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(1)のつづき
放射性ヨウ素への被曝対策の状況
ここに、原子力安全委員会の緊急技術助言組織の
という 平成23年3月14日4:30付の文書がある。
表記「ERC医療班状況報告⑯」の内容について、下記の通り助言致します。
4ページ、下から3行目、「13,000cpmを超えた者が30数名。その後 除染。
除染後 再計測して低い数値だったため 診療せずに避難所へ戻る。
(13,000cpmは独自の基準で、3/14以降は 100,000cpmまで上げて対応
(県立医科大の判断)」との記述があります。GMサーベイメーターによる
13,000cpmは およそ表面汚染密度40㏃/c㎡にあたるものと思われますが、
この数値が すべて内部被曝のヨウ素によるものとすると、安定ヨウ素剤投与
の基準値となる等価線量約100m㏜に相当します。よって、スクリーニング
における基準値は、100,000cpmまで上げず、現行のまま13,000cpmに
据え置いた方が良いと考えられます。
以上
※ 40㏃/c㎡= 400k㏃/㎡ (40万㏃/㎡)
3号機水素爆発は、この日の 11:01であった。
これが、 翌日15日には、
☟
3月15日11時15分発信
3月14、15日 保安院ERC(緊急時対応センター) http://t.co/9kZb4tRS これを決定した経緯について、責任者の
細井 義夫・広島大学緊急被ばく医療推進センター副センター長は
緊急被ばく医療に関する検討チーム第3回会合議事録(p.36)で、
平成24年12月19日 http://t.co/QButaxXL
今のことに対して再度コメントなのですけれども、私、100,000cpmに
上げさせていただいた資料を出した者でございますが、その時に、何で
そういうことが必要だったかというと、住民を まず スクリーニングして除染する
ことが かなり不可能に、一部の患者様では、着替えはない、水がなくなった
ということ、不可能であったということです。
それから、もう一つは、では 拡散の汚染物質、放射性物質の拡散を抑える ということを考えたら、では、住民は留め置いていいのかということになり
かねない状態でございました。とにかく遠方に避難して、安全な所に逃げる
ということは第一条件だと思います。実際、我々の所で聞いたのは、避難を
しても、体表面汚染が高いと、避難住民の方はバスから降りないでください
と言われるケースもあって、実際、福島まで戻されたということがございました。
それに対して 我々は 何をしたか というと、汚染検査済み証明書というのを
発給いたしました。そうしなければ、住民の方の避難して頂く所、避難民の
安全を守ることすらできなかったというような状態がございますので、あまり
汚染物質の拡散ということは、実際に害があれば別ですけれども、そういう
水準でない時に、それを強調しますと、急性期には 中々難しいと思います。
全体的に、あともう一つ、中でぜひ述べていただきたいのは、汚染レベル
というのは、やはり事故の状況によって、初期であるか、かなり落ちついて
いる時期かによって、変えていく必要があると思うのです。それに関して、
そういう必要性があるということだけでも、どこかに記述があった方がよろしい
と思います。それぞれの、では、いつ、どうするのかという基準は、中々事故
によって異なってきますので、事前に それを数値として、では 何か月間は
何とかというふうに 値を明示するというのは難しいと思うのですけれども、
ステージごとに変えていくものであるということの記述を入れて頂けると
ありがたいと思います。以上でございます。
と語っている。
