混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

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1ー2−18 のつづき
 
1−2 北コーカサス(北カフカス)
 
 北カフカース連邦管区 (2010年 南部連邦管区より分離)
                                                                              Google-北オセチア共和国
 北オセチア共和国 (北オセチア・アラニヤ共和国) (続2)
 
 
 
 
 北コーカサスには 反ロシア民族が多い中、南オセチアは親ロシア民族である。
  なぜ 親ロなのか、いくつかの理由が考えられる。
 
 1) 南オセチア人とグルジア人は 平和的に暮らしていたが、ロシア革命後、
  ボリシェヴィキが オセチアを支配した。 グルジアは それに対立していた
  メンシェヴィキを支持していたため、20世紀初頭から親ロシア・反グルジアに
  なったと思われる。
         * ロシア社会民主労働党(ロシア初の社会民主主義政党)が分裂し 
     ボリシェヴィキとメンシェヴィキが形成された。 ボリシェヴィキは レーニン派・
     社会主義左派、メンシェヴィキは 社会主義右派。
  2) 南オセチア人は ロシア正教を信仰している。
        ( 他の北コーカサス民族は イスラム教を信仰している )
  3)  ロシアが 南オセチアの分離運動を支援しており、市民の半数以上が
    ロシアの市民権を得ている。
  4) 1980年代 グルジアで民族主義運動が盛んになり、グルジア文化を
   強制されたことに反感を持っている。
 
 なぜ、ロシア と アメリカ は、南オセチア問題に関わるのか?
 
  ロシアの理由
  1) コーカサス地域には ロシアから独立を望む民族も多く、ロシアは
   親ロシア派の北オセチアを拠点に民族独立活動に対抗している。
   そのため、反ロシアのチェチェン独立派は 北オセチアの小学校を襲う事件
   などを起こしている。
    ロシアにとって、オセチア人を保護することは、自国のコーカサス地域の
   治安維持を意味するため、南オセチア問題に関わる必要がある。
  2) アメリカは ロシアに対し、「 グルジアの領土主権を尊重し、撤退
   すること 」を要求。
    2008年2月に セルビア(ロシア人と同じスラブ系民族)の自治州
   であったコソボ独立の際、ロシアは アメリカ と NATOに対し、
   「 セルビアの領土主権の尊重 」を訴えていた。
    しかし、アメリカは コソボは 特別のケースとして独立を承認。
   ロシアは、アメリカだけ 他国の独立を承認できる矛盾に激怒。
   コソボが 「 セルビアが コソボで民族浄化をしている 」 を理由に独立
   できたのであれば、南オセチアも独立できるはず と 南オセチア紛争に
   参加し、2008年8月に南オセチアの独立を承認。
    (しかし、チェチェン問題になるとロシアは、国内問題で他国の深入り
    を非難している)
  3) ロシアは、グルジアが 最初に南オセチアを攻撃したと主張している。
   そのため「自国民を守る」を理由に 南オセチア以外のグルジア各地で
   ロシアの勢力を見せつけることができた。
   ポチ(石油等エネルギー供給のための黒海の寄港地)、首都トビリシ
   国際空港の軍事的部分、BTCパイプラインを攻撃することにより、
   グルジアの経済力弱化と欧米へ原油輸出量の縮減にも成功した。
  4) 「
なぜ、ロシアとアメリカはグルジアに関わるのか?」へ
 
  アメリカの理由
  1) 南オセチア紛争が起ったことにより、近隣の旧社会主義国に ロシア
   の脅威を感じさせることができた。その結果紛争直後、2008年
   8月14日、ポーランドが アメリカの ミサイル防衛(MD)の施設を配備
   することに合意した。
   (アメリカは この防衛施設配備について ロシアに相談しなかったため、
    ロシアの反感をかっている)
  2) アメリカは メディアを通して 「ロシア=悪」というイメージを世界に
   発信できた。
  3) グルジアとロシアの国境近くに 2014年冬季オリンピック開催地
   ソチがある。オリンピックを前に ロシアに不利な状況を作ること
   により、ロシアに対して 有利な外交政策がとれる可能性がでてくる。
  4) 
「なぜ、ロシアとアメリカはグルジアに関わるのか?」へ 
 
  ロシアvs.アメリカの新冷戦とも表現されているが、
 グルジアは その両国の激突に巻き込まれたのか?
 グルジアも その両国の激突を利用しているのか・・・?
 
