーチは、一つの
政権としての、一つのコミットメントです。
 私が 最初に宣言したのは、「現場を大切にする会社にしたい」、「従業員が働くことに誇りを感じる会社にしたい」、「社長である私が 自身の言葉で分かりやすく喋れるようにしたい」 ということ。 これは 当たり前のように見えます
けれども、わが社にとっては そうではありません。実は これに先立つ20数年前、1985年のプラザ合意後、円が
220円から 180円ぐらいに高くなって、わが社は 競争力を失い 従業員を大幅にカットするという、大合理化を断行
しました。これが 10数年続いたわけです。 以前は 6万5千人いた従業員は、1万5千人まで減りました。削減率は
何と 75%です。
 こういう状況にあったから、従業員は この会社で働くことに関して 必ずしも誇りを持てない。 だから、社内教育
による留学で MBAを取得しても、帰ってくると 会社を辞めて 外に行ったしまった人がたくさんいます。 私は 会社に
残ったわけですが、辞めた人を悪く言うつもりはありません。そうさせた会社に 責任があると思っています。

 私が社長になった 2003年4月からの5年間では、5回にわたる中期計画を立てましたが、その大部分が コスト
ダウン計画でした。 引き続いて 合理化を重ねていったわけです。 この間、従業員は よく付いてきてくれたし、
労働組合は いろいろ注文を出してきたものの、会社が 目指す方向に向かって 協力してくれました。 ただ 一番
困ったのは、 労働組合との対話の中で  「 合理化するのは、今の世の中の流れだから やむを得ない。 しかし、
いつまで これを続けたら 会社は良くなるんでしょうか 」と言われたことです。 先が見えず、会社に誇りを持てない
状況だけは変える必要がありました。
 実は 在任5年目に 従業員1万5千人に対して、コンプライアンス調査を行いました。 回答率95%だったんです
けれども、30項目にわたるアンケートのうちの1項目に、「 あなたは新日鉄で働くことに誇りを感じますか? 」という
設問がありました。 結果としては 86%の従業員が「 誇りを感じる 」と答えてくれました。
その要因は何かといえば、 一つは 先程申し上げた通り、史上最高の利益をずっと上げてきたので、給与待遇が
良くなったことです。 それから もう一つは、会社で働くことを通じて 社会に貢献できることが大きな要因として挙げ
られ、私も嬉しかったですね。 これが 社長としての喜びです。
 
「全社ベスト」を追求する
                                            
  しかし、最終的に 男冥利に尽きる仕事に昇華するためには、努力しなければならない。 これは 個人によっても
考え方が違うと思います。 経営者が 各々の考え方にしたがって経営していく。 一般的な考え方かどうかは 自信が
持てませんが、私は CEO(最高経営責任者)の役割の一つは 全社ベストを追求することだと思います。
 諸君は いろんなセクションで働いています。 会社には 各々の組織があります。 組織の各々が、それぞれの組織
のベストを願います。 あるいは 本社と工場、あるいは 営業所では、考え方が違います。 各々がベストを願います。
技術者と事務職とでも 考え方が違うかもしれません。 あるいは合併会社には、違う企業文化を持っている人がいる
かもしれません。
全社ベストというのは、言葉でいうのは易しいですけれども、これを実行するのは 本当に難しい。大方は 部分ベスト
を願って日々行動しているというのが 実態だと思います。 どのようにして これを全社ベストにつなげるのか。
例えば 私の会社の場合、10の製鉄所があります。 会社としてやるべきことは、10の製鉄所に 各々技術レベルが
あるわけですから、いろんな項目にわたって 各製鉄所を評価して、その中の トップに 全社のレベルを合わせる。
いわゆる 「トップランナー方式」 です。 さらに トップランナーであるところは、範を 社外に求める。 こういう形で全体
を底上げするというのは、ごく当たり前の習性だと思っております。
 ここで難しいのは、技術を比較した場合、実力で後れを取っていることを、すぐに納得しないわけですよね。 設備の
内容が違う、注文の構成が違う、したがって こういう差が出てきているというように、条件の違いを挙げて 言い訳
することに、たくさんの時間とエネルギーを注ぐものです。 私は 自社特有の現象かどうか確かめるために、社外の
アドバイザリー・メンバーに話を聞いたことがあるんですけれど、みんな異口同音に 「 それはわが社でもある 」と
言われました。 おそらく どの会社でもあるのではないか と思われます。
 要するに、条件の違いを 技術の歩留や生産性の差の原因としている限りは、進歩がないわけですね。 実力が
違うということを納得しないと、進歩は なかなか望めない。 こういう意味も含めて、どのようにして 全社ベストを担保
するのかというのは、誠に 大事であるけれども 難しい課題だと思っております。
 