一方、この間の経緯を
安全委員会の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」は
平成23年12月26日付報告書で、
オフサイトセンターの現地対策本部は、3 月12日からスクリーニングレベルの設定
に係る検討を開始し、現地対策本部は、13日午前、ERC に対し、40Bq/㎠ 又は
6,000cpmという基準値について意見照会した。 ERC は、安全委員会にコメントを
要請し、安全委員会は、6,000cpm を 1 万cpmに修正すべきことに加え、1 万cpm を
超えた者には安定ヨウ素剤を投与すべきことを記したコメントをERC に送付した。
しかし、このコメントは、ERC から現地対策本部には伝わらず、若干の字句の修正
を除き、現地対策本部意見のままでよいとするコメントが伝えられることとなった。
現地対策本部長は、13日14 時20 分、原災法第15 条第3 項の規定に基づき、 福島県、大熊町、双葉町、富岡町、浪江町、楢葉町、広野町、葛尾村、南相馬市、
川内村及び田村市の各首長に対し、当面のスクリーニングレベルを 40Bq/㎠ 又は
6,000cpm とすることを指示した。福島県は、「福島県緊急被ばく医療活動マニュアル」
でスクリーニングレベルとして事前に定められていた値でもあった40Bq/㎠の基準を
採用することとし、40Bq/㎠ は 1万3,000cpmに相当するとして、1万3,000cpmを
スクリーニングレベルとし、スクリーニングを開始した。
13日に緊急被ばく医療派遣チームとして福島県を訪れた放射線医学の専門家ら は、スクリーニングを担当する福島県地域医療課から、スクリーニング方法に関する
アドバイスを求められた。同専門家らは、検討の結果、断水が続いていて除染に必要
な水が不足していたこと、夜間の気温は氷点下であり、特に 病人等を屋外で除染する
のは危険であったこと、少ない職員で迅速に対応する必要があったことなどから、通常
の方法でスクリーニング 及び全身除染を実施することは困難と判断し、「福島バージョン」
のスクリーニング及び全身除染の検討を行い、福島県地域医療課に提言した。
その提言の一つとして、スクリーニングレベルを、IAEA の「放射線緊急事態の初期対応者
へのマニュアル」が一般住民の体表面汚染に対する スクリーニングレベル として定めて
いた 1μSv/h (体表面から10cm 離れた場所での線量率) に相当する 10万cpmに
引き上げるとの提言を行った。
福島県は、前記の現地対策本部長の指示があるにもかかわらず、この提言を受け
入れ、14日以降、全身除染のスクリーニングレベルを 10万cpm とすることを決定した。
なお、福島県立医科大学では、12日から 病院を訪れる患者に対して独自に スクリーニング
を行っていたが、やはり水の不足等の理由から 10万cpmをスクリーニングレベルとする
運用を 既に行っており、この点も、福島県がスクリーニングレベルを10万cpmに上げる
際に考慮された。
安全委員会は 14日未明、ERC医療班からの報告によって、福島県のスクリーニングレベル 引上げの意向を知り、検討を行った結果、1万3,000cpm が全て内部被ばくのヨウ素に
よるものとすると、安定ヨウ素剤投与の基準値となる等価線量100mSv に相当するとして、
同日4 時30分、ERC に対し、「スクリーニングの基準値は、10 万cpm に上げず、現行
のまま 1万3,000cpm に据え置いた方がよい。」との助言を行ったが、福島県は、なお
10万cpmを基準とする運用を続けた。 ↑ これが 冒頭に引用した文書である