    グルジアが最初に攻撃した?
      ロシアは「 グルジアが 初めに 南オセチアの住民を虐殺し、州都ツヒンヴァリ
  を制圧した 」と主張し、ロシアの攻撃は 自国民を守る対抗処置として
  いる。しかし、欧米・日本のメディアは、グルジア軍のツヒンヴァリ制圧を
  ニュースで取り上げるも、グルジアから仕掛けた紛争とは報じてはいない。
   8月8日のツヒンヴァリ制圧以前に、ロシアが グルジアに攻撃を開始して
  いた と 一部報道では言われている。また、真実かどうかわからない
  が ロシアが主張する 「グルジアによる大虐殺」の報道も無視することは
  できない。南オセチア問題は 以前からある問題で、今回の紛争の発端
  を明示することは不可能と言えるだろう。
 
  グルジア軍とロシア軍の比較
   南オセチアを攻撃すれば ロシアが紛争に参加してくるということは、
  過去の紛争から予期できることであり、何倍の軍事力をもつ ロシア
  を相手に グルジアが単独で紛争を起こしたとは考えにくい。
 
   グルジアが大きな行動にでる時は、いつも アメリカの存在が
  見え隠れしている。
  例えば、グルジアのNATOへの加盟は、アメリカの支持の下で表明
  され(仏独は支持しなかった)、
    「バラ革命」アメリカが後押ししたと言われている。
   また、今回の紛争も、8月28日プーチン首相は遠まわしに、米大統領
  候補である マケインを選挙で有利にするために、アメリカの陰謀による
  ものだと発言した。マケインは ブッシュ大統領と同じ 共和党で ロシア嫌い
  でも有名な人物である。グルジアは アメリカに扇動されたのだろうか・・・。
 
   ニュースの矛盾
      上記で述べたように、ロシア側と欧米側では 真逆の内容で 今回の
  紛争について報道されている。
  日本でも アメリカに不利なニュースは あえて報道していないところ
  がある。
   一つの出来事も、各国の歴史の教科書では違った表現がされて
  いるように、また、北京五輪の開会式の花火が CGであったり、残念
  ながら 報道に 偏りや偽りがあることを認識する必要がある。
   また、今回の紛争にあたり、ロシアもグルジアも、メディアを通して
  自国の立場を世界へ アピールする部分が多くみられる。両者ともに
  インタビューで 母語ではなく 英語で語っているのは そのためであろう。
  ニュースを見る私たちが、何が真実なのか判断する必要がありそうだ。

   紛争は それぞれの立場があり、一つの事実が 何通りにも
  語られる。ただ、現実にわかっていることは、グルジア人にも オセチア人
  にも 多くの死者、避難民が出ており、ロシア人にも被害がでている。
  一刻も早く、話し合いで民間人が平和に暮らせるようになることを
  願う。
 
 
 
 
緑:バクー・トビリシ・ジェイハンパイプライン (BTCパイプライン
青:バクー・ ノヴォロースクパイプライン
 
 
 
 
                               (未完成)
 
1ー2‐17 のつづき
 
1−2 北コーカサス(北カフカス)
 
 北カフカース連邦管区 (2010年 南部連邦管区より分離)
                                                                              Google-北オセチア共和国
 北オセチア共和国 (北オセチア・アラニヤ共和国) (続)
 