課題を いかに従業員と共有するか
                               
 それから もう一つの申し上げたい点は、会社の仕事のやり方として まず 課題設定、その次に 設定した課題を
多くの人たちが共有する というプロセスがあるということです。 これらは、特に 経営者にとって大事です。
 課題認識については、例えば 従業員の大半が すでに認識している課題を 社長が設定するようでは、そもそも
経営者になる資格がないわけです。 かといって 誰も考えないような課題を設定しても、従業員は なかなか付いて
こない。 20%ぐらいの従業員か認識している課題が適度ではないでしょうか。
 さて、課題を設定したら、次に これをどうやって 従業員と共有するのか。 課題を共有できないことには、絶対に
対策の策定・実行ができないわけです。 したがって、経営者の非常に難しいプロセスというのは、従業員と課題を
共有することによって やる気にさせる ということだと思っています。
                                                        
 この二つのプロセスを 極めて簡単に切り抜ける方法があります。 大きな事件の発生です。
例えば 今回のような金融危機・経済危機であっても、 先程申し上げた名古屋製鉄所のガスホルダーが爆発した
という事件であっても、切り抜けるきっかけになります。
 あるいは ミッタル・スチールという鉄鋼会社の買収劇を、私は 身をもって体験しましたが、これも きっかけになり
ます。 ミッタル・スチールは 14年間で 20の買収を繰り返しながら、最終的には アルセロールという それ以上に
素晴らしい会社を敵対的買収しました。 両社の合弁後は、アルセロール・ミッタルという世界最大の鉄鋼会社として
君臨しています。 この買収劇には、いろいろ考えさせられました。

 現実のものとはなりませんでしたが、彼らの買収の最初のターゲットは 新日鉄でした。 あるいは もう一つ買収が
進行中、アルセロールが 私どもに ホワイトナイトとして名乗りを上げるように依頼してきたら、どうしたであろう など
と考えると、なかなか夜も眠れないわけです。 実際には そういうことは起こらなかったわけですけれども、そのとき
につくづく思ったのは、企業は 当然のことながら 収益を上げ、株価を上げ、設備投資なりを行い、今日の利益を
追求すると同時に、将来の利益確保にも 全力で取り組まなければならない。 これは当たり前の企業努力です。
それと同時に 自分たちが もし一つの価値観を持って、その価値観が 社会に受け入れられる良いものだという確信
があるとすれば、やはり 自分の企業を徹底的に守るべきだと思っています。 したがって、そのために 何をやったら
いいのかと、日頃から考える必要があるのではないか と思っています。
 
                                 (つづく)

三村明夫氏(1)

                                      三村明夫氏 - Wikipedia
                                                                          2010年3月30日
 
http://www.globis.jp/components/viewimage.php?id=2099&width=250&mode=custom 現・経産省総合資源エネルギー調査会基本問題委員会委員長
 
経営者の仕事は男冥利に尽きる
 
 私が かつて留学したハーバード・ビジネススクールで、「 ビジネス・ステイツマン・オブ・ジ・イヤー 」を毎年選出
するんですけれども、一昨年 私が選ばれました。 卒業生としては 私が初めてだそうです。 それから もう一つ
驚かれたのは、だいたい ビジネススクールを出ると経営に携わっていくわけですが、一つの会社に また帰って
係長から課長、部長と 一つひとつの階段を上がって 社長になったというのは 私が初めてだということで、いかに
我慢強いか ということが おわかりいただけるかと思います (会場笑)。

 今日は 何をテーマに講演をしようか考えたんですけれども、 2003年度〜2007年度いっぱいまで 社長を務めた
経験をもとに、「 経営者の苦悩と喜び 」というテーマを選びました。 私どもの会社に、稲山嘉寛さんという経団連の
会長を務めたことのある先輩がいるんですけれども、この先輩の伝説的な言葉として、「 私は 社長の間、会社来る
のが楽しくてしょうがなかった。 行くのが嫌だったことは 一度もない 」というものが残されています。
これは 本当かなと、私は とても信じられませんでした。  会社の経営者というのは、楽しいことも もちろん ある
けれども、悩ましいことも たくさんある。 しかし、全体としては そういう苦しみも乗り越えながら、喜びも味わえる。
したがって 今では、男冥利に尽きる仕事だと、このように思っています。