その後、安全委員会は、スクリーニング作業を実施している現地の意見を踏まえ、 再度検討を行い、19日14 時40分、ERC に対し、スクリーニング基準を10万cpmに引き
上げる「緊急被ばく医療のスクリーニング基準について」という助言をした。
参考資料 6 - 原子力規制委員会 P304
と語っている。 <政府事故調の記述
つまり、
当時の福島県の現場は 実際上のことに迫られて、少々の健康被害には
目をつむって、被曝を容認するレベルを上げざるを得ないという過酷な
状況下にあったわけである。
放射能の汚染orプルームの状況
① 小野町 阿武隈高原SP付近
② 田村市船引町 349号線と50号線の交差点(瀬川小学校)付近
③ 川俣町 114号線(富岡街道)と349号線の交差点・山木屋付近
④ 114号線県立医大入口交差点
⑤ 原子力センター福島支所
における3月15日のヨウ素131の沈着量は、
① 17:00 277,000㏃/kg ② 17:28 862,000㏃/kg
③ 17:58 1,230,000㏃/kg ④ 18:21 1,19,000㏃/kg
⑤ 8:00 177㏃/kg(上水) ⋆
という 驚くべき数字であった。
⋆ 当初、飲料水の摂取制限は、ヨウ素131が 300㏃/kgであった。
これ未満は 安全とされていた。
県原子力センター福島支所()(福島市方木田地内)で採取した上水は、
3月16〜31日において PDF:115KB であったとされる。
また、
安全委員会資料 「学校関連資料⑦(4月12日文部科学省との打合せ資料)」には、
2011年4月5〜6日での福島県内の小学校におけるヨウ素131やセシウム134、
137の 土壌(㏃/kg)と大気中(㏃/㎥)の数値が出ている。
ヨウ素131は、半減期を2〜3回過ぎてなお これだけの値があったわけで、
当初は この表に出ている数値の4〜8倍以上あったということになる。
緊急被ばく医療派遣チームの、いわゆる放射線防護の専門家は、
こうした過酷な状況に 一般の住民を晒すことを肯定し、こうしたことが
社会に容認できるという前提で その役目を果す存在であるため、
広大の細井氏のように、緊急時被曝状況や現存被曝状況というような
ことを 一般住民に強いることは 不当なことだ という発想は まったくなく、
極めて 当然なことと 本心から思っているのである。
原子力を利用するかぎり、こうした状況というのは避けられず、
したがって、彼らは フクシマに懲りず、今後 何べんでも 一般の人々
を緊急時被曝状況 ないし 現存被曝の状況に置くことにやぶさかではない。
彼らにとっては、こうした政策によって生じた健康被害は、不幸or不運な
ことではあっても、ガマンしたもらうしかないことであり、シカタノナイこと
なのである。
そして、彼らの手元に 被曝住民に言える言葉として残っているのは、
オウムのように「 被曝 大したことではありませんよ 」 ということ以外
にはないのである。 大したことがあっても なくても・・・。
我々は、こうした 彼らの考え方と言動に、人間として大事なものを
何か 大きく欠落させているのではないか、と感ぜざるを得ない。
「 (科学者が見出した)原子力というものは、人間を このような悲惨な者
にする〜本人らは そう思っていない!〜 」ということを、フクシマは 我々に
教えているのだろうと思う。
被ばく医療分科会
最初の7日間(プルームの最初の放出から7日間)で小児甲状腺等価線量
( 実際には幼児を対象としている )について 50mSv という値は適切と考える。
海外諸国においては、WHOの勧告17に基づき、小児甲状腺等価線量で10mSv
(或は10mGy) を設定している例もある。 WHOは、小児甲状腺がんの偶発的発生率と
比較して、放射線による小児甲状腺がんの発症リスクを容認できる適度に抑えるには、