                            2008年 南オセチア戦争                          
 
 
         面積:3,900平方km  ( 埼玉県:3798k㎡ )
          ※ グルジアの面積: 69,700平方km ( 北海道:83,456k㎡ )
  1989 
   (この年、南オセチアの人口 9万9000人。内、66% オセッ ト人、30% グルジア人)
  11月23日  ズヴィアド・ガムサフルディア、自らの支持者(3〜6万)と共に ツヒンヴァリ
     で示威行進。平和的な集会だと宣伝されたが、数百人の武装兵が随行。
     負傷者400人、死者6人を出した。
         1990年11月からグルジア最高会議議長
            1991年5月26日初代グルジア大統領
              民主派、改革派として政治的経歴を重ねたガムサフルディアであったが、
             政権掌握後は次第に独裁的となり、野党からは独裁者と非難を浴びた。
            1992年1月6日、クーデターでグルジアから追放され、チェチェンへ亡命。
            1993年9月 帰国   12月31日、グルジア西部のサメグレロで戦死。
  1991
   1月5日  ツヒンヴァリに 警官隊 と ガムサフルディアの親衛隊が投入され、オセチア人
     に対する大規模な弾圧を始める。オセチア人は、自警団を結成して これに
     対抗し、ツヒンヴァリから グルジア人を追い出す。
       4月9日  グルジア、独立宣言
  1992
   1月19日 南オセチアの独立に関する住民投票。92%以上が これに賛成。
       2月 ツヒンヴァリ周辺に グルジアの砲兵と装甲車両が配備され、砲撃を開始。
   2月21日 グルジアの軍事評議会は、ソビエト連邦期の憲法を廃止し、1921年
      に制定されたグルジア民主共和国の憲法を復活させることを宣言。
   3月8日  エドゥアルド・シェワルナゼグルジアの指導者となるも南オセチアへの政策は
      変わらなかった。
   6月24日 ロシア、グルジア、南北オセチア4者による 紛争調停の協定 署名
   7月14日 ロシア・グルジア・オセチア混成の平和維持軍が導入され武装闘争は終結。
   7月23日 アブハジア自治政府、独立宣言
         グルジア政府は 3000人の部隊をアブハジアに送り、スフミにおいて、
        分離主義武装グループとの間で激しい戦闘。1週間の戦闘で双方に
        多くの犠牲者を出した末、アブハジア自治政府を廃した。
 
     1993
   11月2日 最高会議は憲法 採択
  1995
    5月5日 国歌 制定
  1996
  11月10日 南オセチア最初の大統領選挙で、リュドヴィク・チビロフ(〜2001)を選出
  2001
  12月 エドゥアルド・ココイトゥイ (〜2011)大統領
 
     ソ連時代約10万人いた南オセチア人口は、難民流出で7万人に減少したが、
 南オセチアの東部や南部のグルジア人が多い町や村は グルジア政府が支配し続けた
 ため、独立以降も 人口の25%はグルジア人が占めていた。
  特に「首都」 ツヒンバリ周辺は 南オセチア政府が支配する村とグルジア政府が支配
 する村が入り乱れていたため、ロシアとグルジア、アルメニアとの密輸拠点と して栄え、
 これが 南オセチア政府の大きな収入源になっていた。
 
  グルジアには、アブハジアと南オセチアの他に、南部の主要港バ トゥミを中心にした
 アジャリアにも自治共和国があり、92年以降は グルジア政府支配を完全に離れ、
   ロシアを後ろ楯に 独自の軍隊を擁して独立状態が続いていた(ただし、アジャリアは
   「独立宣言」はしていない)。
 
  しかし 
  2003 11月2日 グルジアで議会選挙→ バラ革命 
  2004  1月4日 大統領選挙 ミヘイル・サアカシュヴィリ 圧勝
   5月、グルジアは アジャリアで ソ連時代から権力を握っていた アバシゼ追放して、
  グルジア政府による支配を回復した。
  勢いに乗ったグルジア政府は、南オセチア アブハジアでの支配回復を公言、密輸
 取り締まりのために警官隊を派遣。密輸で潤っていた南オセチアは困窮し、再び
 緊張が高まった。
 
        白丸は南オセチア政府が支配する村、黒丸はグルジア政府が支配する村
 
  2006
   11月 南オセチア、大統領選挙 と 2回目の住民投票(1回目は92年)
            「99%の住民が独立に賛成し た」と発表
       同時に、グルジア政府が支配する地域では 別の大統領選挙が行われ、
      ドミトリー・サナコエフが「 グルジア内の自治共和国として 経済を発展させる 」を
      公約に掲げて当選、クルタ村(ツヒンバリの北9km)に独自の政府を樹立。
   2007
    5月 サナコエフ、グルジア政府から「南オセチア 自治州暫定政府」代表に任命され、
      南オセチアには 独立派と反独立派の2つの政府が存在することになった。
 
 
 