 経営者にはなりたいと思って なれるものではありませんが、どうか 諸君らも 是非ともそういうことも 頭に置き
ながら、目線を高く持って 柔軟に対処してもらいたいと思います。 自分の会社の中で不思議に思うことがあります。
それは 我々の若い頃、本当に 仕事が良くできて、これは素晴らしいと思っていた人間がたくさんいました。
ところが、それが 上のレベルに行くにしたがって、急に 勢いを無くしてしまう。 逆に言えば、それまで光らなかった
人間が、上のレベルに行くにしたがって どんどん光ってくる。 こういうことがあります。 この差は何から来るのか、
私にも よくわかりません。 これも 頭に置いていただきたいと思っています。

 また、経営者という言葉の定義なんですけれども、経営者は 経営陣とは違います。副社長など 経営層は たくさん
いますけれども、それと 経営者は 断然違うわけです。 普通の会社には、経営者は 社長一人しかいない存在だ
と思っております。 会長という役職があるんですけれども、会長は 厄介な存在です。 私自身会長なんですが、社長
と会長が 同じ業務を行った場合には、両人にも良くないし 部下も大変なんですね。 社長とカバーする範囲が 同じ
会長であれば、いる必要がないと思っています。

 自分が 社長時代に成し遂げたと自負することは そんなに多くはないんですけれども、一つ 自分で これをやり切っ
たと思えるものは 「会長職の廃止」 です。 わが社には 300数十社の関連会社がありますが、私が社長になった
ときには、その多くが 社長を務め終えると、だいたい会長になるわけです。 しかし カバーする範囲が同じですから、
弊害が多い。 したがって、関連会社の会長という役職を すべて廃止しました。 最初は 色々な抵抗がありました
けれども、それが会社の方針だということで、みんな納得してくれて、5年かけて 一人も会長がいなくなりました。
唯一、新日鉄にだけ会長がいます。 会長の理想像というのは、普段は 何も口を出さず、社長が本当に困ったときに
適切なアドバイスができること。 これは 自分でやってみて、非常に大変なことだ と身に染みて感じています。

 もう一つ申し上げたいのは、経営者の共通性についてです。このセミナーもそうですが、経営というものは 教え
られるものかどうか というのは、永遠に尽きることのない疑問でしょう。 しかし 私は、業種や業界が異なっても、
いわゆる経営者にとって 必要とされる能力、あるいは 知識は、多くの共通性を持つものだと思っております。
 例えば、私は 経団連の副会長を4年にわたって務めましたけれども、経団連副会長というのは 不思議なポジション
で、その中には 自動車業界や家電業界など、私どものお客様が たくさんいますが、ここに来ると そういう感覚が
一切なくなってしまう。 何か相通ずる仕事をしている、あるいは 共通の相手と戦っている戦友のような、これが
経団連の付き合いの率直なところでした。

 2003年の1月末に開いた取締役会で、4月1日から 私が社長に就任することが決定したのですが、実は この
情報を新聞にすっぱ抜かれてしまいました。 2月、3月の2カ月間、次期社長としてやったことの一つは、先輩社長
に話を聞きに行くことでした。 日本で 名経営者だと言われている約20人の経営者のところに出向いたところ、
不思議なことに みな喜んで会ってくれました。 それぞれ 30分の時間を取っていただき 一対一で話し合ったのです
が、そこで 私は 「 経営者にとって 大事なことは何でしょうか 」と質問しました。 すると 各社長は 経営者としての
悩みを滔々と語ってくれました。
 これは 私が 社長になる前だからこそ できたことですから、やっておいて良かったと思います。業種も業界も違う
会社ですが、ただひたすら 経営者としての苦しみ、あるいは教訓を話してくださった方々に、心から感謝しています。
同じような立場に置かれたら、私も喜んで話します。 この中に 社長になられる方がいれば、いらしてください。

 経営者の共通性は、私は 日本と欧米諸国では 話が違ってくると思います。 日本の場合は 通常、社内から最も
適切に 人材を選ぶということで、競争は ほぼ社内に限定されています。 私が付き合っている海外メーカーは、社外
から 新たな人材を引っ張ってきています。 これは 何を意味するかというと、その業務に精通している人材と経営者
としての資質を持っている人材を比べて、両方が備わっていれば ベストですが、外国企業では 多くの場合、経営者
としての資質を重く見る傾向があります。
 
