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日本記者クラブ 2015.8.6
「戦後70年 語る・問う」 (29)
満州鉄道の技師だった父と共に 旧満州のハルビンに移り住んだ宝田氏は
小学5年生で敗戦を迎えた。そして、日ソ中立条約を一方的に破って満州に侵攻
したソ連軍によって生活を一変させられた。
ソ連兵の略奪、凌辱、惨殺を目の当たりにし、自身も腹部に銃撃された経験は、
今でもロシアという国に対する憎悪の元になっていると語る。
「 戦争とはそういうもの。憎悪しか生まない 」
ソ連の仲介による和平工作をソ連側に依頼した。ソ連はこれを黙殺し密約どおり
対日参戦を行うことになる。ソ連は 8月8日(モスクワ時間で午後5時、満州との
国境地帯であるザバイカル時間では 午後11時)に突如、ポツダム宣言への参加を
表明した上で 「 日本がポツダム宣言を拒否したため 連合国の参戦要請を受けた 」
として 宣戦を布告、事実上 条約を破棄した。9日午前零時(ザバイカル時間)をもって
戦闘を開始し、南樺太・千島列島および満州国・朝鮮半島北部等へ侵攻した。
この時、日本大使館から本土に向けての電話回線は全て切断されており、完全な
奇襲攻撃となった。
日ソ中立条約 - Wikipedia 発効 1941年4月25日
1945年(昭20)4月5日、翌年期限切れとなる同条約をソ連は延長しない
(ソ連側は「破棄」と表現)ことを日本に通達。 ← ヤルタ会談
【ぼくは軍国少年だった】宝田明さん戦争証言 2014/12/16
2014/12/16
16歳で女優になった赤木春恵。1945年、戦争の激化に伴い、生まれ故郷の旧満州
へ渡る。出征した次兄に代わり20歳で劇団の座長となり満州各地を慰問。
同年8月ハルビンで玉音放送を聞く。この頃から満州に侵攻してきたソ連兵たちの暴行
や略奪に怯える日々を経験。苦労の末、翌年日本に引き揚げる。
NHK
満蒙開拓団はこうして送られた 〜眠っていた関東軍将校の資料〜
東宮鉄男 - Wikipedia 1892年(明24)〜 1937年(昭12)
日本の陸軍軍人。「満蒙開拓移民の父」とよばれる。
張作霖爆殺事件(1928(昭3))の実行者。
死後特進し陸軍大佐となる。
五・一五事件 - Wikipedia 1932年(昭7)
拓務省 - Wikipedia 1929(昭4)〜42(昭17)
1931年の満州事変以降に日本からの満州国への移民が本格化。
1936年、広田内閣は「満州開拓移民推進計画」を決議し、1936年から1956年
の間に 500万人の日本人の移住を計画、推進した。同時に、20年間に移民住居を
100万戸建設するという計画(「二十カ年百万戸送出計画」)も打ち出された。
日本政府は、1938年から1942年の間には20万人の農業青年を、
1936年には2万人の家族移住者を、それぞれ送り込んでいる。
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2015年09月27日
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