従来の基準(100mGy)の十分の一程度が適当と考えられる⋆ことから 10mGy を
提言した。しかしながら、その後、IAEA は、ポーランドの疫学調査において、甲状腺
等価線量あたりの甲状腺がんの超過絶対リスクがゼロと明らかに異なる線量グループ
の最小値が 50mGy であると報告されたことから、この数値を GSG-2 の一般的基準
に採用した。GSG-2 の作成には WHO も参画しており、こちらに示された数値を使う
ことは適切と考える。
⋆ 1歳の子供では甲状腺の重量が成人の10分の1なので、被曝線量は
成人の約10倍になる。
※ ヨウ素剤服用の目安としては、甲状腺の等価線量が 50〜500mSvであることが
ICRPから提案されている。 安定ヨウ素剤投与 - ATOMICA -
緊急被ばく医療派遣チームと安定ヨウ素剤の配布
日本甲状腺学会 会員各位
日本甲状腺学会理事長 山下俊一 定時降下物⋆ 福島県原子力センター福島支所
平成23年 3月27日〜 PDF:67KB 単位:㏃/㎡
3月27日9時〜3月28日9時 23000
3月28日9時〜3月29日9時 81
3月29日9時〜3月30日9時 210
3月30日9時〜3月31日9時 114
3月31日9時〜4月1日9時 18
⋆ 一定の期間中に地表面に降下した放射性物質の量のこと
<山下俊一氏の論文 平成12年(2000)
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2014年12月28日
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参考: 吉田松陰の朝鮮論
吉田松陰 - Wikipedia ( 1830 〜 59 )
文政 13 安政 6
藩校明倫館の元学頭・山県太華と論争し、
天下は 万民の天下にあらず、天下は 一人の天下なり。
※ 一人とは 天皇のこと。
『栗原良三に復する書』 ( 1852 嘉永5年 )
皇朝、武を以て 国を立つ。其(そ)の盛時は 高麗・新羅を懾服して 使を
百済・任那に駆りしこと難からざりしなり。 寛平に至りて、新羅来寇す、則ち
撃ちて 之(こ)れを却(しりぞ)けたるも、是(こ)の時は 古の雄略 復た見るべき
なし、而(しか)れども 防守は 尚(な)ほ 人ありき。 其の他は 則ち 言ふべき
ものなし。……豊関白(豊臣秀吉)起るや、三韓を鏖(皆殺し)にし、有明を圧し、
勢将に古の略に復せんとす。不幸にして 豊公 早く薨じ、大業継かざりしは
惜しむべきかな。然れども 余威 猶(な)ほ 百蛮に震ひて 数世に延ぶ、盛なり
と謂(い)ふべし。降りて 近時に及んでは、事 言ふに忍びず。
……国威の衰頽、最も 未だ曾て 有らざる所なり。
嘉永6年(1853) 黒船来航
上海でサスケハナ⋆に旗艦を移したペリー艦隊は 5月17日に出航し、同26日に
琉球王国(薩摩藩影響下にある)の那覇沖に停泊。
⋆ サスケハナ川に スリーマイル原発があった。
ペリーは首里城への訪問を打診したが、琉球王国側は これを拒否。
しかし、ペリーはこれを無視して、武装した兵員を率いて上陸し、市内を行進
しながら首里城まで進軍した。
琉球王国は仕方なく、武具の持込と兵の入城だけは拒否するとして、ペリー
は武装解除した士官数名とともに入城した。ペリー一行は 北殿で茶と菓子程度
でもてなされ、開国を促す大統領親書を手渡した。さらに 場所を城外の大美
御殿に移し、酒と料理でもてなされた。ペリーは感謝して、返礼に王国高官を
「サスケハナ」に招待し、同行のフランス人シェフの料理を振舞った。
しかし、王国が用意したもてなしは、来客への慣例として行ったものに過ぎず、