  2008
    8月8日 グルジア軍、南オセチアに侵攻し、南オセチア民兵や平和維持軍として
      駐留していたロシア軍を攻撃。ロシア側も兵力を増強して反撃を開始し、
      両国は交戦状態に突入。
      9日 ロシア軍の反撃が本格化し、一時 グルジア軍が制圧していた南オセチア
      自治州の州都 ツヒンヴァリを解放。また、グルジア全土で ロシア軍機の空爆
      が始まる。
      グルジアのミヘイル・サアカシュヴィリ 大統領、戒厳令を発令、グルジア全土の
      「戦時状態」を宣言
     10日 南オセチアに侵攻していた グルジア軍 撤退
     12日 ロシア軍、グルジア中部のゴリを制圧。
       メドベージェフ ロシア大統領が戦闘停止表明。
     13日 EU議長国仏のサルコジ大統領による調停で、ロシアとグルジアが和平案
       に合意。 
     15日 サアカシュビリ、和平合意文書に署名
     16日 メドベージェフ、和平合意文書に署名。但し、ロシア軍の即時撤退は拒否。
     20日 アメリカ、人道支援を名目にミサイル駆逐艦を含む3隻の艦艇を黒海へ
       派遣することを決定。
     22日 ロシア、南オセチアとアブハジア以外のグルジア領内から 軍の撤退を完了した
               と発表。アメリカ、フランス、グルジアなどは まだ ロシア軍がグルジア領内に残って
       いると反論。
     25日 ロシア上院、全会一致で 南オセチアと アブハジアの独立を承認するよう
       メドヴェージェフ大統領に求める決議。
           26日 メドベージェフ大統領が南オセチアとアブハジアの独立を承認。
     29日 グルジア、ロシアと断交。
    9月3日 グルジア議会、8月9日に宣言された「戦時状態」を解除。南オセチアや
      アブハジアなどの一部地域では 「非常事態」を宣言。
  10月22日 南オセチアの新首相に、2006年まで ソ連国家保安委員会(KGB)や
      ロシア連邦保安庁(FSB)に所属していたアスランベク・ブラツェフ が就任。
  2009
   5月5日 グルジア、軍によるクーデター未遂事件が発生。クーデター勢力は ロシアの
     支援を受けていたとされる。
   6月29日 ロシア軍、グルジアに隣接する北カフカス地方で大規模軍事演習を開始。
      (2008年の戦争は ロシア軍の大規模軍事演習直後に発生した)
  2011
   12月 ヴァディム・ブロフツェフ、南オセチア大統領代行となる(〜2012 4月)
     ※ 11月の大統領選で 「ロシア政府は南オセチア復興の約束を果たしていない」
        などと主張する野党指導者のアラ・ジオエワ元教育相(62才 女性)が勝利したが、
        直後に選挙違反などを理由として当選は無効とされた。
  2012
    4月 レオニード・チビロフ  南オセチア大統領
      1992〜98年まで ソ連国家保安委員会(KGB)の南オセチア支局長を務めた。
             後に 南オセチア第一副首相に就任し、グルジア-オセチア平和維持委員会の共同委員長。
 
 
                                産経 2013.8.8
     ロシアと旧ソ連の親欧米国グルジアが交戦した「グルジア紛争」の勃発から、8日で
   丸5年が経過した。紛争後、ロシアが一方的に独立を承認したグルジア・南オセチア自治州
   の周辺では「国境」の画定作業が進み、ロシアが同自治州を事実上支配する構図が一層
   固定化している。グルジアのイワニシュビリ内閣は 対露関係の改善を掲げるが、ロシアが
   領土問題で“譲歩”する兆候はない。 ・・・
    2008年の紛争は、南オセチアの再統一を狙ったグルジアが口火を切ったとされている。
   だが、首都トビリシにある戦略・国際研究財団のロンデリ所長は「 ロシアが紛争を準備し、
   挑発したという証拠は数多くある。責任は双方にあろうが、より悪いのはロシアだ 」と話す。
      「 ロシアの狙いは、グルジアの北大西洋条約機構(NATO)加盟を阻止し、地政学的要衝
   である南カフカス地域を勢力圏として保持することだった。その拠点となる南オセチアなど
   を完全な統制下に入れるために、戦争という口実が必要だったのだ 」
 
          紛争後、ロシアは独立を承認した南オセチア、アブハジアの両地域に軍の基地を建設し、
   それぞれに数千人規模の部隊が駐留する。南オセチアには 08〜12年で 328億ルーブル
   (約959億円もの「復興資金」がロシアから投じられ、政権の傀儡化も進んでいる。
 
 
          ※ 在日米軍駐留経費負担=思いやり予算 - Wikipedia
 
                              (つづく)
 

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