全てに対する結果責任を負う社長という仕事
 
 次に 経営者の苦しみについて、お話しします。 経営者の苦しみの第一は、全てに対する結果責任を取らなければ
ならないことです。 この結果責任は、例えば 今回の世界的な金融危機によって 業績が落ち込む会社が たくさん
あるわけですが、そうした事情は関係ない。 業績が悪くなったら 悪くなったなりに、社長は 責任を感じなければ
ならない。 あるいは、経営の目が行き届かない現場の失敗。 例えば 品質の問題であろうとも、あるいは 色々な
コンプライアンスの問題であろうとも、目が届かないからといって 社長が責任を逃れるわけにはいかない。結果責任
は、やはり社長がとらなければなりません。

 もう一つ。 先輩社長の失敗による事業からの撤退、大幅な損失もあるわけですが、こういうものについては、
ぼやきたくもなります。 しかし 考えてみれば、私が 自分の社長時代に取った 一つひとつの経営判断が、すべて
成功するとは限らないわけです。 したがって、どんなことに対しても 結果責任を取らなければならない。 これは
苦しさの一つでしょう。
 最近でも、テレビカメラの前で  「 誠に申し訳ございませんでした 」 と頭を下げるときは、3秒間静止しなければ
ならない という教えがあるらしいのですけれども、ああいう姿を見ると心が痛みます。 それぞれのこと自体は 反省
しなければならないことかもしれませんけれども、経営者として あのような場で マスコミに対して謝る必要は 通常
ないわけです。
 社長在任中の5年間に いろんな事件がありましたけれども、幸いにして マスコミの前で 記者会見をして 頭を下げ
た経験は一度もありません。 これは 一つの誇りです。 唯一、私が 頭を下げた姿が新聞に出ましたが、それは
名古屋製鉄所で 調節機能を果たす ガスホルダーが爆発したときでした。 頭を下げることだけは やめようということ
で 記者会見に臨んだにもかかわらず、翌日の新聞に 頭を下げた姿が出てるわけですね。 よく考えてみたら、
最後に「 それでは皆さん、どうも有り難うございました 」と頭を下げた。 それが出てしまった訳です。 これは ちょっと
ルール違反だと思いますけれども、そういうこともあります。

 最後は 責任を取らなくてはならないのですが、社長が 安易に責任を取るのは 決して良くないと思います。
ここは、よく考えなければならないポイントです。 99%の素晴らしい業績があり、1%の失敗がある。 これが 例えば
人命が損なわれたとか、そういう致命的な話なら別ですけれども、こういう時に どう身を振る舞うべきかというのは、
割合難しい問題でしょう。
 
                               (つづく)
 
    4月20日|エネルギー基本計画見直しのデタラメ     河野太郎氏 「ごまめの歯ぎしり
      現行のエネルギー基本計画を「ゼロベースで見直し」、「原発への依存度低減のシナリオを具体化する」
     はずの経産省の総合資源エネルギー調査会基本問題委員会の運営のデタラメぶりが度を超している。
      この委員会の三村明夫委員長と事務局は、8名の委員が連名で提出した意見書を無視し、わずか1人の
     委員が提出した原子力の依存度を高める提案を、他の多くの委員の異論を押し切って強引に取り上げよう
     としている。
     委員長と事務局の恣意的な運営を改めない限り、この基本問題委員会はこれまでの原子力ムラの中に
     さらに腐った特区をつくることになる。 ・・・
田中三彦×小林武史 震災被害から何を学ぶのか    2011.12.19
   今までの世界を諦める勇気が必要
 