ペリーへの拒否(親書の返答)を示していた。友好的に振舞ったことで武力制圧
を免れたが、琉球王国はこの後もペリーの日本への中継点として活用された。
『幽囚録』 ( 1854 安政元年 )
朝鮮と満洲とは相連なりて 神州の西北に在り、亦皆海を隔てて近きものなり。
而して 朝鮮の如きは 古時 我れに臣属せしも、今は 則ち 寖(や)や倨(おご)る、
最も 其の風 教を詳かにして 之(こ)れを復(かえ)さざるべからざるなり。・・・
「日升らざれば 則ち 昃(かたむ)き、月盈たざれば 則ち 虧(か)け、国盛んなら ざれば 則ち 替(おとろ)ふ。 故に 善く国を保つものは 徒(いたずら)に 其(そ)の
有る所を失ふことなきのみならず、又 其の無き所を増すことあり。
今急 武備を修め、艦 略(ほぼ)具(そな)はり、礟足らば、則ち 宜しく蝦夷
を開拓して、諸侯を封建し、間に乗じて 加摸察加(カムチャッカ)・隩都加(オホーツク)
を奪ひ、琉球に諭(さと)し、朝覲会同すること 内諸侯と比(しと)しからしめ
朝鮮を責めて 質を納れ 貢を奉じ、古の盛時の如くにし、北は 満州の地を割き、
南は 台湾、呂宋(ルソン)諸島を収め、進取の勢を漸示すべし。
然る後、民を愛し士を養い 慎みて辺圉(ぎょ )を守らば、則ち 善く国を保つと
謂(い)うべし。
※ 朝覲(ちょうきん): 諸侯または属国の王などが、参内して君主に拝謁すること
(安政元年十二月十二日付書簡)
今大いに船艦を打造し 北は 蝦夷を収め 西は 朝鮮を服し、駸々然として
進取の勢を示し候はば、群夷自から手を収むべし。何となれば 縦令(たとえ)
一度 近づき少利を得るとも、又 其の本国を襲はれん事を恐るるなり。
計(はかりごと) 此(こ)れに出でずんば 永久を保するの策に非ず。
『清国咸豊乱記』( 1855 安政2年 )
朝鮮を来たし(朝貢させ)満洲を収めんと欲すれば 則ち 艦に非ずんば不可なり。 是れ余の本志なり。 今は 未だ ここに及ばず、則ち 巨艦待つべきなり。
(安政二年四月二十四日付書簡)
魯(ロシア)・墨(メキシコ) 講和一定す、決然として我れより 是れを破り 信を戎狄に
失ふべからず。 但だ 章程を厳にし 信義を厚うし、其の間を以て 国力を養ひ、
取り易き朝鮮・満洲・支那を切り随へ、交易にて 魯国に失ふ所は 又 土地
にて鮮満にて償ふべし
『治心気斎先生に与ふる書』(「野山雑著」)
宜(よろ)しく章程を厳にし約束を謹みて、其れをして驕悍(きょうかん)に至ら
しめざるべし。間に乗じて 満洲を収めて 魯に逼り、朝鮮を来たして 清を窺ひ、
南洲を取りて 印度を襲ふ。 三者 当に其の為し易きものを択びて 之れを為す
べし。是れ 天下万世継ぐべきの業なり。天下の勢、或は 未だ ここに至ら
ざれば 則ち退きて 吾が国を治め、武を偃し 文を修め、賢能を招き士民を養ひ、
声息を潜めて 形跡を歛むるも、猶ほ 以て 一方の安を受けて これを子孫に
伝ふるに足らん。……是れを 之れ勉めずして 船を造り砲を鋳るを是れ事とす、
是れ 僕の甚だ惑ふ所以なり。
『丙辰幽室文稿』( 1856 安政3年 )
「久坂玄瑞に復する書」 今の計たる、疆域を謹み 条約を厳にして、以て 二虜を覊縻し、間に乗じて
蝦夷を墾き 琉球を収め、朝鮮を取り 満洲を拉き、支那を圧し 印度に臨みて、
以て 進取の勢を張り、以て 退守の基を固めて、神功の未だ遂げたまはざりし
所を遂げ、豊国の未だ果さざりし所を果すに若(し)かざるなり。
神功: 神功皇后 - Wikipedia 豊国: 豊臣秀吉
「外征論」 夫れ坤輿の形勢は、合はせざる能はざる者あり、合はせざるべからざる 者あり。我が奥越の如きは、地脈接続し、合せざる能はざる者なり。
三韓・任那の諸蕃は、地脈接続せずと雖も、而も形勢対持し、吾れ往かずんば