福島原発の1号機は地震で壊れていた
 
田中 あと 僕が最後に聞かれてもいない重要な話をしておきますと(笑)、 今、 後藤政志さん、渡辺敦雄さんという
  元東芝の格納容器の設計者の方々と一緒に、どういう事故が起きたかという解析をしているんです。 概念としては
  市民調査だね。 国の調査には任せられないし、言葉で批判していても 埒があかないから、技術理論的な計算
 などをしているんです。 おそらく 国の言っている事故ストーリーとは 全く違うストーリーになると思います。
小林 一体 どのあたりが違うんですか? 簡単に ご説明いただける内容じゃないかもしれませんが......。
田中 いえ、簡単ですよ。 今回の福島原発の1号機は 津波にやられたのではなくて、地震の時点で壊れている
  ということです。
  おそらく 地震の揺れで 1号機の圧力容器に出入りする重要な配管が折れてしまい、そこから 高圧な蒸気が漏れ
  出して メルトダウンに入ったと思われるので、その分析をしています。 それから 2号機は 間違いなく、原子炉
  格納容器の外側が 地震で溶接部が破壊していますね。 そこから水素が漏れ出して 爆発していると思うんです。
  3号機については ちょっとよくわからないから 僕らに分析ができないのだけれど。 1号機と2号機については
  僕らが考えうる原因を分析して 計算して シュミレーションしているんです。
  僕らが言っていることが 正しいかどうかは 分からないけれども、少なくとも、こういうストーリーも 事故調査委員会
  は考えなければいけないことなんです。 もし これが違うというのなら、それを証明しろということです。
 国の事故調には任せられない。

小林 国は 津波による被害が大きいと言っている。でも 田中さんたちは 地震の段階で すでに 大きな事故が起き
  ていたと予想されている......。
田中 なんで その違いにこだわるか というと、津波が非常に大きかったから あれが事故を悪化させたことは
  間違いないけれども、そういうことに関係なく、地震が起きてから 津波が来るまでの50分くらいの間に、原子炉は
 かなり損壊していたということが とても重要なんです。 そのことを どうして 国が言わないのかというと、それを
 言うと 日本各地にある 全ての原発の安全性に及ぶからなんです。
    今 僕らが問題にしているのは 浜岡原発です。 東海地震が起きると言われていますよね。 東海地震の予想され
  ている震源地というのは、御前崎の地面の下です。 その真上に 原発が5つ乗っかっている。そのうちの3号機と
  4号機は 福島の1〜3号機と まったく同じ形をしています。 福島のメルトダウンの原因が津波ではなく地震だった
  としたら、同じものが 浜岡にきたらどうするのですか? という話になるわけです。 海岸から60キロ離れているから
  津波の被害はないだろう、だから 福島よりましだろう、という論理は 非常に危険だと言いたいんです。
  「 福島原発は地震で壊れた 」と認めたら、残りの原発も すぐに止めなければならない という事情があるために、
  国は 容易には認められない訳ですね。 だから 何もしないうちから IAEAに向かって「 地震が問題じゃなかった 」
 と報告しているわけです。
  僕はね、正義感という訳ではなく単純に、嘘を言っている人達に、嘘を言うのはやめろと言いたい訳です
  その嘘が、たいして 社会に影響を及ぼさない嘘なら どうでもいいけれど、この先 30年の間には 必ず起きるで
  あろうと言われる東海地震を前にして 浜岡原発に関わる大きな嘘は見逃せない。 30年後に起こる、という意味
 じゃないですよ。 向こう30年間に、ということは、明日 起きても不思議じゃないわけです。 そういう切迫した問題
  を見過ごして あとは運にかける というような選択をしている この国に腹が立つわけです。
  だから 僕らは 自分たちで調査して、その結果を世間に向けて発表していきたい と思っています。 その際は ぜひ
  小林さんにもご協力をお願いしたい。
小林 分かりました。 重要なのは その問題を まな板の上にあげるということですよね。
 