則ち 彼れ必ず来り、吾れ攻めずんば 則ち 彼れ必ず襲ひ、将に不測の憂を
醸さんとす。是れ合はせざるべからざる者なり。
安政5年(1858)
幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒、
討幕を表明して、老中首座である間部詮勝の暗殺を計画する。
だが、弟子の久坂玄瑞、高杉晋作や桂小五郎(木戸孝允)らは反対して
同調しなかったため、計画は頓挫。 さらに、松陰は 幕府が日本最大の障害
になっていると批判し、倒幕をも持ちかける。
結果、松陰は捕らえられ、野山獄に幽囚される。
「桂小五郎あて書簡」(二月十九日付)
此の段 幕許を得、蝦夷同様に相成り候はば、異時 明末の鄭成功 の功も 成るべくかと思はれ候。此の深意は 扠(さ)て置き、幕吏変通の議、興利の説
今日の急に候へば、竹島開墾位は 難事に非ざるべし。是れ 一御勘定の
主張にて行はれ申すべくと黙算仕り候。委細 玄瑞 存知の事に付き御運籌
下さるべく候。天下無事ならば 幕府の一利、事あらば 遠略の下手は 吾が藩
よりは 朝鮮・満洲に臨むに若(し)くはなし。朝鮮・満洲に臨まんとならば 竹島
『対策一道』( 四月中旬)
凡(およ)そ 皇国の士民たる者、公武に拘(かかわ)らず、貴賤を問はず、 推薦抜擢して軍師舶司と為し、大鑑を打造して船軍を習練し、東北にしては
蝦夷・唐太、西南にしては流虯〔琉球〕。対馬、憧々(しょうしょう)往来して虚日
あることなく、通漕捕鯨以て操舟を習ひ 海勢を暁り、然る後 往いて 朝鮮・
満洲 及び清国を問ひ、然る後 広東・咬(カ)ル〔口偏に留〕吧(パ)〔ジャカルタ〕・
喜望峰・豪斯多辣理、皆 館を設け 将士を置き、以て 四方の事を探聴し、
且(か)つ 互市の利を征(と)る。此の事 三年を過ぎずして 略(ほ)ぼ弁ぜん。
然る後 往いて 加里蒲爾尼亜(カリフォルニア)を問ひ、以て 前年の使に酬い、以て
和親の約を締ぶ。果して 能く是(か)くの如くならば、国威奮興、材俊振起、
決して 国体を失ふに至らず。
『続愚論』( 五月下旬 )
清国・朝鮮・印度抔の近国へ出掛け候様成され候はば、数年の内 航海の 事は大いに行はれ申すべく存じ奉り候・・・
商船漸く増し、土貨漸く殖え、而して 互市漸く盛んなれば、乃ち 軍艦を造る。
軍艦には必ず砲銃を備へ、士卒を充て、商艦は以て輜重に当つ。ここに於て
欧羅・米利も、遠くして到るべからざることなし、而して 朝鮮・満洲は 之れ言ふ
に足らんや。
「久坂玄瑞あて書簡」(六月二十八日付)
英〔口偏に英〕夷 既に拠るとも苦しからず、矢張り 開墾を名とし交易をなし、 因つて 外夷の風説を聞くこと 尤も妙、英〔同上〕夷 既に拠れば 別して差捨て
難く候。左なく候ては いつ何時 長門などへ来襲も測るべからざるなり、
寸板も海に下す能はざるの陋を破るには 是れ等にしく妙策は 之れなく候。
黒龍・蝦夷は 本藩よりは迂遠、夫れよりは 竹島・朝鮮・北京辺の事こそ本藩
の急に相見え候・・・
英〔同上〕夷闢きかけたれば 尚ほ可なり。何分一寸なりと 外へ張出さねば
相捌けず候。水軍を仕向くると云ふは 尚ほ愚論なり。水軍にて行けば 彼を
備をする、商船で行けば 彼れも商をするなり。
※ 英〔口偏に英〕夷: イギリス
「桂小五郎あて書簡」(七月十一日付)
朝鮮に懸け合ひ、今に空島に相成り居り候事 無益に付き、此の方より開く なりと申し遣はし候はば 異論は 之れある間布く、若し 又洋夷ども 已に彼れ
が有と相成り候はば致方なし。開墾を名とし 渡海致し候はば、是れ 則ち
航海雄略の初めにも相成り申すべく候。
安政6年(1859) 10月27日、安政の大獄に連座し、江戸に檻送され、