自然とコミュニケーションしながらの生活に戻る
 
小林 最後に、じゃあ 原子力はやめようか、となった時、これからのエネルギー問題について、田中さんは どう
  お考えですか?
田中 原発は もうこりごりだと。 できれば 自然エネルギーとか 再生エネルギーを模索したい。 それは 方向として
  間違えでないし、そうあってほしいと思う。でも、今まで 僕らはエネルギーに対して 「 もっともっと 」の世界にいた。
  そのクセを直さないとねクセというのは、エネルギーの消費などというライフスタイルの問題をね、僕らは もっと
  徹底的に考える必要があるのではないかと。 小林さん、パッシブソーラーハウスって ご存知ですか?
小林 ソーラーハウスには アクティブソーラーハウスと、パッシブソーラーハウスがありますね。
田中 アクティブソーラーハウスというのは 太陽のエネルギーを使いながら住む家。 パッシブソーラーハウスという
  のも 太陽のエネルギーを使いながら住む家だけど、基本的に、全く考え方の違うものなんです。
  アクティブソーラーハウスは 技術の世界で、 パッシブソーラーハウスというのは どちらかというと思想の世界なんですね。
 例えば 西日。 日本人は みな西日を嫌うんだよね。 暑いといって。 だから 西の部屋には 必ず ブラインドが
 あって 西日がくると遮断する。 遮断すると 暑さもしのげて 涼しく住めるということですよね。 そのときにね、
  遮断したものはなんだったか ということが問題なんですよ。 「暑さ」 を遮断するということは、非常に美しい、太陽
  のエネルギーとも言える西日というものを 遮断しているんだということなんです。 断熱や遮光をして、室内の温度
  や湿度をコントロールしようというのは、外界で起きていることと切り離して、自分がいる空間を中心に考えた効率
  なんですね。 アクティブソーラーは 主に そこをやっているわけです。
    でも みんなが それをやれば、外界のバランスは崩れてきてしまうと思いませんか? 一方、パッシブソーラー
  というのは、断熱とか遮光ということではなくて、簡単に言えば、外界の情報を全部取り込んでいこうという考え方
  なんです。
  建築家は その家の後ろに 木があるのか、土手があるのか、近くに どんな家が建っているか などを 全部考え
  ながら、その環境の中で どんな家を建てれば 快適に過ごせるかということを考えていくんですね。 外界で起きて
  いる自然現象を遮るのではなく とりこむことで 快適な空間づくりをする訳です。 実は パッシブソーラーの考え方
  に すごく合うのは、障子縁側です。 日本に昔からあるものですよね。 雨戸なんかもそうです。台風がくるとき
  や留守をするときには閉めるけど 普段は閉めないんですね。 普段は、障子や縁側という非常に脆弱なもので
  外とやんわり仕切っている。風が欲しいと思ったら 扉を全開すれば 風が通るし、少し厳しいなと思ったら 閉めれば
  いいという仕組みになっている。 それでも 寒ければ こたつに入ればいい。 日本人は 実は ずっと 自然と
 コミュニケーションしながら住んできたわけです。 そういう文化というものを、僕らは 全部 捨ててきて
 しまったんですね。
    アクティブというのは、行動するという意味でしょう? パッシブというのは受身という意味ですよね。 ところが
  アクティブな空間に住むと、いわゆる機械が いろいろなことを調整してくれる空間に住むと、人間はやることがなく
  なって その中では パッシブなことしかしなくなってしまうんです。
  それに対して、パッシブな空間に住むとなると、扉を開けたり ふすまをあけたりと、いろいろと外の空間に合わせて
  コミュニケーションをとらなければならなくて、非常に アクティブな生活になるんだね。
小林 面白い。その通りですね。
田中 これから 我々が太陽エネルギーなどの自然エネルギーを使うときには、この、パッシブソーラーと同じく、
  自然とコミュニケーションしながらの生活に戻る という位の感覚で 向かっていかなければならないと思うんです。
  エネルギーだけを 効率よく欲しいということなら、はっきり言って 原発を使のが 一番効率はいいと思うんです。
  今までの効率主義や、エネルギー消費主義の世界を続けるのであれば、原発依存を続けるのが 非常に手っ取り
  早い。 その世界を諦めるので 相当な覚悟が必要だとも思います。 根本的なライフスタイルを変えないと、
  「やっぱり無理だね また原子力に戻ってしまうんじゃないかと思っていて。それが恐いと思っているんです
 ね。
 
小林 ライフスタイルを 哲学的、思想的な裏付けをもって変えていくというのは、なかなか難しいことなんだろうな
  とは思うんですよね。 エネルギーの問題は、個人、一人ひとりが考え実践していかなければならないからこそ
  尚更。  でも、やらなければいけないし、今が そこへシフトする時だと思うんです。本当に難しいことだ とは思う
  のですが。
田中 だけどね、震災後、感じたことは 暗いことばかりでもなくてね。小林さんや ap bank がこういう活動をしたり、
  多くの人々が ボランティアに駆けつけたりしたでしょう? その精神が 僕は すごく重要だと思うんですね。
  それすらしない国民ではなかった ということでね。 困っていることに助けあうことができる国民だったということが
  すごく重要だと思うんです。
小林 本当に そうですね。
田中 はい。それを 日本はやった ということで 僕はすごいと思っているんだよね。 多くの人が そこに共感して
  一緒に頑張れたということが。 後はね、この原発の怖さを実感した我々が、今度は 原発に依存していた文化
  そのものに疑問を抱いて 変わっていけないかな、ということを 僕は思うわけですよ。

   ( 以下 割愛 )

全1ページ

[1]


.
kyomutekisonzairon
kyomutekisonzairon
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
検索 検索

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事