評定所で取り調べの結果、斬首刑に処された。享年30(満29歳没)。 時移って、 1915年 (大正4)の状況は、以下の如くである。
満洲の日貨排斥熱 (奉天特信) 神戸新聞 1915.4.19(大正4)
日支交渉は 其の遷延又遷延と共に 益益(ますます) 支那の民心を動揺せしめ
各地に謡言蜚語 盛に行われ、彼の日貨排斥の如きは 支那商品本来の希望
にあらざれど、或筋よりの強制 及び 日本留学生其他の煽動に余儀なくせられ
て行いつつある姿なるが、此の日貨排斥に対し 支那の官民が表面その取締を
なすと共に 裏面 謂(い)う所の土貨振興に努め、各方面に其声を高めつつある
は注意すべき事なり。
満洲にも 此の土貨振興の勧誘をなすべく入込める支那人少からず。彼等は
日貨排斥を公然口にせざるも、土貨振興の必要急須を説きて成(な)べく 外国品
を用うる勿れ と熱心に首唱し居るは、欧洲戦乱の為に欧洲品の輸入少く、其の
外国品なるものが 殆ど日本品なるに徴して、其の土貨振興説の日貨排斥と意
を等しうするを観取するに難からず。流石(さすが)に巧妙なる支那人だけありて
日本の国産奨励を見様見真似に旨きことを考えたるものと謂うべく、日本も
国産奨励の声を大にして 支那人に好き智恵を与えたりと言わるるも致方なき
次第となりたり。
支那に於(お)ける今日の土貨振興説は、斯の如く日貨排斥の仮託言として
行われ居るも、併(しか)し乍(なが)ら 支那の政府当局者が 一面 切実に土貨
振興の必要を認め居ることは、事実にして 袁(世凱)総統の徴偶を受け 相当に
羽振を利かせる 梁士詒の如きが 其(その)商業奨励策の内に於いて 熱心
土貨振興の要を力説し居るに見るも、其の一斑を推知するに難からず。而(しか)
も 工業の 猶(なお)甚だ幼稚なる支那が 如何にして 土貨振興の実を挙ぐべきか
は 其(その)観説の盛んなると反対に、未だ 夫(それ)らしき具体的意見の聴く
べきものなし。此点は 矢張 支那人にして 思想の空疎を免れず。
尤(もっと)も 全く其の方法を説かずという訳にもあらず。彼等が其の唱うる
土貨振興の一策として 関税率増加の実現に腐心しつつあるは 対支貿易に
最も優勢の地位を占むる我日本の 須らく注意すべき一事項に属すべし。
支那政府は 昨年 関税五分の増率を 列国に要求し、列国は其の理由の是なる
を認めて、之れに賛意を表し、我日本も主義として 賛同を表したるが 支那政府
本来の希望は 自国産業の発展 並に 不如意なる財政の収入を増加せんが
為め、一種の関税保護策を行わんとするにありて、農商部を始め 各部相一致
して 之が方法を講究しつつあり。
支那の立場より云えば、是れ洵(まこと)に無理ならむ事なるも、彼のマツケー
条約なるものあり、且(か)つ 関税増率の実行に対して 釐金制度の撤廃 及び
幣制改革の実施を条件としある以上、未だ其(その)実の見るべきものなき今日、
任意に保護主義 兼 収入主義の関税増加を行わんことは 到底不可能なり。
支那政府 固(もよ)より 之を知るを以て、今遽(にわか)に其(その)実施を欲する
に非ざるも、土貨振興の首唱は 任意に為し得るが故に、先ず其声を大にし、
然る後 何等かの方法の下に 少なくとも 外国輸入品の一部に対して関税増加
を行わん、と種々研鑽講究しつつあるは 事実なるが如し。
今日の土貨振興説は 前記の如く 日貨排斥の方便として唱えられるるあるも
土貨幣振興は 右の如く 支那本来の希望なるを以て、今後も引続き首唱せらる
べく、従って 対支貿易に重要位地を占むる我国は、今より深く 此点に注意の
必要あり。況(いわ)んや 支那に向って 層一層 その経済的歩武を進めんとする
に於ておや。
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